95話 空に活路あり
「ぬう……!」
騎士ミカエルが戦場において歯がみし、苦悶の声を漏らすなどという事態は今までに一度たりともなかった。
彼はあらゆる局面で『最強』だった。
たとえ馬が砂地走破を苦手としていて思ったほどの速度が出ずとも、あるいは味方の練度が低く思ったようにまとまらなくとも、関係がない。
彼の戦技である『灰かぶり』……火炎変化は部隊そのものを炎と化す。
炎となった兵たちはたいていの敵を蹴散らせるし、熱により溶かし平らにした地面はどこでも整備された道のごとく走破できた。
そしてこの『灰かぶり』は止まらない。
あらゆるものを焼き尽くす火炎の軍団なのである。これを消し去るには『最強の騎士』ミカエルと同等以上の力をもつ風や水が必要となるが、そのようなものには今まで一度たりとも遭遇しなかった。
相手が、獣だったから。
現代において、人と人との戦いというのは、馬上槍試合のようなものを除くと、ほぼ存在しない。
もちろん犯罪者がまったくいないわけではないし、その犯罪者に時おり『貴族くずれ』がいたりもする。
何代か前に取りつぶされた貴族の血脈が残っており……というものだ。
しかし『人と人との戦いはほぼ存在しない』と言ってしまっていいぐらいの遭遇率であることに変わりはなく、何代も前に取りつぶされた貴族の血筋は山野で薄まり、脅威となるほどの魔法や戦技を使うことはまずなかった。
ところが、今、対面している軍団は、違う。
連中は人の知能を持ち、人の知識を持っている。
そうしてなにより『純魔力』を操る。
ミカエルの『灰かぶり』さえも、この純魔力を投射されると削れてしまい、いつものように『ただ、全力突撃をすればいい』という状況とは言いがたい。
もちろんミカエルは全速力で突っ込む以外のことができないわけではない。
というよりも、個人としてのミカエルは、その力強い槍さばき以上に、立ち回りや技術に優れている技巧派の騎士であった。
さもなくば『諸国を漫遊しながら各地でもめ事を解決する』というようなことはできない。個人が獣相手に力押しで挑み続ければ、いつか必ず敗北する。
しかし、今、ミカエルが率いる兵は、ミカエルほど強くない。
この兵たちは港町を守るために集ったラカーンの民であり、いわゆる義勇兵で、当然、訓練が足りていない。
単純な行動しかできず、突発的な事態に対処できない。
『灰かぶり』が削られ、解除されてしまうと、そういった兵からやられていく。
獣とは──『獣の軍勢』以前の獣とはあきらかに違う、『知性と悪辣さを持って、相手の弱いところを突こうとする軍』を相手に、さすがの『最強の騎士』も苦戦を強いられていた。
◆
また一方。
オーギュストを指揮官としていただく中央軍は、『純魔力』に対しなにも対策をとっていないわけではなかった。
港町に流れ着いてからというもの、純魔力を操る訓練をし、これを多少は身につけたのである。
ただし、その出力は悲しいまでに低い。
そもそも人の身で『魔力を加工せずに放つ』というのは無理がある。
目の前の連中は人の姿をしながらばんばん放ってくるが、あれは異常なのだ。
だから放たれる純魔力をわずかな純魔力で逸らしてダメージを軽減し、どうにか背後に敵軍を通さないように守り抜くという、消極的戦術をとるしかなかった。
三回も相手の純魔力攻撃を逸らせば隊列を入れ替えて、さらに同じことを繰り返す。
この戦い方では勝利できない。
なので中央軍の目的は『別働隊が敵を食いちぎる』『最後の難民を積んだ船が港町から出港する』までの時間稼ぎであり、どちらかが達成されればすぐさま退却し、最後の船に、オーギュストやアンジェリーナを乗せることにあった。
……決死隊なのだ。
この軍にはラカーン王国避難民と、クリスティアナ島から派遣されたわずかな兵が存在した。
操船技術を持つ海兵たちは『愛すべきクリスティアナの女王陛下』から愛娘アンジェリーナの保護を命じられており、これに従っている。
アンジェリーナが帰らないものでこうして敵と真っ向勝負をすることになっているのだが……
「いやあ、楽しいな! まさか俺らの世代が、クリスティアナの王族のために命を張る機会に恵まれるとは!」
その士気は、おどろくほど高い。
……これはクリスティアナ島の支配者であり、アンジェリーナの母でもある、エレノーラ・クリスティアナ=オールドリッチの人選のたまものだった。
ドラクロワ王国領として組み込まれているオールドリッチ領ではあるが、島民の中には自分の住まう島を独立国とみなし、誇っている者もいる。
そういう性質を持った者が、過去にあった『クリスティアナの聖女の活躍』やら『アルナルディ領との激戦』やらを聞いて育ち、クリスティアナ島の再びの独立を夢見るようになる。
その『行きすぎた忠誠心』は平時にあって島を分裂させドラクロワ王国につけいるスキを与えかねない困った火種なのだが……
