24話 言い訳
相手が汗をぬぐい身を清めるのを待ち、そのあいだに部屋をとり、お茶をお菓子を用意する。
先ほどガブリエルとともにお茶をしたばかりで、またお茶会だ。
これは貴族がお茶会大好きだとかそういうことではなく、整えた『場』によって招待される側の置かれた立場を相手に示すという文化があるからだ。
仮に、オーギュストがヴァレリーに『罪を犯したので罰する』と伝えにきただけならば、こんなふうにもてなしの準備は行わない。
話を聞く姿勢があり、こちらはそちらを悪いように扱いたくはない、というメッセージを、『部屋とお茶とお菓子』という場の設定により、暗黙のうちに示しているのだ。
また、お茶やお菓子の種類、ランク、それに使用する家具や茶器、席順にもそれぞれ細かいメッセージがこもる。
今回は、丸いテーブルを用いて、背もたれのある、クッション付きの椅子を用意した。
椅子には四つとも違いがない。
オーギュストがもっとも部屋入り口から遠い場所に座り、その隣にアンジェリーナが着く。
そしてもっとも部屋の入り口に近い席にはヴァレリーが座り、その隣にエマが配置される。
エマとヴァレリーを隣り合わせるのが大きなポイントで、これは『どちらの話も等しく信頼する』という意味合いがある。
だが平民のエマをヴァレリーより入り口から遠くに置くことで、ことさら『二人の身分を同等に扱う』というメッセージ性を強めている。
これは、直前までに手に入れている情報で、『どうにもヴァレリーは平民に思うところがあるのかもしれない』という疑いがあるためだ。
しかし、席に着かされたヴァレリーは恐縮しきりであり、震えている。
平民がどうこうというものが腹にあるようにも見えず、ただ、自分のしでかしたことの重さに震えている、という印象だった。
このお茶会の主催はオーギュストであるので、最初に、オーギュストが口を開く。
「まずは体育祭直前のお忙しい時期に、お時間ありがとうございます。急拵えではありますが、心尽くしのおもてなしを用意させていただきました。席を共にできる幸運に感謝し、互いが満足して帰路に就けるよう、言葉を尽くしましょう」
と、言ってオーギュストがお菓子を口に含み、お茶を飲んだ。
それを合図に全員の飲み食いとおしゃべりが許可され、お茶会が始まるのだ。
(……しかし、茶会というものの仕組みを軽く説明されてから見ると、ほとんど大魔術の儀式のようであり、魔術の詠唱のようだな……)
ものの本によればそういった魔術は現在では廃れ、ほとんどやられなくなっていると言われている。
儀式魔術の効果は思い込み━━ようするに現在学問として残っている四大属性のような実在の魔法ではなく、闇属性や光属性同様の『実際にはありえないもの』とされているのだ。
(なにものかの意図で光属性、闇属性、儀式魔術などが歴史から消し去られているのだとすれば、貴族の茶会作法の中に秘伝としてやり方が残っていても不思議ではないな……)
こう、踊りの中に武術の動きを隠すようなニュアンスで。
茶会の作法はそれぐらい複雑だ。
さて、正式な茶会であれば、ここから当たり障りのない雑談があり、タイミングを見計らって本題に入る、というような手順があるのだが……
学生の間では、そういうのはたいてい省略される。
それに加えて、
「貴様、先ほど、不自然なことを口走っておったな?」
アンジェリーナがそういう『ゆったりした感じ』をあまり好まない。
ヴァレリーはビクリと身をすくませる。
女性としては大柄だったはずの彼女は、今やアンジェリーナより小さく見えた。
それはアンジェリーナが背もたれにたっぷり背中をあずけ、肘掛けに派手に体重をあずけ、脚を組んでふんぞり返っているから、というだけが理由ではない。
真っ白い学園制服姿になったヴァレリーは、わかりやすく萎縮しきっていた。
顔は蒼白で、さきほどから震えが止まっていない。
(話を聞く以前に、鎮静をかける必要があるか……)
心に働きかけるのは、闇属性の領分だ。
闇属性はその基本魔法を催眠とするように、精神へ影響する魔法を多くもっている。
その多くは相手が警戒していたり緊張していたり、または激怒していたりすると効果が発揮されにくい。
そこで、闇属性を持って生まれた魔王は、ある程度相手の心を落ち着けて魔法にかかりやすい状態にする魔法を開発していた。
その魔法を鎮静と名付けている。
だが……
(オーギュストが、我の魔法にかかりやすすぎて、オーギュストを目標とせぬただの鎮静でも、どこまでの影響を受けるのかがまったく読めぬ……)
このあいだ、凶行を働きかけたガブリエルを止めようとしたことがあった。
その時に魔眼を通して催眠をかけたのだが、ガブリエルを対象に選んだにもかかわらず、たまたま視界に入ったオーギュストの方がよく眠ってしまったのだ。
闇夜の中を唐突に現れたアンジェリーナに対して、凶行を狙っていたガブリエルは警戒し、偶然知り合いを見つけたと思ったオーギュストは警戒しなかった、というだけかもしれないが……
