第二夜「焔」(Bパート)③
●
「……祇代マサト氏! ……そこにおられるのですね? 俺の声が聞こえますか?」
通話機の向こうから、折り目正しくもどこか荒っぽい声が聞こえてくる。
「戦部……さん、か?」
風体から、恐らく彼もウィッチとの戦闘に直接かかわる職務にある者なのであろう、とは思っていたが。
「戦部さんはね、……ほうせんさんぼう……って、いうんだよ?」
と、ちさとが耳打ちをする。
ほうせん、さんぼう。
――砲戦参謀?
「ああ、教皇院・砲戦参謀、戦部です。……まず、お怪我はありませんか?」
「ひとまず大丈夫です。……随分、物々しい肩書きなんですね」
……まるで軍隊だ。
歳こそまだ40前に見えたが、それなりに責任ある立場、ということか。
戦部ユウスケというのはここで出会った中ではマサトに対して好意的な反応を示し、マサトからの心証も悪くない部類ではあるのだが、それもあくまで比較的、である。
問題は、マサトの教皇院と言う組織への信頼度そのものが、地を這うようなものであるということで。
「――正直、あなたでさえ本当に信用していいのか判らない」
言い難いことは、心の中だけで言葉にした。
「いいか、チ號参拾。そこはまずい。その祇代サンを連れて、そこから離れろ、そうだな、……この辺がいい」
通信機器越しに伝えると共に、小窓で開かれた見取り図に光点が灯る。
「でも、それじゃ、「避難区域」から離れちゃう……」
「考えがある、ひとまず従ってくれ」
ちさとは一度振り返り、マサトの表情を伺った。
どうやら、指示を仰がれているらしい。
「言うとおりに、してみよう」
と答える。
ただこうしていても、どうなるものでもないし。
いつまでもここに立っていればウィッチが這い上がってくるだろう。
それに、もしも戦部ユウスケの自分に対する好意的な言動が表面上だけの偽りのものであったとしても、少なくとも彼は、なるべく自分を見殺しにせず、死なせないようにと期しているように受け取れた。
「……判った」
ちさとは再びマサトを抱きかかえ、走り出した。
「……ね? ちゃんと判るように言やぁ聞くんですよ」
通信機器は通話状態のままだった為、通信先でのやり取りが漏れ聞こえてくるのを、疾走するちさとに抱きかかえられたまま聞いた。
「わざわざ人間の子供の形をしてるんです、人間の子供のように扱ってやらなくちゃ、それを何です頭ごなしに」
言葉の端々に、同席している者たちを非難するような色があった。
どうやら、それとなくちさとを庇ってくれているようだ。
「……ちさと、これって、向こうもこういうの持ってて、それで話してる訳だよね?」
「うん、今はそうだね」
「……これ、顔を見て話したり、文章だけやり取りすることはできるかな。できれば、戦部さんと「だけ」」
「えーと、それなら、こっちから戦部さんにかけなおせば出来ると思うよ?」
「……そっか、これ、電話機みたいなものだもんな」
ひとまず信用することにしたのは、あくまで戦部ユウスケという個人だ。
少なくとも、自分と、ちさとの間に起こったことに関しては、彼以外に現時点で伝えるべきではない。という確信があった。
「マサトくん、着いたよ」
そのまま駆ける事、しばし。
どうやら指定の場所までたどり着いて、ちさとは一旦足を停める。
ようやく人心地付ける……という訳でもないが、ひとまずちさとに下してもらい、地に足を付けた。
先ほどちさとに教えてもらった操作法で、連絡先の中から「戦部さん」を選択し、呼び出しをかける。
「戦部さん、一応指示されたところまで来たみたいだ」
「ああ、これで少しは、時間が稼げます。もしもの場合……に備えてそいつをあなたに付けておきましたが……その通りになりましたな」
