4話 穏やかな午後に
十四歳の誕生日というのは、貴族にとって大きな意味を持っている。
貴族の子女は十五歳になる年に学園に通うことになっており、そこから成人までを学園で過ごす。
そのあいだはパーティーの手配なども自身で行うのが通例とされていた。
だから、十四歳の誕生日は、子供として親に祝ってもらう、最後の誕生日となるのだ。
「我は権力闘争に関心がなかったものと見える。オーギュストのおかれた状況について、知る機会はいくらでもあったはずだが、このあいだ聞いた話はすべて『初耳』という印象であった」
オーギュストはアンジェリーナの家に通う回数が増えた。
……十歳にしてレディとしての振る舞いを求められる貴族界隈において、男女が気安く顔を合わせたり、ましてや足繁く相手の家に通ったり、というのはあまり良い顔をされるものではない。
だが、オーギュストはアンジェリーナの家にかなり気軽に来るようになっていたし、アンジェリーナの両親も彼を喜んで迎えた。
……両親は娘にかなり甘い様子なので、『娘が喜んでいるなら』と思っているだけの可能性もあるが……
知識としての『貴族の常識』と現状とのあいだには、かなり、齟齬を感じる。
そうやって考えていくと、見逃せない不自然な出来事が他にもあった。
「そもそも、王族と、上級貴族の令嬢との婚約というのは、そう簡単に、破棄したり思い止まったりできるものなのか?」
アンジェリーナの家の庭園にはサロンスペースがあって、そこでは風を感じ、花の香りに包まれながらアフタヌーンティーをとることができる。
お茶とお菓子を給仕させたあと使用人を遠ざけ、アンジェリーナはオーギュストにつらつらと質問していた。
……もっと色っぽい話題とか、もっと社交的な会話とか、そういうものもあるのだろうけれど。
オーギュストがこうして家を訪れる頻度が多すぎて、気を遣った話題作りなど、早々にあきらめざるを得なかったのだ。
金髪碧眼の貴公子は、ただお茶を飲むだけの動作で一葉の絵画めいた美しさをかもしながら、まずはいつもの笑みをアンジェリーナに向ける。
その整った顔の造作を相手がたっぷり堪能するだけの時間をおいてから、口を開いた。
「君は本当に、権力闘争に興味がなかったようですね」
「興味は今もない。が、知識をつけておく必要性を今は感じ、反省し、己を改めているところだ」
「……いいでしょう。では、簡単に状況を説明しておきますか。まず━━僕と兄とのあいだで、王位継承権争いがある。僕らはそれぞれを擁立する派閥に、『王になれ』とせっつかれているわけですね」
「うむ」
「そして、この闘争を、父も母も、静観しています」
言われてみれば、そうだ。
そもそも、現在の国王が次期国王を指名していたならば、そのような闘争は起こりようが……起こりようはあるが、起こりにくいだろう。
「つまるところ、陛下は現在の状況を黙認していると?」
「ええ。黙認というか、よほど血生臭いことにならない限り、推奨するでしょうね。なぜなら、父もそうして王位をとったもので。この継承権争いはね、僕のおじいさまの代ぐらいからの、新しい伝統なんですよ」
「ふむ。……腐敗を防ぎ、指名制による『後進の油断』を防ぐ目的か」
「おおむね、その通りです。継承権を争う僕らは、望むと望まざるとにかかわらず、己を鍛えるしかない。……そして、派閥の地盤固めもまた、王子たちがその意思でやるべきだ、というのが方針なわけです」
「そういう話か」
「もうわかったんですか? ……アンジェリーナは、もう少し察しが悪い子だと思っていました」
「……いや、そうだな。最後まで聞くか。人はおしなべて無知である。我は『魔王』としての前世があり、そこで定命の者どもの権力闘争についてもある程度は学んだが、あくまでも古い話。まして今生の我はそのあたりの問題に興味もなく、知識もなかった。まずは一手御指南いただくというのも、一興か」
オーギュストは優しい笑みを浮かべてうなずき、
「では、続きを話しましょう。君の家は、王国でも指折りの名家です。その娘を取り込むことは、僕が大きな後ろ盾を得ることになり、すなわち派閥の強化につながる。だから僕は、僕の判断で、君の家を後ろ盾にすることにした。それは王子に許された『権力闘争のための判断』の範疇なんですよ。いちいち余人の許可はいらず、すべては僕の判断で行われます」
