12話 第一王子と魔王
「はっはっはっは!」
人払いをした第一王子の執務室に大笑が響いた。
昼下がりだ。
昼食を口実にリシャールと二人きりの場を作り、自分が犯した暗殺未遂とその顛末を語ったとたんに大笑いされたもので、ガブリエルは当惑するしかない。
リシャールは長い黒髪を揺らしながら、顔をおさえて肩を震わせている。
もう片方の手は『笑いがおさまるまで待って』とばかりにこちらに突き出されており、ガブリエルは笑いの真意を聞くことさえできず、リシャールの大爆笑が終わるのを待つしかなかった。
高級なテーブルを挟んで向かい側にいる主は、ようやく笑いの波がおさまったらしい。
顔をあげ、手袋をつけた手で目もとをぬぐい(泣くほど笑っていたようだ)、
「そいつは、面白い展開になっているな!」
黄金の瞳をカッと見開いて、心の底から楽しげに言った。
ガブリエルは主のこんな様子を見るのが初めてで、どう応じていいかわからない。
リシャールはなにごとにも倦んでいるような印象の青年だった。
笑ったり、怒ったりと感情をあらわにすることがまずなく、たいてい、すべて『最初からわかっていた』という様子で応じる。
その予言でも聞こえているかのような様子は、一部では神のごとく崇拝され、一部では恐れられている。
……そのリシャール第一王子が目を輝かせて大爆笑しているのだから、崇拝者が見たらあまりの神性のなさに卒倒しかねない。
「いやあ、それにしても、意外だ。アンジェリーナ嬢は、本物の魔王らしい!」
「……まあ、ただの言動が痛い女の子というわけではなさそうだが……転生だの、魔王だの、闇の魔力だの、出てくる言葉がいちいち大仰というか、その……創作娯楽じみていて、どうにも信憑性が薄いというか、緊張感がたもてないというか。なんだ、リシャールはそういうのを信じる方か?」
「なんだお前、唐突に眠らされたとか言ってなかったか? そいつはたしかに、闇の魔力による魔法の一種にも思えるぜ?」
「馬鹿を言うな。煙状にした薬でもかがされたと考えた方が現実的だ。それに、魔法だというなら、オーギュストまで眠らせずともいいだろう」
「じゃあ、お前が損得勘定を忘れて暗殺に走ったことについては? そいつは闇の魔力の影響を疑うぐらい、突飛な行動に思えるが?」
「ミス・アンジェリーナの慈悲にすがって、己の狂気の責任をわけのわからないものに押し付けるほどには落ちぶれていないつもりだ」
「なるほど、なるほど。そういう理もあるか。だがなあ、俺は案外、真実だと思うぜ。アンジェリーナと魔王というのは、実のところ、縁が薄くないんだ。実際、あいつが『魔王』と呼ばれる『力の塊』に支配される展開も、なんどかあった」
「?」
「いやいや。まずいな。興奮していらないことをしゃべってしまう。……ふぅー……とにかく、なんだ、高飛車にして傲慢、わがままで勝手。家格と容姿以外に褒めるところの見当たらなかった、あのアンジェリーナ嬢が、お前とオーギュストの心を掴んだということだ! 国のためを思えば、いいことじゃないか!」
「……掴まれた、というのかな、あれは」
「案外、これが正史なのかもしれん。アンジェリーナ嬢が覚醒し、オーギュストを支え、情けない弟がその実力で王位を得て、国を作っていく……うん。なるほど、俺は立ち塞がるべき敵という役回りになるな。思えばそれは、やったことがなかった」
「どうした? 今日のお前はミス・アンジェリーナのようだぞ」
「はっはっはあ。いい日だなあ、今日は」
「……大丈夫か? 俺は、オーギュストの側につけと脅されているのだが。おかしくなったお前を見捨てていくのはなんともしこりが残るな」
「つけつけ! 卒がないだけで夢もないつまらん弟であったが、今のオーギュストならば少しは面白い。お前とアンジェリーナ嬢がいれば、俺に勝るかもしれん。もしもお前が過去のことで俺に恩義を感じているならば、今こそが返しどころだ。弟を立派な王にしてやってくれ。まあ━━」
リシャールは黄金の瞳を細め、舌なめずりをし、
「━━それでも俺は、簡単には負けてやらんがな」
「……リシャール。お前は結局、なにが目的なんだ? 俺は、お前が王位継承を心から目指しているものと思って、ついてきたが……」
「王位が最終目的であるならば、誰の助力もいらんさ。そんなものは自分の実力だけでどうにでもなる」
「……じゃあ、なんなんだ。お前はなにを目指している?」
「『終わり』だよガブリエル。俺はそのために必要な条件を満たしたいだけさ。そして今回は、オーギュストの対抗者をやろうかなというところだ。だが、それはそれとして……」
「?」
「あまりにも面白いようなら、俺がアンジェリーナ嬢を娶るというのもアリかもしれん。人生はとかく退屈だからな。彼女が俺の景色に彩を加えてくれるやも」
「……やめろ。オーギュストはかなり本気のようだぞ。ミス・アンジェリーナがあまりに気づかないので、横で見ていてじれったいぐらいだ」
「おっと。では、やはり、しばらく接触は控えておくか。どうにも今の俺は、アンジェリーナ嬢への興味を抑えきれん。この状態で出会ってしまえば、勢いで口説きかねん」
「……向こうも拒否しなさそうだしな。かく言う俺も、伴侶候補に誘われた」
「ぶわっはっはっはっは! すごいなあ! こんなに楽しいものか、人生! とうに飽いたモノクロの絵画に色が加わっていくかのようだ! そうだ! お前とアンジェリーナ嬢が結婚するなら、祝いとして、俺から城を進呈しよう!」
「やめてくれ」
「城には『オーギュスト城』と名付けるか!」
「やめてやれ!」
「素敵だ。……いいなあ。これだよ。見なかった展開だ。願わくば、これにさえ飽きる前に、俺の人生が終幕に向けて進んでくれることを望む。━━ああ、こんな、うららかな日に、さっさと死を迎えたいものだ。『次』のない、完全なる死を……」
希望に満ちた顔で、噛み締めるように言う。
かつてリシャールを殺そうとした暗殺者としては、複雑な顔をして黙り込むしかなかった。
◆◆◆◆
学園に戻り、生徒会室へと向かう。
もう今日の授業はすべて終わっている時間だった。
……リシャールには報告とおうかがいだけするつもりだったのだが、色々仕事を押し付けられるうちに、すっかり時間が経ってしまったのだ。
生徒会室に入る。
アンジェリーナの背中が見えた。
つい、言葉を失い、見入ってしまう。
開いた窓からは風が吹き込み、真っ白いカーテンを揺らしていた。
机に腰掛けてその風を受けるアンジェリーナは、長い銀髪を揺らし、夕暮れの光を受けてその輪郭を赤くしていた。
「む」
アンジェリーナが首を奇妙に曲げて振り返る。
鮮血のような赤い瞳がこちらを捉え、思わず心臓が跳ねるような感覚があった。
(……まさか、俺は見惚れていたのか?)
