41話 求める『書』のある場所
仮説の問題点、その一。
そもそも、魔族は『発生する』ものだ。
ひと組のつがいがあって、そこから子が生まれて育つ、というようなものではない。
意思を持つ魔力が、魔族と呼ばれるものの正体だった。
にもかかわらず、『人族との子を成す』というのは、どういうことか?
仮説の問題点、その二。
魔王は人族との子の成し方を知らない。
つまり転生を決意し命を絶ったそのあとに、『魔王と勇者の子』が生まれたことになる。
これは、どうだろう、ありえるのかどうか、わからない。
そもそも前述の『人族との子を成す』やり方が解決されない以上、『ありえた』とは決して言えない。
仮説の問題点、その三。
仮に仮を重ねた上で、もしも魔王と勇者が王家の祖先にあたるならば、魔王の持っていた闇の魔力や勇者の持っていた光の魔力が失われている理由がわからない。
……また、現代には失伝している知識、技法、能力が多すぎる。
特に魔力を見る目を誰も持っていないというのは気になるものではあるし……これの理由もまた、わかってはいない。
……と、こうまで大きな問題点が、ちょっと考えただけでも複数思いつくのだけれど。
それでも、アンジェリーナの中の魔王は、王家が自分と勇者の子孫……的なものであることに対する確信がゆるがなかった。
「どうしてわからなかった……! そう、そうだ。一目見た時に気付くべきだったのだ! オーギュスト! エミール! ベルトラン! みな、みな━━勇者に似ているではないか!」
もっとも顔を合わせ、もっとも殺し合い、そして……
自分の最期を看取った者の顔だ。
気付くべきだったのだ。
……あるいは、アンジェリーナとして十年以上生きたあとでの復活でなければ、一目でわかった可能性もある。記憶、性格、認識……脳に植え付けられた『アンジェリーナの見ている世界』の影響は大きい。
だが、それよりなにより、もっともっと、気付くべきだったことがある。
「それに、リシャールだ! リシャールは、生前の我の面影を色濃く残している!」
「ええと……」オーギュストが戸惑っていた。「たしかに、王家には勇者の血筋も流れているという話もありますが……そもそも、神話においてさえ『魔王』は勇者の敵対者ですよ。最後には討ち滅ぼされています」
現代において、『魔王』は『古に存在した異民族の王』という解釈がなされている。
『勇者』とは、その異民族軍を討ち滅ぼした将軍に与えられた称号だ。
それが、『魔王』だの『勇者』だのの伝説を『歴史の資料』として扱う場合になされる、一般的な解釈だ。
それら知識を持つオーギュストの視点だと……
……たしかに、英雄的活躍をした将軍を、王家の中に迎え入れようというのは、流れとして納得できるし、そういった説があるのもうなずけるが……
それでも、いがみ合い殺し合っていたはずの『魔王』……『異民族の王』まで王家に取り入れるとは、とうてい思えない。
降伏した異民族に領地を与え従属させるぐらいはあったとしても、その血を王家に受け入れるとは、歴史書からうかがえる当時の価値観をおもんばかるに、ありえないと判断できる。
「アンジェリーナ、自分でも理解していると思いますが、君の仮説には穴が多すぎるし、なにより、『ベルトランが』『仮面について調べさせてほしいと述べた僕に』『仮面について調べさせることはできないと述べた上で』『これ見よがしに伝承集を残して部屋を去った』ということから考えると、無理がある。なにせ、それは、君の『魔王としての知識』がないとたどり着けない結論だ。僕が至れる答えではない」
「……」
「たしかに君は、自分が魔王であると言ってはばからない。けれど、僕がそうであるように、普通、そんなことは信じないんです。……たとえそれが事実としても、僕らが人にそれを信じさせるためには、現実的な解釈が必要になる。君の不可思議さを僕が信じず、そこに現実的なロジックを求めるのも、そういう時代性あってのものなんですよ」