「それに関しては、感謝します」
「――で、あなた。一体何をしたんです。まずは、そのチ號について」
――来た。
「あなたとだけ話したい」
と小窓を開いて打ち込み、送信する。
数秒で、
「これでいいですか? @Y.ikusabe」
と表示された。
通話状態はそのまま、向こう側で、
「祇代氏! チ號参拾! 聞こえますか? ああ、電波が乱れて……!」
と叫んでいるのが聞こえる。一芝居打ってくれているらしい。
「そいつ が、急に動かなくなったりしませんでし たか」
との表示が現れる。
「5秒以上の沈黙は、肯定と見なします」
5秒、そのまま待つ。
「オーケー、合点がいきました」
の文字列が表示された。
「少し動かなくなって、死んでいるみたいになった」
そう返信すると、
「それから復帰した? と?」
「他には何か、変わったことは?」
と、続けて文字が表示される。
少し考えてから。
「彼女に、名前を付けた」
「ちさと、と」
と打ち込み、それを送信する。
「――はい。――はい。……ああ、なるほど。そちらに関しては、大体把握できました、最近の若い衆はなかなか洒落たことをなさる」
どうやら、普通に話しても大丈夫だ、という合図らしい。
「……どうも、この祇代氏がチ號を再起動させたらしい。まあそういうこともあるんでしょう」
と、周りに言って聞かせるのは、恐らく、伝えても問題のない事、と戦部ユウスケが判断したことらしかった。それ以上通話先がざわめく様子も伺えない。
「……そちらに関しては、大体把握できました。では、ウィッチのことについて。 一応申し上げておきますと、そいつは今、一直線にあなたを目指して移動しています」
「それはもう、知ってます。……ちょうどさっき襲われたところです。この子が、守ってくれたんだ」
「そうですか、ならば良かった。よくやってくれたな、チ號参拾。ああ、いや、ちさとだったか」
と、戦部ユウスケはちさとに向けて呼びかけた。
「それで、これからどうしたらいいですか?」
「急なこと、それもあり得ないようなことで、あいにく迎撃準備がまだ整っていません。……貴方を追ってくるとなると、一番安全なのは先ほどまで向かわれていた避難区域ですが、そのまま引き連れて来られるわけにもいきません」
「な、何を考えておる戦部! 囮としてウィッチの動きをある程度コントロールできるということではないか!」
通信機器の、音を拾うマイクの向こうの音に耳障りな雑音が響いた。
「……避難区域にいるガキどもや、非戦闘員のスタッフはどうなさるおつもりか」
「き、決まっておるやろうが、女子供など、多少犠牲になったところで! 教皇院の一員たる者如何なる時でも命を投げ出す覚悟を!」
と、イワクラ氏が喚いている。どうも、彼は徹底して一貫して、そういう思想信条の持ち主らしい。
「だから、どうしてどっちかを切り捨てるのが前提なんです。片方を切り捨てさえすれば、もう片方は確実に救えると言う保証は? 二兎を追わねば一兎も得られぬと申します。出来る限り両方助ける策を考えないことには」
と、戦部ユウスケが呆れたような口調で窘めた。
「……こいつはちょっとした興味で聞くんですが、あれ、何を基にした……何の生き物のウィッチなんですか?」
「ああ、今ちょうど、こっちで開発者を締め上げてたところです」
と、戦部ユウスケが応えた。声の奥の方に、それが誰に対する物か、激しい怒りが感じてとれた。
「……あいつはもともと、対ウィッチ用の兵器。……とある動物の未分化細胞に、ウィッチ因子を組み込んだものです。状況に応じて姿を変える、可変・状況適応型。として作られました」
――未分化細胞。
