第116話 彼女の願い
数度の繰り返しを経る中で、魔王の魂はすっかり削れてしまった。
魔王は『ある一定期間』……リシャールにかけられた『願い』が達成されるかどうかの可否が出るまでの期間を、延々と繰り返すことになった。
そこに魔王の意思はなく、魔王の目的は関係がない。
何度も何度も繰り返す。
記憶は戻ったり、戻らなかったり……
力は削ぎ落ちていくばかりで、記憶が戻る時でも、欠落はどんどん大きくなっていった。
すでに自分がこの時代にいる使命さえも忘れ果て、強大だった力は見る影もなくなっていった。
彼女を削っていったのは、『願い』だった。
ここより先の時代、彼女の記憶としては過去にあたるその時代で、勇者が魔王にかけた願い……
リシャールの幸福を願い、愛する人がきっと幸せになるようにとエマがかけた願い……
数々の幸福を志す願いが、彼女を削り落としていった。
勇者がかけた『魔王が消えてしまわないように』という願いが、彼女を狭い器に押し込め、使命さえ忘れさせてしまった。
エマが言葉さえ発せない状態で心の底から抱いた無垢なる願いが、リシャールに様々な憶測をさせ、迷走させていった。
それら無言の思いやりを、思いやられた当人はわからないまま、自分の身に起こり続ける『謎の現象』について考察をせねばならず、そのせいでずいぶんと遠回りをすることになった。
……ついに力を失い果てた魔王は、記憶だけを断片的に思い出すことになる。
あらゆる『大きすぎておさまらないもの』が削り落とされた結果、『魔王』としての信念だけが彼女には残ったのだ。
善意と願いは彼女たちを導かなかった。
数々の、生存や幸福への願いがあった。愛しい人のために捧げられた想いがあった。
それが彼女たちをずいぶん遠回りさせてしまったけれど……
けれど、彼女たちがいる場所はまぎれもなく、数々の願いの先であり、旅路の終着点に間違いない。
◆
魔王はすべてを思い出した。
それは小さかった肉体の器が広がったがゆえの奇跡だった。
肉体の器、などと表現をしたものの、このメカニズムについて魔王はよくわかっていない。
ただ、窮屈さがなくなった、というのか。とにかく削られていた自分という存在が、多少なりとも……もちろん十全ではないまでも戻ってきたのを、感じたのだ。
あの、ここより未来の時代でも何度か記憶が戻りかけるような、あるいは力が戻っていくような感じがあった。
その共通点というのは……どうなのだろう、わからない。
人間的成長、と乱暴にまとめてしまってもいいのかもしれないが、一概にそうとは言えない感じもあるし……
とにかく──
アンジェリーナ・クリスティアナ=オールドリッチが生まれるよりはるか前。
まだドラクロワ王国という名前の国家はなく、そもそもクリスティアナ王国さえもがないような時代……
未来、ドラクロワ王国ができあがる土地で、アンジェリーナは記憶と力を取り戻すことができた。
そして、『アンジェリーナ』の願いも、受け取った。
魔王とは『願った誰かのためになる』という機能である。
それは本来、『大地の願い』を叶えるための存在として生まれた『魔族』ゆえの機能だった。
誰の願いにでも応えるが、願いの優先順位は力の強さによるのだ。
すなわち、もっとも多くの魔力をよこす存在の願いに応えるだけのものであり、そうして人よりも『大地の魔力』ははるかに強い。
よって魔王・魔族は大地の願うまま、人を滅ぼすべく戦いを続けた。
けれど、この魔王は、本人さえも知らないことではあるが、半分、人だった。
それゆえに願いの受諾優先度が、ただの魔族とは異なる。
……つまり、魔族としての彼女は、人格を持ってしまったがゆえに壊れてしまったのだった。
あとに残るのは、弱い者の願いでも叶えようという意思を持つ者で……
弱い者……魔力的に弱い者の願いに応えたところで、魔王は存在維持に必要なだけの魔力をまかないきれない。
つまり、この魔王は、自らの死に向かって突き進む欠陥を抱えた生命体だった。
手段を選ばず役に立つだけという存在は、己の存在という最低限保持すべきものさえも手放す異常個体になってしまった。
そして異常個体は、ついにもう一段階の異常を獲得した。
「とりあえず、オーギュストを探すか」
未来から過去に来た意味。争い続け平和を遠ざけ続ける同胞たち。
初代魔王を倒さねば未来のどこかで大地の上から生命体が消え果てるという予想を覆そうという使命感。勇者との約束──
それはもちろん、大事だけれど。
それ以上に、とりあえずオーギュストに会いたい。
遡行に遡行を繰り返した過去の世界。
そういう意思で彼女は行動を開始した。




