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鵲木家の怪事件

「いや、この前の家族バカンスの旅行で狙撃事件が起きましてね」

と、鵲木良太郎は、嘆息して、

「幸い、命に別状なかったんですが、撃たれたのが、娘の知恵でしてね。ちょっと、頭の弱い子なんですが、自分が命を狙われたのも、分からんらしくて。困ったものです」

 そこは、鵲木家の邸宅の応接間である。黒い大理石のテーブルを挟んで、当主の鵲木良太郎と、調査を依頼された鏑木慎一郎が向かい合っていた。そこへ、良太郎の妻である早紀子が、お茶をもってやって来た。鏑木が礼を述べ、静かに早紀子は姿を消した。

「我が家のバカンス旅行は恒例のイベントなんです。年に数回、家族揃って、日本国じゅう、回りましたよ。今年の夏は、軽井沢でね、避暑地のバンガローを借りきって、楽しんでいたんです。それがー」

「事件に巻き込まれた、と?」

「そうなんです。バンガローで過ごしていたある日のことなんですが、午後になって、娘の早智子が、一緒に来ていた恋人の棟方建彦と一緒に湖にボートで出るって言い出して、それに、知恵のやつがついていくって言うんです。私も、邪魔をするなって止めれば、よかったんでしょうが、知恵は言い出したら訊かない子でね、仕方なく許したんです。それで、三人で行ったらしいんです。ここからは、早智子に訊いた話なんですが、何でも、建彦は岸に残って、早智子と知恵の二人で湖に漕ぎ出たらしいんです。それから、ふたりは、ボート遊びに夢中になって、しばらく時間を忘れていたと言うことです。しかし、いきなりに、銃声がしてー」

「どの方向ですか?」

「早智子によると、湖のそばの森の方から聞こえたって言うんですがね。次の瞬間、知恵の差していた傘の真ん中に銃弾の穴が空いて、弾丸は着水したようです。で、知恵がびっくりしたように、

「あ、あたし、あたし、............、何、あったの?」

って叫んだそうです。で、早智子も言う言葉がなくて、おろおろしていたそうです。とりあえず、岸に戻ろうということで、二人で帰ったそうです。で、心配していた建彦と一緒に急いでバンガローに車で戻ってきたそうですよ」

「傘に銃弾の穴ですか?どんな傘です?」

「赤い花柄の日傘です。でもね、鏑木さん、おかしいのはそこなんです。というのも、その傘、知恵のじゃないんですよ」

「と、おっしゃいますと?」

「それ、早智子の傘なんです。いつも、早智子が暑い日に差してる日傘で、その日は、ボートで漕ぎ出して、たまたま、湖の真ん中で、知恵のやつが暑いって言い出したらしくて、早智子が持っていた花柄の赤い日傘を貸してやったそうなんです。だから、遠目には早智子が差しているように見えたんじゃないかって思うんですがね..................?」

「なるほど?」

 ふたりは、しばらく黙り込んだ。それから、良太郎が言った。

「で、そんな事件が起こったものだから、気味悪くなって、皆でバカンス旅行を取り止めて戻ってきました。そして、急遽、鏑木さんにご相談に願った訳なんです」

「ふうむ」

と、鏑木は、しばらく考えていたが、

「そんな事件は、以前にも?」

「いいえ、一度もありません。で、知恵は、あの通り、頭が少し足りませんから、何とも感じていないようなんですが、早智子の方が、あの事件以来、怯えてしまって、なかなか家からも出ないような有り様でして...............」

