第20話 酒場
惑星連邦全体で反政府活動に対する取り締まりが強化される中、第二惑星ドゥオでは、反政府ゲリラと政府軍との激しい戦闘も行われ、惑星間の人の移動は厳しく制限されていた。
そんなわけでジャーナリストのユーカ・ユキヒラは未だ第二惑星ドゥオから出ることができないでいる。
「パナシェを」
薄暗いバーのカウンターで、白い半袖ブラウスとブルージーンズに身を包んだ華奢なユーカは物憂げにレモン風味のビアカクテルを注文した。
セルフレームのサングラスで目元を隠しているが、艶やかな栗色のショートヘアに白い肌、整った鼻と口元は、若く美しい女性であることを周囲に期待させてしまう。
彼女は警察の追及を逃れるために居場所を転々と変え、今日の宿はまだ決まっていない。
スーツケースを抱えたまま、とりあえず一休みしているところだ。
バーの客の入りは二割くらいでテーブル客が多い。八人ほどが座ることのできるカウンターに限って言えば、ユーカの他に客は一人しかいなかった。ユーカから離れた席に座り、無言で酒を飲んでいる迷彩服の男だ。
「どうぞ」
バーテンダーがユーカの前に櫛切りレモンを飾った淡い黄金色のグラスを置いた。
グラスの中できめ細かい泡が踊り、グラス表面がうっすら白く曇っていく。ユーカは乾いた喉を潤すと、サングラスの内側に協力者たちのメールを表示させた。
『ドゥオのジャングルで戦闘、死傷者は二百人を超過』
『第三惑星トレスの反政府デモ激化、本日の逮捕者は一六三人』
有り難いことに、最近、発生した重要事件の補足情報だ。
『科学都市アルカの入院患者』
そして、三つ目のメールには画像ファイルが添付されていた。題名も不審だ。差出人は惑星クワトルの協力者。ユーカは添付ファイルのウィルスチェックを済ませると、アプリを使って画像を表示する。
「これって」
思わず言葉を漏らした。
人工呼吸器を着け、点滴用のチューブを腕に、栄養補給用の胃ろうのチューブを腹部に刺した男の画像だ。
彫の深い端正な顔立ちでプラチナブロンドの中年男性。ユーカはその男に見覚えがあった。シュナイダー・シュタインフェルト総統。ユーカは同じ差出人の別のメールをチェックする。
『回復の見込めない延命措置、人望なきナンバーツーが全てを決めている』
検閲にかからないように固有名詞を削ぎ落しているが、情報提供者の言いたいことはよくわかった。しかし、この情報は、たった一人からもたらされたもので、画像も合成の可能性が捨てきれない。ユーカは記事化するか否か悩んだ。
「隣、座ってもいいかな?」
ユーカが物思いにふけっていると、不意に横から男の声がした。
ユーカが視線を向けると小山のように太った男がカウンターのユーカの隣に腰を下ろす。体重は百数十キロあるだろうか。全身にまんべんなく脂肪を纏った男で、金髪に青い目だ。太い首もとを金色のチェーンネックレスで飾り、赤い花柄のアロハに白いズボンを身に着けている。
「ねえ、君、どこから来たの?」
その男は、さらにユーカに話しかけてきた。『煩わしい』という感情をユーカは顔に出した。
「地元民よ」
「じゃあ、旅行に行くところ?」
「ええ」
ユーカは答えながらも対応を誤ったかもしれないと後悔した。男はぐいぐい話しかけて来る。まともな人間の匂いがしない。すぐ近くのジャングルで反政府ゲリラと政府軍の戦闘があったばかりのこの街は治安が悪かった。
「こんな時間に出発?」
ユーカは黙って首を振った。政府に目をつけられて逃げ隠れしている身だ。足取りに関する情報は口にしたくない。
「泊まるところがないんなら、俺が、いいところを紹介するよ」
おかしな雲行きになってきた。バーのカウンターでホテルの客引きでもあるまいにとユーカは思った。もしもナンパなら、もっとスマートにやってほしい。
「いえ、結構です」
「つれないな。どうせ、身を持て余してるんだろ」
太った男の口元には下卑た感情があふれていた。『何を持て余しているって?』とツッコミを入れるのを我慢してユーカは無視しようと心を決める。
「おい、何とか言えよ」
何も言わないユーカに焦れて、太った男は声を荒げた。
ユーカはグラスの液体をぐいと飲み干し、バーテンダーに告げる。
「お勘定を」
ユーカがカウンターから立ち上がると、太った男はその巨大な手のひらでユーカの細い左腕を掴んだ。
「そう、つんけんするなよ」
男は薄ら笑いを浮かべている。バーテンダーは見て見ぬふりだ。
警察があてにならないこの街では正しい対応かもしれない。
「離してくれない?」
ユーカは声を抑えて氷の視線を男に向けた。しかし、男は意に介さない。
「まあ、座れよ」