一応聞いたことがあった。
受精卵を構成する胚細胞。まだ体を構成するどの部位になるか定まっていない細胞。だ。
となれば、あの不定形の炎の塊のような体躯は、――まだアレがこの先、どんなものになるか判らない、ということか。
「個体名称は――〈カグツチ〉」
此方も一応、聞いたことはあった。――日本神話の、火炎の神。だったか。
確か、「月の神さま」の絵本の登場人物でもあったはず。
「ま、まあ、専門的な話はまだお判りにはならないでしょうが……」
脇からイワクラ氏が口をはさんできた。
「……ええ、良く判りませんね」
と言ってやった。
「……良く判らないものを、良く判らないまま使うからだ」
「……ははは、こいつは手厳しい。その辺に関してはご尤も、後でお叱りを聞かせて頂きます」
そう返す戦部ユウスケに、湧き上がる数多の感情を押し殺し――順番に、問うた。
「あいつは、人を襲いますか」
「襲いますし、食らいます」
「…もしも、このままその、魔法つかいの見習いの子供たちが、自力だけで勝てる可能性は、どのくらいある?」
「10かそこらの小僧どもです。……その年でも強い奴という奴はまあ、いるにはいるんですが、今ここにいる奴らは、そうじゃない。皆殺しにされるのが落ちでしょうな。 コサージュがあくまで補助的な役割を想定しているのに対して、〝カグツチ〟は、単独で敵性ウィッチを撃滅し得る、次世代の主戦力として作られた、その中でも、詰め込めるだけの機能を詰め込んだ攻撃型のハイエンドモデルだからです。……総合的な戦闘力は、六道に至った魔法つかい並だ」
最悪の情報ばかりが、続けて耳に飛び込んでくる。
「だから、今現在自由がきく中で、真っ向から戦って勝てる見込みがあるのは、三人……いや二人。一人は、まあこの俺。残る二人の片方は犬飼。……まずいことに、今は怪我人です。……もう一人は、如何せん問題が多い」
「……嵯峨さんや「みことさん」は?」
実際、今日目にした範囲内では、「みことさん」の化け物ぶりは群を抜いているし。 嵯峨かのんも相当の、少なくとも犬飼かなめを上回る実力であるということは、彼女らのやり取りから伺えた。
「と、とんでもないことです!そ、そのような恐ろしい事!」
イワクラ氏が裏返った声で叫んだ。
七歳の子供のように完全に怯え切っている。
まあ、気持ちは判らなくもない。
特に、嵯峨かのんはともかく、「みことさん」には、マサトも二度と対面したくない。
どうも、彼らにしてからが、彼女たちは触れてはならない第一級の危険物らしい。
「……まあ、その辺にお出ましいただくのは、いよいよここが陥ちるときでしょうな」
「じゃあ、イワクラ氏は?」
「……随分残酷なことを仰るんですね……ああ、あの方はまあその、頭脳労働を担当して頂いています」
という答えが返ってきて、まあ何となく納得する。
「では、あなたが戦ったらどうなる?」
「……場所が場所なので、俺の得意な戦い方は制限されます。厳しいところですが、……戦部の名に懸けて、何とかしましょう」
少なくとも一人、差し迫った脅威をどうにかできる可能性のある者がいる。
……初めて明るい情報が入って来た。と嘆息しながら。
「では、方策を考えました……今からぼくは、その反対側。……こちら側へ移動する」
見取り図の一点の、広いスペース、そこを指で示す。
「できる限り引きつけて、時間を稼ぐ。 その間に、どうにかできるひとをこちらに向かわせてください。……それは、可能ですか?」
「今から言う事が、あなたにできるのであれば」
躊躇いがちにそう返される。
続く言葉も、どこか言葉を選びながらと言う感じだった。
