97話 束ねられるべきもの
「まあ、そういうわけでな。今の俺は『魔族』というわけだ。いやあ、俺もずいぶんと繰り返したけれど、初めてだな、『魔族』という立場になるのは」
そこらへんにある椅子に腰掛けたリシャールは、とても楽しげに『これまでの顛末』を語った。
カシムとの戦いで死んでしまったこと。
その後、魔力により肉体を再構築されたこと。
そしてカシムの意思が今も強烈に頭の中に響いており、並大抵の者ではこれにあらがうことはできないだろうこと……
「カシムがあなたたちを見下しているので、このように侵入され後方から暗殺されたりということはないだろうが、『魔王』と対する時にこんな人や獣を相手にした警戒網に意味はない。なんらかの対策は講じておくべきだろうな。俺の侵入を許したということは、他の魔族も同じように侵入できるということだ。あなたの身が心配だよ、アンジェリーナ」
「……貴様は平気そうだな、リシャール。カシムの意思とやらが頭の中に響いているのではないのか?」
「ん? ああ、俺はなんというのかな……ちょっとばかり、人より自我が強いんだ。頭の中に響く声はうるさくてたまらないが、まあ、うるさいという程度だな。それを己の意思と混同することはない」
「ふむ……」
「納得できないか? ならばそうだな、こう言ってしまおうか。『愛の力』だとな。はははは! なるほど、なかなか面映い! 幾度人生を繰り返しても、そこまで精神が枯れてもいないらしい。いやはや、生きているとさまざまな経験があるものだ」
「……まあ、なるほど。貴様がこうして世間話に興じられている理由については、わかった」
「あなたも『愛の力』に心当たりが?」
「う、うるさい。そんな話はどうでもいいのだ」
「そうだな。……弟の妻をからかうのも、このぐらいにしておくか」
リシャールが長い脚を組み替えると同時、黄金の瞳がすっと細まった。
その微細な変化だけで『これから真面目な話をする』というのを周囲にわからせる。
リシャールという男には、指先一つで他者に意図を察させる『王たる者』の動作が身についていた。
惜しいほどに。
……きっと彼は素晴らしい王になっただろう。
けれどもう、それが叶わないことを、アンジェリーナは察してしまっていた。
もちろんオーギュストにとっては敵ではあったけれども……
このようなかたちで失いたくなかったと、強く、思った。
「そう切ない顔をするな、ミス・アンジェリーナ。あなたは不遜に笑っているといい。我が弟も、そのようなあなたにこそ、惚れているのだから」
「な……」
「おっと! これはマナー違反だったか? まあ、このぐらいは許されよ。あなたの義兄からの、最後の……進言、だな。アンジェリーナ妃」
「……」
「俺がここに来た目的は、情報提供だけではないのだ。これからあなたを誘拐しようと思い、こうして参上した」
「ドラクロワ貴族というのは話がまわりくどい」
「まあ物事には順序がある。まさか突然来て開口一番に『誘拐に来た』と言うわけにもいくまい。俺が敵ではないと示さねば、人類が負けてしまう。それは困るのだ」
「そもそも『誘拐に来た』と言われるのはどのようなタイミングでも困るのだが!?」
「ははは。……さらう前に、バルバロッサの船について聞きたい。あなたはあの船の操作が能うか?」
バルバロッサの船。
それは例の『空飛ぶ船』だ。
魔道具そのものの船……
アンジェリーナをここまでさらって来た、船だ。
カシムはたった一人であれを操作してみせた。
アンジェリーナも、あの船の魔力の流れは見ていたから、どこにどう魔力を流せばどう作用するかというのは、なんとなくわかるのだが……
「……無理だ。我では魔力量が足らぬ」
「『魔王アンジェリーナ』でもか」
「魔力は肉体依存であろう。いくらか『魔王』としての形質は現れているが……『魔王の体』からすれば、どれもおまけのような機能ばかりだ。属性が足りぬし、量の不足から属性の不足を純魔力でごまかすこともできん」
『今にして思えば』という話になってしまうが、カシムがあの空飛ぶ船を操っていたのは、足りない属性を純魔力でごまかしていたというのも、要因だった。
あの時点で思い出すべきだったのだ。
しかし、属性変換をされて色のついた魔力を見たところで、純魔力とそれにまつわる記憶は思い出せなかった……今さら悔いてもどうしようもないことではあるが。
「ふむ、では、なにが必要だ?」
「……空を飛ばすのであれば……船長として、魔力の流れを見る目を持つ者は必要であろうな。そして、貴族級に魔力のある、各属性の使い手……あとは、四属性の使い手がいれば万全か」
