第二夜「焔」(Bパート)①
○
――けたたましい非常ベルのサイレン音が、耳をつんざいた。
「……今度は、何だよ」
「一度外に出よう、マサトくん!」
既にちさとが立ち上がり、ここから離れるように、と、手を引いている。
彼女が普通に出入りしていたように、特別施錠などはしていないし、されてもいない。
部屋の外に出れば、無機質な通路が緊急事態を表す赤い回転灯に照らされ、不穏な気配を一層あからさまなものにしていた。
緊急事態用、と思しきアナウンスが、切羽詰ったような声で叫ぶ。
「このままだと、居住区域に……!」
「……実験用の被検体ウィッチが、暴走を始めた!」
「緊急停止コードも機能しない!」
性質の悪い夢のように――ちょうど聞き覚えのある用語が、聞こえてきた。
居住区域、というのは、つまり自分達がいるこの辺、のことであろう。
一応、そのアナウンスの内容で、今どういう状況になっているのかはおおよそ察しがついた。
――正気かよ。
心の中で、毒づいた。
この教皇院は「ウィッチ」=「人類に対する敵性種族」と戦うための組織であるという。
確かに、あんな生物が、種族として敵対行動を取ってくるのであれば、その生態や能力の解明には注力するだろう。
だから、無力化した個体を殺さずにあえて生かして捕え、役立てよう、というその行動自体は理解できる。
そして、いくら末端がマサトから見て人間としておよそ最低のレベルで腐敗腐乱しきっているとはいえ、いや、腐敗していればこそ、自分たちの身の安全を守ることだけには万全を期するだろう。
であれば、通常は予防されている事態が、現在進行形で起こっている。
そういうことになる。
ちさとは、と振り返ってみれば、
「へぇ……こんなの初めてだな」
と、随分落ち着いてつぶやいていた。
「……でも、慌てると危ないよ、マサトくん。 まだここからは随分離れてるから、焦らず落ち着いて、急いで移動しようね! 押さない、駆けない、喋らない、だよ?」
なんて、――避難訓練引率のお姉さんのようなことを言ってくる。
「……ちさとは、ウィッチ見たことあるかい?」
「うん、あるよ」
「……そうか、あるのか。ぼくは、今日初めて見た。ぼくが見たのは、蛇のウィッチだったよ」
「そっかぁ、初めて見ると、びっくりするよね!」
「……ああ、いや、押さない、駆けない、喋らない、だったよな」
とはいえ、ただ闇雲に口をきかないというのも理に適っていない。
さっきまでいた部屋まで戦部ユウスケが案内してくれた際に、一応道順は――最悪の場合ここから一人でも抜け出すという選択肢のために――頭に叩き込んでおいた訳だが、その道を唯そのまま辿ればいいというわけでもなさそうだ。
何しろこの施設は、外から見えた、公共施設然とした箱もの構造物の外観から推し量れたそれよりも、内部の空間が明らかに広大である。
大きめの公民館程度かと思ったら、実際移動した距離を考えれば、すくなくとも大都市の駅程はあるのではないかという印象だった。
「ちさと、今どの辺なのか、どっちに逃げればいいのか、教えてくれないかな?」
「えっと、この中のことは、マサトくん、知ってる?」
「……ここがどういう構造なのかは、一応」
「あ、ちょっと待ってね」
と言って、ちさとは患者衣のポケットを探る。
「はい、これ!」
と言って差し出したちさとの掌には、縦横合わせて20センチ程度の電子玩具のようなものがあって、液晶画面から薄青い光を放っていた。
「……? いや、ちさと、ゲームなんかで遊んでいる場合じゃあ……」
当惑しつつマサトがそう言うと、
「あ……、そっか、外にはまだこれ、ないんだっけ」
ひとつ頷くと、ちさとは
「これはね、ゲームもできるんだけど、離れた人とおはなししたり、文章をやり取りしたり、目的地への行き方を調べたりできるの!」
と説明した。
「携帯、電話……? いや、小さいパソコンみたいなもの……ってことか?」
見れば、確かに液晶画面には、いくつかのシンボルマークが浮かびあがり、それぞれが用途を示すものであるというのが伺え、かろうじてマサトの知っている範疇の技術の、その発展延長上のものであるということがわかった。
