第11話 建国十周年記念式典
「第四惑星まであとどれくらい?」
高速輸送艇ケンタウロスのコクピットで、丸顔のグスタフが、隣で操縦桿を握る草食動物のような風貌のリュウに声をかけた。
リュウが病院にお見舞いに行っている間にグスタフが受け取ったビンテージワインは、完璧な温度管理を実現する大きなスーツケースに入れられて、後部座席に鎮座している。
「あと三十六時間くらい」
リュウの答えは、グスタフの概算と一致した。
「もうじき建国十周年記念式典が始まるね」
「ああ、若干のタイムラグはあるけど星間ネットワークでシーナ惑星連邦全域に式典を生放送するそうだ。冒頭の総統のお言葉については、必ず拝聴するようにと通達が来ている」
リュウの表情は、グスタフの次のセリフを予想して苦々しいものに変わった。
「ワイン、間に合わなかったね」
案の定だ。
「ああ、間に合わなかった」
何度も蒸し返される話題に、リュウはいい加減辟易していた。
「他に何か言うことないの?」
「悪かったよ! でも、人助けできたし、友達も増えた!」
リュウは半ばキレ気味に答えた。
「そうだね。リュウの言う通りだ」
予想に反してグスタフはあっさりと引き下がる。しかし、ほっとすると、おかわりが来た。
「でも、処分って。どんな処分かな」
知ってはいたがグスタフは相当愚痴っぽい。
「クビはないだろ」
「だよね~」
グスタフの視線は泳ぎ、目は濁っていた。
そんなわけで、通信装置が荘厳な音楽を奏で始め、グスタフの愚痴が終わったことにリュウは安堵した。
『まもなく建国十周年記念式典を開始します。可能な範囲で空間投影スクリーンの機能をオンにしてください』
「映像再生を許可するよ」
柔らかい女性の声に応じてグスタフが機器を操作すると、漆黒の宇宙空間を映していた正面モニターが切り替わり、『クワトル中央スタジアム』が映し出された。収容観客八万人の巨大な全天候型多機能スタジアムで、今はフィールドの一角に巨大なステージが設けられ、ステージ以外のフィールドは観客席になっている。超満員の観客席を映し出していたドローンのカメラが切り替わり、ステージの様子がアップになった。
ステージ中央には重厚な雰囲気を放つ演台が置かれ、演台の両脇は赤やピンクの大輪のバラをこれでもかと活けた巨大な花瓶を乗せた花台だ。
そして、ステージの両脇には、シーナ惑星連邦の赤と黒の軍服に身を包んだ護衛の兵隊が、十数人整列している。音声は会場のざわめきを拾っていた。
『これより、シーナ惑星連邦、建国十周年記念式典を始めます』
数万人いるはずのスタジアムが急に静まり返った。随分と統制が取れている。
『シュナイダー・シュタインフェルト総統閣下の御入場です。皆さん、拍手をもってお迎えください』
万雷の拍手とともに、特設で設けられた舞台袖から肩幅の広い長身の男が姿を現した。
赤いジャケットに黒いスラックスという、一般兵と同じデザインの軍服に身を包んでいたが、圧倒的なオーラを身にまとっている。
年齢は五十を超えているはずだが、筋肉質で若々しく、彫の深い端正な顔にはシワもクスミもない。短く清潔に整えられたプラチナブロンドの頭髪はボリュームがあり、南国の海のような青い瞳は炯炯とした光を放っていた。
シュタインフェルト総統は背筋を伸ばし大股で演台の前に赴くと、群衆でひしめく会場にゆっくりと視線を巡らせ、おもむろに口を開いた。
「国民の皆さん!」
拍手が鳴りやみ会場が静けさを取り戻すまで少し待つ。
しわぶき一つなくなると再び口を開いた。
「シーナ惑星連邦が一〇年の節目を迎えられたことを、国民の皆さんに心から感謝したい」
シュタインフェルト総統の声は、良く響き、力強い。
「一〇年前まで、我々の星系は七つの国に分かれ、星系内の資源を巡っていがみ合ってきた。一〇〇年以上の長きにわたってだ」
