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最終章 偽毛連盟の秘密

 後日、ひとりの男が銃刀法違反及び暴行罪で現行犯逮捕された。男は暗い夜道を歩いていた(かつら)(仮名)に背後から忍び寄り、所持していたナイフで襲いかかろうとしたところ、身を隠しながら桂を警護していた警察官に取り押さえられたのだった。

 逮捕された男は全てを自供した。



 理真(りま)と私は、再び新潟に来県した保志枝(ほしえ)琉香(るか)と喫茶店で会っていた。


「警察もだいぶ苦労したみたいだけど、根気よく背後関係を洗っていったら、首謀者のところに辿り着いたそうよ」

「首謀者って、あの資産家さんの弟ですか」


 目を丸くした保志枝に理真は、そう、と答え、ブラックコーヒーをひと口すすってから、


「やっぱり、桂さんは、先日亡くなった資産家と家政婦との間に出来た子供だったの」

「でも、弁護士さんは、まだ桂さんにDNA提供の依頼をしていないそうですけど?」

「もうすでに、桂さんのDNA鑑定を行った人がいたのよ」

「えっ? 誰ですか?」

「犯人一味に決まってるじゃない」

「でも、どうやって桂さんのDNAを……」

「〈ウィグリーグ〉だよ」

「あの、桂さんに怪しいバイトをさせた架空会社が?」

「そう、あの会社の目的は、撮影と称して桂さんを店から連れ出すことでも、当然、桂さんの写真を撮影することでもなかった」

「それは、いったい?」

「桂さんにカツラを被せることだよ」

「はあ?」

「正確には、桂さんに取っ替え引っ替えカツラを被せて、毛髪を採取することが目的だったの」

「……ああ!」


 保志枝は納得した様子で目を見開いた。

 DNA鑑定のサンプルとして毛髪が使われることは一般的に知られているが、実は髪の毛自体や、自然に抜け落ちた毛髪(の付け根にある毛根)からDNAを取り出すことは非常に困難なのだそうだ。髪の毛や毛根はほとんどがタンパク質で構成されているため、それだけからDNAを採取しようとしたら、かなりのまとまった本数がなければ相当に難しく、かつ、成功率も高くはないという。

 そのため「毛髪からDNA鑑定を行う」というのは、実際には髪の毛や毛根自体からではなく、毛根に付着している頭皮細胞を使って行っているのだ。この頭皮細胞というのは、自然に抜け落ちた毛髪に付着している可能性は著しく低く、これを得るためには、まだ抜け落ちる前の頭髪を強制的に引き抜かなければならない。どういうことか。乱暴な言い方をしてしまえば、頭皮細胞というのは髪が生えている頭皮の一部なのだ。つまり、まだ抜け落ちる段階にない、しっかりと頭皮に根を張っている髪の毛を、毛根周辺の頭皮もろとも強制的に抜いてしまおうということだ。植物を無理やり引き抜くと根に土が付着してくるが、頭皮細胞というのは、この土だと考えていい。


 資産家の弟は、弁護士とは別に独自のルートを使って桂の存在を知り、彼が本当に兄の血を引いた実の子供であるかを調べるよう部下に指令を出した。そのためには当然DNA鑑定が必要となるが、弁護士側に自分たちの動きを少しでも悟られないため、手荒な真似や法に触れる手段でDNAを入手することは厳禁とされた。

 部下は、桂がカツラを使用しているということを近所からの聞き込みで知り、そこで〈ウィグリーグ〉を使った作戦が考え出された。

 大学生の客を装った部下を桂に近づけ、〈ウィグリーグ〉の求人広告を見せて彼を誘い込んだ。カツラを被せて、抜け着いた頭髪をなるべく大量に採取し、さらには、より確実にDNAを得るため、糊やテープを使用するカツラを被せ、外す際にわざとその糊やテープを頭髪にくっつけ、強制的に抜かれた頭皮細胞の付着した毛髪も採取した。

 部下は撮影と称して得られた桂の毛髪を持ち帰り、どんどんDNA鑑定に掛け、ついに彼が兄の血を引く実の息子であることを実証した。

 そうなったら、執るべき手段はひとつ。もう用済みとなった〈ウィグリーグ〉を畳み、隙を突いて桂を殺害するだけ。ここで一度だけ強行手段を執ったとて、遺産を受け継ぐ嫡子さえ亡き者にしてしまえば、もうあとは弟側の思いのまま。通り魔的犯行に見せかければ、自分に捜査の手が及ぶことは決してあり得ない。遺産を受け継ぐことが目前になり、弟はほくそ笑んでいたことだろう。