ガブリエルは己の胸をおさえて、自分の鼓動の意味を自己分析する。
しかし答えは出ずに、心拍数は徐々に戻り、けれど、ある一定よりも下には下がらない。
「リシャールの返答はどうだった?」
出迎えのあいさつもなく、アンジェリーナは切り出した。
なぜだか動揺しながら、応じる。
「あ、ああ。オーギュスト様の陣営に俺がつくことに、殿下は大賛成だった。あなたにも興味を示していたよ、ミス・アンジェリーナ」
「ふむ。なるほど、興味を持って観察したことはなかったが、リシャールもまた王器を持つ者やもしれんな。我が誕生日にも招かれていたはずだが……惜しいことをした」
「……なあ、あんたは……結婚相手に求めるのは、その王器とかいうものなのか?」
なにを聞いているんだろう、と言った瞬間後悔した。
アンジェリーナが伴侶に求める条件などどうでもいいはずなのに、それでもつい、聞いてしまった自分が理解できなかった。
アンジェリーナは考え込んで、
「いいや。王器は王に必要なものであり、我が伴侶に必要なもの、というわけでもなかろう」
「しかし、あんたは王妃になりたいんだろう?」
「ん? ああ、たしかに、魔王としての我が目覚める以前までのアンジェリーナは、その立場にいたくご執心であったようだが……」
「今のあんたは、違うのか?」
「王位など、望めば己で獲る。権力の座としての王妃という立場など、我は求めぬ」
「じゃあ、なにを求めるんだ」
「…………ふむ。言語化は難しいな。戦乱。屍山血河の中に我が生はあった。長い長い時間を戦いに明け暮れ、多くを殺し、また、仲間も多く殺された。そういった中で我が切望したのは、ただ生きて、ただ死ぬだけの生よ。けれどそれは、無為でよいというわけでもあらず……」
「わかりやすく言ってくれ」
「……ふぅむ……おお、そうか、そうか。そういえば、あったな。この世界には、我の望みを端的に表す言葉が」
「だからそれはなんなんだ」
「━━『青春』」
「……」
「我が望みは、青春の謳歌である。人に好かれ、人を好き、世界の命運より遠い場所で、戦いに明け暮れることなく、精一杯に生きる。その果てに━━」
アンジェリーナが机から降りる。
そして、こちらを振り返って、
「━━こんなうららかな日に、愛する者たちに囲まれて、死にたい」
「……」
「それこそが我が望みよ。……うむ。詳らかに言語化するのは、なかなかどうして、面映いものがあるな」
顔を逸らして咳払いをする。
ガブリエルは、しばらく動けなかった。
一瞬だけアンジェリーナが浮かべた笑顔が目に焼き付いてしまって、それに見惚れて、呼吸さえ忘れていた。
しばらくして、ガブリエルはくしゃりと笑う。
「やっぱりさ」
「なんだ?」
「……あんたと、リシャールを会わせることはできない。あんたたちは、きっと、相性がよすぎる。出会わせたが最後、誰も割り込めないよ」
オーギュストも。
……そして、自分も。
「そう言われると興味もあるがな。……ともあれ、自分から接触することはなかろうよ。なにせ、我は学園生活で忙しい。生徒会に正式所属して『黒』の制服を手に入れねばならんし……王宮に参上する機会も理由もあるまい」
「そうかい。まあ、がんばってくれよ。生徒会長として期待してるぜ」
「存分に期待するがいい。今年の選挙もな」
「……本気でやるなら、それが俺の、オーギュスト陣営における最初のでかい仕事になりそうだな」
「言わなかったか? 我が不真面目な瞬間など、一瞬たりともないと」
「そうだったな」
吹き込む風を感じながら、笑い合った。
……ああ。
始まりの季節が終わっていく。
こうして過ごしていくうちにきっと、もうじき、暑い季節が来るのだろう。
……ふと。
あの懐かしい、ねばつくような暑気と、沼沢地の臭いが鼻をかすめた気がした。