第六十六話 怒りを感じない方がおかしいだろう
買い物客などで騒がしくなっている市場を見渡しながら、私は二人の人物と一緒に建物の上を屋根伝いで走っていた。
「それで、ここからどこに向かえばいいんだフラス?」
そう聞いたのは私の右斜め後ろを走っているオーズスタンだ。
『そのまま直進して頂くと貧民街の南側に着きます、そこからはまっすぐその街の中央を目指して下さい。イリーネ君の反応があるのは中央付近にある赤い屋根が目印の建物になります』
私達は今、レグリア様に渡された通信用の小型魔導具越しにフラスから敵のアジトの場所を教えてもらいながら移動している。本当ならこの魔導具を人数分用意出来ればよかったのだが、この作戦が時間との勝負なため他の二つを用意する時間も惜しかったので特別席に置いてあった一つを私が代表して持っているのだ。
ちなみに片手で持てる程度の大きさなので走る邪魔にはなっていない。
「赤い屋根が目印って……貧民街ってそんな目立つ建物があるんですか?」
オーズスタンとは反対の、左後ろを走っているリンドウ君が疑問を持った様に聞く。
『当然の疑問ですね、貧民街ならそんな目立つ様な建物があるのはおかしいですから。何せあの街で変に目立ってしまうと悪党共に狙われますし、そもそも《《貧民》》街なので改修や塗装の為に使えるお金が無いはずですからね』
私が持っている通信用の魔導具越しにレグリア様はリンドウ君に向かって説明を続ける。
『ですが、その建物に関してはそこまでおかしい事でも無いのです。実はですね、貧民街にも有力者と呼ばれる人達がいるんですよ。本来なら外でも生きていける力や才能を持っているのにも関わらず、刺激などを求めて街の中に居残り続ける人達です。貴方達が目指している赤い建物はその有力者達の一人の家だったんです。
彼は貧民街の中でも選りすぐりのならず者組織を作っていた人物でしてね。その組織で違法にお金を稼いだりやりたい放題していたので、かなり恐れられていました。なので目立つ家に住んでいても誰も襲って来ないし、その塗装をするお金も十分にあったんですよ』
「……なるほど」
レグリア様の説明に納得したリンドウ君はそれ以上その赤い建物について聞かなかった。しかし、質問の追求をする代わりに今度は私に話し掛けて来た。
「ちなみにヘステさん」
「何だいリンドウ君?」
「イリーネを攫われて怒るのは分かりますけど、敵のアジトに着いたらなるべく冷静に対処して下さいね」
「…………気付かれていたか。かなり隠していたつもりだったんだがな」
「そりゃ気付きますよ、だってさっきから一言も喋らない上に物凄く険しい顔してますし。それに今のも必死に抑えている様ですけど声に怒気が混じっちゃってます。口に出してないだけでオーズスタン先生も気付いてますよ」
そう言われて後ろで走っているオーズスタンの方を見ると、オーズスタンは私に向かって大きく頷いていた。
「まいったな……」
リンドウ君の言う通り私はかなり怒っている。もちろんリンドウ君達に対してではなく、私の可愛い弟子であるイリーネを攫った魔族共に対してだ。自分の大切な弟子を攫われたんだ、むしろ怒りを感じない方がおかしいだろう。
ただ、戦闘ではこの感情は邪魔になる。もちろん戦闘中は常に冷静でいるべきだと言うつもりは無い。むしろ高揚感もあった方が上手く動けるし、多少は怒りもあった方がいいのかもしれない。だがしかし、私が今持っているこの怒りはその許容を遥かに超えているのだ。
だからこそ変な心配をかけない様に必死に隠していたつもりだったのだが、どうやら簡単にバレてしまっていたらしい。
「ヘステさん、怒るなとは言わないですよ。俺も同じ気持ちですから。ただ、抑えられるのなら今のうちに少しでも抑えといた方がいいです。そのままだと怒りのあまり敵との戦闘に集中し過ぎてイリーネを守れなくなる可能性がありますから」
私の怒りに気付いたリンドウ君は真面目な口調で私を諭してくる。そして、彼の言う事はもっともだった。
もちろん大切な存在が危険に晒された事に憤るのが人として大事なのは知っている。だが、今回はその大切な存在を守る為にこの怒りは少しでも減らしておくべきなんだ。
私はこの怒りを隠す努力よりも減らす努力をするべきだった。
「…………たしかにそうだな。君の言う通り、このままだと私はイリーネを守り切れなくなるかもしれなかった。ははっ、まさか一回りも年下の子に諭されるなんてな。…………ありがとう、リンドウ君」
そう言い、私は深呼吸をして少しでも心を落ち着かせる事にした。
『すみませんヘステ君。私達が魔族の侵入を許してしまったばかりに』
「いや、貴方達は何も悪く無い。悪いのはイリーネを攫った魔族のクソ共だ。私が知る限り学園の警備は完璧だった、何も気負う必要はありませんよ」
『……そうですか、お気遣いありがとうございます』
私の言葉にレグリア様は礼を言う。だが実際に、私はレグリア様達が悪いとは一切思っていない。私は部外者であるため学園の警備について知っている事は少ないが、スミラ様の結界を中心にした非の打ち所がない最高峰の物だったという覚えがある。その様な警備を突破されたのだから責められる道理が無い。
それに大前提として、イリーネを危険な目に遭わせようとする連中がいなければこんな事にはならなかった。だから今回の一件でハッキリ悪いと言えるのはイリーネを攫った連中だけだ、間違ってもレグリア様達じゃない。
「話はそこまでにするか、どうやら貧民街に着いたみたいだぞ」
そこからしばらく静寂が流れた後、オーズスタンの声と一緒に私達は走るのを止めた。そして前方には先程の市場とはうって変わって賑やかとは決して言えない、寂れた街並みが広がっていた。
『ここからは皆さんの邪魔にならない様に一旦通話を切ります。目標となる建物は中央付近にある赤い屋根が目印になる建物です。フラス君曰く貧民街であそこまで鮮やかな赤い屋根を付けている建物は他に無いので、見間違えるような事は無いと思います。…………では皆さん、健闘を祈ります』
レグリア様がそう言うと魔導具からプツンという通話が切れる音が聞こえた。
「ふぅ、それじゃあ行くぞ!」
そして私は再び深呼吸をしてなるべく怒りを減らしてから、自分の出した合図と共に三人で貧民街の中へと突入した。




