第二夜「焔」(Bパート)⑥
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真っ赤なフィルム越しにでも見ているかのように、世界の全てが赤くそまって見える。
非常放水器が懸命に全力稼働しているのもむなしく、周囲は燃え広がる炎によって、灼熱地獄と化そうとしていた。
「火、焔ってのは、厄介です。――漢書に曰く、火は、燬なり。
通信端末の向こう側から、戦部ユウスケの声が届く。
「壊す。破壊する。焼いて滅ぼす者である。って意味です。刃も矢も弾も、破壊できるのは直接当たったものとその周りだけです。ですが、火は違う。 酸素と可燃物がある限り、周りを喰らって、燃え広がり、被害を及ぼし続ける」
と、講釈を述べる。
粗暴そうな見かけによらず、漢籍にも通じているらしい。
――博識じゃないか、戦部ユウスケ。
今日び、軍隊の士官や将校だって高学歴でなければ勤まらないし、ただ腕っぷしが強いだけの無法者が魔法を身に付けたところで、それは魔法を使う無法者が出来上がるだけだろうから、もしかしたら、実際に学士の資格くらいは持っている男なのかもしれない。
「もしかしたら、未だに「火」は人間の手に余るものなのかもしれません」
「……同感、かな」
落ち着いた口調で言ってはいるが、戦部ユウスケの息遣いは荒く、声の向こう側には、隔壁をその都度叩いて壊し、高速で空気を切り裂いて進む風切の音が混ざっている。
どうやら、全力でこちらに向かおうとしつつも、マサトに語りかけ、何とか気を紛らわせようと続けているらしい。
実際、全身を毛羽立つ炎に包まれた肉食竜。とでも言うべき「カグツチ」の威容に対峙して、マサトは気を失いかけていた。
炎と熱波に晒されていながら、全身が凍り付くような感覚に襲われてもいた。
遺伝子だの、本能だのという駄法螺を持ち出すまでもなく、抜き身の刃の上に寝かされているような神経のひり付きが、五感全てが目の前のソレが徹底して一貫して生命を脅かす外敵であると伝えてくる。
けれど、未だマサトが恐怖と絶望に呑まれ、頭の中が真っ白になってしまわないのは。
――まだ、恐ろしさと絶望感で「みことさん」が上回っている。
――まだ、邪悪さと嫌悪感で「明智光秀」が上回っている。
あの二人に比べたら。と、感覚が麻痺してしまったように、どこか冷静に、そう考えていられるからだった。
「……何が役立つか、判らないもんだな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
「カグツチ」の全身の炎は一層激しく燃え盛り、変わらぬ単眼は輝きを増していた。
巨大な顎、曲刀のごとき両脚の鉤爪、ちさとを模したかのような二本の角、長い尻尾の先には武王対策と思われる骨塊、背中を覆う無数の棘と、半月状の刃。
先ほどまで備わっていた鋏と触腕は失われ、前足の鉤爪も小さく姿を変えているが、その攻撃的な形態は、――つまりは、より洗練され、より攻撃に特化した、より強力な形態に他ならない。
尤も、放って置いても死にそうな身だ。
当たり所が悪ければ石ころ一つだって、辺りを焼いているただの炎だって、凡人以下の生命力しかもたない自分にとっては命とり、である。
目の前にいるのが、ナイフを持った暴漢だろうが、牙を剥く野犬だろうが、火を吐く大怪獣だろうが、「みことさん」だろうが、マサトの命を奪うには、些かの不足もないと言う点においては全て同じだった。
「マサトくんッ!」
大きく飛び退り戻って来たちさとが、短く呼びかける。
どうにかマサトが平静を保っていられるのは、只管にこうして今隣りにいて、護ろうとしてくれている彼女が――ちさとが信頼できる、というその一点に尽きる。
「……あんなになるって、思わなくって!」
いつでも反撃に移れるよう、マサトに背を向けたままの姿勢で、ごめんなさい、と詫びるちさとに、
「ちさと、炎の攻撃は、要注意だ。ああやって吸収される」
とだけ、返す。
君が謝ることではない、とでも言おうかと思ったが、余裕がなかった。
「……そっか、元々、あの子からもらった力だもんね」
「炎は、そのまま使うんじゃなく、例えば目くらましとか、相手の炎を散らすとか、そう言うことに、……つまり」
「つまり剣じゃなく、盾として使って……って、そういうこと?」
「ああ、そういうこと」
