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魔王は何度も繰り返す  作者: 稲荷竜
十七章 夜明け前の暗闇に
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第108話 誓いの言葉

 なんて風の強い夜なのだろう。


 ひそやかに逃げ出した。手をつないで飛び出した。

 この時代の旅は自殺行為だった。けれど彼には魔物を狩る手管も、山で過ごす知識もあった。

 領主軍から逃げながらの旅路になるだろう。発覚までは遅ければ遅い方がいい。

 村長にはスノウが体調を崩して寝込んでしまったと言ってある。看病をするから近寄らないでほしいと言えば、村長はあっさりと信じ、しばらく村仕事をしなくていいとまで言ってくれた。


 肌寒い夜だ。スノウにはマントをかぶせてある。重い、肌触りが悪い、とわがままを言うけれど、前でしっかり合わせたそれを脱ぎ捨てるようなことはなかった。


 村から離れるのは順調にいった。

 山の中に入って一休みする。


 夜の山は危険な領域だった。けれど人の危険性の方こそ警戒しなければならない彼にとって、平地よりもよほど安全な場所に思えた。

 柔らかい黒土と葉のしげった木々のあいだ、虫の声はやかましいほどで、スノウはそれらを黙らせるよう彼に命じた。


 無理に決まってると笑った。冗談だと思ったけれどスノウはあながちそう思ってもいないようだった。

 けれど彼が補足すれば━━どうして『山の中の虫の声を止めるのは、とてもできないことなんだ』という補足がいるのかはおいておいて━━スノウはしばらく不満そうに色々言ったあと、「寝床に近付けないで」と言って寝息を立て始めた。


 それもまあ、無理だ。


 翌朝目覚めたスノウの顔の真横に虫がいて、なぜか彼が怒られてしまった。

 そういうものなのでどうしようもないけれど、彼は謝った。笑って、謝った。いくらでも、謝った。

 それこそ代替行為だったのかもしれない。両親。姉。謝ることさえできないままいなくなってしまった家族たち。謝る筋合いもきっとなかった。謝ることさえ傲慢なほど無力だった。

 それでも、謝りたかった。

 ……腹を括れば、姉を、両親を守って、逃げることぐらいできるのだと。そのぐらいの実力はあるのだと。そういう自分でいたかった。


 謝りながら、逃避行は続く。


 現実的な思考は三日も経つころにはスノウが限界を迎えて帰りたいと言い出すだろうと思った。そして強硬に引き返そうとするとも。

 ところがスノウが『帰りたい』と言い出したのは逃げた翌日でこれは外れてしまったし、強硬に帰ろうとすることは七日経ってもなかったのでこちらも外れてしまった。


「わたくしが生きるためにはね、ふかふかのベッドと、たくさんの召使いと、いい茶葉をたっぷりのミルクで煮出したお茶と、それから甘いお菓子がたくさん必要なの」


 スノウはいつでも怒っていたし、いつでも愚痴っていた。

 きっとその生活を自分は提供してやれない。彼は謝罪し、けれど少しでももてなせるように努力をした。


 十日経ってもスノウの文句は尽きなかったけれど、それだけの日が経ってもスノウは村に戻るとは言わなかった。

 それに『彼が嘘をついて自分を連れ出しただけで、あのまま領主の館に行っていれば、本当は理想とした生活が手に入ったのだ』ということだって言わなかった。


 そんなに自分を信じてくれるのは、なぜだろう。


 ほんの雑談のつもりでたずねた。


 するとスノウは長い長いため息をついてから、答える。


「わたくし、人の嘘がわかりますのよ」


 話はそこから長く続いた。

 その結果、『嘘がわかる』は正しくない表現だったことがわかる。


 スノウは『偽装』に敏感だ。

 人が何かを隠している気配というのか、真実を語っていない気配というのか。

 ほんのわずかな沈黙、視線の動き、言葉選び……そういったものから、人が言葉と本音のあいだに『何か』を挟んでしゃべっているのがわかってしまうのだった。


 スノウは『それ』をたいそう嫌っていて、そういう連中ばかりに囲まれている状況をとても嫌悪していた。


 だから、スノウが彼について来たのは。


「あなただけが、嘘をついていなかったからです」


 嘘━━『偽装』。


 真実を隠したままスノウを『領主のもとに行かせる』とだけ述べた村長。

 スノウの美しさを讃えながら『領主の好みだ』と語りつつ、その『好み』が『愛人として好み』ではないことを語らなかった徴税官。


 あとはスノウの美しさを見て『数年後には自分の嫁に』と思って話しかけていた男たちのことなども、気に入らなかったようだった。


「たくさんの『嘘』に囲まれて生きてきたような気がします。召使たち……お父様、お母様……そのような感じの人たちが、常に『本音』と『言葉』のあいだに一枚の薄紙を挟みながら語りかけてきたような、そういう印象が……わたくしはそれが嫌で嫌でたまらなくって……」


 記憶は戻っていない様子だったが、なんとなく自分がどういう育ち方をしたかを察している様子ではあった。


 スノウはきっと、いいところの生まれなのだろう。

 ……けれど、彼女の育ちは、そう特殊でもないように、彼からは思われた。


 人は誰しも嘘や隠し事をして生きている。それは他人に対する害意ゆえのものだけではなくって、思いやるがゆえの嘘だってあったはずだ。

 嘘も偽装もそれだけで『悪』とは言えない。


「それでもわたくしは、隠さないでほしかった。優しい偽装で守られるぐらいなら、厳しい現実を知りたかったのですわ。……だって、優しい偽装で守るなんて、わたくしをレディとして扱っていないということではありませんか」


 ━━大人として。

 一人前として。


 無力であるなら、無力さを謝罪できるような立場として。

 責任を遠ざけるのではなく、きちんと当事者として。


 ……見て、欲しかった。

 優しく視線を逸らすのではなく、まっすぐ見てほしかった。


 スノウの言葉はそう聞こえた。

 それは、彼が、両親や姉の件でそう感じていたからかもしれないけれど、スノウの苦悩と自分の苦悩は同じなのだと、そう感じることができた。


「わたくしを守ってくれるのでしょう?」


 今の話のあとにされた問いかけには、さすがに緊張した。

 後ろ暗い『偽装』はない。優しい『偽装』もない。


 けれどそれでも緊張する。

 だから彼はいっぱい息を吸い込んで、誓った。


「はい。僕が君を守ります」


 スノウは不機嫌にならなかった。

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