力づくで、ユーカをカウンターの椅子に座らせようとする。ユーカは激しく抵抗した。
「痛い! 離して」
ユーカの鋭い叫びが店内に響き、ほとんどの客が息を呑んだ。
「ほら、いい子にしないと」
ユーカの表情が苦痛に歪み、男は強引にユーカを椅子に座らせる。店内が妙に静かになった。
みんな様子をうかがっている。そんな気配だ。
「無粋な奴だ。酒がまずくなる」
そんな静まり返った店内に、低い擦れたような声が響いた。
カウンターの端で飲んでいた男が、不機嫌そうに琥珀色の液体が注がれたグラスを飲み干す。
男は、迷彩柄のTシャツを身に着け、濃いカーキ色の長ズボンに黒い編み上げブーツをはいていた。背はあまり高くなさそうだが、ゴツゴツした筋肉を身にまとい首が異常に太い。肌は浅黒く、黒い髪はくせっ毛。ティアドロップタイプの金属フレームのサングラスをかけている。おそらく、ユーカのものと同じようなウェアラブル端末だ。
「はぁ? なんだ、お前は?」
金髪の巨漢がジロリと威圧するような視線を男に向けた。
「嫌がってんだろうが」
迷彩柄のTシャツを着た男は座ったまま、人差し指を太った男に向ける。どちらの陣営かはわからないが兵隊の匂いがした。だが、武器は持っていないようだ。
「関係ない奴は、引っ込んでろ!」
「ふ~ん。だ、そうだ。どうする? お嬢さん」
救世主となるかもしれない男は、ユーカに視線を転じた。
「助けてよ」
迷彩柄のTシャツを着た男も怪しげだったが、ユーカはそう言うしかなかった。
「オーケー」
迷彩柄Tシャツの男は立ち上がった。
「おい、ふざけるなよ」
金髪の巨漢も立ち上がる。
二人はゆっくりと間合いを詰めた。迷彩柄Tシャツの男も大柄だが、金髪の巨漢は頭一つ分背が高い。恐らく体重差は二倍くらいあるだろう。
「チビ助が。ぺしゃんこにしてやる」
金髪の巨漢は薄ら笑いを浮かべ、迷彩柄Tシャツの男を見下ろした。
「デブチンが。ハムにしてやる」
迷彩服の男が即座に言い返し、緊迫の場面であるはずの店内に失笑があふれた。金髪の巨漢が真っ赤に茹で上がる。
「クソが!」
右フックがうなりを上げ、迷彩柄Tシャツの男の頬に巨大な拳が炸裂する。
殴られた男は激しい音を立ててカウンターに手のひらをつき、何とか倒れずに踏みとどまった。店内にざわめきが走る。
「思い知ったか!」
「こんなざまじゃ、ノーラに怒られちまうな」
迷彩柄Tシャツの男は、寂しそうにつぶやきながら体勢を整えた。
「で、次は俺の番でいいか?」
不敵な笑みを漏らす迷彩柄Tシャツの男に、金髪の巨漢は右フックで応える。
だが、その巨大な拳は男に当たる寸前で止まっていた。
迷彩柄Tシャツの男が間合いをさらに詰めて左腕でブロックしたのだ。
続けて閃光のような右アッパーが巨漢の顎を突き抜ける。
巨漢の顎の形が崩れ、ゆっくりと仰向けに倒れた。店内は凍り付いたように静かになった。
「つまらねえ奴だな」
迷彩柄Tシャツの男は、口から血を溢れさせている巨漢の胸が呼吸のために上下していることを確認すると、硬直したまま立っているユーカに顔を向ける。
サングラスのため表情はよくわからないが、迷彩柄Tシャツの男からは金髪の巨漢以上に危険な臭いを感じた。一撃で顎の骨を砕くなど尋常ではない。
「あ、ありがとうございました」
正直、ユーカに嬉しい感情はなかった。何かとんでもない報酬を要求されたらどうしよう。頭の中で渦を巻いていたのはそんな想いだ。金髪の巨漢の馬鹿力は身をもって経験している。あの男の渾身の右フックに耐えることができるなんて考えられない。
「いや、礼を言う必要はない。大物が釣れたからな」
男は低く掠れた声を発してユーカに近づいた。そして、手首をゆっくりと握る。
「いえ、あの、感謝はしていますが。私、そんな軽い女じゃないんで」
消え入るような声で拒否したが、恐怖に竦んで腕に力は入らない。
「勘違いするな、ユーカ・ユキヒラ」
『なぜ、私の名前を!』
ウェアラブル端末で情報を入手していたらしいと気づくのに、大した時間はかからなかった。
ユーカは男の手を振りほどいて逃げようとした。
だが、うまくいかない。握られた手首はピクリとも動かなかった。
「第一級テロリストとして逮捕状が出ている。反政府ゲリラと戦う俺としては、見逃すわけにいかないんだよ」
「私はテロリストなんかじゃない! ジャーナリストよ!」
ユーカは鋭い声を上げた。だが、男に怯む様子はない。
「話は後で聞く。現在、この街の治安維持を担当している俺たちの艦でな」
「あなた、誰なの!」
「アジャン・アスタナ、残念ながら兵隊だ」
そう答えたアスタナは功を誇るでもなく、どちらかというと寂しげな表情を浮かべていた。




