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3人はマリンの家へと向かい、ソルがゼラニウムを引き離してからマリンに種を手渡した。種はマリンの手のひらに溶けていきやがてハゲイトウが開花した。
「これだわ!あんなに嬉しかったのに何でわたし忘れていたのかしら。」
マリンはまだ記憶が混濁しているのだろう。
眠らされていた間のことはわからないだろうが、それまでのことはゆっくりと思い出すに違いない。
「ルイにも成人花が開花したんだ。種を戻せばすぐにまた咲くと思うから今度見に来てやってくれよ。」
そう言うリヤンの顔は穏やかで優しかった。マリンはルイからリヤンの話を色々と聞いていたようで、会えてとても喜んでいた。
「ええ、ぜひ。ルイにも今度遊びに行くと伝えてくれるかしら。」
「あぁ、伝えるよ。ルイもきっと喜ぶ。」
マリンの家を後にするとブランを荷車に乗せ3人は教会へ戻った。教会に着くとステラが外で待っていた。ルイはまだ眠っていた。ソルはそっと綿毛を降らせゼラニウムを引き離した。
「ルイが目を覚ましたら俺から種を返しておくよ。」
リヤンはそう言ってソルたちを見送った。ステラは荷車のブランを見て何があったのか察したようだ。『植物園へ帰ろっか』とだけ言い、静かに歩いていった。ソルとシエルも何も言わず荷車を引いてその後をついて帰った。
植物園に着くと博士が出迎えてくれた。
「今日のことはさっき鳥が教えに来てくれたよ。」
博士の右手にはスターチスが乗っていた。リヤンが記憶を鳥に運ばせて伝えてくれたようだ。
博士に促され地下の部屋へブランを運んだ。治療院代わりに使っている部屋らしく、ベッドがひとつ置いてあった。そこへブランを寝かせると博士が手をかざした。博士の手からイチョウの葉がヒラヒラと舞いブランの体へ吸い込まれていった。するとブランの胸から2つの種が浮かび上がった。シエルが鍵の付いた箱を持ってくると、『鎮魂』と博士が呟いた。種はスーッと箱の中へ吸い込まれていった。
ブランの体は種とともに翌日埋葬されることに決まり、それまではこの研究室で保管することになった。
翌朝埋葬するために研究室に集まると、ベッドにはブランの体はなくふわふわとした穂のついた植物が置かれているだけだった。
「もう運んだのか?」
ソルが博士に尋ねると
「いや、僕もシエルくんと一緒に今来たところだよ。ステラが運ぶはずもないし、一体どこへ…。」
そう言いながら博士はベッドの上に置かれた植物を手に取り眺めた。
「ススキ?」
「いいや、これはチガヤだよ。」
博士が静かな声でそう答えると、シエルは驚いたように目を見開いき低く小さな声で「なんでそれが…」と呟くと
、そのまま研究室を出て行った。ソルが追いかけようとすると博士がそれを制止し、静かに首を横に振った。
「シエルくんのお母さん、つまり僕の姉さんは亡くなった時このチガヤを握りしめていたんだ。シエルくんはその時の事を思い出したんだろうね。なんせ最初に姉さんを見つけたのはシエルくんだったんだから…。今はそっとしておいてあげよう。」
ソルも博士もそれ以上は何も言わなかった。
翌日、庭園でシエルがひとつの花を見つめていた。
「綺麗な花だな。」
ソルが声をかけると、シエルは花を見つめたまま話し始めた。
「これは母さんの花なんだ。あのシスターに聞くまでは、母さんが死んだのが事故なのか殺されたのかも分からなかった。俺が見つけたときには魔力は消失して残渣も残ってなかったから。博士がイチョウを降らせて浮かび上がってきた種は既に砕け散って粉々だった。俺は受け入れられなくてご飯も食べられなかった。そんな時に博士がこの花の前に連れてきてくれたんだ。母さんが心配するから笑顔を見せてやれって。俺は泣きながら笑った。そしたら母さんの花の周りに黄色いバラが咲いたんだ。黄色いバラには『平和』って花言葉があるが、『笑って別れましょう』って花言葉もあるんだよ。俺の成人花は母さんからもらった手紙だと思ってる。」