「ご兄弟はふたりですか?」

「いいえ、あと、次女の瑠璃子がいます。この子は、病弱で、肺病を患ってまして、いつも、看護師の山崎由美さんがついて面倒見てますよ」

「では、知恵さんでも、早智子さんでも、撃たれるような心当たりは?」

「それが、私にはまったく。だから、不思議で仕方なくて。どうです?引き受けてもらえますか?」

「そうですねえ?」

 その時、妻の早紀子が顔を出して、

「そろそろ、午後のお茶の時間ですわ。良かったら、鏑木さんもご一緒にどうぞ?」


 お茶の時間には、屋敷に居合わせた、合計9人の男女が集まっていた。皆、めいめい、おしゃべりしながら、熱い紅茶とクッキーを満喫していた。

「瑠璃子さん、それから身体の調子はどうかね?」

と、医師の鏡見順三が気を利かせて声をかけた。

「ええ、お陰さまで」

と、鵲木瑠璃子が答えた。

「順調ですわ。山崎さんもよく面倒見てくださるし、ありがたいことです」

 瑠璃子は控えめな女性だ。ロングの黒髪に、面長の顔、ピンクのパジャマ姿も清潔感がある。

「君、仕事の方は順調なのかね?」

と、鵲木家の顧問弁護士の殿村隆一郎が、隣の棟方建彦に訊いた。

「ええ、今は独立して、企画事務所を開きました。顧客集めに躍起になってる最中でしてね。それでも、面白いものですね」

「おい、早智子はどうしたんだ?」

と、鵲木良太郎が妻の早紀子に尋ねた。

「今日は気分が悪いって、部屋で寝てますわ。何なら、起こして来ましょうか?」

「いや、休ませておくと良い。山崎さん、いつも、悪いね?」

 看護師の山崎由美は、おかっぱ髪に丸眼鏡で、白い制服に身を包んで、ちんまりと隅の席でお茶を飲んでいたが、

「いいえ、これもお仕事ですから。でも、良かったですわ、最近は、瑠璃子さん、めきめきと元気になられて。採血の結果も良好でしたのよ」

 鏑木は、正面にいる知恵の方を見た。鵲木知恵は、クッキーを口に放り込み、天井を見上げて、モグモグとしている。自分が狙撃されたことを今でも覚えているのだろうか?

「鏑木さん?」

と、良太郎がすがるように言った。

「せめて、今日だけでも、泊まっていって下さいな。空いてる部屋なら、いくらでもありますから」

「どうも、ありがとうございます」

 鏑木は礼を述べ、食堂を出た。すると、屋敷の使用人らしき若くて小柄な女性が、率先して部屋を案内してくれた。

 広めの部屋であった。木目調のテーブルに向い合わせのソファ、大きな寝台に、机と椅子まで置かれている。鏑木は、着ていたコートを脱いで、壁のクローゼットに収納すると、とりあえず、ソファに座って、備え付けのコーヒーポットから珈琲をカップに注いで、くつろいだ。窓から見える景色は青い山並みだ。壮観であった。景色を眺めながら、いい気分で、鏑木は、しばらく珈琲を味わっていた。

 その時、扉をノックする音がして、開いたかと思うと、そこに知恵が、両手に絵本を抱えて立っていた。そして、知恵が鏑木に言った。

「ねえ、お兄さん、知恵に絵本、読んでくれない?」

 楽しげである。しかし、絵本を読んできかせるとは困ったものである。その鏑木の様子を察知したのか、知恵は、片足を振りながら、残念そうに、

「まあ、いいや。じゃあ、早智子ちゃんに読んでもらうから!」

 そう言って、知恵は、部屋を出ていった。確かに頭の弱い子だ。あれで、今年、23歳になるらしい。知的障がい者と言うのだろうか?そんなことを考えていると、突如、近くの部屋から、小さな悲鳴が聞こえてきた。

 どうやら、この近くらしい。あわてて、鏑木は、部屋を飛び出した。廊下に出る。

 3つほど離れた部屋の扉が、半分、開いたままになっている。そこだろう。鏑木は、走って、部屋に駆け込んだ。

 そこは、早智子の部屋であった。きれいに整頓された白い部屋である。そのベッドのそばで、知恵が、両手に絵本を抱えて、びっくりしたように震えている。鏑木は、ベッドの上を見た。

 早智子だろう。若いショートカットの女性がベッドの上で、白いパジャマ姿のまま、胸を鋭いナイフで刺されている。胸の辺りは、血で真っ赤に染まっている。もう、手遅れなのは、鏑木の眼にも明らかであった。