感慨深げに一瞬目を閉じる。
群衆の注意が総統に集中した。
再び開いた両眼は群衆が期待した通りの鮮烈な光を放つ。
「多くの人が命を失い、恐怖と絶望の中、戦争のために資源を浪費して厳しい生活を強いられていた。思い出してほしい。明日の糧にも困り、夢を奪われていた日々を」
特に、軍国主義のチャオ帝国や、全体主義のドゥオ人民共和国に、その傾向は大きかったらしい。しかし、リュウのいたハン共和国は、それほどではなかった。だから、リュウは素直に熱狂する気持ちにはなれない。
「だが今は違う。新しい国家、シーナ惑星連邦のもと、平和と安全が保障され、全ての人間が等しく、チャンスを、夢を手に入れることができるようになった。この十年間で、経済指標は平均で五十パーセント向上している」
それは事実だ。戦争で破壊された都市は急速に復興し、庶民の実感はともかく経済は活性化している。
「我が国はこれからも、自由、平等、恒久平和の建国理念のもと、国民が結束し、更なる幸福のために邁進しなければならない」
「総統、かっこいいよね」
シュタインフェルト総統の力強い演説を聞きながら、グスタフが思わずつぶやいた。
「男子と生まれたからには、ああなりたいもんだな」
そう答えたリュウは、心の中でこう続けていた。
『そうすれば国中の医療資源を投入して、ルナの病気を治すことだってできるかもしれない』
「見ていろ、いつかお前を権力の座から引きずりおろしてやる」
建国十周年記念式典の映像を見ながら低い声でそう呟いたのは、フェザー・アーギュメント一等兵曹だった。場所は第三惑星トレス周辺宙域を航行中の宇宙母艦グレートアトラス戦闘指揮所。作戦行動時はクワトル出身の士官も含めて二十名以上のスタッフでひしめくこの場所も、今は無人戦闘艇のオペレーター中心にドゥオ出身者一〇名程度しかいなかった。
「迂闊なことを言うものではない」
戦闘指揮所の中心で腕組みをして仁王立ちするフェザーの背後に、静かに近づいた初老の男がたしなめるようにささやく。白髪で鷲鼻、鋭い眼光の長身の男で、巨漢のフェザーと比較しても身長面では遜色がない。男は、かつてドゥオ人民共和国連合艦隊で参謀長を務めたギルダー・アーギュメントだった。
「大丈夫ですよ。伯父貴。我らが上官は、今頃、自分の部屋でウィスキーグラスを傾けながら、のんびり寛いでいることでしょう。今ここにいるのは我々の同志だけです」
フェザーは不敵に言い放った。
近くのオペレーター席に座っているヴィクトール・ヴォルコフ二等兵曹と、エマ・エルランジェ二等兵曹が視線をフェザーに向け、黙って頷く。
「お前は慎重さに欠ける」
ギルダーは、甥に暖かい視線を注ぎながらも苦い表情をした。
過去、いろいろな経験をしてきた年長者としては、どうしても慎重にならざるを得ない。
「そういうところも含めて俺という人間ですから」
フェザーは悪びれる様子もなく、ニヤリと笑う。
「あれから、十年になるのだな」
遠い目をしたギルダーの言う十年前とは、ドゥオ周辺宙域で行われたクワトル連邦との最終決戦のことだった。
「俺は戦死した父や兄の無念を決して忘れません。統一がシュタインフェルト総統の言うように自由と平等を実現するものなら納得もします。しかし、所詮シーナ惑星連邦など、クワトルの奴らが他の惑星を支配する装置にすぎません。そうでなければ、伯父貴ほどの人があんなボンクラ司令官の下で無人戦闘艇のオペレーターに甘んじるなど、あり得ないことです」
「高い評価を頂いて光栄だな。いくらクワトルが人材不足とはいえ、ドゥオの元高官に軍の実権を渡すなどあり得んよ、クーデターを起こせと唆すようなものだ。下士官として雇ってもらえただけでも驚きだ」
そう発言したとおり、かつてドゥオで中将だったギルダーの階級章は、上等兵曹だった。
