表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王は何度も繰り返す  作者: 稲荷竜
六章 隠された『書』
36/122

36話 エミールという少年

「あの、兄さまがこちらにいらっしゃるとうかがったのですが……」


 遠慮がちな声はまだ声変わり前のような甲高さをともなっていて、それだけでは男性なのか女性なのか判別つけ難い。


 オーギュストが「いますよ。どうぞ」と招くとおずおずと扉が開かれて、背の低い人物が入ってきた。


「やあエミール、こんな夜更けにどうしました?」


 オーギュストが優しい笑顔を浮かべて迎えると、エミールは半開きのドアにしがみつくようにしながら、ちょっとだけ顔をうつむかせた。


 エミールはここ『水の都』の領主夫妻の子であり、オーギュストからすると、いとこにあたる。

 その容姿はオーギュストによく似ている。髪は金、瞳は青。ただしオーギュストよりももっと女性的な容姿をしていて、十三歳という年齢を思っても、かなり小柄で細い少年だ。


 綺麗な長い金髪の毛先をもてあそびながら恥ずかしげにうつむき、チラチラと上目遣いでこちらをうかがう様子などは、庇護欲をよく刺激する。


 ハーフパンツからのぞく細く白い脚をすりあわせ、ようやくエミールは用件を切り出した。


「あ、あの、明日に演説が迫っていて、お忙しいのは、わかっていますけど……そのあと、ぼくにお時間をいただけませんか? いっしょにお祭りを回りたいのですが……」


 エミールという少年はリシャールよりもオーギュストに懐いているようで、この家に逗留してからというもの、遠慮がちにオーギュストに視線をやり、しかしオーギュストが忙しそうにしているために声をかけずしょんぼりと立ち去る、というような様子が幾度か見られていた。


 アンジェリーナでも気付くぐらいにあからさまな様子であったのだけれど、オーギュストはなぜか気付いていなかったようで、これまでエミールのことが話題にのぼることはなかった。


 そんな遠慮がちなエミールを見て、アンジェリーナは思う。


(……バスティアンといい、エミールといい、オーギュストは『自身の価値を低く見積もりがちな者』を吸い寄せる香りでも出ているのか?)


 たしかに、リシャールと比較すると、オーギュストの方が人当たりもいいし、優しそうに見える。


 リシャールはたしかに有能なのだが、その苛烈な仕事ぶりと迷いのなさが顔に出てしまっているせいか、自分に自信を持てない者を遠ざけるようなオーラが醸し出されているのだ。


(この差異はなにかの武器たりうるか……)


 アンジェリーナがそんな考察をしている目の前で、オーギュストは困ったような笑みを浮かべて、


「うーん、明後日ですか……まだこの街にはいますが、どうでしょう、自由時間はとれるかどうか……」


「……そ、そうですよね……すみません、お忙しいのに、無理を言ってしまって……」


 エミールはあからさまにしゅんとしている。


 少女のようにかわいらしい少年がああも肩を落としている姿は、見る者に『どうにか慰めてあげなければ』という強迫観念を起こさせるようだ。

 アンジェリーナも自分の中に『なんとかしてあげたい』という気持ちがわきあがっているので、驚いた。


「……なぁオーギュストよ。せっかくの親類の者の頼みだ。無下にすることもなかろう」


「僕としても遊んであげたい気持ちはあるのですが、時間がとれるかどうかわからないというのは、いかんともし難いものがありまして……」


「明後日の予定は街の有力者へのあいさつ回りぐらいであろう? 我が名代を務めてもよいぞ」


「……いえ、まあ、君もしっかりした振る舞いもできるので、申し分はないのですが……やはり僕が顔を見せると見せないとでは、先方への本気度の伝わり方が違うというか。ああ、そうだ、それでしたら、アンジェリーナ、君に代わってほしいことが」


「なんだ?」


「君がエミールと遊んであげてください」


 オーギュストがまったく悪意なくそう言うもので、アンジェリーナはおどろいた。

 おどろいてエミールをうかがえば、『え?』という顔をしている。


 どう見てもエミールは『オーギュストに』遊んでもらいたがっている。

 それはアンジェリーナから見ても明らかなのだが、オーギュストはこれにまったく気付いている様子がない。


(馬鹿な……この我が、オーギュストよりも敏く人心を把握しているだと……?)