「……チ號参拾、いや、ちさと、でしたか。今は、あなたがそいつの指揮権限者だ。……どうやらそいつは、コサージュとして初期化されたばかりの状態です。こっちからのコードが反応しなかったのも、番号で呼んでも反応しなかったのも「そのせい」だ」
「……そう……なのか? ちさと」
「……うん、そうだね、わたし、今はマサトくんのコサージュだよ?」
ちさとは迷いない口調でそう答えた。
「ねえ、戦うの? わたしと、マサトくんで? ……あんまり、賛成できない。……かな? わたしはいいけど、マサトくんも巻き込んでしまう。……気を使いながら、ならさっきみたいに戦えるけど、そうすると、勝つのは難しいかな……。あ、それ以前に今は戦闘モードじゃないから、足止めや陽動位ならできるけど、普通に戦ったら、うん、負けちゃうと思うよ」
「待ってくれ」
思わず、震えた声を漏らしていた。
「じゃあ君は、ぼくを助けたから、ぼくが名前を付けたから、今、全力で戦えない状態になってるって、そういうことなのか」
「あ…でも、マサトくんが悪い訳じゃないよ!」
「……まずはそいつを、戦闘モードに切り替える必要があります。」
と、ちさとの言葉を遮り、戦部ユウスケが告げる。
「あなたの付けた名前で、そいつを呼んで、戦え、自分を守れと命令してください」
声を上げて問い返す。
「――そうすると、どうなる」
「そいつが命ある限り戦って、あなたを護ります。そいつが持ちこたえている間に、全力で逃げてください。それで十のうち、五か六は命が拾えるでしょう」
「そこまでやって六なのか、八でも九でもなくて!」
「聞いてください。――チ號参拾もあなたも、どちらもできるだけ失いたくはない、けして無為に失いたくはないのです」
落ち着いた、宥めるような声で言う。
「ちさと、今のお前は、あまりその方から離れることができない。……そうだな?」
こくんとひとつ、ちさとは頷いた。
「……今のわたしは、マサトくんのお世話係で、マサトくんのコサージュだから。……マサトくんの為に戦う時が、多分いちばん強いし、逆にマサトくんがいないと、パワーが落ちると思う。今は戦闘モードでもないし」
「……ですから、ベストの形は、ちさとがあなたを「視野に入れながら」戦うことですが、そうなれば、さっき言った通り、あなたを危険に曝すことになる」
「だからこの子に、ぼくの為に戦え、犠牲になれと命令しろって言うのか。……こんな、子供にっ!」
「コサージュというのはあくまで補助的な役割を果たすモノですが……そいつは量産コサージュにしては、中々戦闘能力が高い。 今、でかいマサカリか鎖分銅を持ってませんか?」
「今は……両方担いでる」
「そいつらは、教皇院の「神の武器」と言われてるいくつかの中の二つです。普通のコサージュにはあり得ないほどの戦闘能力を発揮して見せ、功を上げたからこそ、それを二つも預けられてる。……ですが、それもセーフティを解除し、戦闘モードを起動させていれば、の話です。今の民生モードでは」
――半分の力も発揮できません。と戦部ユウスケが口にした。
「だからといって!」
「それとも、獣に食われて死ぬのも嫌だけど、自分で戦いたくもないけれど、女子供を盾にするのも嫌だ、と意地を張り通しますか? ……それはそれで立派な態度だと俺は思います」
戦部ユウスケの言葉は、決して権高でも威圧的なものでもなかった。けれど、
「勝手なことを言うなッ!」
何にもならない、そう承知してはいても、そう声を上げずにはいられなかった。
「……ああ、腹が立つでしょう、何様のつもりだとお思いでしょう。腹が立つなら立てればよろしい! 後でどうぞ、このひとをひととも思わない冷血漢を気が済むまで思うさま打ち据えればよろしい! ……ただ、ひとつ言わせて頂くならば」