「……マサトくん、わかる? 指先で、こうやるんだよ」
ちさとが指先でこすると、液晶画面に建物全体の見取り図が浮かび上がる。
「えっとね、今いるのが、多分この辺り。……それから、この辺りが、「研究区画」。……だから、こっちに行けばいいと思うよ!」
……改めてこうして見取り図を示されると、どこか、全体の形状が、翼を持った大きな生物が、身を屈めているような。
そんな風にも見えた。
「……ここが、子供たちが生活したり、勉強したりするところで」
ちさとが画面の中の見取り図の向きを変え、拡大度を操作しながら、そう示す。
「その近くのここが、――〝緊急時の、避難場所〟」
なら真っ直ぐそちらへ行こう。とマサトもそれに賛同した矢先、
「あ、でもちょっと、待って、――武器、探して行こう! ウィッチに遭うかもしれないし、わたしも手ぶらじゃ嫌だな。それに、マサトくんも何か持ってた方がいいよ」
と、ちさとは提案した。
〇
「じゃーん!」
さほど寄り道、というわけでもなく、端末の示すルート上にある物置の中、彼女の個人用だという箇所に入って、
「これが、ちさとのおススメです!」
と言いながらちさとが指先で示すシロモノに、マサトは目を疑った。
壁の得物かけには、巨大な黒金色の戦斧が立てかけてあった。
まさか、実用品ではあるまい。と思った。
明らかに装飾と思しき彫金や鍍金は控えめな印象だが、実際、長さだけでもマサトの身の丈並。
ちさとの横に並べた際に至っては、身長以上ではないか。
これではよほどの力自慢でも、持ち上げるのが精いっぱいだろう。
「はい! これがマサトくんの分の武器よ!」
……と思ったのだが、ちさとの方は、どうも本気でマサトの護身用にこの大鉞を担がせるつもりらしい。
「わー、こういうの欲しかったんだ! やっぱり男はこういうでかい武器だよな! ありがとうちさと!」
と感動してもらえると期待していたかのような顔だった。
「あれ? どうしたの? 斧は好きじゃなかった? 他のがいいの? 一番強そうな、良さそうな子を選んだんだけど」
「……でも、これはぼくにはちょっと持ち上げられない、かな……」
「そうかなぁ? この子……鎧王は優しくて大人しい性格だから、大丈夫だと思ったんだけど」
武器に、名前とか性格があるのか。
「斧って、いいよ? 剣や刀は刃筋を立てて押すか引くかしないといけないし、槍はまっすぐ突き立てないといけないけど、斧だったら、こうやって振り回して、とりあえずどこかに当たれば、かすめただけでも、だいたいの相手はひるむもの」
斧の魅力と利点を滔々と述べる女児(小学生相当)。
……まあ、一応筋は通っている。
剣術も槍術も修めていない身であれば、どこかにかすりさえすればいい、というのは確かに魅力だし、このデカブツならば、持っているだけでも心理的に頼もしく感じるだろう。
そもそも祇代マサトの腕力がこいつを振り回すのに適していない。という点に目をつぶればの話、だったが。
「じゃあ、他のにしようか? マサトくんは何が得意? 刀? 弓矢? わたしは大体何でも使えるから、マサトくんが先に好きなの選んでもいいよ?」
「……いや、ぼくは……」
マサトが口ごもるのを見ると、ちさとは
「……あ、もしかして、マサトくんは、戦うの、嫌いなひと?」
と、訊ねた。
そもそも、マサトはおよそ戦闘能力と言うものに縁がない身である。
それをまあ、一度置くとしても。
「好きとか嫌いとかじゃ、ないんだけど、前にちょっとね」
「……どうしたの? 誰かに嫌なこと言われたの?」
「まあ、そんなところかな。……ぼくは一応、そうするべきと思ったんだけどね、その時言われたのさ」
――思い出す。
数時間前に相対した、灰色の外套と桔梗の紋のあの男。
火神帝國の明智光秀の、その言葉を。
――戦うなんて嫌ですが、大切なものを守るためにやむをえず戦います。って?
――心優しい善人が、悪党に良いように使われる典型的なパターンだなァ!