そうすれば、炎を操る力は、充分ちさとの力として機能するだろう。
だが、現状では、どうも分が悪い感が否めない。
今のところ、お互いに対して、炎による攻撃は決定打となりえない。
「カグツチ」の炎はちさとに、ちさとの炎は「カグツチ」に効果がない。
ならば、それ以外のところで突破口を見出すしかない、のだが――
「早く来てくれ、戦部さん」
通話端末に向けて、そう呼びかければ、
「……はあ、そうやって、あなたが指示を出して、相談しながら戦っていたわけですか。……なるほど、なかなかに善戦してると思ったら、そういうことでしたか。いや、これはどうも……コサージュを指揮したのは、本当に今日が初めてですか?」
と、何故か、妙に感心したような声が返ってきた。
「コサージュも、ウィッチも、ゴッドアームズも、それからあなた方魔法つかいも、今日初めて見聞きしました。それに、そう大したことを言っているとも思えないが」
「……責めも慰めもせず余計なことは言わず、必要なことだけ適切に助言と指示されるのは、言われる方にしちゃありがたいでしょう? ……良いと思いますがね」
――どこまで本気かはともかく、どうやら手放しにではないが、何かしら褒められているらしい。
「……ちさとは、焔を喰らって今の姿になった、といっていましたね。あいつはもともと「お手伝い用」のコサージュです。 多岐にわたる任務に携われるように、多彩な技能を習得できるように、高い学習能力、自己強化能力を有する調整を施されている」
だから、炎を取り込むことが出来た。
だから、炎を扱えるように、自分自身を調整した。
「だけど、それは「カグツチ」も同じだ、「炎そのもの」はそもそも効かないし、下手に強力な武器で攻撃すれば、ああやって真似てくる! どうやって戦えばいい……?」
「……相手の攻撃パターンや、有効となりうる戦術を見つけ出す、それならばちさとの得意分野です、そういう、右から行くか左から行くか、レベルの事なら、ちさとに判断させてやってください」
「それに戦部さん。……「無限に成長するコサージュ」と「無限に成長するウィッチ」それが戦い続けたら……どうなる? 何が起こる?」
「……何分、今は情報が足りてません」
即答できない己を不甲斐なしと痛罵しながら、戦部ユウスケはそう返す。
「……考えても判らん事は、ひとまず考えないってのも、手ですよ」
そこまでのことは別にあなたに望んでない。という言葉を口に出さず、呑みこんだ。
――自分にだって、それはまだ、まるで判らないのだから。
〇
恐竜型に変じた「カグツチ」が炎を纏い、咆哮を放った。
それに応じるように、全身の炎が背中へと集中、無数の棘状に屹立した。
そして、首を深く垂れて背中を向ける、ヤマアラシが外敵を威嚇するような姿勢を取る。
……ならば何となく、その次に何が起こるのかは、凡そ想像がつく。
予想に違わず、「カグツチ」の背中で鏃型に穂先を揃えた炎の柱が、槍衾と化して発射され、尾を引きながらマサトとちさとに襲い掛かった。
「だったらっ! こうやってぇ……!」
叫ぶちさとの、二本の角が赤熱した。
それに従って周囲の燃え盛る炎が、たゆたう流水のように、風に舞う花弁のようにたなびき、浮き上がる。
……現状で問題なのは、ちさとの勝利条件はマサトを守りきること、できれば再度の来襲を防ぐそのために「カグツチ」の命を奪うことだが、「カグツチ」の勝利条件はマサトを殺すことのみであり、そのためにはちさとを倒さなくても、極論、ちさとと交戦しなくても、別に構わない。
ちさとに炎は効かないが、「カグツチ」にもちさとの炎は効かない。
ただし、一撃でも被弾すればマサトは即死する。……という点である。
ちさとは、回避よりも、受け止めることをより選択せざるを得ない。
――揺らぐ炎はちさとの前方に集中すると、渦を巻き、花の蕾のように折り重なって形を作る。
左右の掌を手首で合わせて、前方に翳し、叫ぶ。
「――セィァッ!」
紅蓮の花がその蕾を綻ばせ、そこから大量に産みだされるのは、いわば、炎の針。
――高密度に圧縮した炎を、火流や火弾ではなく細く針状に研ぎ澄まされた無数の火線として放った。
つまり、面や線ではなく、点の攻撃。
直接ぶつけたり、真っ向から撃ち合うことを想定すれば無論威力不足だが、意図はあくまでも「防御」「迎撃」だ。