今、クリスティアナのお姫様であるアンジェリーナを無事に島に帰すため、燃え上がっていた。
……ちなみにエレノーラの思惑はといえば、『普段は過激なことを言っているが、実際に戦場に立ったら逃げだそうとするはずなので、無理矢理にでもアンジェリーナを連れ帰ってくれるだろう』というものである。
不確定要素を含むエレノーラの思惑はだいたい外れるのだった。
「褐色の! へばっている場合じゃないぞ! 次の純魔力投射が来る!」
「くそっ! 元気だな白肌ァ! こっちは故郷を滅ぼされて歩き通してようやくここまで来たばっかりだっていうのに!」
「お前たちがふぬけだと、俺たちが生き残ってラカーン王国をクリスティアナ王国にしてしまうぞ!」
「最悪だちくしょうめ! 俺たちの国は、たとえ町が残り一つであろうとも、俺たちが守るんだよ!」
……中央軍の士気は、かように高い。
本来であればオーギュストが戦況を見つつ判断し、退くべきならさっさと退かねばならないのだが……
現状、どう見ても『退くべき』状況であるにもかかわらず、士気が中央軍に不思議な堅固さを与えていた。
では、そのオーギュストは今、どうしているのかというと……
◆
「ああ……ああ……ああ……! オーギュスト! はははははは! オーギュスト!」
切り合う相手が歓喜の笑みを浮かべているというのは、すさまじい不気味さだった。
氷晶きらめくきっさきを振るう。
青い軌跡が焼けるような砂漠の昼日中を斜めに切り裂き、その向こう側にいる兄リシャールを肩口から両断した。
……いや、両断したかのように見えたけれど、それはどうにも、願望が見せた蜃気楼だったらしい。
リシャールは長い黒髪をなびかせてあっという間に距離を詰めると、砂で作りあげた剣でオーギュストに斬りかかってくる。
砂地に足をとられて避けきれないと判断し受け止めれば、合わさった刃から、『ギイイイイイン!』という、金属で金属を削る、嫌な音がした。
「まさかお前と『切り結ぶ』ことができようとは! そもそも! お前が歯を食いしばり、砂にまみれ! 汗を垂らしながら誰かと戦う姿を見られようとは! ああ──生きててよかった!」
「……っ、本当に、あなたは……!」
不自然に渦巻く砂嵐が二人を押し包んでいる。
おそらくリシャールのしわざだろう。
こうして作りあげられた『邪魔の入らない空間』で、いつ終わるかもわからない斬り合いが続いている。
馬はとうにどこかへと逃げ去った。
足がうずもれるような風の中で、立って、刃を振るい合っている。
「お前は楽しくないか? こうして俺と、真剣に斬り合う時間が……」
「楽しんでいられる状況ではないのでね!」
強く押す。
体格でオーギュストに勝るはずのリシャールは、はじき飛ばされ、少しばかり宙を舞ったあと、砂地にふわりと着地した。
「そう言うなオーギュスト。『今』を楽しめ。過去にも、未来にも、『今』と同じ状況はないのだ。ほかのことにかまけて俺との斬り合いから意識を逸らしているようでは、いずれ後悔するぞ」
「……『いずれ』ですか」
「……なあ、オーギュスト。俺たちは、無数の争いをしてきた。そのほとんどは、お前にとって覚えがなかったり、あるいは、お前の方は『争い』とさえ認識していなかっただろうが……今、この周回は、お前は俺を敵とみなし、俺もお前を油断できない相手と認識している。……兄弟でここまで真剣に争えるのは、ともすれば、この周回のみやもしれん」
「……また四方山話ですか」
「お前はアンジェリーナ嬢の『魔王』についても信じないスタンスだったか? ははは。……なるほど、現実的で結構。だが、『現実』はもはや、お前の知るものとはずいぶん様変わりしたぞ」
「……ええ。ですから僕も、スタンスを変えました。……いえ、ようやく定まった、というべきでしょうか」
「ほう?」
「僕がこの、『魔王』だの『純魔力』だの……『死者の蘇生』だのという、ありえない事態を、未だ『かつての現実』に縛られているお歴々に、現実的に、理解できるよう、彼らの心に寄り添って、説明をします」
「……」
「これはアンジェリーナにはできない。そして、あなたにも出来ないのですよ、兄さん」
「ふむ、なぜだ?」
「あなたは、非現実的なことを述べても、説得などせずに周囲を従えることができる。なにせ、『予言者』なのですから」
「……はははは! まったくもって、その通りだ。まあ、色々面倒くさくて、そう思われる雰囲気を作りあげたことも否定しないが……」
「あなたは、『人が自ずから従う王』になったでしょう。僕は、『人を率いる王』になる」
「……それがお前の王道か」
「ええ。色々迷いましたし、これとは別な道を『これだ』と思って邁進しようとしたこともありました。けれど、状況がここに至って、僕はようやく、見出したのです」
リシャールは、剣をおろして「ふむ」と述べ……