 だが、彼の野望は見事に瓦解し、法の裁きを受ける結果となった。


「桂さん、受け継いだ遺産でお店の借金を返し終えることが出来て、すごく喜んでいたそうよ」理真は、新潟県警で懇意にしている丸柴(まるしば)刑事から聞いた話を保志枝に聞かせて、「相続した会社の数々は、とても桂さんの手には負えないから、弁護士さんを通じて信頼できる会社幹部に経営を任せて、全部手放すことにしたって」

「私も、桂さんには商店街の小さくてアットホームなお店が似合ってると思います」

「弁護士さんの調査で、お母さんの生まれ故郷も判明したの。ある県の小さな村だったそうよ。桂さん、借金を返し終えて残った遺産を使って、その村が立ち上げた村おこしの計画に資金提供をするっていう話も聞いたわ」

「お母さんに対する、いい恩返しになるかもですね」保志枝は笑顔を見せて、「それにしても、理真先輩、さすがでした。見事〈ウィグリーグ〉の謎を解明してしまいましたね」

「琉香ちゃんが桂さんの取材を担当することになったのが幸運だったね。それで、理真の耳にこの話が入ることになったんだもの」


 私が言うと保志枝は、


「本当に、そうですね」


 と感慨深そうに唸っていた。


「ところで、由宇(ゆう)はまだ、桂さんの本名を聞いてないでしょ」


 理真に言われて私は頷いた。そうなのだ。事件に関わるやり取りは、理真ばかりがしていたため、私は事件の概要を理真から又聞きしていただけなのだ。そのため、私と理真との会話では、二人とも資産家の息子のことを、今までどおり「桂さん」と呼んでいたのだ。


「知りたい?」

「もちろん」


 理真から、いたずらっぽい笑みで訊かれ、私は即答した。隣では保志枝も、何やら面白そうな顔をしている。何だ? 何があるっていうんだ?


「桂さんの本名は……琉香ちゃんが言う?」

「はい」と保志枝は、にやりと笑うと、「桂さんの本名はですね……薄井(うすい)さんというんです!」


 私はまたしてもコーヒーを吹き出すことになった。

 お楽しみいただけたでしょうか。

 本作は作中にも書かれているとおり、コナン・ドイル著「赤髪連盟」のオマージュ作品です。この「赤髪連盟」は、数あるホームズ作品の中でも一、二を争う人気作品なのではないでしょうか。表層に現れた「赤髪連盟」のコミカルさと、その裏で遂行されていた犯罪のギャップがたまらなく面白いことはもちろん、ホームズが真相に迫る手段もまことに論理的、かつ名探偵ならではの切れ味があり、短編ミステリの教科書的な存在ともいえるのではないでしょうか。

 私自身は、犯行を仕込む段階での犯人のウィルスンに対する賛美加減と、犯行準備を終えて用済みとなってからの「赤髪組合は解散した」という素っ気なさ過ぎる対応とのギャップに非常な面白みを感じます。もうちょっと何かやりようはあっただろと(笑)。


 本作は「あらすじ」にも書いたとおり、新潮文庫版の「赤髪組合」を参考にしていますが、これは私が、この延原謙訳による文章や台詞の言い回しが大好きなためです。

 この新潮文庫版が初めて世に出たのは、昭和二十八年(西暦1953年)という昔であるため、1989年に延原の嗣子である延原展が改訂作業を行っています。その際に「種々の古風すぎる表現も多少改め」てあるのですが、「赤髪組合」においては、ウィルスンを嵌める犯人グループのひとりの「応募資格がおありなんですぜ」だの「よござんすとも」だのといった、「種々の古風」に相当するであろう台詞の言い回しの数々が、当時のまま残されています。私はこの「取捨のセンス」が非常に優れていると思っていて、もしこれをもっと現代風に変更してしまったら、底本である延原謙の「味」が薄れてしまっていたはずです。私も本作を書くに当たって、保志枝の語る台詞に、この「延原節」を使わせていただきたいと思いました。彼女の台詞に少し古風な言い回しがあるのは、そのためです。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。



主要参考引用文献


「赤髪連盟」 コナン・ドイル 著(各社刊ありますが、本作の直接の参考としては、新潮文庫版『シャーロック・ホームズの冒険』(延原謙 訳)を使用させていただきました)


『犯人は知らない科学捜査の最前線!』 法科学鑑定研究所 著 メディアファクトリー刊

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