これならば、より省エネルギー、小さな消費で――小さなナイフで結束バンドを断ち切るように、炎を散らすことが出来る。
ちさとの烈火針は狙い通り縦横に乱舞して「カグツチ」の放った炎のミサイルを迎撃し、砕き散らした。
だが――
「ちさとっ! 無暗に「新しい技」を使うな!」
「それは、判ってるんだけどね……!」
ちさとの放った烈火針を「カグツチ」の一ツ目が写し、ぱちりぱちりとまばたきをする。
「アレも、もう覚えられたッ!」
ちさとは瞬時に武王を手繰り寄せ、鉄鎖を回転させて防御態勢を取る。
瞬き一つの間を置いて「カグツチ」の瞳から、スコールの如き勢いで烈火針が射出された。
防ぐしかない、が、一発一発は低威力の、迎撃と牽制を主目的とした技であったが故にそれでも防ぐことはできるし、もし当たったとしても自分なら吸収することができる。
これでいい、と、ちさとは考える。
こちらが守勢に回った時には向いているが、これは攻め手としては単なる「威力の低い攻撃」だ。
……例えばこのように「使いにくい技、この状況下では有効ではない技」をあえて使って、学習させて見せ「学習能力の容量」を使い切らせるのはどうか?
と思い、瞬時に「それも下策」と断じてその考えを捨てる。
その容量がどのくらいか判らないし「カグツチ」は恐らく、即座に独自のアレンジを加えて戦術に組み込んでくる。
それ以前に相手は、自分とは比べ物にならないあの巨大な体躯だ。
直に噛みつかれたり、踏みつけられたり、足先の爪で切り付けられでもしたら、常人より強靭ではあるコサージュの肉体でもひとたまりもないことだろう。
相手は自分より強いかもしれない、相手は自分のできないことが出来るかもしれない、それらを考えることは、考えないことよりもはるかに重要だ。
加えて「カグツチ」の肉体が新たな変化を見せた。
不定形から四つ足に、四つ足から恐竜型――のような、全身を全く違う形にする類の変容ではないが、手首から先に当たる部分だけが胴体から直接飛び出しているかのような形状から、より逞しく、確たる五本の指先を備えたものに。
「カグツチ」が、背中の半月状の刃を展開し、ちさとへとその切っ先を向ける。
さらにそれは、背中から外れ二丁の手斧と化して、両掌に収まった。
「――気を付けろ、ちさとッ!」
こいつはもう「道具」まで使うのか。
それに――「アロサウルス」だったか?
姿勢保持と食餌の機能のみに割り切って小さく縮んだ形質のソレを持つ「暴君龍」や「肉食牡牛」のものよりも、ある程度「腕」としての機能を持つ、より旧い時代の恐竜のものだ。
縦横に二丁の手斧を振り上げて「カグツチ」が突進する。
「その動きは、もう知ってるッ!」
あくまで己を見とり模した動きであり、技量としてはそれ以上ではない。
ちさとは武王の鎖を手繰り、握り手の短剣を掴んで身構えた。
武王の鉄鎖を巻き付けた左手で骨斧の一撃を受け止め、いなして返す。
飛び退りながら、斧を保持する指を、武王の短剣で切り裂いてやった。
一瞬、ちらと背後に視線をやった。
――わたしを、見てる。
背中に、祇代マサトの視線を感じる。
やっぱり、マサトくんはすごいな。
と、思った。
こうやって、見ていてくれるだけで、わたしに勇気をくれる。
とも、思った。
もっと、もっとあの人の、色んな顔が見たい。
彼の泣き顔は見た。
苦痛に喘ぐ顔も見た。
怒りに強張った顔も見た。
困ったような苦笑い――は、見たかもしれない。
だけど――彼が、屈託なく笑うのを、まだ、見ていない。
例えば、美味しいご飯を食べさせてあげたら、嬉しそうにするのかな。
例えば、ケンカしたら、拗ねるのかな。
例えば、好きな女の子の前では、照れたりするのかな。
……わたしが勝ったら、笑ってくれるのかな。
眼前の巨獣は片方の手斧を取り落して数歩後ずさるものの、即座に体勢を立て直し、巨大な大顎を開き、二度、頭部そのものを戦槌のように振り上げ、続け様に叩き付けてくる。
これだけは、一撃貰ってしまえば、それまでだ。
「そういうのは……ご遠慮させてもらいますっ!」
引きつけて、寸前のところで身を逸らした。
その先に、断頭台の刃の如く輝く両脚の爪が襲い掛かった。
これも引きつけて、寸前で躱した。
――わざわざ、口に出しては言わないけれど。
この子がずっと叩き付けてきている感情。
「絶対に、諦めない」
――それは、わたしもだ!