「儂のことよりも、お前たち若者だ。ドゥオの士官学校を主席卒業したお前を一般兵として採用するなど、平等を掲げる国とはとても思えん」
「武勲を重ねたおかげで、下士官に登用していただきました」
フェザーは皮肉な笑みを浮かべ、ギルダーに向かって恭しく一礼して見せる。
「クワトル出身でない者には地位も名誉も金も与えず現場で使い潰す。そのつもりでしょう」
顔を上げたフェザーには、静かな怒りと憎悪の表情が浮かんでいた。
「変えねばなりません、欺瞞に満ちたこの世界を」
そう言い放ったフェザーは自信に満ち溢れている。ヴィクトールやエマなどドゥオ出身者はフェザーの言葉に心を震わせた。
「そう言えば、チャオ出身者で構成された治安部隊にドゥオの大地が踏みにじられているとか、チャオの奴らに報いをくれてやらねばなりませんな」
熱い想いを語った後、フェザーは引き続き静かな怒りをあふれださせた。
第二惑星ドゥオの反政府ゲリラたちが、アスタナやセシリアなどからなる駐留部隊の攻撃を受けていることを苦々しく思っているようだ。
「ならん、それこそクワトルの思うつぼだ」
ギルダーは急に表情を変えてフェザーに近づくと、耳元で小さく、しかし、鋭くささやいた。
「なぜです?」
「チャオの治安維持に我らドゥオの者を充て、ドゥオの治安維持にチャオの者を充てる。お互いに憎しみ合わせ共倒れを狙うキーン副総統の狡猾な罠だからだよ」
ギルダーは慎重に周囲に視線を向けながら、ドゥオ出身者にも聞こえないようにささやく。
「しかし」
フェザーは不満顔だった。理性ではわかるが感情としては受け入れられない、そんな様子だ。
「我らに必要なことは、逆に第三惑星トレスの不満分子どもと手を組むことだ。一番に味方に引き入れるべきは、例の宇宙海賊の連中だろうな」
そう発言するギルダーは、フェザーにしてみれば悪魔のように思えた。
「やつらですか? どうやって? それに味方にしたとしても、いつ後ろから撃たれるか、わかったのものではありませんよ」
「確かに保険は必要だろうな」
不快だと訴えるフェザーをなだめるように、ギルダーは静かな笑みを浮かべていた。
「英雄が聞いてあきれる。ただの人殺しのくせに」
建国十周年記念式典で演説するシュタインフェルト総統の姿を見ながら、若い女性が吐き捨てた。ダブダブの白い半そでTシャツに、身体にフィットした短めのブルージーンズというラフな格好の小柄な女性だ。
少し薄暗い部屋の中で淡い色合いの木製デスクに向かい、光学式キーボードの横で白く細い指を動かしている。まるで蜘蛛が高速でダンスしているようだ。
栗色の髪を少年のように短く刈りこみ、大きな目の奥では鳶色の瞳が強い知性の光を放っていた。童顔だが少女には見えない。
『建国十年を機会に、我々は今一度、星間連邦の意義を考えなくてはならない。数万人の軍人と、数十万人の罪なき民間人の犠牲のもと星間連邦は成立した。特に第三惑星で行われた核兵器による虐殺を忘れてはならない』
女性は手元に投影されたテキストデータを読み返した。今、自分が打ち込んだ文章だ。
彼女は、星間ネットワークニュースのライターだった。
『クワトルのシュタインフェルト総統が目指したもの、それは自由、平等、恒久平和。だが、現実はどうだろう。自由の名のもとの弱肉強食、貧富の差は拡大し、一部の富裕層と、大多数の貧民層からなる格差社会となった。我々はまともな医療も受けられず野垂れ死にする自由を与えられたのだ』
一気に打ち込むと、細い腕を伸ばして一息つく。そして再び高速で指を動かした。
『平等についてはどうだろう。富める者も貧しい者も、等しく同じ土俵の上で競争を強いられる。シーナ惑星連邦では、クワトルにある国立総合大学と士官学校に最高の権威が認められているが、そこに進学するのはクワトルの富裕層だけだ。生まれというスタート地点が圧倒的に異なるのに、平等だと主張する人間の神経を疑う』