 困惑する。


(どういうことだ?)


 もしもアンジェリーナの動揺が第三者に見えていれば『そこまで不思議がらなくても……』というように感じる者もあるかもしれない。


 しかしアンジェリーナは長らく『他者の感情の機微』に疎い人生を送ってきた。

 疎いというかそれは『歯牙にも掛けない』とか『価値を見出していない』とか、そういう方向性の話だ。


 幼いころから他者の感情をかんがみることのなかったアンジェリーナは、今でこそ気をつけてはいるし配慮も始めたが、どうしても、習慣的に『他者の心情』というのを推し量るのに一手か二手足りないところがある。


 だというのに、その自分(アンジェリーナ)よりもオーギュストの方が察しが悪い事態に直面してしまったのだ。おどろきもする。


「オーギュスト……エミールはな、貴様と━━」


 さすがにアンジェリーナはなにかを言おうとする。


 けれど、その前に差し挟まれる言葉があった。


「あ、ありがたく、アンジェリーナねえ様に遊んでいただきます!」


「なん……だと……」


 うめくような声が出る。

 助け舟を出そうとしたら船頭を川に突き落とされたようなものだった。


 オーギュストはにこやかにうなずき、


「ええ。僕の婚約者で大貴族のご息女ではありますが、今のアンジェリーナは話しやすいと思いますよ。……アンジェリーナも、すみませんが、大丈夫でしょうか?」


「い、いやあ……我はまあ、構わぬが……」


「ありがとうございます。……ああ、そうだ。いちおうエミールは学園入学前の子供とはいえ、来年には入学する微妙な年齢です。遊ぶ際には君たちも仮面を被っておくことをおすすめしますよ。……とはいえ、お祭りで遊ぶなら、そもそも仮面は必要不可欠なものではありますが」


「…………そうだな」


「ああ、話が見えていませんね? 僕という婚約者がいるのに、子供とはいえ異性と二人で遊ぶのは、通常であれば世間から白い目で見られる行為なのです。まあ、僕は君たちを信頼しているので問題には思っていませんが……ですが、この祭りでは、仮面さえ被ればすべてが許されます」


「すべてが許される?」


「ええ。たとえ醜聞となる逢瀬があろうと、祭りの期間、仮面を被って行ったことならば、慣例的に許されるのです。……いやもちろん、そんなことはないと思っていますよ。僕はあくまでも世間の目の話をしています。特に君にではなく、君のお付きのメイドに、『主人の名誉は傷つかない』という解説をしているつもりです」


 アンジェリーナが視線を転じると、お付きのメイドのララがハッとした顔になり、視線を下げた。


 オーギュストは笑い、


「主人の名誉を重んじるのは素晴らしいことですが、彼女はちょっと過保護かもしれませんね。……よほど心配であれば、エミールには我慢させますが……」


 たしかにお付きメイドのララの警戒心は異常なレベルではあるが、これはこれで理由がある。

 主人のアンジェリーナへの婚約を破棄したりまた戻したりしつつも、公式に婚約続行が互いの意思である発表をしない第二王子……

 その第二王子の婚約者であることをわかりつつ婚約者に指名した上に、夜にアポイントメントもなくいきなり部屋を訪れようとした第一王子……

 エミールの父は第二王子(オーギュスト)第一王子(リシャール)の父の弟であり、すなわち、エミールにも『そんな王族』の血が流れているのだ。

 ララの立場で警戒するのは至極当然と言えた。


 ただ、たしかに学園入学をもって『子供』を卒業し、『大人に向けての見習い期間』に入るのが貴族の通例だ。

 まだ入学前の子供を相手にそこまでの警戒をするのがやりすぎと言われればその通りなので、社会通念をかんがみて声高に反対するわけにもいかない。


 だから、メイドのララはアンジェリーナを見た。

 その視線はどちらかと言えば断ってくれるのを願うものだ。


 しかし、


「まあ、仮面を被るだけで充分な配慮になると、他ならぬオーギュストが言うのであれば、よかろう。貴様の名代として祭りを回ろうではないか」


 お嬢様〜! と声にならない声が上がった気がした。


 エミールは「ありがとうございます」と丁寧に礼を述べ、部屋を去って行く。


 しかし、ドアを閉じる前に見えた背中は、どことなく寂しげなものであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