「…………ははははははは!」
「な、なんだ!?」
「……いや、失礼。…………ああ、そうか。そう、だったのか。彼女の存在は、この時のために……」
「リシャール?」
「なあ、アンジェリーナ。あなたは『運命』というものを信じるか?」
その言葉を口にするリシャールの瞳は鋭かった。
それは占いを信じる女学生めいたものではなく、生死不明の仇敵について語るかのような……
アンジェリーナはその視線の鋭さに気圧されて、「いや……」とうめくしかできなかった。
「……なあ、時々、思うんだ。俺たちがなにをしようとも、最初から『結末』は決まっていて、これをどうにかこうにか変えようとする俺たちのあがきは、何者かを楽しませるための滑稽劇にしかすぎないのではないか、と」
「……だとしたら、なんとする?」
「あなたたちを舞台から降ろすのが、俺の役割で、『彼女』の願いだったのだろうと、そう思った」
「『彼女』?」
「あなたたちも知っている人物だが、あなたたちの知る彼女とは違う女性の話さ。……ミス・アンジェリーナ。友を頼れ。仲間を巻き込め。なあに、構うことはないさ。もはや魔王を倒さねば、この世界に安全な場所などどこにもないのだから」
「どういう意味だ?」
「ガブリエルを使ってやれ。あれはあなたへの恩を返したがっている。またとない機会だ。きっと、いい働きをするだろう」
「……」
「バスティアンだったか? 彼の忠誠心は、なかなかのものだ。本当の忠臣というのは、友のごとく主に尽くし、しかし前を歩かれるのを厭わぬ者を言う。この忠節を示すまたとない機会を奪われれば、きっとバスティアンはあなたを末代まで恨むだろう」
「なにを……」
「俺もその列に加わりたかったが、俺の席はバルバロッサにゆずろう。あれはいいやつだ。ちょっと思いこみが強くて行動力がありすぎるきらいもあるが、国を率いる者として得難い才能だと思う。きっと、ラカーン王国はあいつが終わらせないさ」
「……」
「オーギュストは言うまでもないか。……頼ってやれ。甘えてやれ。『紳士』だの『淑女』だのという話ではない。男はな、好きな女性になにか大きな役割を任せられると、嬉しいものだ。この俺が保証する」
リシャールはそれから、少しだけ黙って、
「エマ」
大事な宝物を秘めた箱をそっと開けるように、その名をささやいた。
「……もう、遠い昔のことのようだな。あなたは彼女のことを覚えているか?」
「当たり前だ」
「彼女は……彼女は、平民ながらに四属性の使い手として現れたな。戦乱もない時代、強すぎる魔力も、多すぎる属性も、貴族の権威を保証するものでしかなかった。平民にはいらぬもの、むしろ、邪魔なものだったろう。その苦しみ、悩みは、俺たちではきっと理解できない」
「……」
「この周回において俺が彼女にかかわったのは、ほんの少し、遠くから姿を見た程度だったが……楽しそうだったな、彼女は。あなたといて、楽しそうだった。礼を言う。彼女を笑顔にしてくれて」
「……礼を言われる筋合いがないのでは?」
「……いや、まったくもってその通り。俺と彼女は、無関係だ。けれどな、礼を言わせてほしい。この周回で、彼女は悩みも苦しみもなく……大事な人を一人も失うことなく、その願いだけを叶えることができるのだ。だから、感謝を捧げさせてくれ」
「なんだかよくわからんが……ようするに、今、述べた連中を巻き込めと、そういうことだな」
「うむ。……この世界に安全な場所がなくなるのだから、いくら巻き込んでも気に病むことはない━━という理屈はきっと、あなたには通じないのだろうけれど」
「……」
「だからこそ、言おう。頼ってやれ。あなたに力を貸したがるはずだから」
「…………わかった」
「うん。……まあ、あとの詳しいことは、クリスティアナ島に戻って、あなたの御母堂にこうたずねるといい。『空の島に用がある』と。……これですべてか。では、さらっていくぞ」
「待て待て待て。どこにだ。なんのためにだ」
「空飛ぶ船まで送っていく。そこでバルバロッサを待つのだ。すべてがうまくいけば、きっと出会うことができる」
「うまくいかなければ?」
「その時はすべて滅ぶさ」
リシャールがウィンクをした。
アンジェリーナは毒気を抜かれ、がっくりと肩を落として、彼に従うことにした。
兄弟そろって、人に要求を呑ませるのがうまい。
あるいは自分が、この兄弟にどうしようもなく弱いだけなのかも、しれない。
自分の肉体か……
あるいは、魂が。