大きな声で、はっきりと、戦部ユウスケは言った。
「――どうぞ、悔いを残されませぬよう」
通信機器の向こうで、再度騒がしい声が上がった。
「な、何を迷うことがあるのです! コサージュなど、いくらでも同じものを増産できるではありませんか! ソレがお気に召したなら、同じものを一ダースだって……!」
「少し黙ってろ! この方の、男子一生の一大事だ!」
通話機の向こうで、硬いものが、豆腐か何かを殴って潰すような音がした。
戦部ユウスケがイワクラ氏を殴り倒したらしい。
「……すみません……ちょっとその、机の角に手が当たってしまいました」
……とりあえず、耳障りな雑音が消えた。と言うだけでも、マサトにとってはありがたい。
「……すぐには、決められません。それに、ちさととも、――この子とも、少し話をさせてください」
「……承知。すべての隔壁を落として、可能な限り足止めします。それで、一分間程度は時間が稼げるはずです。俺はもうこれ以上口を挟みません、その間に――どうするのか、肚を決めてください」
そう言うであろうと思っていた。というかのように、戦部ユウスケが即答した。
「あなたが決定を下し次第、俺もそちらへ向かいます」
そこまで言うと、ちさとへ代わるように求める。
「チ號参拾。……いや、ちさと、だったな。そいつがお前の名前か」
「うん」
「気に入っているか」
「うん」
「なら、大事にしろ。そいつは、そうそう巡り合えない類のものだ。もし稼働状態で帰って来たらパンケーキでもハンバーグでも奢ってやるぜ」
「パンケーキにあんこと、ハンバーグにチーズも載せていい?」
「ああ、山盛りにしろ。……おまえのマサトくんに代わってくれ」
通信機器がちさとから帰ってきて、再び耳を当てた。
「もう一つだけ、よろしいですか」
「はい」
「……例えあなたがどんな決断を下そうが、俺はけしてあなたを非難はしません、責めもしません」
「……判った、ありがとう、戦部さん」
そう言って、通信を切る。
――間際、向こう側で、
「俺の鉄砲持ってこい! モタモタすんな張り飛ばすぞォ!」
という獣じみた雄叫びが響き渡っているのが聴こえた。
……戦部ユウスケの声によく似ていたが、まあ空耳だろう。
○
――走りながら、自問する。
たどり着いた広間で、答えを探し続ける。
どうすればいい。
戦うのか。――いや、ちさとを、自分を助けてくれた女の子を戦わせるのか、道具のように使うのか。
そんなことが、自分に許されるわけがない。
どれだけ自分に問いかけても、答えは出はしない、
そもそも、ウィッチは自分を狙っていて。
ちさとが力を発揮できないのは、自分が原因で――
自分は、彼女に出会ってはいけない、ただ一人の人間だったのか。
では――
「――マサトくん」
と、ちさとが自分を呼んでいた。
くいくいと、上着の袖を引っ張られる。
「えへへー」
ちさとが笑いかけた。
あいかわらず天真爛漫――彼女らしい、柔和で穏やかな微笑。
それに一瞬気を取られた瞬間。
「んっ……!」
伸ばした両手を首に回されて、ちさとの胸に、抱きしめられていた。
患者衣を柔らかく押し上げる柔らかなふくらみに、顔が埋まる。
仄かに甘い匂いが香った。
「……自分を置いて逃げるようにってわたしに命令する。……っていうのは、ダメ、だからね?」
「……一瞬前まで、そう思ってた」
そっかー、しょうがないなマサトくんはーと、鈴を転がすような声で笑われて。
「……笑うコトないだろ。これでも必死に考えたんだよ」
「ねえ、マサトくん」
と、そのまま、名を呼んで、頬を寄せて、耳の傍で囁かれた。
「わたしが死んじゃってた時なんだけど……死んでた間のことは覚えてないんだけど、ちょっと覚えてることがあるの」
