第2話 ドゥオ人民共和国連合艦隊
「クワトルの連中は第三惑星の軌道エレベーターを核兵器で破壊し、チャオ宇宙艦隊に対する地上からの補給を断ったとか」
白髪で鷲鼻、鋭い眼光の長身の男が、床に固定された頑丈そうな椅子を回転させて身体ごと後方に向き直る。
彼の見上げる視線の先には、周囲から一段高い場所に設けられた椅子に腰を下ろす恰幅のいい中年男がいた。二人とも金糸で植物模様の刺繍を施した白く豪奢な軍服に身を包んでいる。
二人がいたのはドゥオ人民共和国連合艦隊旗艦である宇宙母艦グレートアトラスの戦闘指揮所だ。そこは数メートル四方の空間で、十数人の士官たちが目の前に浮かぶ色とりどりの空間投影モニターを見つめ、各種データのチェックに勤しんでいる。
「衛星軌道上の補給基地は全て破壊された。かつての軍事大国チャオもこれでおしまいだな。アーギュメント中将」
恰幅の良い中年男が、機嫌の良さそうな表情を白髪で鷲鼻の男に向けた。
それに対し、鷲鼻の男は苛立たし気に眉を曇らせる。
「我らの今の相手はクワトル連邦です。チャオ帝国との正面決戦を避け、補給を断つことから始めたクワトル連邦。決して侮ってはなりませんぞ。司令」
恰幅の良い男は艦隊司令官、アーギュメント中将と呼ばれた鷲鼻の男は参謀長だ。
第二惑星に拠点を構えるドゥオ人民共和国は、第四惑星クワトル連邦の侵攻艦隊を撃退すべく、ほぼ全ての艦艇を動員し、防衛態勢を整えたところだった。
「軌道エレベーターを破壊するために核兵器を使うなど狂気の沙汰、余裕のない証拠だ。正義は我らとともにある。この戦、もらったぞ」
笑みを浮かべる司令官を見ながら、アーギュメント中将は自らの苛立ちの正体にはっきりと気づいた。戦の勝ち負けに正義もクソもない。おまけに、この司令官は敵を侮っている。
偵察衛星からの情報によれば、接近してくるクワトル連邦の軍艦の数は、ドゥオ人民共和国軍が用意した艦艇数の半数以下だ。大軍同士の戦いであれば数は勝敗に直結する。おまけに、通常攻め手の方が防衛側よりも多くの戦力を必要とする。そういう意味では自信を持っても良いのかもしれない。
しかし、戦力差が分かったうえで敵は引き返しもせず戦いを挑んでくるのだ。敵が第四惑星を統一し、第三惑星の軍事大国を無力化した戦上手であることを考えれば、当然、勝算あってのことに違いない。
「来ました。クワトルの宇宙艦隊です」
アーギュメント中将の思考は索敵担当士官の報告により中断された。戦闘指揮所の天井付近の空間に、図式化された両艦隊の立体映像が映し出される。クワトルの軍艦は赤い三角、ドゥオの軍艦は白い三角で表現されていた。
「艦艇数五〇です。方位角一〇.三、仰角プラス五.八、距離三〇万、二列縦隊で惑星間航行速度のまま突っ込んできます」
縦列で突進してくるクワトルの艦隊に対し、ドゥオの艦隊は六隻づつ二〇のグループを作って、広く左右に展開していた。宇宙母艦と、その護衛の戦闘艦で構成されるグループだ。
「事前情報通り、敵艦隊は我が方の半数以下か。戦の定法も知らんらしい。味方の宇宙母艦に指令、無人戦闘艇を全機発進させろ!」
司令官は威厳に満ちた声を響かせた。
ドゥオ人民共和国の艦隊は、全長三五〇メートル級の宇宙母艦二〇、三〇〇メートル級の宇宙戦艦二〇、二〇〇メートル級の宇宙駆逐艦八〇の合計一二〇隻からなる。
それぞれの宇宙母艦には遠隔操作の無人戦闘艇が各一〇〇機搭載されており、二〇隻で合計二〇〇〇機に及ぶ。それに対し、クワトルの艦艇数は五〇隻に過ぎない。
艦砲の射程外から、大量の無人戦闘艇による攻撃で決着をつけるというのが、ドゥオ人民共和国軍の今回の基本戦術だった。
「敵艦隊の艦種を識別せよ」
自信に満ちた司令官とは対照的にアーギュメント中将は慎重だった。クワトル艦隊五〇隻のうち宇宙母艦が多くを占めれば、無人戦闘艇に関しては戦力差が少なくなり苦しい戦いを強いられるからだ。
「映像出します」
コンピューターで処理され、図式化された艦隊配置状況の手前に、望遠カメラがとらえた光学映像のモニターが展開した。画像が荒く全体的に薄暗いが、シャープな印象の三角形の宇宙船がこちらに鋭角部分を向けているのが見える。
「データベース照合完了。五〇隻全て二五〇メートル級の宇宙巡航艦です」
結果はアーギュメント中将の懸念を払拭するものだった。宇宙母艦は一隻もいない。物量差はこれで決定的だ。
「ふん、猪武者め。二〇〇〇機の無人戦闘艇で包囲殲滅してくれる」
司令官が嗜虐的な笑みを浮かべたタイミングで、中空に表示された立体映像に変化が生じた。
「敵艦隊、加速、転針します。我々から見て左へ」
