第57話
遠山のお陰で悪化していた雰囲気が少し緩和し、向坂が話を再開する。
「楓さんは、養護施設の職員や学校職員、生徒からも当たり前のようにイジメを受けていました。彼女は事件のことをわかっていましたが、本人は父親の顔すらわからない、鉄恭一が父親なのかも信じられない。そんな状況下で苦痛を味わい続けていました」
「……地獄だね」
片倉がポツリと言った。
「しかし転機が訪れます。泰三が病死し、真奈美の母である妙子が楓さんを引き取りに来ました。ここで、楓さんは東京から静岡県浜松市へと移り、祖母との二人暮らしになりました」
「妙子さんは寛容していたんですね?」
「そうですね。施設へ行き現状を知った妙子は、何度も泰三に進言していたらしいので、孫を迎え入れたことは本望だったはずです」
向坂は玲子からの質問に答えた後、
「突如母が自殺し、父が凶悪犯罪者だと言われ、楓さんは周囲から虐げられるだけの日々でした。けれど、ここでようやく祖母という一人の味方が現れたわけです」
と続け少し表情を和らげたが、直後に顔つきが険しくなり歯を食いしばる。
「しかしながら、やはり浜松でもバレました。ここでもイジメが始まり、中学生になっていた楓さんはいつもボロボロになって帰宅していたそうです。女子生徒や男子生徒だけでなく、教員も参加した壮絶なイジメです。暴力だけじゃなく、強姦もされていました。彼女はそれでも気丈に振る舞っていたそうです。なぜなら、味方をしてくれる祖母がいたからです。妙子は孫の異常を察知し、何度も学校へ掛け合いましたが、毎回イジメなどはないと門前払いを受けていたそうです。そんな絶望の中でも、楓さんは祖母という一つの光があるから生きていけたんでしょう。ですが……そんな希望である祖母の妙子も、楓さんが中学三年生の時に心筋梗塞で亡くなりました」
向坂からの話、楓の凄惨な過去に玲子は悄然とし、深い溜め息を吐いていた。
「中学生になった楓さんの情報は、輝成君からいただいたものなんです」
「……はぁ?」
思いもよらなかった向坂の言葉に、賢吾の眉間が動いた。
「私は、輝成君からの依頼で鉄に関する情報を集め伝えていました。鉄恭一に娘がいる。そのことを輝成君が知ったのは、楓さんが丁度浜松へ移った時でした。そして、輝成君と一緒に楓さんを見に行き、私との依頼はここで終わりました。次に……いや、最後に輝成君と会った時に、妙子さんと話したこと、楓さんの近況、先程申し上げた楓さんの情報開示制限についてを依頼されました」
真剣な様子で話す向坂に、
「じゃあやっぱりコウは、守屋楓が鉄の娘とわかっていたんだな……」
と呟き、賢吾はソファに身体を沈ませた。
「それにしてもおかしくないですか? 輝成が守屋さんを助けていたとは自分も未だに信じられませんが、仮に助けていたとします。ですが、何で輝成は本名を名乗らなかったんでしょう? 何でわざわざ猫の面をしていたんですか? 何で賢吾……大宮賢吾と名乗り、別人の振りをしたんでしょうか?」
竜次が矢継ぎ早に質問を放った。気落ちしていた賢吾もその疑問はもっともだと感じ、向坂へ鋭い視線を向ける。
「それが今回一番謎を深めた要因でした。大宮賢吾を探して欲しいということ、依頼者は楓さん。10.5の被害者や関係者だと直ぐに察しました。しかしその中の該当者、大宮賢吾は目の前にいる大宮さんただ一人です。そもそも10.5の被害者や関係者が、鉄恭一の娘を庇護するわけがない。私は早計に決め付け思い違いをしてしまったと、捜索の方針を見直し、何度も他の線を探ろうとしました。ですが大宮さんも知っての通り、関西からの有益な情報も見事に空振り、結局見つけることはできませんでした。ここで私は今一度初心に返り、事実だけを整理することにしました。そこで、まずは唯一の証拠品である楓さんが現在住んでいる家の賃貸借契約書です」
向坂はそう話すと鞄から書類を取り出し、テーブルの上に置いた。それは賢吾が捜索資料として最初に渡した、楓の家の賃貸借契約書のコピーだった。
「私に渡す前、大宮さんは確認していましたか?」
「いえ、プライバシーに関わることなので見ていません」
向坂の問いに、賢吾は不機嫌そうに答えた。
「もし、これを大宮さんが先に目を通していたら、気付いていたかもしれません」
向坂は賃貸借契約書の中に記載されている、借主の欄を指さした。賢吾は向坂が指したところを何となく見たが、次第に目を大きく開いていった。
「輝成さんの字に……似てる」
片倉が呟き、賢吾もその通りだと感じた。
「ウチにも輝成君が書いた物が何点かあります。筆跡鑑定をしたところ、九十九パーセント同一人物だろうとのことでした。しかしながら、私自身は納得できませんでした。だから、決定的な証拠が欲しかったんですよ」
向坂はそう言うと、鞄から新たな書類と紙を一枚取り出した。
「とあるツテから、輝成君が高校時代に一人暮らしをしていたことを知りました。私はその時の賃貸借契約書を確認しようと探したのですが、思いの外時間を要してしまい、結局最終手段として今朝瀬戸さんにコピーをいただきました」
賢吾が用意した輝成が高校時代に住んでいたアパート、その賃貸借契約書のコピーをテーブルの上に置き、向坂は広げた。
「また筆跡ですか?」
賢吾が嫌そうな顔をして聞くと向坂は首を振り、
「この賃貸借契約書の保証人は大宮さんですよね?」
と言って賢吾に目を向けてきた。
賢吾は頷きつつ賃貸借契約書のコピーを見たが、向坂が楓の物と輝成の物を並べると違和感を覚えた。
「……ん?」
そして、竜次も勘付いたようで声を漏らした。
「お気付きになられましたね」
向坂はそう言い、二つの書類の中で明らかに同じところを指さした。
「……実印か」
竜次が言った。向坂は大きく頷き、
「失礼します」
と言った上で賢吾の実印を手に取り、遠山が用意した朱肉につけると紙に押した。
向坂は大宮家の実印が押された紙も並べ、楓の借主の印、輝成の保証人の印を指した。
それは紛れもなく賢吾の家、大宮家の実印であった。
「これが、決定的な証拠です。また、猫の面や楓さんが動揺した動画のことも加味すると、百パーセント輝成君だと判断できます」
向坂は寂しげな表情で言い、賢吾も気持ちが地の底まで沈んでいった。
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