64話 国家の広さ
船員たちが『馬上槍試合』の片付けをしている。
彼らはつい今しがた終わった試合について、すぐそばにミカエルとオーギュストがいるにもかかわらず、こらえきれないように、しかし声をひそめるように、話していた。
その内容はさすがに判然とはしないものの、会話をする人々の雰囲気から言って、そう悪いことは話されていないのではないかとオーギュストには思えた。
「はっはっは! いやあ、すごいな! 鎧にへこみさえないとは。さすがに少し、自信を失いそうです」
豪快に笑うミカエル・ラ・アルナルディはオーギュストの脱いだ鎧を検めて、感心したように言った。
……この笑い方、この話し方。
オーギュストはようやく思い出す。
この話し方は学園でのガブリエル……
ようするに、今、鎧のへこみを探すようにしげしげと鎧を軽そうに持ち上げて、あちこちからながめ、「ううむ、本当に傷の一つもない!」と言いながら鎧をぶん殴ってへこませ、「むおお!? しまった!」と慌てふためくミカエルの、義理の息子とよく似ていた。
似ていた、というか。
おそらくガブリエルのよそ行きの態度は、このミカエルのものをまねているのだろう。
ガブリエルの本質には重く暗いものがあるのをオーギュストは知っている。
学園でよく浮かべている快活にして豪放な笑顔も、少年っぽさも、彼なりの処世術なのだろうと、ようやく幼いころから見ていた、兄のような人の本質にまで思いいたることができた気がした。
「オーギュスト様」
……気付けば、位置関係が槍試合の時とは逆になっている。
のぼり始めた朝日は今、ミカエルの背後にある。
だからオーギュストからは、大柄で筋骨隆々のこの御仁の顔が、逆光になってよく見えない。
……こんな視界を用意してもなお負けたのだから、やはり地力の差が大きすぎるなと思い知らされるばかりだ。
オーギュストは彼我の間にある差に一瞬愕然としたけれど、気を取り直して、いつもの微笑で応じた。
「はい、なんでしょう?」
「あなたの試合に臨む態度には敬服いたします。また、あなたはあの試合の中で、ほんの一瞬だけれど、戦技に目覚められた。我が槍に突かれた鎧にへこみの一つもないのは、その戦技の効力なのでしょう」
「……僕が、戦技に?」
自覚はなかった。
戦技というのは、騎士が鍛錬に鍛錬を重ねた果て、ようやくたどり着く『その者の武の根源』のはずだ。
騎士家の者に比べればさすがに鍛錬量を誇れない自覚があるオーギュストが、自分の戦技の目覚めを意外に思うのは当然であった。
ミカエルは大きくうなずく。
「義息であれば、私との戦いを避けたでしょう。しかし、あなたは挑んだ。それが、あれが未だ戦技に目覚められず、あなたが端っことはいえ戦技にいたれた理由でしょうな。まあ、詳しいことはわかりませぬが!」
「……ははは」
「だいたいにして、義息は格上に挑む喜びを知らぬ。勝利などという結論にこだわるからそこまでの道に喜びを見出すことを知らぬのです。まったく、父親が『最強』などであれば、私なら毎日のように挑みかかっていることでしょう! なんともったいない!」
そうは言うが、オーギュストとしてはガブリエルの方の気持ちがわかるぐらいだ。
差を思い知らされるのは、やはり、つらいものがある。
それが勝ちたいと思って臨んだ勝負に敗北したあとであれば、なおさらだ。
毎日挑むということは、絶対的に『敗北』を重く捉えることをしないか━━
本当に『挑むこと』を日常にしてしまって、相対的に『敗北』がそう重くないか、どちらかだろう。
かつて武者修行で全国行脚をし、その活躍が戯曲にさえなっているミカエルはといえば、
「まあ、私であれば、父が最強であろうとも、七日もすれば追い抜くでしょうが」
……どうにも、敗北を知らぬ天才の方のような気がする。
オーギュストはこの御仁の天才性と豪快さに触れると、笑うしかなくなってしまう。
この御仁と同じようなノリで会話ができるのは、おそらく兄……リシャールの方だろう。
ミカエルはオーギュストの笑いをどう受け取っているのか、ぽんぽんと話題を変える。
「やはり我が領地は、リシャール殿下を支持するでしょう」
そう前置きし、
「けれど、私は、お二人とともに戦い……まあ、横に並んだか、向かい合ったかの差はありますが……ともに戦い、思ったのです。やはり、王位継承だのなんだの、政治的に重大なことに頭を悩ませるのは、向いていない、と」
「……ええと」
「王子などというくだらんしがらみを取っ払ってしまえば、二人とも将来有望な若者ではありませんか。先達として、性質は違えど有望な若者が芽吹く様子は好ましい。それをどちらを支持するだの、どちらを支持しないだの、家のためにはだの、将来を見据えてだの、まったくわずらわしい!」
少なくとも王子を目の前に言うことではない。