「カグツチ」は片足を大きく蹴り上げたその勢いで状態を反転させ、尻尾を叩き付ける。
ちさとは手繰り寄せた武王を回転させ、加速して放つ。
超重量級の骨塊と、武王の鉄砕球が激突し、火花を散らした。
〇
「ちさと、一度戻って!」
一声叫び、マサトはちさとを呼び戻す。
「――んっ!」
ちさとが飛び退き、「カグツチ」は口から炎を浴びせかけた。
両者の間に突き立てられた鎧王が盾となって炎を弾く。
「――ちさと、鎧王を使おう」
「でも、そうしたら……!」
武王の攻撃は確かに強力だが、ここは単純に手数を増やしたい。
片方で受け、片方で攻める。或いは片方で怯ませ、片方を打ち込むというコンビネーションが必要になる。
問題は、ちさとと武王と鎧王、すべてを攻撃に用いたら、その間マサトは完全に無防備になると言うことだ。
「だから、一度で勝負をかける」
それも、普通の猛獣は手傷を負えば、ないしこれ以上は割に合わないと判断すれば下がるが今の「カグツチ」はそうではない。
マサトの命だけを狙い定め追い求め、恐らくは殺されるまで戦うのを止めない、狂える魔獣だ。
「一撃で真っ二つ」か、「一撃で首を刎ねる」か、そのレベルの損傷を与え――命を絶たなければならない。
「短い時間、例えば一度だけぼくを防御しておくことができないか?」
「それなら、できる……かもしれないけど……」
「あと、もしも、ぼく達がこう、ぱっと二手に別れたら、あいつはどうすると思う? ……そうすれば多分、ぼくを狙ってくる。その間、君はフリーで動ける、違うかな?」
「……祇代サン、そういうバクチをお若い方がなさるもんじゃありませんよ? やめて下さい」
通話端末から戦部ユウスケの声が流れた。
「上手く行く確率上げるために、一芝居打って見せようか? 例えば……君がぼくを突き飛ばして、仲間割れした振りをするとか」
と言ってみる。
少し考えてから、
「それ……すごくヤダ……」
と、ちさとがひどくげっそりした声でそう返す。
「ヤダって……」
「だってやだもん。……想像しただけですごく嫌な気分になったし。わたしがマサトくんを突き飛ばして、あなたなんてもう知らない。とか言うんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど……」
「マサトくんだったら……それやる? わたしのこと突き飛ばせる?」
自分が先に持ち出したので、一応想像してみる。
「……嫌だな」
確かに、想像しただけで自分を絞め殺したくなる。
自分が言われる、ちさとに愛想を尽かされるならならまだしも、ちさとを盾にして、早く何とかしろ自分を守れと罵るのか?
「……それは……それは、やっちゃ駄目だろ……」
「でしょ? ……フリでも、ごっこでも、絶対やだ」
「ちさと……」
ぴろん、と電子音が聴こえたので通話端末に目をやれば、短文通知で、
「もう そいつ あなたの嫁 で いいですよ」
と表示してあった。
……ちさとに失礼なことを言うな戦部ユウスケ。
「そこまで嫌なら、やりたくないことは無理してやらん方が宜しゅうございますな……」
と、次いで音声で諭される。
「まあ、確かに一度だけなら効果はあるかもしれません。……これがイワクラ卿だったら喜び勇んであなたの方に襲い掛かってくるでしょうけどね。あの人は従うとか従わせるとか、そういう尺度でしか他人を見られませんから」
……本人が不在のところでイワクラ氏がこき下ろされていた。
あまり同情もできなかったが。
「だけどなちさと、あいつはイワクラ卿じゃなくおまえと戦いながら、おまえを元に強化と進化を重ねてる。……つまりは、眼だって節穴じゃないだろうよ」
「うん、多分、チャンスは一回だけだって思う」
フルスピード、フル装備、フル火力で、最高の一撃を叩き込む。
「それだったら」
数秒逡巡する様子を見せた後、
「――鎧王、行くよッ!」
ちさとは、戦斧の柄に手をかけた。
〇
――?