「何か、あったっけ」
「マサトくん、わたしのこと、ずっと抱きしめててくれたよね」
……それは、確かにそんなこともあったかもしれない。
けれど、それは、
「どうしたらいいか判らなかったんだ、何ができる訳でもなかったしな」
「……あれ、ちょっと嬉しかったんだ、抱きしめていてもらえて」
「倒れる前に、ちょっとお喋りしただろう? なら、全然知らない相手じゃないしさ」
彼女を振りほどくこともできず、ちさとに抱きしめられたまま、そう返す。
「亡くなった外のひとや、魔法つかいはちゃんと扱わないといけないけど、壊れて動かなくなっちゃったコサージュは、ただのモノだから」
相変わらず、ただ穏やかで柔和な口調だった。
「わたしが目が覚めた時、弐拾玖番より前の子は、もういなかった。……他のコサージュの体がゴミみたいに捨てられるのを見るのは、やっぱり悲しかった。いつかわたしもこういう風に壊れて動かなくなって、捨てられちゃうのかなって……怖くて、苦しかった」
いつか必ず訪れる終焉、その時に約束されている無慈悲。
それはどれほどの恐怖か。
……この子は、そんなものを抱えながら、あんな風に。
どこか遠くから、轟音が響いてくる。
それは炎が燃える音。
鋼の防壁が破られる音。
――追撃してきたウィッチが、もうそこまで迫ってきている
「ああ。わたしは、モノじゃないんだって、だから、ちょっと嬉しかった」
マサトの背中をぽんぽんと叩きながら、声の調子を変えず、ちさとは続ける。
「マサトくんが優しいヒトで、名前をくれて、嬉しかった。」
「…優しいどころか、今は君を危険に晒してる」
「……んっ……ここで、終わっちゃうの」
ちさとが呟いた。
「……わたしは、いやだな」
胸元に抱きしめたマサトに、続けてそう囁き、問いかける。
「せっかく、あなたに逢えたのに、名前をもらえたのに、もうおしまいなのは、悲しいな」
ちさとの胸の奥で脈打つ心臓の鼓動を感じながら、それを聞いていた。
「……あなたは、どう?」
ちさとの両手にこもる力が、僅かに強まった。
「……死んじゃっても構わない。って、今でも、そう思う?」
その手は僅かに震えていて、その声の底には、微かに怯えがあって。
激しい衝撃音が、響き渡った。
分厚い防壁に、ウィッチが突進し、攻撃を加えている。
もう後、数十秒もすれば破られるだろうと思われた。
意外なほど素直に、胸の奥から言葉が流れ出た。
「――ちさと」
今から、自分は、君に、きっととても酷いことをする
「空を見たことないって、言ってたよな」
顔を上げ、一度ちさとから身を離す。
「……雪、って知ってるか? 空から、白い氷の粒が降って来るんだ」
反対に、両手で肩を掴み、目線を合わせて、彼女の顔に、正面から向き合って。
「――素敵だね、それって。……やっぱり冷たいの、かな?」
「夜になるとね、空にはたくさん星が見える。色々な星があって、繋ぐと、星座っていって、色んな形を表す、星の並びがあるんだ。それぞれにお話が合って、……本で読んだから、少しはぼくも知ってる」
「それ、見てみたいな。……マサトくんのお話も、聞きたい」
「……君と一緒に、いろんな空を見に行けたら、いいと思うんだ」
「うん、うん。……うん!」
ちさとが、何度も頷いた。
「……マサトくん。 魔法つかいは、自分の名前を叫んで、自分がどこの誰で、何をして見せるのかを叫ぶ。コサージュはちょっと違ってて、名前を呼んでもらって、何をしてほしいのか教えてもらって、それで力を発揮できる。だから――」
白い頬が、今はほのかに紅潮している。
「だから、マサトくん――大きな声で、わたしの名前を呼んで」
