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魔王は何度も繰り返す  作者: 稲荷竜
十六章 果てより夜来る
107/122

105話 おもいで

 なにをしたらいいのか、わからない━━


(過去? ここは過去なのか? ……アンジェリーナの話には確かに、未来から過去に戻ったというものがあった……それは『起こる』。しかし彼女は精神だけ……? 僕は……いや、原因はあの『そらとぶしま』の光? だとするとクリスティアナ島に残っていた話は……いやそもそも兄さんの言伝はいったい……? 空にある『活路』とはあの島のことではなかったとでも……)


 わけが、わからない。


 だがオーギュストは決めた。


(この時間には、僕と同じように未来から飛ばされてきた仲間がいるかもしれない。……みんなを捜して、そして……いや、とにかく、みんなを捜さなければ。しかし、どうやって?)


 仲間はどこにいるかもわからず、世界はあまりにも広かった。

 今のオーギュストにあるのはこの体一つだけであり、優れた水属性の魔力を持っているとはいえ、クリスティアナ島から大陸までを渡れるほどの操作はできない。

 船が必要だ。

 ……そもそも仲間が大陸にいるかどうかもわからない。捜索範囲が広すぎる。いや、『そもそも』で言えば、この時間のこの世界にいるのかどうかさえ……


 ……さらに根幹をたどっていけば、仲間を見つけたとしたって、そこから何ができるというのか?


『過去の時代に来る』などという異常事態に対応できそうなのは……


(アンジェリーナ)


 ……『対応できそう』かどうかは、まあ、わからないけれど。なんらかの知識を持っていそうなことは間違いない。

 この広い世界から、彼女を探す。

 そのために必要なことを、オーギュストは考える。

 そして……


「……もしご厚意に甘えていいのであれば、しばらくお世話になりたいのですが」


 青々とした麦畑の前にいる親子に提案する。

 金がいる。設備がいる。人手がいる。

 単独で心当たりもないまま、なじみのない時代を仲間を求めてさまようよりも、『勢力』を作り上げて捜索させたほうが早いとオーギュストは考えた。

 そうして『勢力』を作り上げるためには、まずなによりも自分の暮らしぶりを安定させなければならない。

 人に協力を求めるためにこちらから差し出せる物もない状況で『唐突に現れた異邦人』である自分に『どこにいるのかもわからない人』を捜すための力を貸してくれる人がいるとは、とても思えなかった。


 だから、富ませる。


 暮らしに精一杯の状況では人捜しどころではない。オーギュストは人の操り方を知っていた。だから逸る気持ちを必死に抑え込んで、まずは『この世界』になじみ、『この世界』なりの力をつけることを目標に据えたわけである。


 本音を言えば今すぐ飛び出して仲間を求め、各地をさまよい歩きたい。

 こうしているあいだにも仲間が危険な目に遭っているかもしれないのだ。……だからこそ、とオーギュストは思う。だからこそ、仲間を捜し、仲間を助ける人手がいる。


 もちろん、それが数日で集まるものではないというのも理解している。

 それでも自分が単独でさまよい歩くよりはずっと早く確実だろうと……


(……思考が、行って、戻ってを繰り返す。僕はよほど焦っているらしい)


 さっきから『こうするのが正しい』と『こうしたい』がひっきりなしにせめぎ合っているのだった。

 そうしてオーギュストは、『こうするのが正しい』を選んだ。それで、思考すべきことは終わったのだと自分に言い聞かせる。


「お母さん……」


 赤い瞳のクリスティアナが、母の服を引っ張った。

 幼さを残す顔で上目遣いに見上げられた母親はため息をついてからオーギュストのほうへ視線を戻す。


「まあ世話するのはいいけど、無駄飯喰らいを置いておく余裕はないからね。ただでさえ潮風と病気で麦がダメになりやすいんだから、座ってるだけで料理が運ばれてくるとか思ってるんならすぐに出て行ってもらうよ」


(マルギットさん、彼女は……)


 オーギュストは気づいたことがあった。

 けれど、それを口に出すことはせずに微笑んだ。


「はい。僕はけっこう、お役に立てると思いますよ」


 なにせオーギュストには未来の知識がある。

 この食料自給率が課題となる島がいかな歴史をたどって『現在』にいたったのかを知っている。


(まずは、この村だ。信用を得て、人々を富ませ、捜索隊を組織する。一つの村落だけでは足りない。この島のすべてに僕の目が届き、手が及ぶように。そして『大陸』まで行けるように……)