――?
――「小さいの」がマサトクンと呼んでいた「アレ」と、
――「アレ」がチサトと呼んでいた「小さいの」が別れて、
――反対の方に走り出した、
――「小さいの」を見捨てて、逃げ出した?
――違う、
――あれは何か、他の意味があっての行動だ、
――「小さいの」は、絶対に「アレ」を見捨てない、
――「アレ」は、絶対に「小さいの」を見捨てない、
――貴様らの手は判っているぞ、
――馬鹿にしているのか!
――そんなことをするわけがないんだ貴様らが!
――ああ、けれど、
――どちらがより優先して破壊するべき対象かというのなら……
「カグツチ」の一ツ目が、せわしなく左右した。
そして決断の末に捉え、走り出す。
――逃がさない、
――逃がすものか!
かかった!
自分目がけて炎の狂獣が地響きとともに迫ってくるのを認め、震えあがりながらも、マサトは全力で懸命に駆ける。
脚は遅い。この年まで一度も体育の授業に参加したことがない体力のなさは伊達ではない。数歩で追いつかれるだろう。
だが、何も長距離を走り続ける必要はない。呼吸一つ、二つでいい、自分が注意を惹きつづけることができれば、その間に、ちさとが全力での攻撃を打ち込む隙ができるはず。
見る間に距離が縮まり、「カグツチ」はマサトを叩き潰そうと振り下ろす。
ソレで事は足りる、足りるはずなのだ。
……が、その瞬間マサトの目の前で、紅蓮の華が爆裂する。
マサトとカグツチの間の空間に突如現れ身代わりとなって、炎の蕾が「カグツチ」の腕を受け止め、大量に炎の針を撒き散らした。
ちさとの残しておいた「防御壁」――指向性対反応装甲だった。
無論それだけでダメージを与えることはできないが……目の前で爆竹を破裂させられたように「カグツチ」の動きが一瞬、止まる。
一度反対方向に向けて走り出したちさとが急制動をかけ、こちらへと走ってくるのが見えた。
これでいい、体格差もあり、目論んだ通り速度自体はちさとの方が上だ。
「カグツチ」が再びマサトを捉える寸前、最高の、望ましいタイミングで、横合いからちさとが到達する。
角も、牙も、大斧も、咄嗟に対応できないはず。
「――ちさと!」
「鎧王! 武王! ……もうちょっとだけ、いい子で頑張ってね!」
叫ぶちさとの声に応えて、両手の神の武器に炎が宿り白熱した。
戦斧が大戦斧に、砕球が大砕球に、姿を変える。
「大鎧王! 大武王!」
一回り巨大化した大戦斧と大鉄球が、二重の螺旋と化して猛然と回転、∞の軌道を描く。
「トウリャァァァッ!」
鎧王の一閃で、「カグツチ」の戦斧が千切れ飛んだ。
武王の一撃で、「カグツチ」の下顎が砕けてひしゃげた。
「……もらったよっ!」
そして縦一文字に振り下ろされる、大戦斧の刃を浴びて――
「カグツチ」の姿が、炎と鱗に覆われたその巨躯が、溶けた。
強靭、堅牢そのものに見えた四肢が、体幹が、その形を喪失した。
代わって嵩を増すのは、深紅の炎。
「倒し、た……?」
「――わけじゃ、ないみたいっ!」
炎が、乱れ舞う。
実体を持った肉体そのものを、揺らぐ炎に変換し、ちさとの一撃をすり抜けさせて回避した――というコトか。
四方に散った炎が渦を巻き、唸りを上げて一点に寄り集まって、再びはっきりと新たに像を結ぶ。
――それは、巨大な翼の形をしていた。
それと引き換えに、両腕は消失していた。
大地を踏みしめる両脚に代わり、鋭利な鉤爪を備えたしなやかな鳥脚が。
骨塊の分銅を持った尻尾の代わりに、刃を繋ぎ合わせたような赤金色の刃尾が。
そして大顎の代わりに、処刑道具じみた嘴がその威容を新たに現出させていた。
「鳥類は、恐竜の直系の子孫である」