宇宙巡航艦の左舷側姿勢制御ノズルが一斉に光を放ち、二等辺三角形の底辺に四つ並んだ推進装置が猛然と推進剤を吐き出している様子が映像で確認できた。
「加速して転針だと? 中央突破ではないのか? 砲撃戦のため減速しないのか? それとも、この期に及んで逃走か?」
司令官が焦りの表情を浮かべる。まだ無人戦闘艇の射程外だ。得意の戦術は実行できない。
「我々と敵艦隊の現在の相対速度差は?」
アーギュメント中将の心の中で漠然とした不安が一気に形を成した。
「秒速一五〇、敵はさらに加速、相対速度差増大。中央突破ではありません。我が艦隊の左翼を狙っています!」
「司令、宇宙母艦を後方に下げてください! 宇宙戦艦と宇宙駆逐艦で迎撃すべきです」
いかに宇宙母艦搭載の無人戦闘艇が加速能力に優れているとはいえ、すでに超高速に達している宇宙巡航艦に追いつくことは難しい。無人戦闘艇による先制攻撃は成立せず、火力と機動性に乏しい宇宙母艦が狙われる。
「いまさら何を! このタイミングでそんな指示を出せるものか!」
「では艦隊を反時計回りに動かしてください!」
司令官はすっかり平常心を失っている。参謀長であるアーギュメント中将の献策を冷静にジャッジすることもおぼつかなかった。
「敵に道を開けろというのか! 本国が直接攻撃に晒されたらどうするつもりだ。ならん!」
「布陣を変えないと艦艇の半数以上が戦闘に参加できないうえ、左翼を破られますぞ」
「わかっておる! 全艦左九〇度回頭、回頭後、最大加速!」
「それは!」
左翼方向に艦隊を移動させて敵艦隊を迎え撃つつもりらしいが大型の宇宙母艦は向きを変えるのに時間がかかる。しかも最も動きの遅い艦の回頭が終わるまで、全ての艦が加速を開始することができない。
「復唱します。全艦左九〇度回頭、回頭後、最大加速!」
アーギュメント中将の不満をよそに、艦隊は司令官の意向に沿って動き始めた。天井付近の空間に映し出された両軍の様子を見ながら中将は奥歯を噛みしめる。
「我が艦隊の左翼、まもなく敵をプラズマ砲の射程にとらえます」
クワトルの艦隊は、すでにドゥオ艦隊の左翼外側(向きを変えたので先頭の遥か前方)に回り込んでいた。攻撃に参加できるドゥオの艦艇は全体のごく一部にすぎない。
「射程に入り次第、各個に攻撃開始!」
司令官の威勢の良い声を聴きながらアーギュメント中将は暗澹たる思いに囚われた。
軍事の名門アーギュメント一族は、参謀長のギルダー・アーギュメント中将の他に、ギルダーの弟と甥っ子二人が本作戦に参加している。宇宙艦隊勤務のほぼすべての軍人が今回の作戦に動員されているため、そうした例は多いはずだ。ちなみに甥っ子たちはまだ若い士官で無人戦闘艇のオペレーターとして艦隊両翼の宇宙母艦に配属され、弟は宇宙戦艦カラスベルグの艦長を務めている。カラスベルグはドゥオ艦隊の左翼(この時点では先頭集団)に配備されており、現在最も危険なポジションにあった。
『死ぬなよ』
アーギュメント中将は神にも祈る気分で呟く。
戦闘が始まり光学モニターは白く輝くプラズマ砲の火線をとらえた。
ドゥオ艦隊前方を横切るクワトル艦隊がドゥオ艦隊の先頭部分に一斉砲撃を加えている。
数十条の火線が一点に集中し、太陽のように明るく輝く。
網膜を焼かないようにモニターの光量が調整され、焼けただれた艦体や飛散する艦艇の破片が視認できるようになった。
「宇宙戦艦カラスベルグ及び宇宙母艦ボガール消滅!」
「宇宙母艦アバディア大破!」
「宇宙戦艦クスール及び宇宙母艦トレムセン航行不能」
「宇宙駆逐艦及び無人戦闘艇、被害多数!」
ドゥオ艦隊を表す立体映像の白い三角が次々に消滅していく。損害を被っているのは先陣を切る形になった左翼のドゥオ艦艇だけだ。残念なことにクワトル艦隊を表す赤い三角は、全く数を減じていない。
「消滅、だと」
宇宙戦艦カラスベルグ消滅の報に接しアーギュメント中将は耳を疑った。
それは生存者が期待できないことを意味する。弟を失った現実は俄かには受け入れられない。
やがて乾いた喪失感がジワジワとアーギュメント中将の胃の中を這いあがってきた。
「艦艇損耗率、二〇パーセント!」
「敵艦隊、我が艦隊の先頭を通過、距離をとりつつ側面に回り込みます」
「くそ、どうしてこんなことに!」
司令官の顔面は蒼白だった。
「敵は我が軍が攻撃力を発揮できない状況を、高速移動で意図的に作り上げているのですよ」
乾いた喉の奥から必死で声を絞り出すと、アーギュメント中将は尚も移動を続ける敵艦隊を睨みつけた。頭の中では必死に局面を打開する方法を考えていたが、あまりに移動速度が違いすぎる。結局、退却すら困難な状況だということを思い知るだけだった。