──くぐもった音──
「今日も古関さん、見掛けなかっ……」
「それもう聞き飽きたから」
毎度お馴染みの話題を振る母を遮り、私は自分の考えをメモに書き出していた。それに腹を立てたのだろう、母がテレビの音量を上げつつチャンネルを猛然と変えだす。
「ママちゃんおもんない(面白くない)っ!」
シグナルの様にパッ!パッ!と切り替わる画面と耳障りな音の洪水に閉口して、私はメモを引っ掴むとリビングから二階の寒い自室に移った。
古関さんの事が気掛かりなせいか、実は最近、私は悪夢に悩まされている。
──真っ暗な空間で何も出来ず、指先一つ動かせないまま、足下からじわじわと冷たい闇に呑まれ消えて行く──
日中の明るい日差しの中では「たかが夢」と軽く考えていても、空が瞑色に塗り替えられる頃になると急に得体の知れない焦燥感に囚われる。
薄明の蒼の焦燥と深夜の陰鬱な夢が、まるでナイトルーティンの様に何日も続いた。このままでは睡眠不足で過労死か事故死驀進だろう。
オカルトや迷信の類いは常々鼻であしらっているが、さりとて科学万能を無邪気に信じる様な純真でもない。
なので脳内に警鐘を鳴らす「違和感」の正体を突き止めるべく、私は最近の古関さんに関する件をメモに書き出した。
────────────────────
・元気だった古関さんを私が最後に見掛けたのが二週間程前。遠方に嫁いだ娘さんが遊びに来ていて、買い物中にばったり出会した。
・母が最後に古関さんを見掛けたのは、それから六日後。私は不在だったので又聞きになるが、ご近所さんの事で相談があったらしい。
→つまり今日を入れて八日間、我が家では古関さんの姿を確認していない。他のご近所さんは見掛けているかも知れないが。✔
・人や車の出入り。
母が最後に古関さんと会ってから、もう一週間以上経っているが、その間、本当に人の出入りや車を出した事が一度も無かったのだろうか……?✔
────────────────────
書き出したメモを基に、翌朝、私はもう一度古関さん宅のガレージを道路側から覗いた。
愛車の白い車は前に見た時のままだった。ボディやフロントガラスに薄らと埃が積もり、ここ数日は車を動かした痕跡は無い。
次に玄関の方に目を向けて見る。
古関さんは神経質な程のキレイ好きで、余程の悪天候でも無い限り玄関を掃き掃除するのが日課だ。
その玄関前には落ち葉や土埃が吹き寄せられ、愛用の箒も壁に立て掛けられたまま。
にも拘わらず、ドアの傍のスペースに設置されている電気給湯機は規則正しく動き続けている。
首を捻る私の前に、新聞配達のバイクが止まった。門を開け、玄関脇の新聞受けに朝刊を差し込む。
同時にバサリ、と何かが玄関の中に落ちる少しくぐもった音がした。磨り硝子に覆われた玄関の内部は薄暗くて良く見えない。新聞に挟まっていた折り込み広告でも落ちたのだろうか?
──また、違和感。
正確には、今の音に対する違和感だ。玄関のタタキに紙の束が落ちたにしては音が微妙に違う。
まるで古い雑誌や電話帳を重ねる時の様なくぐもった音。私は咄嗟に配達人を呼び止めようとした。
──が、無情にもバイクはさっさと走り去ってしまった。舌打ちしつつ、私は磨り硝子の向こうに目を凝らした。
事態が動き出したのは、それから更に数日後の事だった。