そういう趣旨のことを、言われた。
そして皮肉なことに、その言葉を、マサトは理解できた。
ある一面でそういう事実もあると、そして自分自身が現在進行形で割とそんな立ち位置にあるとできてしまった。
自分が生き延びるために、近しい隣人の為に、必死に気力を奮い立たせ、外敵なるものに抗おうとしたところで、所詮それすらどこかの誰かの利害の公算の盤上ではないか。そんな想いがあった。
……苦々しい顔でマサトがそう言うと、ちさとは。
「ふーん、ならいいや」
と、答えた。
「わたしは、別に戦うの嫌いじゃないから、わたしが戦うね!」
「……戦うのか? キミが?」
「うん、チ號型はお手伝い用のコサージュだから! いろんなことをするのよ!」
と言って、えへん、と彼女は胸を張る。
確かに、それらしいことを幾度か口にしてはいたが。
「チ號参拾ことちさとちゃんは、お料理も、お洗濯も、お絵描きも、病気の人のお世話も、ウィッチとの戦闘もこなせる、とっても高性能な最新型のスーパーコサージュなのです!」
……幼い顔だちと小柄な体格からすると、ちさとはせいぜいまだランドセルを背負っている年頃ではないかと思われるのだが。
しかし何と言うかその体格にしては、どことは言わないが、そこだけでかい。
……とはいえ女の子だ、あまり見たりしては非礼にあたるだろう。
マサトはまた返事に窮して、口を閉じる。
……まあ確かに、犬飼かなめだって年若の女の子には違いなかったのだけど。
彼女はそれよりも明らかに幼いし、「みことさん」に感じたような恐ろしげな凄みもない。
やはりどうも「こんなにも年若い少女」に「武器を持たせて戦わせる」というその精神性に、おぞましいものを感じてしまうのだ。
ちさと当人の物言いに微塵の陰惨さもなく、ひたすら明るく朗らかであればこそ、尚のこと。
強制でも強要でもなく、あくまで「当事者の自己決定と自由意思に拠って」課される非道行為というのは、より邪悪でより惨たらしいものになる。
歴史の本で読んだ、お決まりのパターンだ。
……逆に嵯峨かのんのような老婦人であればいいのかということになってしまうが、それもそれで問題がある気がする。
「君がすごいのは、よくわかっているけど」
「マサトくんは戦うの嫌いなんでしょ? なら、戦わなくていいよ」
と、ちさとは言う。
特段に、突き放す、という口調ではなかった。
単にそう思ったから言った。というのが、雰囲気としては近かった。
「……うーん、と……例えば、マサトくんが突然、知らないひとに殴られたとして、その時どうする?」
少し考えてから、ちさとはそう問いかけた。
「……理由と、程度によるかな」
「……例えばの話だから、別になんでもいいよ。お金とか、食べ物とか、そういうものが欲しいとか、単にマサトくんの顔とか声が気に食わないとか、誰でもいいから暴力を振るいたいとか。……理由によっては、殴られてあげる?」
「……ああ。まあ、逃げようとくらいは、するだろうけど」
別に殴られるのが好きだというわけではないし、苦痛から逃れたいのであって、けしてことさら苦しんで死にたいわけではない。
息の根が止まるまで殴られるのは、さぞや苦痛だろう。
まして、ちさとにもらった、大切な命だ。
首肯して、そしてちさとは、でも――と続ける。
「でも、マサトくんはひとを殴るなんて、戦うなんて好きじゃないから、できるだけ殴り返したりしない……でしょ?」
「……自分の身を、大切なものを守るために戦わないのは情けない、男らしくない。って、言われそうだな」
それは承知していたが……そうであっても、マサトにはどうしても「自分は大切なもののために戦う」という「強い」言葉を口にしてしまうことに、抵抗と嫌悪感があった。
「誰? その例えばのお話の中で、誰がマサトくんのこと、悪く言うの? 関係ないヒト? それとも、マサトくんのことを殴ってくるヒト?」
不思議そうに、ちさとは問いかける。
「――マサトくんは戦いたくないんだから、殴られるのは嫌だ、戦うのも嫌だっていえばいいだけだし、それに、そもそもそのひとがしてるのは「悪い事」なんだから。マサトくんが殴られた上に、無理して、嫌なこと我慢してやらなくちゃいけかったり、その上お説教されるなんて、それはただの、その人のワガママだと思うよ?」
「でも、実際には ……例えばそれこそ、ウィッチは、別に悪意でも何でもなくて、ただ腹を満たすために襲ってくるだろ? ――そういう時は、どうしたらいいと思う?」