「戦部さん――戦部ユウスケッ! 聞こえるか、ぼくは決めたぞ!」
大きく、声を張り上げた。
「この場で、ウィッチを迎え撃つ!」
一番割に合わない、分の悪い賭けに、張ってやる。
この子と並んで、空を仰ぐ。
「――戦え、ちさと」
そのために――叫ぶ。
「戦え! ――必ず勝て! 生き残るぞォ!」
ちさとは、笑顔を向けて返す。 応えて、叫ぶ。
「あなたの欲望――受け取ったッ!」
――刹那。
軋む金属の悲鳴を上げながら持ちこたえていた隔壁の、その最後の一枚が、断末魔の声を上げながらついに破られる。
一ツ目の、燃える紅蓮のウィッチが、焼き切られた隔壁の裂け目からその姿を見せる。
僅かな時間で、その姿が、大きく変わっていた。
一つ目は変わらないが、ぐにゃぐにゃした不定形から、明確に頭と胴と、尻尾があった。
鋭利な刀が並んだような鉤爪を備えた、前肢があった。
そして、ぽっかりと空いた穴のようだった口蓋が、上下に分かたれ、上顎と下顎を備えていた。
敵意に満ちた咆哮を響かせるとともに、巨大な咢門から、爆音とともに紅蓮の灼熱が放たれた。
岩を砕き、鉄を蕩かす熱波を伴う、超高熱の業火。
押し寄せる炎に向けて一歩踏み出し、告げる。
「わたしのこと、ちゃんと見ててね。マサトくん」
放たれたそれを、かざした掌で受け止めた。
一瞬で蒸発するはずの少女のか細い四肢が、しかし、燃え尽きることなくその場に踏み止まった。
炎が、嵐のように渦を巻き、火の粉を散らし、叫びを上げながら、ちさとの小さな身体へと、吸い込まれてゆく――!
〇
烈しく吹きかける呼気と共に噴射する火焔が、目の前に進み出た童女を呑みこむ光景を、〝カグツチ〟は一つ目で捉えていた。
〝カグツチ〟は、ウィッチの因子を活用し生み出された、対ウィッチ兵器である。
人間や、魔法つかいや、コサージュのような意味での人格や情緒や感情は存在しない。
備わっているのは、あるスイッチが入ったことによって発生する、言わば――害意。ウィッチ因子に支配された生物固有の「攻撃」の意思。
だが、あえて表現するのであれば、その瞬間のカグツチは、それを「快」と捉えていた。
――ああ、これで障害が無くなった。
――どうでもいい。これで破壊できる、これでアレを抹殺できる。
―――――――の発生を、阻止できる。
――どうでもいい。
――今目の前で燃え尽きた、ヒトのメス。
――ヤツが振り回していた、何度も叩き込んでくれた金属製の棒と板と、玉と、アレに対抗するために造った、前足と爪は無駄になったが。
――どうでもいい。標的は、――は、その後ろにいる。
これで、楽に。
「――武王ォォォォォッ!」
焔の奔流をかち割って現れたのは、教皇院七大神の武器棘付鉄球「武王」の一撃。
「鎧王ォォォォッ!」
続け様に叩き込まれる、大戦斧の刃。
よもや反撃はあるまいと認識して、防御も回避もできぬままの体勢だったところに続け様に放たれた出会い頭の読み違えに、〝カグツチ〟はたまらず、たたらを踏んで数歩後ずさった。
一つ目が認めた、その姿は――。
ちさとの、獅子の鬣のごとく熱風に乱れる髪が、――燃え立つ炎の、赤い色に変じていた。
秀でた額から伸びて天を射るのは――二本の、螺れた角。
右手に、――戦斧・鎧王。
左手に、――棘付鉄球・武王。
逆巻く焔を背負い、ちさとが叫ぶ。
魔法つかいが必ず勝たねばならない戦いに臨んでそうするように、己が何者であるか、何を為さんと生まれたかを、気勢と共に、世界に叩きつける。
「教皇院・マサトくんお世話係、祇代マサト専用コサージュッ! チ號参拾!」
否、もはやそれは彼女の名ではない。
彼女の名前は――
「――チ號参拾改め、ちさとッ! ――がんばるよッ!!」