「つまるところ、貴様は我を権力のために利用せんとしたわけか」
意外なしたたかさに、アンジェリーナは笑う。
利用された身としては嘆いたり傷ついたりするべきなのかもしれないし、これまでのアンジェリーナならば金切声をあげて抗議をしただろう。
だが、弱々しいだけと思っていたオーギュストの意外な強さを、今のアンジェリーナは好ましく思った。
の、だが。
「━━というのが表向きの、派閥の人たちを納得させるための理由でして」
「……」
「実のところ、僕は君につきまとわれすぎて、心身を病みかけていたもので、これは婚約でもしないとおさまらないなと思い、逃避行動として婚約をしたわけなのです」
「……それは、その、すまぬことをしたな」
「いえ。……悪いのは僕ですよ。君を黙らせるために、君に嘘をついた。そして先日、君と一緒にいることがつらくて、また君をもてあそんだ。婚約も破棄も、僕が僕の意思で、つらいことから逃れるために、君を利用しようとしたうえでのことです。責めを負うのは、僕の方です」
「……」
「安心してください。僕はもう、逃げません。君にさえも、立ち向かっていきますから」
穏やかなだけだった青い瞳は、こうして時たま、闘志をその中にたぎらせるようになった。
そのたびにアンジェリーナは胸をおさえて、思う。
(フハハハハ! これが、この気持ちが、『恋焦がれる』というものかッ……!)
肉体に乙女が実装されているのを感じる。
血潮がめぐる。これこそが━━恋!
アンジェリーナが憧れ、魔王が理解できなかった想い!
「そういえば」
と、『今、思いついた』と言わんばかりの何気なさで、オーギュストはつぶやき、
ティーカップを置いて。
口調とは裏腹に真剣な目でアンジェリーナを見つめ、
「君は、このまま婚約が続行し、結婚して、僕が王位を得たのち、王位を捨てたとして、僕の妻のままでいてくれますか?」
(なるほどな)
アンジェリーナは、その懸命に『なにげなさ』を装った真剣な問いかけの意味を理解し、
「安心せよ、我が友オーギュスト。我らが友情は永遠不滅。前世においてなにかの縁があったと言われたとて受け入れられるほどのものだ。貴様がどのような立場とて、この誼が消えてなくなることはない」
「……えーと」
「ゆえにこそ、妻だの夫だの、そういった関係性に縛り付ける必要はない。貴様は貴様で、伴侶に『これは』と思う者を選ぶがよい。これまでの我のように、幼い嫉妬に狂い、それを阻んだりなどはせぬ」
「うーん………………まあ、はい。少しばかり僕に都合のいいことを言ってしまいましたね。さすがに、どうかしていました」
「なにを苦しむ? 我は我の問題行動を認めた。貴様は貴様の弱さを認めた。今は互いにこれを克服せんとしているところだ。我らは対等の友であろう」
「すみません、僕はまだ、未熟なようです。判断がつかないことがありまして」
「なに、判断など往々にして後々に正誤の判別がつくものよ。目の前のものが正しいか誤っているかなど、誰にもわからん。我らにはなにもかも足らぬゆえにな。で、あるから━━我らはじきに、学園へ通い、学ぶのであろう? 少しでも誤らぬ人生のためにな」
「……そうですね。まだ、僕らには時間がある。同級生として、学園で生活するうちに、きっと、判断がついていくのでしょう。それに━━僕は君の、婚約者ですからね」
「うむ?」
「誰にも君を奪われることがない。それだけは、安心していますよ」
「……やれやれ。王器の持ち主と思ったが、存外、寂しがり屋なのだな。我が誰と誼を結ぼうとも、貴様との友情が減じるわけでもなかろうに」
「ええ。そういうふうに思っておいてください。今はね」
そう言うオーギュストの青い瞳は、みょうに挑戦的に猛った光を帯びていた。
それがアンジェリーナの胸を締め付け、心中で高笑いして、恋の実在を実感させるのだ。
……午後に入ったばかりの日差しはまだ暖かい。
少しだけ会話が途切れたあまりにも穏やかな午後に、転生した魔王はあくびをかみ殺し、わずかな眠気と、人生を感じた。