世界の底
人は非日常的なものに強く惹かれるらしい。
初めてのものを見たい、聴きたい、触れたい。
自分自身の身体で出来るのが一番だが、それも中々難しい。
だからインターネットの世界に頼る。
誰かの目を通して、お手軽に疑似体験をする。
俺はずっとその「目」になりたかった。
自分なりに色々と考えてやってみたが上手くいかず、おのれの凡人さを思い知る。
どうしたら「特別」になれるのか。
月曜が来て土曜が来て、また月曜が来て。
仕事行って、休んで、仕事行って。その繰り返し。
そんな毎日の中で全然見つけることが出来ない。
悩んでいる時に見つけたのがひとつの写真だった。
夏のこと。それはSNSに突然現れた。
あまりに透明で幻想的な青。ただそれだけが写った写真。それが「何」なのか。明確には書かれていなかった。
ただ、それにはひとつの文章が添えられていた。
世界の底を見たくはないか?
その投稿はアカウントと共にすぐに削除された。
ただ、多くの人の手によって記録され、拡散された。
どうやら投稿者はあのたった一つしか投稿していなかったらしい。
一体あれは何だったのか。世界の底とは? 様々な意見が飛ぶ。
夜。カップラーメンが出来上がる3分間の間、暇つぶしにその写真を画像検索してみた。
「ん? 何だこれ」
検索の一番上に出てきたのは小学校のホームページだった。
素人が作ったようなホームページ。
TOPページには2階建ての鉄筋コンクリート、普通の小学校の姿があった。
調べてみると10年以上前に廃校になった小学校らしい。
なんでこんなのが出てくるんだ?
不思議に思いながらなんとなくSNSに投稿してみる。
『なあ、あの写真、検索してみた人いる? なんか廃校になった小学校のホームページが出てくるんだけど』
携帯を机に置き、カップラーメンをすする。
途端、携帯が鳴った。
「ん?」
どうやら先ほどの投稿に反応があったみたいだ。
へー、俺しか気付いてなかったんだ。
そんなことをのんびり思っていると閲覧数が一気に増えていく。
え?
驚いていると携帯がまた鳴る。
何回も何回も何回も。
通知が止まらない。
俺の投稿をきっかけにたくさんの人が画像を検索し、あの小学校のホームページを見始めた。
終いにはトレンドにあの小学校の名前があがり始める。
俺が、きっかけで?
鼓動が高鳴る。
こんなこと、初めてだ。
自分が円の中心になれた気がした。
ニヤニヤしながら画面を見つめ、その日は気分よく眠りに着いた。
少しの間、その勢いは続いていた。
でも、だんだんと弱まり始めた。
やはりあれだけでは弱いようだ。別のものを見つけなければ。
俺はホームページを端から端まで見た。
何かおかしなところはないか。
世界の底のヒントは?
そして、見つけた。
高揚した気持ちで投稿する。
『やばい、気付いてしまった。ブログのプールのページ、見てくれ』
綺麗な水を張ったプールの写真。
それはプール開きを知らせるもので、なにもおかしなところはなかった。
ただ──
『どういうこと? この記事だけ今日の日付になってる』
『しかも、深夜2時。丑三つ時……。え、怖。この学校のプールに何があんの?』
また携帯が鳴る。
何回も何回も何回も。
その音が快感になる。
ああ、良かった、俺はまた円の中心に戻れたんだ。
──ただ、これだけじゃ駄目だ。
書かれるコメント。
『誰か見てきてよ。俺は絶対やだけど』
ここから先は「誰か」が望まれている。
自分たちの「目」の代わりになってくれる「誰か」が。
それが出来ればきっと「特別」になれる。
行くのはいつがいいだろう。
今日は火曜日。
仕事があるから今週の土曜日にでも行ってみるか。
あの小学校の住所だけを確認して俺は眠りに着いた。
翌日、夜。
SNSを開くとまたあの小学校の名前がトレンドにあがっていた。
昨日の余波がまだ続いているのか?