その時の印象のせいで、アンジェリーナの中で、オーギュストは闇魔法を使う際に余波によって想定以上の効果にかかりかねない要警戒対象になっている。
(というか、オーギュストはすべてに対して警戒をしなさすぎるのが問題よな)
アンジェリーナは転生しても魔王なので、凶行前のガブリエルの態度に奇妙なものを感じ、いちおう警戒し監視していたから、事なきを得た。
オーギュストは『ピリピリした感じ』に鈍すぎる。
バスティアンあたりがもっと積極的にオーギュストのそばにいればもう少し安全なのかもしれないが、当時のバスティアンは弁当の提供ぐらいでしか忠誠を示せないと自信を喪失していたし、そこまで求めるのは酷だろう。
(この警戒心のなさは、自己評価の低さゆえ、という気配がある……こやつもこやつで、屈折した男なのかもしれん……)
ともかく、オーギュストに影響しそうな距離で闇魔法を使うのには、ためらいがある。
困っていると、
「あの」
エマが口を開く。
ヴァレリーは、自分が今ここに呼ばれている理由である平民の『転校生』に声をかけられて、ますます震えた。
そんなヴァレリーを、エマは━━
撫でた。
「……え?」
ヴァレリーが目を丸くする。
エマは笑って、
「安心してください。ここに、あなたの敵はいません」
「……」
「私は実は、全然事情というか、背景みたいなものを、わかっていないんですけど……でも、あなたがなにかをしてしまって、それをみんなでどうにかしようとして集まっていることだけは、ちゃんとわかっています」
「……」
「オーギュスト様も、アンジェリーナ様も、あなたを救いたいと思って、ここにいるんです。あ、もちろん、私もです! 私のせいで死刑になんかなってほしくないですから!」
「あの、だから、そこまでの罪ではないんですよ」
オーギュストが苦笑して注釈する。
声を発したからだろう、ヴァレリーの視線がオーギュストに向いたので、そのまま言葉を続ける。
「すみませんね、ミス・ヴァレリー。このお茶会は、あなたの糾弾のために開かれたわけではないのです。あなたを責めるような席次にはなっていないでしょう?」
「……あ」
そこで初めて、お茶会の席次や家具、茶器などが目に入った、という様子だった。
……貴族的な『メッセージ』は、細かい家具配置や席次などで相手に『察させる』文化だ。
もちろん、貴族たる者、常にそのぐらいに冷静で、周囲のことを認識する余裕があるべきだ━━というのはある。
だが、それは理想論だ。『そうあれかし』と望み、目指すべきではあっても、あらゆる状況で『そうでなければならない』と強要するものではない。
「……僕も、まだまだですね。礼儀作法を叩き込まれてはいるのですが、人の心に寄り添えていない」
「オーギュスト殿下が反省なさることなど、なにもございません!」ヴァレリーが腰を浮かしかけながら言う。「悪いのは、わたくしなのです」
「君は僕を殿下と呼んでくれるのですね」
「え? は、はい。あたし━━えっと」
「楽にしていいですよ」
「……あたしは、ガブリエル様の認めたあなた様にお仕えする身です。今回のことも……きっとお疑いでしょうが、リシャール様に取り入るためにあなたに恥をかかせようと画策したなどと、剣に誓ってありえません」
先ほどの演舞の動きが思い起こされる。
質実剛健で無駄のない流麗な動きは、ヴァレリーが『強さ』を志して人生の多くの時間を費やしたということを充分に感じさせた。
ヴァレリーにとって『剣』とは、人生そのものなのかもしれない。
少し不器用なところを感じさせるオレンジ髪の少女は、普段は快活なのであろう顔に子供じみた不安さをのぞかせて、
「……ただ、本当に、わからないのです。ミス・エマをお迎えにあがり、オーギュスト殿下のもとまでお連れするという大役を授かっておきながら、ふと……ああ、そうだ。なぜだか、急に、ミス・エマをご案内していることを忘れ、気付けば放課後で……なにごともなかったかのように、剣術部に行ってしまったのです! 午後の授業に出なかったことさえ、まったく気にも留めずに!」
「貴様は我がクラスメイトであったな」
アンジェリーナが口を開く。
その確認があまりにも当たり前のことを聞きすぎていて、ヴァレリーは虚を突かれたように「はあ」と返事をするしかできなかった。
アンジェリーナはうなずき、
「であれば、貴様のその凶行、我のせいやもしれん。我が魔王の魂に付随する闇の魔力が溢れ出した余波により━━」
「アンジェリーナ? どうしました?」
オーギュストが首をかしげた。
いつもなら満足するところまでぺらぺら語りきるアンジェリーナが途中で言葉を止めたのだから、気になりもしよう。
アンジェリーナは片手を突き出して思考時間を確保してから、
「……我のせいではないやもしれん」
「ええ、まあ、そうでしょうけど……」
「いや。そもそも、我が闇の力の余波は、そんな、人をまったく意図せぬ方向に操作するほどの力はない。意図してそのようにさせることは、不可能とは言わぬが、我は断じてそのような、人の意思を軽んじる魔力の使い方はせぬ」
