第19話
賢吾は向坂探偵事務所の前でエレベーターのボタンを押したが、丁度通り過ぎたタイミングだった。待っていると、向坂探偵事務所の中から向坂の声が聞こえてきた。
「おい雅彦、俺も行くからな。……え? いや、そんなの遠山君の嘘だよ。付き合いが長いお前ならそれくらいわかるだろ。……は? 今更無理って酷くない? 何で! お前そんな奴じゃなかったよね? 嘘でしょ! ねぇ? 雅彦君? ん? もしもーし? あ……その声は蓮穂ちゃん? 聞いてよ雅彦がさぁ……」
エレーベーターが到着し、賢吾はクスッとしつつ乗り込んだ。
向坂の電話応対に、賢吾は懐かしさを感じた。
だからだろうか、突然フラッシュバックした。
『コウ、家で飲みたい気分になった。おつまみよろしくね』
『えー、嫌ですよ。賢さんが飲むと変に絡んでくるし、介抱するのが面倒なんです
よ。車は出しますので、外で飲んできてください。俺は参加しませんからね』
『竜次、今の聞いた? 酷くないこの子?』
『いや、事実だし同情の余地ないわ』
『ひでーなお前も! ねぇ、コウお願い。拙者はコウ殿の竜田揚げが食べたいんでござるよ』
『困ったら真利亜さんの口調を真似するのやめて』
『お願いじゃあ、コウ殿! 後生でござる』
『ええい! しつこい』
『ったく仕方ねぇなぁ。輝成、俺も手伝うしお前の好きなモンブランを作るから、それで手を打ってくれないか?』
『え? 竜次さんのモンブラン? ちゃんと栗から作るやつですよね?』
『ああ、ちゃんと一から作る。ワンホール食っていいぞ』
『やった! 賢さん、親友に感謝してください。今回だけですからね』
『二人共愛してるよぉ!』
輝成と竜次に抱きついたシーンで賢吾は我に返る。
向坂探偵事務所前と同じく笑ったが、今度は表情が沈んでいた。
輝成のために自分は生きると決めたし、それは昔から変わらない。楓が会社に必要な人材だとしたら、彼女の条件である捜索をしてもらうしかない。それしかない、やるしかない。と、ビルを出た賢吾は己への誓いを刻み込んでいた。
輝成と出会ったのは、真利亜ではなく賢吾の方が先だった。
中学受験に失敗し、出来の良い妹の真利亜と比べられ、劣等感に苛まれていた思春期。鬱憤を晴らすかのように暴れまくった。
薬や殺しなどの重犯罪には手を染めなかったが、髪を金色に染めオールバック、単車を改造しては乗り回し、気に食わない奴に絡んでは喧嘩を繰り返す日々。
腕っぷしが良かったお陰もあってか、十八歳の頃には五十名を越える暴走族【滅殺】の総長となっていた。
とにかく痛快だった。
父は弁護士、母は女医。横浜市の高級住宅街である山手町に居を構え、誰もが羨む恵まれた環境で暮らしていたはずなのに、両親からのプレッシャーに追い詰められ、もがきにもがいていた。
しかし自由を手に入れ、グレた自分に対し両親は何も言わなくなった。
とても心地が良い。
そう……心地良くなれるはずだった。
だが、両親からコミュニケーション自体を放棄され、自分はいない者とされた。
散々自分を苦しめてきた両親が、グレてから一斉に無視をしたことへの憤りを感じた。反対に、真利亜はグレた自分にもずけずけと物申してくる始末。
話したい奴からは無視をされ、話したくない奴からは論破される。折角気持ち良くなれるはずだったのに、最悪だった。
そう腐っていた二十歳。
突然、交通事故で両親がこの世から去った。
やり場のない怒りと悲しみが溢れ、その時にようやく気付いた。
……自分は両親が好きで、認めてもらいたかったんだと。
喪主としての役割もほとんど真利亜が代わりにやり、己の体たらくさに嫌気が差した。
一体自分は何をやっていたんだろう?
両親に反発し続け、意味のない喧嘩に明け暮れ、家族を愛することの大切さを知ろうともせず、そんなものは当たり前だと足蹴にし、失ってからようやく目が覚めるなんて……。
バカを通り越した大バカだ。
だから、今更遅いのかもしれないが、変わろうとこの時に決心をした。
少しでも真利亜に追いつこうと、朝から夕方までは建築現場でアルバイトをし、定時制高校に入った。賢吾は当時を振り返り、本当にクズでろくでなしだったと自嘲した。
どん底の底。
クズが人間に戻ろうと懸命になり始めた時、幸運にも賢吾は出会った。
……波多野輝成と。
同じ定時制高校で、同じ教室、隣の席。
賢吾より五つ下であどけない姿をした輝成の第一印象は、感情の起伏が乏しい少年だった。
常に無表情だったが、授業の補足説明をしてくれたり、簡単な問題がわからない賢吾にも丁寧に教えてくれたりと、決して悪い奴ではなかった。
一緒に学校生活を送るようになってから二週間が過ぎ、賢吾は少しずつ輝成に興味を持ち始めた。
学力も高く、定時制高校のレベルではない。しかも高校一年生の歳なのに、定時制をわざわざ選んだのはなぜなのか。賢吾は輝成に聞いてみると、その理由は想像を絶していた。
生まれて間もなく父親は別の女を作っていなくなったようで、父親の記憶はないらしい。更に母親は、昼夜問わず男をとっかえひっかえで遊び三昧。
DVやネグレクトは当然のことだが、小学生の頃から月に一万円を与えられるのみで、生活費や雑費の全てを一人でやりくりしていたとのこと。
中学生になったら月の一万円がもらえなくなったので、学校へ嘆願し新聞配達をしていた。その貯めたお金で定時制高校に通っている。昼間の方がアルバイトしやすいから、と輝成は述べた。
賢吾は開いた口が塞がらなかった。
異常を遥かに越えた体験をしていることもそうだが、まるで他人事というか、業務の定時連絡のように淡々と説明する輝成の様に戦慄した。
『お前、誰かに相談したことないの?』
冷や汗を浮かべながら賢吾が聞いた。
『いえ、特には……』
『何で?』
『聞かれなかったから……ですかね? それに言ったところで自分で解決するしかないので、話す意味がないかなって』
表情を変えずに輝成はそう言った。
嘘だろ?
これが高校一年生か?
十五歳?
自分と五つも違うのに?
そう、賢吾は酷く動揺した。
『そんな家庭環境でよくグレなかったな?』
賢吾は口を震わせながら聞くと、
『ハハッ。大宮さん面白いこと言いますね? そんな暇があるわけないじゃないですか』
輝成は乾いた笑みを浮かべて言った。
……は?
……何だそれ?
賢吾は愕然とした。
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