 それが確実ではあるが遅々とした歩みになることを知りながら……

 オーギュストは、『捜索活動』を開始した。



 信用を得て村の中心人物とみなされるまで、二年かかった。

 人々から信頼されるためにまずオーギュストが農業知識を伝え、それがかたちになるまで一年かかったのだから、これでも『最短最良』と言える速度で成果を挙げたと言えよう。


 オーギュストはすっかり日焼けしていて、体つきもがっしりとしていた。二年という歳月。十代中盤という年齢。彼の体が農夫生活に適応するには充分な時間だったのだ。


「オーギュスト!」


 麦の刈り入れをしていると、ぱたぱたと駆けてくる足音が耳朶(じだ)を打つ。

 鎌で刈り取った麦を縛ってひと束にしながら振り返れば、そこにはこの二年で多少の成長をしたクリスティアナの姿があった。


「オーギュスト、あのね、お昼……」


「ああ、もうそんな時間か……」


 空を見上げる。

 多少の靄がかかった空では、すっかり日が中天に上がっていた。

 今ごろ村の広場では炊事が行われ、鍋を囲んだ人々が麦粥を食べていることだろう。


 オーギュストもそちらに行こうと曲げていた腰を伸ばして、とんとんと叩く。農夫に腰をやってしまう人がいるという知識はオーギュストにもあったが、なるほど、年に一度の刈り入れだけでここまで腰に負担がかかるのだ。この他の作業も加えて毎年こんなことをやっていては、腰も壊すだろう。


「わざわざ呼びに来てくれたのかい? ありがとう、クリスティアナ」


 昼食のみならず、オーギュストは村人たちと交流できる場には積極的に参加し、なるべく人に混じって彼らを笑わせる話をするようにしていた。

 利益の提供だけで人はついて来ない。彼らのリーダーとなって力を貸してもらうためには、『中心人物』になる必要がある。そのためには普段から彼らに気を許してもらう努力も必要だ。


「あ、うん、それでね、オーギュスト、あの……」


「どうしたんだい? ……ああ、ゆっくりでいいんだよ、クリスティアナ。大丈夫だから」


「うん。……あの、私たちの結婚だけど」


 小さな村落において適齢期の男女というのは放っておける存在ではない。

 村を富ませつないでいくにはどうしても『子』が必要となる。そうして『誰の子かもわからない子』を忌避する本能は人に備わっているようだから、『どこの誰とどこの誰の子』という血統保証は、貴族ならずとも必要になるのだ。


 その血統保証こそが『結婚』である。……そしてクリスティアナの家で世話をされているオーギュストは、彼女との結婚を求められていた。

 それに応じるのがきっと、この村のリーダーとして立つのに必要なことだというのも、わかる。

 けれど……


「……すまないクリスティアナ。僕には、故郷に心に決めた人がいるんだ」


「なっ、何度も聞いた、よ……? でも、でも、もう、故郷なんて……オーギュストは『島流し』になったんでしょう? だったらもう、ここで暮らせば、いいじゃない……」


「……」


「……でっ、でも、いいよ。……大丈夫。ゆっくりでいいから。でも……うん、ごめんね、オーギュスト」


「いや。僕のほうこそ」


「お昼、食べよう?」


 クリスティアナが無理に笑った。

 オーギュストはうまく笑った。


 ……時間がない。


 それはもちろん、この時代に仲間が飛ばされたとして、それを捜すのにもタイムリミットがあるという意味だが……


(……僕はあとどれだけ、クリスティアナの絶望した顔を見ればいい? 彼女の好意を、周囲の温かい人たちの期待を裏切って、彼らからすれば理解のできない目標に邁進し続ければ……)


 それが嫌だという話ではなかった。

 仲間を捜す。アンジェリーナを捜す。そのための努力はつらくない。


 けれど、ただただ、焦りだけが、日毎に増していくのだ。


 いないかもしれない人たちを捜すより、今、目の前にいる人たちを幸せにする努力をすべきなのかもしれないと……


『いつ、あきらめるんだ?』


 夢のたびに、冷たい目をした自分が語る。

 無駄な努力をするなど『僕』らしくないと。夢を追うなど『僕』らしくないと。この世に面白いことなどなく、すべて思考の及ぶ範囲で収まる厳然たる現実があるだけなのだと、『僕』は言うのだ。