彼女を困らせたいわけではないが、そんな風に聞いてみる。
けれどちさとから返ってきたのは、
「……さあ?」
という答えで、
「何か、目が覚めるような答えがあるのかと思ったよ」
「……うーん、考え方を言ってみただけだから。 ……でもね、方法は、きっとたくさんあると思うよ? 例えばえーと、ほら、ほかのひと、戦うの嫌いじゃないひとに、代わりに戦って、守ってもらうとか!」
「結局、他力本願か」
「駄目、かな?」
「……いや」
それでもいい。
嫌悪感を拭いきれないまま「強い」言葉に飛びついてしまうよりも、情けない、男らしくない他力本願の方が、自分にはずっといいのではないか。
――と思った。
「……戦うの嫌いなひとが戦うよりも、嫌いじゃないひとがやった方がいいんじゃないかなぁ? ……戦部さんなんか、一日中どっかんどっかん大砲撃ってても、全然悪いって思ってないよ?」
――そうか、つまり君はそういう男だったんだな、戦部ユウスケ。
ちさとが、続けて問いかける。
「じゃあ、マサトくんがいま一番、失くしたくないって思える大切なものは、なに?」
――けして取られたくないもの。絶対に奪われたくないもの。
強いて言うなら、マサトにとって今、それは、
「――命だ」
ぽつりとそう呟いた。
「ちさと、ぼくは……」
正直、彼女には伝えづらいこと、だった。
「ぼくは、身体が弱くてね」
だが、だからこそ、いつかは言わなければならない。
ならばいっそのこと、今言ってしまおう。
「しょっちゅう、さっきみたいに血を吐いていた」
そう思って……マサトは言葉を続ける。
「だから、こんな思いをこれからもするくらいなら、こんなに苦しいなら、どうせこの苦しみから逃げられないなら、」
絆創膏を剥がして、治っていない傷口を見せつけるような気分で、
「――早く、本当に死んでしまいたいって、そう思う事だってあった」
そう、口にした。
己の命。――それは、それこそは、マサトがこれまで長く、どうしようもなく持て余し、早く使い切ってしまいたいと心の底で思い続けたモノ、だった。
けれど……、
「だけど、現実に、本当に死んでしまいそうになった時、ぼくは誰かに助けてほしいと望んで、……君がぼくを助けてくれた。 今は、これだけは、もともとのぼくのものではなくて、君にもらった命だから。……特別、だ」
ちさとは、ただおだやかな顔で、マサトを見ていた。
「……あ、マサトくんが、わたしのあげた命を大切にしたいって思ってくれたの、何だかうれしいな」
「……うん」
「それはもう、マサトくんにわたしがあげてしまったものだから、マサトくんはそれをどう使っても構わないし、例え粗末に扱っても、わたしには何も言えないもの」
「……いや、そんなことはできるだけしないよ。大切に、使う」
「良かったら、なるべくこれからも、大事にしてほしいな! ……今度は、助けてあげたくても、わたしの命の代わりは……もうないしね」
「ああ、命のスペアは、もうないんだったよな」
「……残念だけど、いっこもないね。 ……あ……でもでも! マサトくんにはわたしがついてるから! 大丈夫! きっと大丈夫だよ!」
と、胸の前で握り拳を作って、ちさとは笑いかけた。
「……そっか。頼もしいよ」
苦笑いと共にそう返して、
「ちさとは、すごいな」
と、口にした。
「うん! わたしは、みんなのことが大好きなんだもの! 大好きなみんなのためって思うと、がんばれちゃうの!」
そう、彼女は、すごい。
――少し、普通ではない。
何分、生まれ育ちがふつうでないぶん、マサトには普通と言うものが実際の感覚としては良く判っていない。と言う事は自覚している。
彼が身近に知っているのは、育った施設の同窓生たちと、その職員だ。
もちろん、様々な性格、気質の子たちがいた。
活発だったり、大人しかったり、温厚だったり、感情の起伏が激しかったり、まあ色々だ。 生きているのだから、当然だ。
少なくとも、それはどこでも共通だろうと、自分たちがそうずれた在り方をしている訳でもないだろうと、マサトは信じている。
それでも、あそこにいた子供たちの、一定の傾向、と言うものはあった。
……その一つが、自己肯定感の得難さ。である。
あくまで、あそこが特別酷いところだったわけではない。子供同士の中で悪質ないじめが改善不可能なレベルで横行していたわけでもない。
