第113話 魔王と勇者の物語3
築き上げる同胞たちの屍。
『これなら最初から、自分が闇の魔術で同胞たちの意思を縛り、傀儡としてしまった方がよかったのではないか』と幾度も思った。
けれど同胞たちは人が近くにあらばなんの疑問もなく『これをどう滅するべきか』と考え始め、その行動を闇の魔術で縛ろうとも、『人を殺す』という本能に逆らえる者は誰もいなかったのだ。
魔王の掌握力より上位に『大地の意思』の強制力がある。
だから同胞が人を襲うことは前提として勇者を鍛えねばならない。
魔王は、一番最初にあった大いなる矛盾にようやく気付いたのだ。
『自分の行為で滅ぼす魔族を、少しでも守りたいと思っている』
最後に待つのは滅びなのだから、そのように思ってしまったのがそもそもの間違いなのだ。
目的を達成するためには不要な感傷だった。そんなことをしても自己満足以外に得られない、まったく無駄な配慮なのだった。
どんどん魔族を費やして勇者を鍛えなければ、そもそもこの行為自体が無駄に終わり、散っていった同胞たちは本当に『散っただけ』となる可能性もある。
何せ魔族や魔王に寿命と呼ぶべきものは存在しないが、人は未だに寿命や老化というくびきに囚われているのだ。ちんたらしていたら寿命という大いなる力が勇者の心臓を握りつぶすかもしれなかったし、それは寿命ではなくとも、病気とか、そういうものさえ、彼の命を奪うかもしれなかった。
勇者育成計画は性急ぐらいでちょうどいいのだ。
……仮に失敗しても、『次の勇者』を待つ程度で、いい、はずなのだ。
だが、魔王は命を失わせるたびに己の心が痛むのを感じた。
それは無視できない痛みだった。
こんなことで、本当に、『初代魔王』を消し去って、この大地に生きる人たちをただ減らすだけの現状を根本から変えることができるのだろうか……
不安に思いつつも、もはや、止まれない。
覚悟を決めたフリをして、同胞たちを操って、それを生け贄として勇者を鍛え続けた。
情けない子供であった勇者は危機を乗り越え勝利を重ね成長していった。
……そして、数多くの同胞を殺したすえに、ようやく、勇者は、充分な力を備えて魔王のもとへとたどり着いた。
彼から充溢する魔力は大規模な時間遡行さえも可能とすると魔王に確信させたし、その道筋たる『術式』はすでに魔王のもとにある。
ゆえにこそ、目の前に迫った勇者に、魔王は言うのだ。
「我が味方となれ、勇者よ。ともにこのくだらん争いを終わらせるのだ」
「断る!」
それはそうだ、というやりとりだった。
◆
しばらく、信頼を得るための時間が必要だった。
勇者とその仲間たちは魔王を倒そうとした。
だが、魔王は彼らよりも強かった。
……というより、勇者以外の仲間たちが、魔王の闇の魔術に対抗できなかったのだ。
それゆえに戦いは『人質戦法』になり、魔王が勇者の仲間たちを操る限りにおいて、勇者は魔王に手出しができなかった。
心証が悪いのだが、これ以上無駄な犠牲を出さないためには最善の手である。
勇者は魔王に要求する。
「仲間たちを解放しろ!」
魔王は勇者にこう答える。
「ならば、我が要求に応えるのだ」
勇者は端正な顔をゆがめて苦しげにうめく。
「……何を要求するつもりだ」
魔王は傲岸不遜にあごを上げて、こう答える。
「我が話し相手となれ」
意味のわからない要求に勇者は不審がったが、仲間を操られ人質にされている彼に断る選択肢はない。
また、『魔族に味方して人を滅ぼす手伝いをしろ』などと言われるよりはずっとマシでもある。
こうして勇者は魔王の話し相手となった。
◆
言葉を尽くした。
不器用に茶会などもした。
魔王城はかつて大きな人の王国の王が住んでいた場所であり、そこには様々な『歴史的資料』があり、過去の生活をうかがわせるものも数多くあった。
あたりを砂漠に囲まれたこの場所は水の確保が大変だったようだが、魔族には関係がなかったし、魔王にも関係がなかった。