ガブリエルの中には、最初から『脅威は暗殺してでも排除すべし』という選択肢があったようだった。
バスティアンは心にたまっていたものが最初からあって、吐き出すきっかけが必要だっただけだ。
もちろん人の心は複雑怪奇だ。すべてを見通せるわけではない。が……
「魔が差してから、我に返ったあとで、自分の行動の不自然さを自覚できぬなどということは、ありえん。その症状は誰かが意図して魔法により精神を操ったとしか……」
「えーっと」オーギュストが困ったような顔をしている。「ようするに、今回、君の見立てでは、ミス・ヴァレリーには情状酌量の余地がないということ、ですか? 君が『我のせいだ……』というように彼女をかばうつもりになれないと」
「人を不当にかばったことなどない。我のせいゆえに、我のせいだと述べるだけだ。宣言が必要ならば改めて言うが、我は、ミス・ヴァレリーの罰を減じさせよう側にある。そもそも……オーギュストよ。ミス・ヴァレリーの話を聞いてみて、あきらかに不自然な行動を己ではないなにかの意思によりとらされていた気配自体は感じるであろう?」
「そうですね。でなければ、彼女はよほど人の心理に通じており、演技もうまいということになります。なにせ、あんな、言い訳にもなっていない言い訳を並べて、そういうこともあるかもしれないと僕に思わせるほどですから」
「しかし、ミス・ヴァレリーはたぶん、演技がヘタクソだぞ」
「あの、貴族令嬢なのですから、もっとこう、更紗に包んだ物言いはできませんか?」
「衣着せぬ方がよかろう。言葉にせねば伝わらんことは多い」
「……まあ、そうですね。でも、もう少しこう……」
「ともあれ、ミス・ヴァレリーの話に対する、我の所感はこうだ。彼女は嘘をついておらん。それゆえに、なにか超常的な━━この現代においては与太話と一笑に付されるような力が、実際に働いているのを感じる」
「……そうですね。まったく馬鹿げた結論になってしまいますが、僕もミス・ヴァレリーの証言が嘘だと思うぐらいなら、超常現象を信じたいような気持ちですよ」
「しかし、ガブリエルに『ミス・ヴァレリーは不思議な力により貴様の指示を無視したのだ』と言っても、あやつは認めんだろうな」
「……自分と身内に厳しいですからね」
「あの」
と、声をかけたのはヴァレリーだった。
オーギュストとアンジェリーナの注目がいっせいに集まって、少し身をすくませたが……
彼女は、言葉を続ける。
「あたしが言うのもなんですが、どうして、そこまであたしの言葉を信じてくださるのですか? ……こんなめちゃくちゃな……しかも、こうして言葉を交わす栄誉を賜るのは、今日が初めてと言ってもいいぐらいなのに……」
「クラスメイトなのにおかしな話ですよね……」「まったくだな……」オーギュストとアンジェリーナがうなずく。
「あ、いえ、それにはちょっと、こちら側の事情もありまして、その……ガブリエル様から、第三者的立場で、お二人の様子を見ておくよう言われておりまして、それで接触を避けていたと言いますか……」
「さすが、ガブ。抜け目ないですね」
オーギュストが感心したように述べる。
するとヴァレリーは慌てて、
「そうではなく! ……監視とか、そうではなく、ガブリエル様は、派閥を移られる際に、ご自分の支持者を引き抜こうとはなさらなかったのです。我ら自身の目で見て、リシャール様か、オーギュスト殿下か、どちらを支持するか決めるようにとおっしゃってくださいました」
「ああ、なるほど……」
「でも、あたしには『どっちが王位にふさわしい』とか、全然わかりませんので、ガブリエル様を信じ、ガブリエル様が主としたオーギュスト様を主とすることにしたのです。王子様の違いと言われてもよくわからないっていうか」
「こやつ、嘘とかつけんのかな」「君に近しいものを感じます」アンジェリーナとオーギュストがひそひそ言葉を交わす。
「でも、あたしはそんなんですし、王位継承権争いでお役に立ったこともなければ、お二人と親しくしていたわけでもない……ミス・エマにだって、むしろ嫌われて然るべきという仕打ちをしました。なのに、どうしてみなさんは、あたしを助けようとしてくださるんですか……?」
「……どうしてでしょう?」エマがオーギュストを見ながら首をかしげた。
「……どうしてですかね?」オーギュストはアンジェリーナを見た。
「決まっていよう」
アンジェリーナはアゴをあげてふんぞり返り、脚を組み直して、
「我のせいだと思ったからだ!」
と、堂々と述べて、
「……しかしどうにも我のせいではないな? うむ、わからん。助ける? なぜだ? 動機が消失してしまったぞ、困ったな……」
「えええええ⁉︎」
ヴァレリーは叫んだ。お茶会に参加する貴族としてありえない振る舞いだが、そこにそんなことを咎める者はいなかった。
アンジェリーナはしばし考えてから、
「まあ、『困った』と感じるということは、助けたいということであろう。もうなりふり構わん。ミス・ヴァレリー。貴様も知恵を出せ。どうにかうまい言い訳を見つけて貴様を助けるぞ」




