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第10話 セシリア・セントルシア

「隊長、大丈夫ですか? この頃、顔色が悪いみたいですけど」

 宇宙強襲揚陸艦ブルーリッジ居住区の廊下でカサンドラが航空隊隊長のセシリア・セントルシアに声をかけた。セシリアは表情が硬く、血色も悪い。数日前、ゲリラの拠点とされる村を空爆して以来、ずっとこんな調子だ。

 二人とも勤務と夕食を終えたところで、後は自室にこもって寝るだけとなっている。

「大丈夫だ。問題ない」

 セシリアはカサンドラに言葉を返すと生体認証で自室の扉を開けた。心配そうなカサンドラに背を向け、部屋に入り、扉を閉める。

 無重力航行中でも問題がないように、寝袋が括りつけられたベッドと、小さな机、着替えを入れたロッカーだけが置かれた小さな部屋だ。床はグレー、壁は白、ベッドは淡い水色。

 セシリアはロッカーの中にしまってあったガラス瓶から睡眠導入剤を取り出し、口に含んでベッドに横たわった。

 目を閉じると、ミサイルランチャーを構えた少年兵の思いつめた表情と、バラバラになった血まみれの死体がフラッシュバックする。胃の中がムカムカした。

『何を今更。人を殺したのは初めてではあるまい』

 セシリアは自身を嘲る。

 しかし、セシリアが今まで殺してきたのは宇宙戦闘艦の乗員だ。結果的に多くの人間を殺してきたことには間違いないが、直接生身の人間にパルスレーザー砲を浴びせたことなどない。

 身体が鉛のように重く、心が干からびていくようだ。やがて薬が効いてきて意識が曖昧になった。


「セシリア、どうしたの? 顔色が悪いわよ」

 緩くウェーブのかかった長い黒髪の女性が、腰をかがめてセシリアの顔を覗き込んだ。

 黒目勝ちで優しい雰囲気の美しい女性。年齢は三十代後半から四十代前半といったところだろうか。

『母さん』

 思い出の映像の中で、セシリアはこれが夢であることに何となく気づいていた。

「ちょっと、頭が痛いかも」

「熱はないようね。お薬飲む?」

 夢の中のセシリアは幼く可愛らしい声で反射的に答える。

 セシリアの額に膝をついた母親の手のひらがやさしくあてられた。ほんのり暖かい。

 次の瞬間、優しく鈴を転がすような電子メールの着信音が鳴った。スマートウォッチに表示された差出人の名前を見て、母親は眉を曇らせる。セシリアの前で膝をついたまま音声メールを再生する。

「お気の毒ですが、御主人のセドリック・セントルシア中尉が亡くなられました。宇宙駆逐艦タカオに搭乗していましたが、卑劣なクワトル連邦軍の奇襲に遭い、タカオは爆発、生存者はありません。場所はアルカ周辺宙域、死亡推定時刻は十二の月、十六の日、二十一時頃です」

「ねぇ、ママ、どうしたの? パパに何かあったの?」

 母親の顔から表情が消えた。

 不安に駆られたセシリアは母親に取りすがったが、彼女は何も答えなかった。


「可愛そうに、父親が戦死したばかりだというのに、母親も病に倒れるなんて」

 セシリアの目の前には額縁の中で静かにほほ笑む母親の写真があった。

 セシリアは黒いワンピースを着せられている。

「病院には行かなかったのかしら」

 セシリアには背後で交わされる遠い親戚たちのひそひそ話が聞こえていた。

「娘を養うために、休む間もなく働いていたらしい」

「あの子、どうなるの?」

 そう言ったのは、葬式の前の親族間の話し合いで『うちは子供が多いから、あの子を引き取る余裕なんかないわよ』と叫んでいた伯母さんだ。

「軍の施設に引き取られることになるだろうな」

 評論家のような伯父さんの声を聴きながら、ママもパパもいない世界なんて、どこだって同じだとセシリアは思っていた。


「遠隔操作の兵器とはいえ母艦がやられれば貴様らもお陀仏だ! 気を抜くな! 予想しろ、人工知能の裏をかけ! 人間が操作している意味を考えろ!」

 ゴーグルの中は、光学カメラの映像や、レーダーや各種センサーによる索敵情報にあふれていた。ヘッドフォンからは甲高く、不快な男の声が聞こえてくる。

「反応が遅い! そんなことじゃ全滅だぞ」

 背後から回り込む敵機の動きについていけず、ロックオンを許した途端、また、不快な声が聞こえた。周囲が赤く染まり、アラート音が鳴り響く。成す術もなく『撃墜』の文字が正面に表示され、やがてセシリアは闇に包まれた。

「セントルシア二等兵! そんなことじゃ実戦で通用しないぞ」

 セシリアは実際に無人戦闘艇を操っていたわけではなかった。

 ゴーグル付きのヘッドセットを外すと、そこは戦闘指揮所ではなく、セシリアと同じような年頃、十二、三歳の少年少女が十数人集められた訓練施設だった。

 少年少女の後ろにはブルーグレーのジャケットにネイビーブルーのズボンというチャオ帝国の軍服を着た指導役の軍人たちが数人立っている。

「軍が、貴様にどれだけ投資していると思っている!」

 砂色の髪をクルーカットにした、三十代と思われる男性士官が、指導用のゴーグルを外し、氷のような青い瞳で、セシリアの眼の奥を睨んだ。

「ごめんなさい」 

 役立たずである自分が恥ずかしく、悔しくて仕方がなかったが、セシリアは、そう答えるしかなかった。


「手術を愛ければ、反応速度が飛躍的にアップするぞ。どうだ?」

 ある日、例の砂色の髪、青い瞳の男性士官が、セシリアの目の奥を覗き込んだ。

『イヤ!』

 セシリアは心の中で反射的に叫んでいたが、口に出しては何も言うことはできなかった。

「早く一人前になりたいだろ。なに、すぐに済む」

 いつもと違う、優しい猫なで声だ。セシリアの背中に悪寒が走る。

「嫌!」

 口に出して叫ぶとセシリアは覚醒した。

 そこは淡い水色のベッドの上で、セシリアは、嫌な汗にまみれていた。

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