ただし勇者たちは『暑くても死ぬ』『寒くても死ぬ』『飢えて死ぬ』『乾いて死ぬ』という脆弱なる生命体なので、これの世話には多少の気を払わねばならなかった。
魔王は資料に基づいた『王侯貴族へのもてなし』を勇者に行なったが、勇者はとにかく居心地悪そうで、あまりこちらの歓待の意思は通じていないように思われた。
最初のうちはそうやってぎくしゃくしながらだったが、次第に互いに慣れてくる。
慣れ、というか……
こんなふうにグダグダしているあいだにも、魔族は人を襲っているし、人はそれに立ち向かっている。
話し合いしか手段がないのなら、話し合いによって戦うべきだ──
『慣れ』よりは『焦り』と『使命感』が、勇者を魔王との話し合いに前のめりにさせた。
「俺に何を言いたいんだ」
「前々から語っている通りだ。貴様の力で、『始まりの魔王』を倒したい」
「そんなことをして、お前になんの得があるんだ」
「現在長く続いている争いに、違和感を覚えぬか? 我らはこのままでは共倒れになる。我ら魔族は大地の意思によって人を滅ぼせと強要されているが……人の側にも、『自分より高位の者の意思によって戦わされている』と思う瞬間は、ないのか?」
勇者は沈黙した。
彼は素直に表情に感情が出る男だったから、その沈黙は魔王にとって『答え』も同然だった。
「いるのか」
「……でも、神殿で祀られている女神様は、俺たちに光の加護を与えてくれてるんだ」
神。
大地。
自分たちを争わせているものたちは、その名前も姿も不明だった。
いや、それは自分たちの認知力の問題なのだろう。文字通り次元が違うその存在を定義する言葉を持たない自分たちが、自分たちにもわかるように『神』だの『大地』だのという呼び名をあてはめているだけにすぎない──
「それらのために、絶対数が減らされ続け、いずれは絶滅しようとしている状況をどうにかしたいのだ。頼む。そのために貴様の力で、我を過去に送れ」
「……お前が行くのか」
「魔族の『始まり』を滅すれば、魔族や我そのものが消え去ろう。であれば、それは我が役割である。王として、種族を畳む責任をもたねばならん。ゆえに頼み込んでいるのだ」
「……頼み込んでるって言うけどさ……」
「……なんだ」
「あんた、態度でかいな……」
そこで勇者の顔に浮かんだ笑みは、彼が初めて魔王の前で見せた『素の表情』だった。
魔王は「む」と神妙にうなる。
「態度がでかいのか」
「でかい。教皇様みたいだ」
「その教皇も態度がでかいのか」
「そりゃあ、人の中で一番偉いお方だからな」
「では、我も魔の中でもっとも偉い。ゆえに、態度がでかくてもよかろう」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
それは今までになかった『どうでもいい雑談』だった。
中身のない話自体はこれまでもしていたが、そこには探り合いというか、緊張というか……
勇者の側に、『こちらの情報を出さずに相手の情報だけを抜けないか』という目的が常にあった。
だが、今は本当に、なんでもない会話だった。
魔王は、この『なんでもない会話』をことのほか気に入った。
このように話せる相手が今まで一人もいなかったことが理由であろう。
魔王は自分を他の魔族と同様に『発生したもの』と思っているが、その半分は確かに人なのだ。
長年無視され続けた彼女の『人としての部分』が、他愛ない雑談を喜んでしまうのはしかたのないことだった。
まだ勇者は協力してくれなかった。
だが、交渉は前に進んだ。
……理を尽くし。利を示し。それから時々、他愛ない雑談をした。
いつしか勇者の仲間たちも人心操作から解放され、それでも魔王と勇者の会談は続いた。
そうして長いような、短いような……
魔王にとって『終わるのが惜しい』と思うような時間のあと。
「わかった。お前の計画に乗ろう。ただし……ここから、俺の仲間たちを無事に帰してからだ」
「全面的に協力する。そのためにはいくつかの芝居がいるな」
魔王と勇者は、手を結んだ。
……魔王の旅は、そうして始まったのだ。




