第八十七話 幸運と捉えるべきでしょう
教皇国ルキアスのちょうど真ん中に位置するソークイン大聖堂、その中にある礼拝堂に一人の男の姿があった。その男は片膝を付き、両手を固く握り、そして目を瞑りながらかれこれ30分以上独り言の様な物を呟いている。
彼は自分が崇めている主である神に向かって祈りを捧げている最中なのだ。
「教皇猊下、お祈りの最中失礼致します」
そんな男がいる礼拝堂の後ろに設置された大きめの扉から純白の修道服を着たシスターが申し訳なさそうに、そして少し焦りながら入ってくる。
「……神への祈りを途中で止めてしまえばその祈りは意味をなさなくなる、その事は貴女も知っているはずですが?」
祈りの最中に話しかけてきたシスターに対して少し不機嫌そうにしながら教皇と呼ばれた男は祈りを中断して後ろを振り返る。
そう、この男こそ先日執務室でダグラスとギンラが頭を悩ましていた世界的宗教『ルミナス教』の教皇、チャールズ・カタロフなのである。
「もちろんでございます、ですがこの件はいち早く猊下にお伝えすべきと判断致しましたので……」
「……まあ貴女がそこまで言うのならいいでしょう、報告しなさい」
「はい、ありがとうございます」
最初は不機嫌そうにしていたチャールズだったが、シスターが顔見知りという事もあってか自分の祈りを邪魔した事は不問にした。
「魔王領を監視していた我らが信徒より、我々と協力関係にない魔族達が不穏な動きをしているとの連絡がありました。どうやら彼らの仲間が人間領に侵入しているそうです」
「なに……? それは本当ですか?」
「はい、何度も情報を洗ったので間違いありません」
「侵入された国は?」
「……リークレッド王国です」
「それは、大変な事が起こりましたね……」
シスターの報告を聞いて気になる事があったチャールズは、顎に手をやりながら深く考え込み始める。それに勘付いたシスターも邪魔をしてしまわないように静かにチャールズの事を待った。
チャールズが気になっていたのは、魔族達がわざわざ人間領に侵入した理由では無く侵入そのものについてだ。
前にも説明したとは思うが、リークレッド王国には魔族が侵入した時にその事を術者に知らせる結界がスミラによって張られている。つまりスミラの結界を掻い潜れる程の実力者で無い限り、基本的にリークレッド王国に侵入した魔族はすぐに捕らえられてしまう事になるのだ。
これらからその魔族達には協力関係にある人間がいる可能性が高く、そうで無くとも相当な実力者であると考えられる。このどちらであっても大きな問題なため、チャールズは考えずにはいられなかったのだ。
「……すみません、待たせてしまいましたね。報告は以上ですか?」
しかし今の段階で正体を突き止めるにはあまりにも情報が少なすぎると判断したチャールズは一旦考えるのを諦め、シスターに他に報告が無いか尋ねた。
「いえ、まだもう一つ報告しなければならない事がございます」
「その内容は?」
「猊下が近々訪問される『ラーンベルト学園』に関してです」
「……ほう、続けて下さい」
今まで教会の関係上あまり国外へ行っていなかった自分が国外へ赴く理由になった『ラーンベルト学園』、その名前を聞いたチャールズは先程よりも少し興味深そうな反応をした。
「はい……猊下が訪れになるという事で学園の安全調査のために信徒を送ったのですが、その信徒から気になる報告が上がりました」
「気になる報告……?」
「猊下が以前より気に掛けられている『黙示録のラッパ吹き』団長、リンドウ・ナツ。今の彼は学園で楽しそうに生活しているようなのです」
「なっ、竜胆夏が……!?」
竜胆夏、その名前を聞いた瞬間チャールズの表情と纒う空気が一瞬にして変わった。先程までは教皇らしい柔らかな表情を見せていた彼だったが、今ではその正反対である難しく険しい顔をしてしまっている。
それほど彼にとって今の情報は衝撃的だったのだ。
「それは本当ですか……!?」