その指摘で、興奮状態にあったアンジェリーナは、ちょっとだけ冷静さを取り戻したようだった。
包帯まみれの左手で、眼帯に隠れた右目を押さえる。
それは、『魔王』としての特徴が現れている部分を━━『たしかに自分が魔王だった』と証明する箇所に触れて、自分が間違っていないことを確かめるような、自分で自分を抱きしめるような動作であった。
けれどやっぱり、魔王の転生体というものに対して半信半疑の者からすれば、唐突に格好つけたようにしか見えないだろう。
そして、今の世界は、そんな者ばかりだ。
だからオーギュストの言うことは、わかる。
真実と現実とのあいだには大きな溝があって、人々になにかを訴えかけんとする時に重要なのは、現実の方、なのだ。
……だから。
自分だけは、自分を信じる。
興奮して叫ぶならば誰にでもできよう。けれどそれは、魔王の振る舞いではない。人に好かれる王であった記憶が、アンジェリーナに冷静さを取り戻した。
「ふむ。たしかに、我が説は検証のしようもない。……ならば、ベルトランがオーギュストにその資料を残した意味の方は、なんだと考える?」
「わかりません。察しが悪いと言われてしまえば返す言葉もありませんが……ベルトランはおそらく、今の僕になにかがわかるような資料を置いたわけではないのだと思います。これはきっと、今ではなく、後年になって、『あの時のことは、そういう意味だったのか』とわかるようなもののような気がするのです」
「……我も同じ意見だ。秘するべきは秘した上で、可能な範囲で情報を落とす……『お詫び』としてはそのぐらいが落とし所であろう。なるほど、我の仮説は立証できぬ。オーギュストの述べるところの『現実的なロジック』はつけられぬ」
「はい」
「今のところ、仮面の謎もそのままだ。我らはオーギュストの語る『エミールが出店を半壊させた件』について、『エミールがかわいすぎた』という結論で今のところ納得せねばならん」
「ええまあ、その、それはどうなんだという話にも思えますけどね、今となっては……」
つまり、なにもわからず、疑問が増えただけだった?
━━いや。
そうではない。
だから、アンジェリーナは笑って言う。
「だが、世の中には隠された『不可思議』が実在すると確信できた」
「……」
「しかも、王家とそれに連なる者が隠そうとしている『不可思議』だ。そしておそらく、オーギュストの曽祖父の代で発見された『事実』が隠匿されているのであろう。水の都を王家の者に管理させるようになったのがその時期で、ここの領主であるベルトランは━━この領地を任される王族は、確実になにかを知っている。関連性を疑わぬ方がおかしい」
「そう、ですね」
「ようやく探すべきものが見えてきたな」
アンジェリーナの笑みには、獰猛さのようなものさえ宿っていた。
この表情だけでも『ただの貴族令嬢ではない』と思わせるに充分なほどの、隠れていた獲物のニオイを嗅ぎつけた肉食獣が牙を剥くような笑みだ。
オーギュストはその表情を見て、あまりに淑女らしからぬのに苦笑し、
「探すべきもの?」
「王家が隠している情報。そこに、光属性や闇属性が消失した理由。魔族が『最初からいなかった』とされた理由。そして……リシャールの『ループ』や、エミールの『魅了』、さらにはヴァレリーの『乱心』の理由までもが、あるやもしれぬ」
「……」
「散りばめられていた謎の答えがある方向がわかったのだ。心が湧き立つのは仕方なかろう」
「……なるほど、たしかに」
「……しかし……問題もある」
「まあ、問題だらけのような気がするのですが……なんでしょう、今取り沙汰したい問題というのは」
「我はそういった『過去の失伝』に対し、存外大きな興味があるようなのだ。端的に言えば、つぶさに知りたい。だが……それを知るには、おそらく、王位が必要だ。水の都領主ではきっと足りぬ。すべての情報に接続するためには、王位がいる」