だが、ミカエルであれば許される。
いつまでも少年のまま━━『大人になれ』という圧力に、その武勇と人柄で抗い続けた最強の少年には、貴族社会は狭すぎるのだ。
「もうこの船は持っていきなさい。私があなたを気に入った。だから私からあなたに差し上げる。文句は言わせん」
その申し出は望外ではあったけれど、それだと、先ほどまでの勝負がなんのためにあったのか、いよいよわからなくなってしまう。
まあ、ミカエルは勝負の内容に満足さえいけば、因果はどうでもいいのかもしれないが……
オーギュストは『くだらんしがらみ』の中で王になると決めたので。
「申し出はありがたく存じます。けれど、そのご厚情は受けられない。なにせ、負けは負けなのです。人から『負けたくせに権力にものを言わせて船を奪った』と後ろ指差されかねない」
「むう……なるほど。そういうこともありますか。まったく、くだらぬ。本人たちが納得していればそれでいいではないか」
「そうもいかないのが社会というものです」年上に社会を説くことに不思議な気持ちになりながら笑って、「それに、ここまで乗せてもらえただけで、充分なのですよ」
「ふむ。…………む? おい! 誰かあるか! 物見せよ! 北西方向より気配が近付いてくるぞ!」
「……ええ? なにも見えませんが……」
「それはまあ、『気配』なのですから、視界にはまだ映らんでしょう」
遮蔽物のない海の上である。
そこにある気配を『視界に映る前に捉える』というのは、尋常ではない。というかまあ、異常だ。
やはり最強の騎士は規格外である。
船員たちがにわかに騒然とし、物見台にのぼり、北西方向を見る。
それでようやく、彼らは気付いた。
「報告! だ、大船団! 三十隻の船が我が方に近付いて来ます!」
「所属、編成、船型も言え!」
「ははぁ! へ、編成は『フェアリー型』四隻を従えた『サラマンダー型』が五隻! そして旗艦と思われるのは……わかりません! 見たこともない最新型の、真っ黒い船です! これもフェアリー型四隻を従えております! 所属は━━クリスティアナ=オールドリッチ家!」
「戦争でもする気か!?」
これにはさすがのミカエルもおどろいたようだった。
一方でそばにいたオーギュストは申し訳なさそうな顔で、言う。
「すいません、それはおそらく、迎えです」
それは、オーギュストの予定にある動きの一つではあった。
けれど予期していたのの五倍もの規模がある大船団のせいで、自信がない。
まさか自分が仕掛けたものがあわや戦争の引き金になってしまうのでは、とさすがに冷や汗を垂らした。
が……
「手旗信号! 『乙女』『そちら』『我ら』『迎え』!」
「アンジェリーナの迎えを僕が頼んだのです。途中まで払暁号で海に出るので、途中から拾ってほしい、と」
オーギュストが述べる。
すると、ミカエルは━━笑った。
「……はっはぁ! なるほど、なるほど! そういうことでしたか! ……ああ、面倒なしきたりもありましたな」
「ええ、まったくです。新品の船か、伝説ある船でしか行けない土地などと……」
だから、途中まで払暁号に乗せてもらった。
……本当はここらへんも『海の上、それも払暁号の上で決闘? おかしい、なにかを企んでいるに違いない』と疑われるだろうから、それをかわす予定だった。
しかしミカエルがなにも聞かずに決闘の場所を承諾したので、言い訳も説明もするタイミングがなかったのだ。
つまり━━
オーギュストは、船上の馬上槍試合を理由に、途中まで払暁号で送ってもらい━━
勝てればそのまま払暁号を進ませ、負けても途中でクリスティアナ=オールドリッチの船に迎えられ、『伝説のある払暁号で向かった』という実績を作るつもりでいたのだった。
迎えにかんしては、バスティアンに伝令を頼んであった。
……が、どういう伝え方だったのか、先方は三十隻という、おおよそありえない規模の大船団を率いて来たわけである。
バスティアンが大きく伝令をミスしたとも思えない。
……たぶん、『これだけ急な話でも、すぐに大船団を動かせるほどの力があるぞ』という示威行為であり。
あとは旗艦にしているらしい漆黒の船のお披露目のタイミングもうかがっていた、ということだろうか。
「……なんというか、僕の思惑をこうも続けて超えられると、やはり自分はまだまだ未熟だと思い知らされますね」
ミカエルはその強さと豪快さで、こちらの計略ことごとくを無に帰し……
クリスティアナ=オールドリッチはこちらの思惑にただ乗っかるのではなく、予想外の規模で乗っかって、示威などやってのけてしまう。
「これらを率いる王、か」
兄はもちろん強敵だ。
けれど、これらを従えるというのは、あの兄を超えただけで叶うものではないような気がする。
……挑んで初めてわかる、大きさ。
国家の広さを思い知らされて、オーギュストはため息をついた。