そう思って見てみると違った。
俺以外の人物が円の中心にいた。
『行ってきたよ。世界の底を見てきた』
言葉と共にあのプールの写真があった。
ブログの写真とは比べものにならないほど、水は緑色に汚れ、プールサイドはゴミにあふれていた。
思わず舌打ちが出る。
先を越された。
みんなの関心がそいつに向いていた。
質問が集中する。
『丑三つ時にこのプールに飛び込んだんだ。そこはこことは全く違う世界。まさしく世界の底だった。あの写真の世界が広がっていたよ。とても美しかった』
『異世界ってこと? どうやって帰ってこれたの?』
『光さ。あの世界の奴らは光に弱い。携帯のライトで照らしたら悲鳴をあげて俺をこの世界に帰してくれたよ』
『証拠は? 写真は撮った?』
『そんなもの撮る余裕がなかった。でも、確かに俺は行ってきたんだ』
奥歯を噛み締めて見ていた俺はスクロールする手を止める。
言葉だけで証拠はない。
高まった熱は急激に冷めていく。
俺は笑う。
ああ、こいつは不合格だ。
奪われる前に奪わなければ。
SNSを閉じ、地図を開く。入力するのはあの小学校の住所。
ここからの時間を確認する。
丑三つ時にはまだ間に合う。
俺は車の鍵を手に取ると携帯片手に部屋を出た。
その小学校はとある寂れた町にあった。
子どもだけでなく住人自体が減っているのだろう。
ぽつりぽつりと空き家と思われる家があった。
かろうじて灯っている街灯。チカチカと目に悪い瞬きを繰り返しながら、あの小学校は照らされていた。
生徒数の減少とともに自然と廃校になり、その後、誰も引き取り手が現れなかったらしい。
誰にも必要とされなくなった小学校は正しく寂れていた。ホームページに載っていた姿の面影は残っていたが、誰もこの学校に喜んで通おうと思う者はいないだろう。
校門と思われるところには「立入禁止」の黄色いテープがある。
テープの向こう側にはたくさんの大人の足跡があった。
俺はテープを突っ切り、中へと入る。
校舎の裏側。校庭の隅にプールはあった。
25メートルプール。全部で4レーンある。
見た目はあの写真通り汚れていて少し匂いもした。
破れた金網をくぐってプールサイドに立つ。
時計を見る。
時刻は深夜1時50分。
丑三つ時、2時まであと少し。
その時間に一体何が起きるのか。
心臓はバクバクとうるさいほど鳴っている。
携帯をぐっと握りしめて水面をじっと見つめる。
58、59、60。
時間になった。
ゆらり。
水面が一瞬ゆらぐ。
水の色が変わった。
濁った緑色から透明へと。
その向こうに、闇があった。
ゴクリと唾を飲み込む。
俺は覚悟を決めるとプールの中へと思い切り飛び込んだ。
心地良い振動と共に目を覚ました。
薄暗い。
ゆっくりと身体を動かすと自分が座っていることに気付いた。
2人掛けの席。間に通路を挟んで2列ある。これは、バス?
周りを見るが俺以外には誰も乗っていない。
「お客様、お目覚めですか?」
しわがれた声が聞こえてビクリと身体が震える。
見ると前方に小さな老人がいた。
運転席だろうか。その手にはハンドルが握られ、まっすぐに正面を向いていた。そのまま老人は続ける。
「到着まではまだ早い。どうぞ、ごゆっくりお休みください」
「ありがとう、ございます……」
到着。俺は一体どこに連れて行かれるんだろう。
ああ、それより。
手元を見ると携帯はちゃんと握ったままだった。
電源は付いている。さすがに電波は入っていないが、カメラを起動することは出来た。
車内を撮影する。
黒色の席と紅の天井。天井はじっと見ていると少し動く。生きているのだろうか。
窓の外を見る。
その景色に目を奪われる。
まるで夜の中を進んでいくようだった。
星の欠片のようなものがキラキラと窓の外を流れていく。
生き物の姿が見える。
あれは雲? 植物? 魚?
それは見慣れているようで全く見慣れない姿をしていた。
ぐるぐると群れをなして回る雲。根っこのようなものを広げて漂う植物。熱帯魚のような小さな魚は真っ赤な色をしていて、体のほとんどが口だった。
俺は夢中になって写真を撮る。
すごい、すごい、こんな世界を撮れるなんて。
これを見せればきっとすごいことになる。みんなが俺を求めてくれる。俺は「特別」になれるんだ。
そんなことを思っているとバスが止まった。
「お客様、目的地に到着いたしました」
老人がこちらに近付いてくる。
皺だらけで、やけに大きな目。
帰らなければ。
帰らなければ何の意味もなくなる。
あいつらは光に弱い。
あの噂を思い出す。
老人の手が俺に伸びてくる。
瞬間、携帯のライトを鋭く照らした。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
老人は悲鳴をあげた。
自身の目を両腕で覆い、地面を転がる。
俺はニタリと笑う。
噂通りだ。やっぱりこいつは光に弱かったんだ。これで俺は帰れ──
「なるほど、今の私の弱点は光になったんですねえ」
え……。
先ほどまで苦しがっていた老人は嘘みたいに軽々と起き上がる。
「え、なんで……」
言葉に詰まる俺に老人は続ける。
「面白い。私たちは少し餌を撒いただけなのに、勝手に皆様が美味しく美味しくして下さる。お客様、実際に体験してみなければ、真実など分からないものでございますよ」
老人は顔をくしゃくしゃにして笑った。愉快で仕方がないように。
「しかし、それも無理なお話でしょうか。体験した方は帰れるはずなどないのですから」
俺の顔が引き攣る。
嘘だろ、じゃあ、俺は──
「お客様、どうぞ、最期の景色をお楽しみください。窓からの景色は美しいでしょう?」
窓の外を眺める。
そこには何かの「目」があった。
それはあまりに透明で幻想的な青に満ちていた。