「はい、少し前に行われた団体戦でも級友達と楽しそうにしている姿が確認されています」
「そ、そうですか……」
(『色欲』を殺した時の竜胆夏の状態を考えるとあの者が楽しく生活を送れているなんて考えづらい、それほどあの時の彼は壊れていましたからね。そのため学園にいるのが本人という可能性は限りなく低く、替え玉の可能性が…………。いや、考えにくいですが彼等がその記憶を消したという可能性もあり得ますか。…………はあ、どちらにしろこれも今の情報では分かり得ない事ですね。むしろこれは幸運と捉えるべきでしょう)
ある程度考えをまとめたチャールズは自分の意識を頭の中から静かにずっと自分の事を待ってくれているシスターの方に向けた。
「貴女が焦っていたのはこの情報があったからですね。…………なるほど、驚きはしましたがよくよく考えてみるとこれはこれで嬉しい誤算です。どうやら彼等の誘いに乗って正解だったようですね。ただそうなると私も戦闘に巻き込まれる可能性が高くなるかもしれないですね……。セレス、すみませんがあとで神聖騎士達に当日の護衛の数を増やすよう伝えておいてくれませんか? リンドウ・ナツもあの学園にいるとなると何が起こるか分かりませんので」
「かしこまりました、それではすぐに伝えてまいります」
そう言い、セレスと呼ばれたシスターはチャールズに深いお辞儀をしてからその礼拝堂を後にした。
その後ろ姿に柔らかい笑顔を向けてから、チャールズは再び自分の意識を頭の中に集中させて考え事を始めた。
(……さて、どうしましょうか。彼は少なからず私の事を恨んでいる筈、なので私としては会いたく無いのですが……。まぁ今は考えていても仕方ないですね、とりあえずこの情報は協力者である彼等にも伝えておきましょう)
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チャールズが礼拝堂の中でシスターから報告を受けていたのと同じ頃、『リークレッド王国』内のとある質素な建物の中の一室で橙色の肌をした一本角の魔族の男が机に向かいながら食事を取っていた。
「ガグレイス様、食事の途中に失礼します」
「うむっ……ゴクッ。……おう、どうした?」
しかし、突然その部屋に同じような橙色の肌をした別の魔族が小さな紙を片手に持ちながら入って来たので、唐突な訪問に驚いたガグレイスと呼ばれた魔族は食べていたステーキを一瞬喉に詰まらせてからすぐに飲み込んでその魔族に用件を尋ねた。
「例の協力者から新しい情報が来たんで一応報告しておこうと思って」
「おお、いいね。どんな内容なんだ?」
人間しかいないこの『リークレッド王国』で魔族である彼らは気安く外を出歩くことが出来ない。そのため諜報がまともに出来ないので外の情報がほとんど入って来ないのである。
そんな中で来た新しい情報にガグレイスは胸を高まらせた。
「いや、それが……」
「ん、どうしたんだ?」
しかし、その内容を尋ねられた部下は突然答えづらそうにし始めた。様子を見る限り報告するべきかしないべきか悩むような情報なのだろう。こういう時に急かしてしまうと彼を無駄に焦らせてしまい、結局報告をせずに帰ってしまう可能性もあるため静かに口を開くのを待つ事が懸命なのだが今回のガグレイスはそうしなかった。
もちろんいつものガグレイスならその事に気付いて静かに待っていたはず……いや実際には今も気付いてはいるのだろうが、新しい情報に対する好奇心が高くなってしまっていたガグレイスはその事を無視して言いづらそうにしている部下に早く報告するように促した。
「あの……」
「いや、もったいぶらずに言えよ」
最後まで言いづらそうにしていた魔族の男だったが、ガグレイスの様子を見て報告しないと返してもらえないと判断してようやく口を開く。