亡くなったお母さんを最初に見付けたのはシエルだと博士が言っていた。覚悟をして死んだ母と対面するのと、何も知らずに死んだ母を見つけてしまうのでは衝撃の大きさもいくらか違うだろう。食事がとれないほどの悲しみを背負った12歳の少年にとって『黄色いバラの手紙』は救いになったに違いない。成人花は心に反応して咲くのだと以前シエルは教えてくれた。しかしシエルの花は悲しみしか感じられなくなった心を枯れさせないために咲いたのではないだろうか。
「今では色んな色のバラを咲かせられる」と言ってシエルは赤い薔薇を咲かせた。赤い薔薇の花言葉はソルでも知っている。確か『情熱』もあったはずだ。シエルがイタズラっ子のような顔でこちらを見たかと思うと、赤い薔薇がボッと燃え上がった。驚いたソルを見てシエルは満足そうに笑った。ソルが初めて見る表情だった。なんだかとてもホッとしてソルも一緒に笑った。しばらくしてシエルはソルの顔をじっと見て問いかけた。
「もうひとつ、気になってることあるんじゃないのか?」
ブランが言っていた『成功例』の話だ。シエルは「ステラのことか」と言っていたし、成功例とは何のことなのか知っているのだろう。しかしステラが関わっているのなら尚更、自分が踏み込んでいい話なのかわからなかった。
「きっとブランの事件は終わってない。むしろ始まりだろう。『あの方』が誰なのかわかってないし、あっちはステラのことを知ってる可能性が高い。今後のことを考えたらお前も知っておいた方がいいだろ。」
ステラのことを知っているということは、身近に『あの方』がいる可能性もある。ソルは覚悟を決め、真剣な目で答えた。
「教えてくれ。」
庭園の隅にあるベンチに2人で腰掛けると、シエルは話し始めた。
「ステラの母親の成人花はニワトコだった。花言葉は『苦しみを癒す』。ニワトコそのものを薬にして使ったり、力を使ったりしておばさんは治療をしてたんだ。よくステラはおばさんのマネをしてたんだが、少しずつ『犠牲』の影響が出るようになった。何日も寝込むことも珍しくなかった。おばさんは毎日ニワトコの力でステラを治療してたんだ。だけどある日、おばさんは病気で倒れた。どんどん弱っていったおばさんは死の直前にニワトコの種をステラに移すよう博士に頼んだんだ。博士のもう一つのマナフルールであるユズリハの『譲渡』の力を使って。おばさんが亡くなったとき博士は約束通り『譲渡』した。それ以降ステラは小さな病気や怪我くらいなら『犠牲』の影響はでなくなった。まぁ、犠牲を押さえ込んでるからか見た目の成長に遅れは出ちゃってるけどな。」
ステラはたまたま『成功例』だっただけで、実際にうまくいくかはわからなかったはずだ。それでも娘を助けたいという一心で藁にもすがる想いだったのだろう。2人のマナフルールには親の愛が込められているのだ。ステラのようにもともとの種の持ち主が望んだことならばいいが、ブランのように人から奪うなんてことは許されるはずがない。偽のゼラニウムを咲かせたところで所詮は偽物だ。ゼラニウムの本来の持ち主でないものが咲かせても、はじめは誤魔化せるかもしれないが徐々に反応しなくなるだろう。ステラに譲渡されたニワトコはステラのお母さんの思いに未だに応え続けているのかもしれない。
「ステラのニワトコの事を知ってる人間はそう多くないはずだ。ステラは内面でニワトコが作用しているが、表に発現させることはできないし、他の人にニワトコの力を使うこともできない。俺みたいに魔力が見えるやつが見たら気付くことはあるだろうが事情まではわかるわけないからな。」
『あの方』が誰なのか、なぜステラの事を知ってるのか、シエルのお母さんを殺したのは誰なのか…。そして、『チガヤ』は何かのメッセージなのか。
ソルはそれから植物について勉強するようになった。植物について正しく学び正しく力を使えるようになるために。そして、大切な人達を守れるように。