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時折休憩をしながら歩き続け、夕方になる頃にはルダンにたどり着いた。ルダンは村といってもフィーネより大きく、割と整備されている。ルダンの奥へ進むと全面をガラスで覆われたドーム型の建物が見えてきた。先生が大きな温室が目印だと言っていたので、あれがその温室なのだろう。近づくと薔薇のアーチが出迎えてくれている。
「これが植物園か。」
大きな温室の中ではいろんな木や花が育てられていた。まるで自然の中にいるようで鳥の声が聞こえてきそうな気がしてくる。奥の方では黒髪の少年が一輪のしおれかけた花の前でかがんでいた。少年が花に手を掲げると淡く光るとともに葉っぱがひらひらと舞った。葉っぱが消えるとさっきの花は凛として咲き誇っていた。
「さっきの葉っぱ、君のマナフルール?」
ソルが話しかけると少年は立ち上がってこちらを向いた。ソルより少し背が高いその少年は前髪で右目が隠れているが海のような夜空のような深い青色の瞳が輝いている。大人びているような幼くみえるような不思議な少年だ。
「誰?怪我してるようには見えないけど治療希望の人?」
「怪我はしてないけど…?村の診療所からの紹介でラムル博士に会いに来たんだ。」
すると奥の扉から女の子がヒョコっと顔を出した。その拍子に女の子の頭から赤いリボンを巻いたカンカン帽がスルッと落ちた。慌ててそれを拾い上げると女の子はシエルに問いかけた。
「シエル、お客さん?」
「博士に会いに来たんだって。後はよろしく。」
シエルと呼ばれた少年はこちらに背を向け手をヒラヒラさせて女の子が出てきた扉の向こうへ行ってしまった。
「ちょっと!!シエルにも一緒に来てほしいのに〜!あとでちゃんと研究室まで来てよね!」
女の子は大きな声で扉の向こうへ叫ぶとクルッとこちらを振り向き、黄金色の三つ編みをふたつ揺らしながら駆けてきた。
「ごめんなさい、あなたがソルね!彼はシエルっていうの。ソルと同じで今年17歳よ。わたしはステラ。話は聞いているわ。今パパのところに案内するわね!」
どうやらこの子はラムル博士の娘らしい。「こっちよ」とステラが手招きしている。扉を開けると地下へつながる階段と外へつながる扉があった。ステラとともに階段を降りるといくつか扉が並んでいる。温室の管理のための部屋だったり、研究室になっているようだ。地下の廊下を歩きながらソルはステラにたずねた。
「そういえばシエルに治療希望かって聞かれたんだけど、ここは診療所じゃないよね?」
植物園に来て最初に怪我をしたのかと聞かれることはまずないだろう。ましてや治療目的で植物園を訪れるなんて聞いたことがない。
「ルダンには診療所がないからね。代わりにわたしの誕生花の力で治療してるの。大きな病気や怪我のときは魔力が足りなくて治せないからセントラルの治療院に行ってもらうことになっちゃうけど。」
マナフルールにはそれぞれの花の花言葉の力を魔力を使って発現させることができる。とはいえ花言葉の意味を理解していないと魔力は反応しないので闇雲に花を咲かせても力を発現させることはできない。
「ステラの誕生花って?」
「アセビよ。花言葉は献身。まぁ他にもあるけど…。とにかく献身の力を使って治療してるの。わたしが12歳の頃からだからもう2年半になるわね。」
「えっ!?ってことはステラは14歳…?」
ソルにはステラは12歳くらいに見えている。もっと幼く見えると言う人がいそうなくらいのあどけなさだ。驚いてステラを見るとステラの眉間にシワが寄った。
「ちょっと!!今その割にはチビだなって思ったでしょ!!」
ステラはプンプン怒っている。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。ソルは冷や汗をかきながらそっと目をそらした。
「えっと…。そ、そうだ!2年半やってるって言ったけどその前はどうしてたの?」
「ごまかしたわね。まぁいいわ。その前はママがやってたんだけど、死んじゃったから。ママは大きな病気やケガも治療できたのよ。わたしもいつかママのようになるんだから!」
ステラの眉間のシワはすっかり消え、母親の話を嬉しそうにしている。その顔は母親を慕う無邪気な子供そのものだった。そうこうしてるうちに一番奥の扉の前についた。「さぁここよ」と言いステラは扉をノックした。
コンコン
「パパー、ソル連れてきたわよ!」
「はーい、今開けるよ!」
ゴン!!ドサッ!!バサバサ!!