「……答えにたどり着いたつもりになって、的外れなことに情熱を注いでしまうのは、若者の性質であり特権だ。だが、かつてのお前は、その『特権』を最初から放棄していた」
「まったくもって、その通りでした」
「失敗し、考え直し、見出して、邁進し、間違いだと気付き、また迷い……そうして、今のお前ができあがったというわけか」
「……」
「大きくなったな、オーギュスト。……誇らしい、俺の弟よ」
「…………兄さん?」
「そのお前ならばきっと、アンジェリーナ妃と、平和な国を創ることが適うだろう。冷徹で能力主義で、人の心に寄り添うことを忘れた国ではなく、平和で恒久に続く国を……」
砂嵐が黒髪を舞い上げ、リシャールの表情を隠す。
のぞきこむようにオーギュストが青い瞳を細めたけれど、そのころにはもう砂嵐が落ち着いていて、リシャールは優しい笑みを浮かべ、オーギュストを見返していた。
「オーギュスト、聞け。今、人類が立たされている状況は最悪だ。だが……あの莫大な魔力を持ち、獣を従え、死者を魔力で再構成し『魔族』にしてしまう魔王カシムに対抗する手段は、ある」
「…………兄、さん? なにを言って……」
リシャールは剣を空へ……ドラクロワ王国方向に向けて、
「空に路あり」
「……」
「クリスティアナ島の上空だ。……発見した周回では意味のわからない設備だったが、今なら、アレの意味がわかる。お前もきっと、この状況でアレを見れば察するだろう。……きっちり説明してやりたいところだが、あいにくと、そこまでの時間もない」
「…………」
「彼女の望んだ平和な世界を、お前に託そう。誰も傷つくことのない……というのはまあ、無理な話だが。せめて、目の届く範囲にいる人が傷つかないような、そういう世界を頼む」
「兄さんは……正気、なのですか? 魔王カシムに操られていない……?」
「俺はとうに正気じゃないよ。だから、こうしていられる」
「……」
「全軍を退かせろ。そしてお前はバルバロッサを待て。大丈夫だ。きっとすべてうまくいく。これは俺の願いであり、予言者リシャール最後の予言となるだろう」
リシャールが背を向ける。
……砂嵐が、おさまっていた。
オーギュストはその背に向けて無意識に手を伸ばしていた。
しかし、振り払うように、リシャールがマントをはためかせ、背中を向けたまま、
「楽しかったぞ、オーギュスト」
……砂にまみれるようにして、その姿が、消えていった。
「…………兄さん」
オーギュストは伸ばしていた手を握りしめる。
そのまま顔の前に持ってきて開いたけれど、そこには、砂が数粒あるだけで……
やがてそれも、こぼれ落ちて、無数の砂粒に混じって、わからなくなってしまった。
◆
バルバロッサが率いていた決死隊は全速力で駆け抜け続け、ついにラカーン王都にまで到着した。
当人たちが王都を目の前にして呆然としてしまったのは、想定していたような被害も激戦もなく、拍子抜けの感さえあるほどあっさりとここまで来られたからだろう。
王都に侵入成功したバルバロッサたちはなんの警備もない隠しドックにたどり着く。
地底湖につながる水路に一隻の船が浮かんでおり、それはまぎれもなくバルバロッサの所持する『船そのものが魔導具』の船であり、飛行という埒外の技術を体現したオーパーツであった。
だが……この船はそのオーバーテクノロジーゆえに、操船には才能ある者を必要とする。
カシムなどはこれを一人で動かす離れ業をやってのけたが、通常は貴族の中でも優れた魔術師を二十名から用意せねばならないし、それでも安定した長距離飛行は無理な代物だ。
「……このまま普通の船として地底湖を伝って海へ出るか、あるいは壊してしまうか……」
前者の場合、途中でカシムに捕捉されると厄介すぎる。
これを無事なままカシムに与えてしまえば、『空を飛ぶ無敵の魔王』が誕生するのだ。
しかし壊してしまうのはあまりにも惜しいとバルバロッサは思っていた。
直感というほどあいまいなものではないが、この技術は対魔王の戦で必ず役に立つ。現在、人類が魔王カシムに勝利できる目はあまりにも低く、そのために使える手札は多いにこしたことはないのだ。
「……どうしたものか」
「バルバロッサ殿下! 甲板でなにかが動きました!」
部下からの報告に、バルバロッサはすぐさま剣を抜いて投擲の体勢に入った。
しかし、彼の灰褐色の瞳が甲板にいる者の姿を捉え、慌てて剣を投げるのを留まることができた。
けれど意外な人物すぎて、さすがのバルバロッサもしばし言葉に詰まる。
そこにいたのは──
「あっ、アンジェリーナ!? 貴様、港町で避難誘導をしているはずであろう!?」
銀髪に赤い瞳の、小柄な少女……
眼帯と包帯装備が痛々しい(しかしケガはしていないはず)のアンジェリーナが、なんとも困ったような、気まずそうな顔をして、甲板からバルバロッサを迎えたのだった。
14章終了
次回更新締め切りは8月第3週です
出来次第投稿します