 そのぞっとするようなアイスブルーの瞳に見つめられるたび、おそろしくなる。


(急がないと……)


 オーギュストが慌てたところで早まるタスクは一つもない。

 だからこそ焦りばかりが身を焼く。


(大事なもののために、彼らともっと厚く『壁』を隔てないといけない。彼らと……クリスティアナと本当に親しくなってしまえば、僕はもう……)


 顔で微笑み、心で叫び、オーギュストは生きていく。

 ……彼が若くして『村長』となるのはそれからさらに二年後のことだ。それはもちろん、通常は『長老』がそのまま村長となる社会において異例中の異例と言える大出世であったけれど……


 オーギュストにとっては、もどかしいほどに、遅かった。



「この島はね、罪人の流刑地なんだよ。あたしももともと、『大陸』の貴族なんだ。お察しの通りね」


 クリスティアナの母であるマルギットがそううちあけてくれたのは、オーギュストが村長になった日のことだった。

『やはりか』というように思った。マルギットの『外国から来た貴族』という発言……だというのに『外国』たりえる大陸のことを知らないような偽装……村暮らしであるはずなのに貴族の生活を知っているかのような言動……

 そのほか細かい様子からオーギュストはとっくに予想していた。

 だから早く、彼女が流された方法について……大陸からこの島へ来る方法について教えてほしかった。

 けれど、彼女が自分から打ち明けてくれるのを待つしかなかった。強引に根拠を上げながら問い詰めても、相手をかたくなに黙らせる結果にしかならないとわかっていたから。


「……では、船は? 港は……あの大陸に渡る手段は、どこにあるのですか?」


 村長宅で人払いをし、粗末な古いテーブルを挟んで会話している。

 時刻は夕方だ。広場では炊事が行われ、子供たちが遊ぶ声が響いてくる。


 オーギュストは焦りをあらわにしないよう必死に感情を抑えながら問いかける。

 しかしマルギットは「慌てなさんな」と述べてため息をついた。


「……やっぱり、大陸に渡るつもりなのかい」


「僕には捜さねばならない人がいます。だから……」


「その人は大陸のどこにいるのかな」


「…………それは」


「なあ、クリスティアナのことは嫌いかい?」


「嫌いなわけがない! 彼女は……でも」


「結婚はできない?」


「……はい。僕には心に決めた人がいるのです」


「この島から大陸に人が戻るっていうのが、どういう意味か、わかるかい? そいつはね、『脱走』っていうんだ。……ただじゃあすまないんだよ。あんたも、あんたを送り出したあたしたち……クリスティアナも」


 理解していた。

 この島が流刑地ではないかと予想してから、ここから大陸に渡る意味についてはすぐにわかった。

 この当時が『いつ』なのかもオーギュストの知識は導き出していたし、この時代がどのような社会状況なのかも未来において資料が残っている部分についてはわかっていた。


 クリスティアナ島が特別な罪人の流刑地であり、ここからの脱出はすなわち『大陸にある王国への叛逆』とみなされる。

 そうなれば島民は『浄化』される。叛意のある流刑罪人に恩赦はない。その血統さえも残らず歴史から消されるだろう。


「あんたの捜し人は、あたしたち全員を生贄にしても追い求めたいものなのかい?」


「……」


「即答できないなら、やめときな。……なぁオーギュスト、あんたがどんな身分かは知らない。たぶん王族か、それに近い立場なんだろうとは思う。でも、ここで暮らすあんたは、楽しそうだったし……クリスティアナを見る目は、優しかった。村民たちのあいだで笑うあんたは、すべてが嘘っていうようにも、見えなかった。……この島じゃあ、幸せにはなれないのかい?」


 なれる。

 すべてをあきらめてしまえば、この島でクリスティアナを妻に迎えて幸せになれるだろう。


 村民たちのリーダーとなるべく彼らを笑わせ、彼らと話してきた。……それでも、情が移らないわけがないじゃないか。苦楽をともにした仲間にほだされないほど、オーギュストは心を凍らせることができなかった。