高ぶる気持ちを落ち着けるためか、彼女は軽く深呼吸をする。
『恒久平和、これが嘘っぱちであるのは明らかだ。国と国との戦争は確かに行われていない。しかし、今も第三惑星トレス周辺の宇宙空間で、第二惑星ドゥオのジャングルで、反政府勢力とシーナ惑星連邦軍による戦闘が行われている。そして、前線で戦っている下級兵士は、全てトレスとドゥオの出身者なのだ』
とても童顔の若い女性が書いた物とは思えない辛辣な文章だ。
彼女は自分の文章の出来栄えに満足し、演説中のシュタインフェルト総統の画像も切り取って公開用のレイアウトを決める。自分の担当するニュースサイトにアップロードを開始し、校正を行った後、アップロードが終了した旨、メールで編集部に連絡する。
編集部はすぐに原稿のチェックを終え、公開を開始した。公開は時間との勝負だ。
事実、演説のライブ配信を見ようと、ネットを検索している人の目に留まるようにタグを設定しているので、閲覧数がみるみる伸びていく。数万、数十万、数百万。
「これで、少しは世の中が良い方に変わればいいんだけど」
女性はニュースサイトの管理画面を見ながら、そう独り言ちた。
すると、不意にエラーメッセージが画面に表示され、女性は強制的にログアウトさせられた。
「あれ、おかしいな」
女性は、再度ログインしなおそうとするが、アカウントが存在しないというエラーメッセージが出る。慌てて自分のスマートウォッチのメモ帳機能を呼び出して、IDとパスワードを確認するが別に間違ってはいない。
「サービス提供会社に文句言わなくちゃかな。利用料金、安くないんだから」
女性がそんなことを呟いていると手首のスマートウォッチが音声通話の呼び出し音を奏でた。相手は女性が所属するメディア『世界新報』の上司だ。テキストメールではなく、音声通話なんて、余程の緊急か、込み入った話なのだろう。女性は眉をしかめて通話を開始した。
「はい。ユキヒラです」
『ユーカ! 大変だ』
相手は親しみを込めてファーストネームで呼び掛けてきた。だが相当慌てている。
「編集長、一体どうしたんですか?」
ユーカには、脂ぎって頭髪の薄い中年男性が必死で汗を拭っている様子が容易に想像できた。
『治安維持局の検閲に引っかかったんだよ! わが社のアカウントが停止された』
「はぁ? 何で?」
急にニュースサイトの管理画面を見ることができなくなった理由は理解できたが、アカウントが停止される意味が分からない。
だが、実際のところ、政府が報道機関に様々な圧力をかけていることをユーカは知っていた。記事で指摘したとおり、反政府活動はあちこちで続いているし、各自治州における選挙結果も思わしくない。
『平和を乱す不届きな記事だということらしい』
「そんな! 報道の自由は? 政府は自由が大好きなはずでしょ!」
国民の政府批判を封じた瞬間に、それは民主国家ではなくなる。ユーカはそう信じていた。
『平和維持が何よりも優先されるそうだ。俺はこれから事情を聴かれることになっている。ユーカのところにも治安維持局の奴らが行くはずだ』
反政府活動を支持した者が、特別、法に触れているわけでもないのにネチネチと長い取り調べを受けたり、不当に長期間拘束されている事実をユーカは知っていた。同じことをマスコミ関係者にも実施しようとしていることが容易に想像できる。
「取り調べに応じる義務を感じませんね。私はジャーナリストとしての務めを果たしただけですから」
『おい、ユーカ!』
編集長の慌てる声を無視して、ユーカは音声通信を切った。
そして、軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせると素早く身支度を始める。
しばらく姿を隠すためだった。