「うわぁ〜!」
部屋の中から何かが崩れるような音と悲鳴が聞こえてきた。急いで部屋に入ると床に本が散らばっていた。机が一つ置いてあるだけの部屋だが壁一面が本棚になっている。よく見ると散らばった本以外にもところどころに本が積み上げられている。
「もう、パパったらまた読んだ本を片付けてなかったのね。」
シエルは額を押さえて大きなため息をついている。散らばった本の下にステラと同じ黄金色の長い髪を一つに結った丸眼鏡の男の人が倒れている。この人がラムル博士だろう。どうやら床に積まれた本につまづいて本棚にぶつかり本が大量に散乱してしまったようだ。
「いやぁ〜、後少し読んだら片付けるつもりだったんだよ?」
博士は眉毛をハの字にしてごにょごにょ言いながら気まずそうにステラをの方をチラチラと見ている。ステラはキッと博士の方を睨んだ。ソルはステラの背後に燃え盛る炎が見えた気がしてブンブンと頭を横に降った。
「パパはそう言っていつも片付けないじゃないの!!」
そう言ってステラは慣れた手付きでテキパキと本を本棚へ戻していく。あまりの速さにソルが驚いているとふと扉の方に気配を感じた。
「あ〜ぁ、博士またやったの?」
いつの間にかシエルが扉にもたれかかるようにして立っていた。
「シエル、見てないで手伝ってよ!」
「どうせまた散らかすんだから片付けるだけ無駄だよ。」
若者にここまで言われている博士が少し可哀そうに思えてきたが、博士は博士で頼りなさそうなのは確かだ。ここで本当に成人花を咲かせられるのかソルは少し不安になってきた。
「アハハ…。シエルくんは手厳しいなぁ。そうだ、ソルくん、今日はもう遅いし話は明日にして、シエルくんに植物園を案内してもらいなよ。」
「そうね。ソルもしばらくここで暮らすんだし、シエルと交流深めるためにも行ってらっしゃい。」
シエルももう少し人と仲良くする努力をとステラが小言を言っている。シエルは面倒くさそうに両耳を塞いで目をそらしている。頭をかきながらはぁ〜とため息をついたシエルはソルの方をチラッと見たあと部屋を出た。
「まったく博士もステラも人使い荒いんだから。おい、行くぞ。」
階段を上がり外への扉を開けると色とりどりの草花が咲いた庭園が広がっていた。奥にはログハウスのような建物が立っている。
「あれが俺たちが生活してるとこ。もともとは博士達の家だけど5年前に母さんが死んでからは俺もここに住んでる。博士は母さんの兄だから俺と博士たちは親戚だ。」
「俺も本当に一緒に住んでいいのか?」
「博士がいいって言ってるんだからいいんじゃないの?まぁ、お前は博士に相談しに来ただけかもしれないけど、マナフルールの研究をしてる博士にとってはお前みたいなレアな人間は生きる資料だ。一緒に生活してくれる方が博士からしたらありがたいだろ。」
なんとも微妙な言い回しだが気を使わなくていいということだろう。シエルはあまり言葉を選ぶタイプではないのかもしれない。感情が読めない顔ではあるが植物を眺める目はとても優しい目をしていた。
「ってか俺の成人花のこと、知ってたんだな。」
シエルには博士に相談に来たとしか伝えていなかった。一緒に暮らすことになるのだから、前もって博士から聞いていたのかもしれない。ステラだってソルのことを事前に聞いていたようだった。
「博士から聞いてたのもあるけど、俺は人の魔力が見える。お前は他のやつより魔力が強いが安定してない。」
ソルは魔力が見える人間なんて会ったことも聞いたこともない。それに魔力と成人化が咲いていないことにどんな関係があるのかもわからなかった。ソルの頭の上にはハテナがたくさん出ているだろう。シエルは呆れたような顔をしながら説明してくれた。
「マナフルールは魔力を注いで咲かせるだろ?小さい頃はまだ花一つ分の魔力しかないから成人花は咲かない。15歳を迎える頃には魔力が満ちて2つ目である成人花に注がれると同時に魔力も安定する。いわばマナフルールってのは魔力を安定させるための道具だ。でもお前の魔力は安定してない。ってことは成人花にお前の魔力は注がれてない。」
「俺の成人花は咲かないってことか?」
「いや、成人花がお前の心に反応したら咲く。成長とともに色んな感情を経験することで成人花が反応して魔力が注がれる。だいたい15歳にもなればある程度の感情を理解するからな。お前の心はまだまだガキなんだな。」
いっぺんに説明されたため、ソルは頭の中で整理しながら聞いていた。理解が追いつくのに少しばかり時間がかかった。
「なるほど…っておい!!俺だって色んな経験して成長してるっつーの!!」
「はいはい。ちなみに俺は5年前に開花した。」
「5年前って…12歳!?は、はやっ…。」
ソルの周りにも15歳になる前に咲いた人はいたが、せいぜい14歳を越えてからだった。咲くのが遅いソルがレアな人間なら早いシエルもだいぶレアなんじゃないかとソルは思った。
「同い年だけど、心は俺のほうが大人ってことだな。」
「うぅ…。そんなこと…。」
12歳で咲いたシエルと17歳で咲いていないソル。圧倒的な差にうなだれていると後ろから足音が聞こえた。
「コラ、シエル!!そんないじわる言って、シエルも十分おこちゃまよ。」
振り返ると博士とステラが立っていた。なんだかこの場で一番大人なのはステラなんじゃないかという気がしてきた。
「さぁ、ソルくんも今日は疲れただろ。部屋でゆっくり休むといいよ。ステラ、部屋まで案内してあげておくれ。」
「はーい!!」
こうしてソルの植物園での生活が始まった。