「そうでしょうね。特殊な都市とはいえ、いち領主の権力が王より大きいということはないでしょう。権力の差は、そのまま、アクセスできる情報量の差です」
「だが、我はオーギュストの自由のための王位獲得を手伝うつもりであり、そこに私欲が混じることはまかりならんと思っているのだ。ゆえに…………どうしよう」
「…………君はなんていうか、本当に、妙なところで小さくなりますね……」
オーギュストは苦笑してしまう。
今度はアンジェリーナが首をかしげた。
「し、しかしだな……さんざん迷惑をかけた詫びとして協力している以上、そこに我自身の目的があってはよくないと」
「君が求めるならば、僕は君に王位を捧げますよ。……そもそも、欲しければ自分で獲るとまで言っていませんでしたか? なら、君が立てばいい。僕に遠慮などせずにね」
「……そうだったな。その方法について、我は明かしておかねばならん。我が己の力のみで王位を獲る方法について」
「……まさか本当にプランがあるんですか?」
オーギュストは根拠のない自信である可能性を考えていたので、おどろいた。
そして自信だけでも、たしかにアンジェリーナなら王位ぐらい獲るだろうという信頼があったのだ。
アンジェリーナは言いにくそうに、
「うむ。……魅了の魔眼を使い、闇の魔力を使えば、闇属性が『ない』とされ、魔力を見る眼を持つ者もいない現代において、人間社会で権勢を奮うことは難しくないと考えている」
この長期休暇で様々な貴族と顔合わせもしたことだし━━とぽつりと付け加えて、
「ただし、多くの者が『闇属性』を『ない』と考え、魔力を見る眼を持たぬとしても、それはすべての者がそうだという話ではあるまい。我のやり口に対抗できる者もいよう。そういった者は……殺すしかない」
「……」
「わかるか? 我が王位を望むならば、そこには血が流れるのだ。ゆえにこそ、我はその手段を取りたくない。魅了によりいくらでも『手駒』を増やし、我に対抗できる者がいなくなるまで、我に魅了された手駒どもを消費し続けるなら、消耗戦になる。その果て、我は不毛の荒野で王になろう。それは望まぬのだ」
「思ったより恐ろしいことを考えていたんですね、君は」
「そうだ。これが我の考え方だ。『自分を戴かぬ者に価値を見出さない』『自分を戴くのならば自分のために身命を賭して当然』という、まことに人間らしい考え方よ」
もしも、アンジェリーナが魔王としての力のみに目覚めていたならば。
その力を奮うことを容赦はしなかっただろう。
だが……
今述べたやり方は、最短にして最小の労力で王位を獲るためのものであり、きっと成功するであろうと、今まで得た知識や体感を思い出して、確信できる。
それでも、なぜだか、最終的に破滅させられそうだという予感がある。
……どうしてだろう、貴族の学園に転入してきた平民であるエマの顔がちらつく。彼女が自分の前に立ち塞がるような予感━━いや、既視感じみたものがある。
「……ともあれ、今の我はその手段を取りたくない。というか、あくまでも知識欲を満たすために、そこまでするのはどうかと思う」
「たしかに」
「なので、なんだ、その……ねだってもいいのか、王位、というか、それにより得られる知識を。興味がないとか、私利私欲のためではないとか、あくまで応援したいだけだとか、そういうようなことをさんざん言ったような、言わなかったような、気がするのだが……」
「構いませんよ。状況が変わっていますしね。……いや、僕はね、正直、嬉しいんです。だって、君がようやく、僕になにかを求めてくれたから」
「……オーギュスト」
「改めてここに誓いを。あなたに王位を捧げましょう、アンジェリーナ。他の誰でもない。この僕がね」
オーギュストは大仰に礼をした。
アンジェリーナは視線を逸らして、小さな声で「うむ……」と述べた。
その遠慮がちで恥ずかしそうで、でもしっかりと『欲しい』という意思が見えた顔に、オーギュストは微笑みを向けた。




