68話 ガレー船来航
クリスティアナ島には『お茶』を楽しむ文化がある。
もちろんお茶などどこにでもある。そもそもドラクロワ王国において『お茶会』というのは貴族になくてはならない催しだ。
しかしそういった『お茶会』は……
たとえば言外の意図を示すために調度品を置いたり、招待状の文面で話し合いの内容を示唆したり、あるいは『内部での話し合いは他言無用』という閉鎖空間を生み出すためだったりする『意図あるお茶』の会なのだった。
そしてなにより、お茶会はあまりにも『貴族のやること』というイメージが強すぎて、ドラクロワ王国においては民衆に浸透しているとは言い難い。
ところがクリスティアナ島において、当主一家やその傘下貴族はもちろんのこと、事務職も肉体労働職も、果ては浮浪児にいたるまで毎日決まった時間にお茶を飲む習慣がある。
そのためにお茶とお菓子 (とはいえ、甘いお菓子ではなく、賞味期限がそろそろ切れそうな軍事用保存食のビスケットなどだけれど)が配給されるほどなのだ。
クリスティアナ島民のお茶好きは大陸全体から見て奇異に映るほどであり、聖クリスティアナ王国が貿易封鎖によって降伏した背景には『お茶の供給を断たれたからだ』などという言説が、あながち冗談とも思えないぐらいの真実味を帯びて語られることもあるほどだった。
だからお昼を少し過ぎたこの時間、造船所で働く肉体労働者たちもまた、工房の隅に座ってお茶を楽しんでいた。
乾燥させた茶葉をグラグラと煮出した汁をヤカンで配り、カチコチに焼かれた保存食みたいなスコーンと一緒にいただくという茶会。
大陸の貴族に『お茶会をしているんですよ』などと言ってこの光景を見せたら、あまりのカルチャーギャップに怒り狂うか卒倒でもしかねない荒々しい茶会の中……
分厚い革手袋を横においた職人たちは、エプロンもとらず、くたびれて汚れ切ったシャツの胸元に手を入れてボリボリと作業で汗ばんだ体を掻き、その手でそのままスコーンを頬張って、他愛ない話をしていた。
造船所は海にほど近い場所にあり、あたりからはカモメの鳴き声と潮風が運ばれてくる。
なんの変哲もない午後、なのだった。
もちろん王さまが『曙光』を駆って朝早くから出て行ったことは雑談の中心ではあり、耳の早い者は隣の王さまの王子様が来ているらしいことは知っていて、それが噂の中心ではあった。
ただし政治的なニュースについて労働者がしたり顔で語ることも、自分なりの見解を述べることも、支持する王子について激論を交わすことも、あくまで『日常』なのだ。
それは『実際に王子様が島に来た』ということで多少の熱を帯び、その乏しい情報と彼らの持ちうる少ない情報を無理やりつなげてとんでもない結論に至ったりするのもまた、彼らが愛する『いつもの雑談』なのである。
彼らは政治に対して熱心に意見を開陳するのを趣味としているが、どこかで自分たちとは関係のないものと無意識に感じているところがあった。
なので詳しい情報や正しい結論などに興味はなく、仲間内でなんとなく賢そうな議論を交わして盛り上がったりすることにばかり興味を割いていて、『島に来ている王子』の実物にはたいして関心を抱かず、『王子が島に来ていること』という情報からの連想ゲームを楽しんでいた。
その彼らがざわつかされたのは、とある船が海上に見えた時だった。
その船は帆を張ってはいるものの、風を捉えて進んでいるにしては奇妙な動きをしており、その動作は多くの船を見てきた海近くの造船職人たちにことさら違和感を覚えさせた。
気になった職人がドックから出て波止場の方へ集まっていく。
人が集まれば、海に浮かぶあの船がなぜあんなにも違和感のある動きをしているのか、見抜く者も出る。
「ガレー船だな、ありゃあ」
それは王国で主流となっている帆船とは異なる思想で海を渡る船だ。
帆船はもちろん帆で風を受けて進む。
しかしガレー船は船艇部から生えたオールを漕いで進む。
もちろん風も利用するのだが、基本動力はオール……すなわち人力であり、オールが多いほど速度が出るのは言うまでもない。
それゆえにガレー船は二つの『速度を出す方法』が採用されている。
一つは『オールの数を増やすこと』。
すなわち船底部にある『動力室』により多くの人力を詰め込み、より多くのオールを設置し漕がせる。
とはいえ船のサイズを巨大にしては意味がないので、船のサイズを据え置きにしたままオールの数だけ増やすと、必然、『動力室』の人口密度が上がる。
環境は劣悪になり、ゆえに動力部勤務は身分の低い者に任せられる賤業とされていた。
もう一つは、『オールの質を上げること』。
魔道具のオールを、魔力を持つ者が操る。
もちろん魔力の高い者は身分も高い場合が多い。
すなわち『オールが少ないくせに速いガレー船』は、身分の高い者が動力室に詰めている船であり━━ようするに貴族の漕ぐ船ということで。
海上からぐんぐんと近づいてくるその一隻のガレー船は、どう見ても『貴族の漕ぐ船』であった。
船着場で野次馬をしている職人たちは、最初、その船の大きさと、それにしては少なすぎるオールの数と、そのくせ異常に速い点に着目した。
次いでマストの色が真っ赤であることと、掲げられた旗の意匠に気付いた。
そして最後に、ガレー船が充分に接近したころ、その船の舳先に片足を乗せて立つ人物が、どう見てもドラクロワ風でもクリスティアナ風でもない衣装をまとい、褐色の肌をした美しい青年であることにようやく気付く。
「おい、ありゃあ……『隣国』の王子様なんじゃねぇか?」
細かいニュアンスの話になるが……
クリスティアナ島の住民が『うちの国』と述べた場合、クリスティアナ=オールドリッチの領内を指す。
そして『お隣』とか『隣の国』とか『大陸の方』とか、親しみのある雰囲気で語った時にはドラクロワ王国を指す。
そして『隣国』とどこか硬い調子で述べた場合には、『香辛料とお茶の大国』を指す。
その乾いた暑い土地よりガレー船を駆って来た美青年は、自分の船が目指す波止場に集まった職人たちを見て、ニヤリと笑い、
「出迎え、ご苦労!」
この世のすべてが自分を歓迎しているのだと信じて疑っていないような、自信に満ち溢れた声で、
「我が尊声を耳にする幸福をくれてやろう! 我が名乗りを聞いたこと、末代までの家宝として語り継ぐがいい! 我こそは━━バルバロッサ・ラカーン! ラカーン王国の次期国王にして、貴様らの次の主人を娶る者である!」
波止場に集まった一同は、状況をつかめずにポカンとしていた。