「……じゃあ、向こうからの言葉をそのまんま伝えますね。『どうやら学園にリンドウ・ナツが在籍しているらしい。この事により目的の達成はかなり困難になったと言えるでしょう、君たちも注意をした方がいいです』だ、そうです」
その報告を聞いて彼が言いづらそうにしていた理由に検討が付いたガグレイスは、拍子抜けを食らったようなただ同時に少し安心したような表情を見せた。
「ああ、そういう事か……。だからお前言いにくそうにしてたのね」
「はい、報告する必要は無いと思ったんですけど念のため……」
「……まぁ、あいつには本来の目的を教えてねえしそういう報告が来てもしょうがねぇよな」
そう、もう彼は竜胆夏が『ラーンベルト学園』に在籍している事を事前に知っていたのだ。いや、むしろ彼らにとってはその竜胆夏こそが本来この国に潜入した目的なのである。
「……ガグレイス様、やっぱりあっちにも伝えておいた方がよくないですか? その方が作戦もスムーズに進むと思いますし何よりあいつなら協力してくれるでしょ」
「いや、それは無いと思うぞ。今回取り付けた協力関係でさえあちらさんの反応は怪しかったんだ、そんな奴らが余計人類に影響が出る話に協力してくれるとは到底思えねえ」
自分の部下の出した提案をガグレイスは椅子の背もたれに身を預けながら一蹴した。
そもそも『ルミナス教』は人間だけを守るために存在している教会であって、基本的に『魔族はすべて敵』というスタンスを取っている。そのため少しの間であっても魔族であるガグレイス達と協力関係になるのは耐えがたいはずなのだ。その上実はガグレイス達の目的は人間に大きく害を与えてしまう物だと知ってしまえば、チャールズはすぐさま自分達を排除しようとするだろうとガグレイスは判断したのだ。
「そうですかね……?」
「ああ……それに、勝手に教会相手にそんな事をしちまったら『姫』が怒るだろ」
「それは、たしかに……」
ただそれでもあまり納得していない様子だった部下に、ガグレイスは自分達の主を話題に出してなんとか彼を納得させた。あまりよく知らないチャールズより、よく知っている『姫』なら彼女がどういう反応をするか簡単に想像出来たのだ。
そして話の流れが変わった事を機にガグレイスは目の前にいる彼に対してずっと言いたかった事を口に出す。
「な? だからこのままでいいんだよ、ていうかそんな事よりお前は自分の仕事に集中しろ。もう二週間は経ってるのにまだあいつに関する有効そうな情報は集まってないんだろ?」
それは彼に与えられた仕事がまったく進んでいない事に対する、言わば文句だった。『リークレッド王国』に潜入して二週間、それなりの時間が経っているのに彼から情報が一切上がって来ていない事にガグレイスは少しではあるが苛立っていたのだ。
「ま、まあ……」
その事は部下の彼も分かっているようで、何とも居心地の悪そうな返事をした。
「はぁ、本当に頼むぞ……なるべく他人への被害は最小限にしてくれって『姫』に頼まれてるんだ。時間が掛かっちまってるって事を知られてドヤされるのは俺なんだよ」
「が、頑張ってください……応援してますんで!」
「何で俺がドヤされんのが確定してんだよ! がんばれよ、俺の事を思ってんなら応援なんかしてないできっちり仕事をしてくれ……!」
部下の思いもよらない発言にガグレイスは怒らずに思わず席を立ちながらツッコんだ。
何故か仕事をきっちりこなしている自分が応援されてしまった上に、失敗する事が前提の彼の発言が予想外すぎて一周回って怒りが湧いて来なかったのである。
「は、はい! じゃあ次からは趣旨を変えてなるべく対象に近しい人物を狙っていく様にします……!」
「ああ、そうしてくれ。むしろ何で最初からそうしなかったんだよ……」
自分の部屋から急ぎ気味で出て行く部下の後ろ姿を見送って、ガグレイスはため息を吐きながら先程まで座っていた席に倒れるように座った。
竜胆達が大会の準備やら何やらで忙しくなっている間、彼らの知らない所でガグレイス達の暗躍は着実に進行していたのだ。