「あたし、あたし、早智子ちゃんに御本、読んでもらおうと思って、それで、それで、................」

 そこへ、早智子の恋人の棟方建彦が現れた。彼は、ベッドの早智子を見ると、心底、驚いたらしい。彼女に駆け寄って、様子を見ていたが、

「やはり、手遅れか?こんなことになるなんて.................」

「お気持ちはお察しします」

「僕が警察に連絡しますよ!」

と、棟方建彦が言って、スマホを取り出して、電話をかけた。

「さあ、知恵ちゃん、部屋へ戻った方がいいよ?」

 そう、鏑木にさとされて、おとなしく、知恵は部屋を出ていった。

 やがて、ふたりは、1階の食堂に向かった。ふたりが、食堂の扉を潜ると、そこには、医師の鏡見と弁護士の殿村が、無愛想な顔つきで座っていた。それで、鏑木が、穏やかに、さっきの事件についてふたりに話して聞かせた。

 話を聞いて、ふたりとも驚いていた。さっそく、彼女の家族に伝えてくると言って、殿村が姿を消した。

 残った鏡見医師が、

「やはり、やられましたか?鏑木さんもお聞き及びでしょう?例の湖の狙撃事件のこと。やはり、狙われていたのは、早智子さんだったんですな。こうなるとは、私も考えてはいたが........................」

 医師は深くため息をついた。しばらく、沈黙が続いた。その後で、棟方が、言った。

「くそっ。もしも、犯人が分かったら、この手で絞め殺してやるのに!」

「まあまあ、棟方さん、落ち着いて。鏡見さんに犯人の心当たりは?」

「彼女を殺すような人物ですか?さてさて、これは困った。と、言われましてもねえ?」

 そこへ、殿村が帰ってきた。一緒に、良太郎がついてきている。良太郎が言った。

「父親としては、何とも言えない心境ですよ。まさか、うちの早智子が..................。それで、警察の方は?」

「もうすぐ来るはずです」

と、棟方が言った。手が震えているようだ。

 そこへ、絵本を抱えた知恵が、また現れて、棟方の隣に座った。知恵が言った。

「あたしも、棟方さん、好きよ。ねえ、あたしに御本、読んで聞かせてよ?」

と、言われて、棟方は、仕方なく、絵本を開くと、知恵に分かるように、読んでやった。

 やがて、警察が来た。

 辺りが、騒々しくなってきた。そのしんがりに、ツルツル頭の中年男が、トレンチコートで現れると、匂坂と自己紹介し、抜け目なく鏑木を見つけると、

「おや、鏑木さんでしたか?前の、轟木家の事件以来ですね。何でも、この家の娘さんが殺されたそうですな?いや、恐ろしいことで。我々も全力を挙げて犯人検挙に勤めますので、よろしく、ご協力願います」

 匂坂警部は、そう言い残して、殺人現場へと姿を消した。

 そこへ、妻の早紀子が、眼を泣き腫らしてやって来た。誰もかける言葉を失っている。やがて、早紀子が、涙声で、

「あの子も、きっと安らかに天国へ召されましたわ。全ては運命です。誰も逆らえませんわ」

 しばらく、皆は黙っていた。しかし、突然に殿村が、鏡見医師に向かって、咎めるような口調で、

「しかし、噂によると、鏡見さん、あなた、以前に患者を毒殺したって言うじゃありませんか?そんな癖をお持ちなら、一人やふたりの人間を簡単にー」

「何をおっしゃるんです?殿村さん、それなら、あなただって、この鵲木家の財産を横領して、私的に流用してるっていいますからねえ?」

「まあまあ、お二人とも落ち着いてくださいな。しばらくは、警察の方に、お任せしておきましょう?」

と、鏑木が静かに言った。そこへ、看護師の山崎由美が姿を見せると、早紀子に、

「奥様、瑠璃子さんのことで、少しお話が....................」

と言われて、ふたりで姿を消した。

 その時、突如として、玄関のチャイムが鳴った。皆が驚いて、飛び上がった。

 良太郎が立ち上がって、玄関へ応対に出た。

 玄関に出た良太郎が、扉を開けると、そこに、若い女性がいた。

 すらりと背が高く、スタイルも抜群である。茶髪の長い髪は、美しくカールされて、美貌を備えた顔立ちに似合っている。

「あたし、鈴木友香子と申します。あの、こちらにおいでの、棟方建彦という人にお話があって参りましたの」


 応接間で、鈴木と棟方は、長い間、話していた。

 知恵はそわそわして落ち着きがない。そして、殿村も、興奮を沈めるように、グラスのウィスキーをぐいぐいと飲んでいた。鏡見医師は、とっくに部屋へ引っ込んで、くつろいでいるらしい。良太郎と鏑木は向かい合って話していた。良太郎が言った。