そんな豆知識を、こんな所で、ああなるほど、と、思い知ることになるとは思っていなかった。
恐竜型の生命体が鳥型に変形すると言うのを目の当たりにしてしまえば、
……弟が持ってた玩具を、思い出す。
マサトは、ふたつの事を同時に悟る。
ひとつは、今自分が「バクチ」に敗れてしまったこと。
――無防備な自分を囮にしてちさとの全力攻撃を叩き込ませる、その策は、破綻した。
そして、もう一つは……
〇
紅の翼が、稲妻のように空を裂き飛翔する。
「……速いッ!」
その加速力、旋回力は滑空や、羽ばたきによる飛翔ではない。
――爆炎、高熱の大気を体内で循環、高圧で噴射して――ジェットで飛んでいるのか。
嘴の直撃は避けるものの、ちさとはすれ違いざまの衝撃で跳ね飛ばされ、もんどりうって倒れ込む。
鎧王と武王を振り回すのに適した、障害物のない開けた場所であったのが災いした。
「カグツチ・飛翔形態」は縦横に空を舞い、加速力と旋回性能を存分に振い、ヒット&アウェイを繰り返してちさとに体勢を立て直す余裕を与えない。
――これは、まずい!
これまでのちさとの自己調整、強化は基本的に筋力を増強する、火力を上げる。武器を大型化する。という傾向を持つ。
つまり、「破壊力」に重きを置いてきた。
しかし、この新たな形態の「カグツチ」は全く別の戦闘スタイルを以てちさとを翻弄している。
攻撃の威力を高める為に繰り出した大戦斧と大砕球も、当たらないのならばただの足枷となってしまう。
速射性と効果範囲に秀でる烈火針や炎のたてがみであれば「当てる」ことはできるかもしれないが、一発二発では動きを止めることは難しい。
これでは防戦一方だ。
急降下からの急旋回と急制動で一気に距離を詰めた「カグツチ」が大きく尻羽を打ち振るう。
赤金色の小さなブレードを鎖状に連結して構成されたようなソレがフレキシブルにうねり、ちさとを捉える。
「しまった!」
そのまま、大蛇が鎌首をもたげるように、高々とちさとを掲げた。
ちさとの小さな身体が玩具のように振り回され、二度、三度と壁に、天井に強かに叩き付けられる。
「ぐぅっ……!」
「ちさとーッ!」
緊縛と衝撃の両方で痛めつけられ、流石にちさとが苦しげな声を上げるのが、マサトまで届く。
ちさとの抵抗が弱まったのを認めると、「カグツチ」はもう片方の刃尾を、槍の穂先のような形状にに直結させ、切っ先をちさとの喉笛に向ける。
――今なら、こいつをやれる、
――だが、最優先して破壊するべきは、
――こいつは、「小さいの」は厄介だ、
――こいつらは、ふたり揃うと、強い、
――今のうちに、こいつの息の根を止めるべき?
時間にして、ほんの数秒、「カグツチ」の動きが止まる。
マサトに対する攻撃衝動と、より脅威度が高いちさとへのソレの二律背反。二重拘束。
結果的に、だが、それがちさとを救った。
逡巡の果てに、「カグツチ」が選択した攻撃目標は、
――?
――?
――いま、一体何を、考えていた?
――破壊するべきは、こいつではない!
――「マサトクン」!
――「マサトクン」を殺す!
刃尾を直結させて成した切っ先を、マサトへと向ける。
矢を弓に番えるようにして引き絞り、そして解き放つ。
「わ、あ――!」
死の刃が降り注ぎ、捉える。――刹那。
マサトの身体は、ふわりと浮き上がり、脇へと飛んでいた。
肩と、膝にかけられた腕。
戦部ユウスケ、いや――違う?
「……よっ、また会ったなァ!」
「なっ――!」
知った声。知った貌。
整った、学者のような容姿。灰色一色のコート。
――手袋の甲に染め抜かれた、桔梗の紋。
こいつは……こいつは……!
「火神帝國の……!」
――明智光秀!