 あるいは、アンジェリーナと……『魔王』のアンジェリーナと出会う前の自分であれば。

 すべてを道具とみなして、顔で笑いながら、心を完璧に凍らせることもできたのかもしれない。


 けれどもう、氷は溶けてしまっていた。

 温かな水は二度と氷に戻らない。どれほど切望したって、二度と冷たく人を寄せ付けないものには戻ってくれない。微笑みかけられえるたびにさざなみの立つ、温かな湖が胸の中にはある。


「……しょうがない子だねぇ、あんたは」


「……申し訳ありません」


「じゃあ、こうしたらどうだい? クリスティアナと結婚して……この島に、国を作るんだ。大陸が下手に『浄化』なんて手段に出られないような国を。そうしてあんたは、そこの王となる。そうすれば、クリスティアナは幸せだし、みんなの命も守られるし……あんたは大陸に戻れる。『国賓』として、堂々とね」


 たしかにそれは、なにもかもを取りこぼさない最良の選択なのかもしれない。

 ……重要な『あること』に目をつむれば。


「……『時間』がかかりすぎる。すべてが完璧にうまくいったとして、十年、二十年……三十年と、かかるでしょう」


「けれどね、手勢を率いて堂々と大陸で人捜しをするにはそれしかないんじゃあないかな?」


 だから、きっと。

 最初の時点で間違えていた。


 たった一人でさまよいながら捜索活動をすればよかった。村の人たちにおのずから手を貸してもらう立場ではなく、恐怖によって支配する独裁者を目指していればよかった。

 クリスティアナを、もっと、避ければよかった。

 そうすれば、こんなにも、心の中に彼女が入り込むことはなかったのに。


「……アンジェリーナ……僕は……」


 二度と、会えない。


 心の中にその結論がようやくはっきりと浮かび上がった。

 涙は出なかった。悲しみより大きな感情があった。


 安堵。


『もう、あきらめていいのだ』という安心が心の中にじわりと広がって、オーギュストは己を(わら)った。


 嗤いながら、鮮やかだった仲間たちの記憶から、色が抜けていく感覚を覚えた。


 ━━ああ、すべてが、『思い出』に変わっていく。


 知らないあいだにうつむいていたから、オーギュストは顔を上げる。


「……わかりました。クリスティアナを幸せにします。そして、この島で僕は……『王』になります。ここの温かい人たちを守るための、『王』に」


「……よかったよ」


 そう述べるマルギットは笑っていたけれど、とても罪深いことをしたように視線をオーギュストから逸らしていた。


 ……そして。



 オーギュスト王というものが建国の時代には確かにいたのだけれど、その王は決して名を後世に遺そうとはしなかった。

 すべての功績は偉大なる女王クリスティアナによってなされたこととなり、『聖クリスティアナ王国』が流刑の島に誕生したのだ。


 時代が流れて『流刑島』と緊張状態だった大陸の国家は新しい勢力に対処しきれず食い破られる。

 その勢力の頭目の名そのまま『ドラクロワ』という王朝となった。


 ドラクロワとクリスティアナは初代王・女王の治世において同盟のような関係だったが、次第に関係性は冷え込んでいき、いつしか戦争状態となる。

 強壮なる『聖女』率いるクリスティアナ海軍と王家の槍たるアルナルディ家との戦いは数々の史書・戦記をいろどることとなった。

 戦いの中で食糧の不足からクリスティアナ王家は降伏をし、クリスティアナ島はオールドリッチ領と名を改め、クリスティアナ=オールドリッチ家が誕生した。


 ……時代はさらに降り、ドラクロワ王家に二人の子が、クリスティアナ=オールドリッチ家に一人の子がいた。


『離島のわがまま姫』と悪評高いクリスティアナの子は、ドラクロワの第二王子と婚約をすることとなり……


 魔王は、降臨した。


 何度も、繰り返す。


 世界は閉じた円環の中にあり、幾度も滅びと誕生を繰り返した。

 決められた始まりと結末とを繰り返した。

 飽きるほどに繰り返して……


 ついに、円環の砕ける時期が、来る。

十六章終了です

年内に完結したいのでがんばります

次章投稿は遅くても12月末あたり。12月末更新開始だと年内に終わらないのでなるべく締切より前に投稿したいです。応援しててください。

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