「調査はどうです?鏑木さん?」

「いやあ、参りましたよ。こう、手がかりがないとね。もう少し考えてみます。何か、見つかるといいのですが?」

 ようやく、話し終えたらしい。棟方が姿を見せた。彼によると、もう来訪者の彼女は帰ったらしい。棟方も自室に戻る。その後を知恵が追って姿を消した。

 そろそろ、夕刻も深くなり、皆が食堂に集まって夕食となった。

 夕食には、大きな七面鳥の照り焼きが出てきた。皆で、切り分け、一緒に出た野菜シチューと山盛りのツナサンドで、皆は堪能していた。そのうちに、急に殿村が気づいて言い出した。

「おい、棟方君の姿が、さっきから見えんぞ。誰か、起こしに行ったら?」

「じゃあ、あたし、行ってきます」

と、律儀に山崎看護師が言って、立ち上がると、姿を消した。

 知恵は、懸命に料理と格闘している。鏡見医師は、むっつりした顔つきで、時折、殿村を睨んでいるようだ。良太郎と妻の早紀子は静かに食事している。パジャマ姿の瑠璃子はあまり食事が進まないようで、紅茶を飲んでいた。

 突如として、皆の頭上で、かん高い女性の悲鳴が響き渡った。

 皆が、一斉に立ち上がる。

 鏑木が大声で、

「皆さんは、ここにいてください。鏡見さん、念のためについてきて下さい」

 そう言って、鏑木が、駆け出し、そのあとを医師がついていく。階段を上る。棟方の部屋は、2階の奥だ。部屋の扉が開いている。中に入る。両手で、口を塞いだ山崎看護師が、震えながら、ベッドの上をふたりに指差した。

 ベッドの上で、棟方建彦は、胸に鋭いナイフを立てて、死んでいた。胸は真っ赤だ。やがて、騒ぎを聞き付けた匂坂警部が部屋に来ると、死体を見て、息を呑んだ。

「やられましたな?それにしても、いつの間に?」

 鏑木は、しばらくの間、黙って考え込んでいた。凄まじい思考活動である。その末に、鏑木に、ある突拍子もない考えが閃いた。

「ようやく、思い当たりましたよ。でも、そんなこととは............................。恐ろしい犯罪だ。そういうことか?そうだったのか?」

「いったい、何のことです?鏑木さん?」

と、不思議そうに、匂坂警部が訊いた。

「後で、ゆっくりと説明しますよ。........................僕には、少し話したい人物がいます。時間をくれますか?それから、お話ししますよ」

 そう言うと、鏑木は、階下へ静かに降りていった.......................。


 鏑木は、2階の、知恵の部屋にいた。彼の前で、知恵は、床の上で、積み木遊びをしていた。

 そんな知恵を眺めながら、鏑木は、優しく彼女に言った。

「知恵ちゃん、君だね?早智子さんと、棟方さんを殺したのは?」

 すると、しばらく間を置いて、知恵が言った。

「そうだよ、あたしが、殺したの」

 鏑木が言った。

「君は、湖の上で、棟方建彦が撃った弾丸で、傘に穴を空けられた。棟方には、鈴木友香子という新しくて美貌の恋人が出来た。だから、早智子が邪魔だった。それで、彼は、密かに入手した拳銃で早智子を殺そうとして、勘違いして、君を撃ってしまった。そして、それと関係なく、君も棟方が好きだった。だから、棟方を奪った姉の早智子を、絵本の後ろに隠し持ったナイフで刺殺した。そして、今日、彼に鈴木友香子が訪れて、気になった君は、彼の後を追って、彼から打ち明けられ、新しい恋人が出来てしまった棟方にも殺意を抱いた。そして、同様に、眠っている彼もベッドの上で刺殺した。そうだね?」

「うん、そうだよ」

 そして、また知恵は積み木遊びに夢中になっていた。

「あどけない殺人犯」

 そんな言葉が、鏑木の頭にぐるぐると、渦巻いていた。そして、この事件をどう警部に説明したものか、と、真剣に悩むのであった.......................。


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