ただ、自分たちが同年代の、教皇院の言葉を借りれば「外の」子供たちに対する、拭い難い負い目は、やはり存在した。
そういう自分の存在に対する不信感はマサトにも、多分弟にもあった。
かつ、その境遇に対して荒れるでもなく、内にこもるでもなく、マサトのようにふて腐れることもできず、そして、それらを乗り越えて人間として自立するということもできなかった場合。
……過度に「良い子」になってしまう、という子は、幾度も目にしてきた。
環境に対する、過剰適応。
必要以上に、自分を抑え込んでしまう。
必要以上に、他者に対して献身的になってしまう。
……言ってしまえばそれだってある種の「歪み」だし「病」だ。
コサージュ。――人工の魔法つかい。
この子は、普通の、当たり前の12歳かそこらの女の子ではない。
それは、判っているのだけれど。
この子の、まるで絵本の登場人物みたいな博愛精神と真っ直ぐさには、どこかそういう危うさを感じるのだった。
「わたしは多分、ひとを助けたいとか、笑顔になってほしいとか思うの、やめられないし。 ……悲しいことなんて、ひとつ残らずなくなっちゃえ、って思う気持ちも、きっとなくせない。……きっと、それがわたしの、いちばんおっきな欲望なんだ」
そんなことを思いながら、ちさとの言葉を聞いていた。
「マサトくんのことも、大好きだよ!」
「……ぼくは何か、そんなにきみに好かれるようなことをしただろうか?」
何の気はなく、ただ話の流れで、ぽつりと、マサトはそう尋ねてみた。
「……え」
それだけのつもり……だったのだが。
ちさとは、予想外のことを聞かれたかのように、さっと目をそらして、
「え……えっと……」
と、しどろもどろになる。
しかしそれもほんのしばしのこと。
「んっ……気付いてくれてないみたいだから、教えてあげない」
「……ちさと?」
彼女は小さく頷いて逡巡を断ち切り、
「ないしょ!」
と言って笑うのだった。
……まあ、小学生相当の子供に大好きと言われても、面映ゆくなくはないが、そう重く考えることもないだろう。
「えっと、とりあえず、武器、選ぼう?」
どこか白々しく話題を切り替えて、ちさとはロッカーに顔を差し込んだ。
「わたしは、そうだなー、今日はこの子にする! この子と鎧王が、わたしが使える中では一番強力なんだよ」
じゃらりと音を立てて、ロッカーから鋼鉄の鎖が引き出される。
「この子は武王、ちょっと寝起きが悪くて、のんびり屋さん」
その先端には……あろうことか、サイズで言えばバスケットボール程の球形の鉄の塊が繋がっていた。
加えて、鋼鉄色の球体部分は、その表面に鋭利な棘を幾つも纏っていた。
――銀髪で柔和な雰囲気の童女が、鎖で繋いだ棘付鉄球を引っ下げている。
その絵面に、再度目眩を覚える。
ひゅん、ひゅんっ。
ちさとは軽く鎖の片端を握り、鉄球をお手玉のように何度か旋回させて見せた。
どこかユーモラスなしぐさだが、その一撃が霞めただけでも鉄棘が人間の胴体を割り開き、頭蓋を粉砕するシロモノであろうことが見て取れて、マサトは口の中に酸味を覚えた。
「……鎖って便利なんだよ、こうやって巻きつけておけば、攻撃を受け止めるのにも使えるし。それにこの持ち手、見て! 先のところが短剣になってて、近づかれたらこっちで戦えるんだよ!」
……まったく、頼もしい世話係ができたものだ。
「それから、この子もわたしが使うね。……行くよ、鎧王」
それじゃ、いこっか。と、これまた軽々と大戦斧を担ぎ上げて、マサトへと向き直る。
「結構、長くお話ししちゃった、早く避難場所まで行こう」
「ああ。……まったく、何であんな生き物がいるんだろう、な」
ちさとに頷き返すと長い廊下へと再び移動して、マサトはそう呟いた。
「……教皇さまは……」
出来る限り早足で歩きながらの、半ば独り言のようなものだったのだが、ちさとは耳ざとくそれを聞きつけて、
「「仕方がない」――って、言っていた」
と、その続きを口にする。
「仕方がない、だって?」
歩調を落とさないようにしながら、考えを巡らせる。
……それは、どういう意図の言葉だろうか。
ウィッチの被害から、市民を守る教皇院。
ならば、その中において責任ある立場ともあろう者が、軽々しく口にするべき言葉とも思えなかった。
「……ぼくには、そうは思えそうにない」
「そう、かな?」
「……君が仕方がないと思っても、ぼくは、仕方がないとは思わない」
仮に、ウィッチというものが「種族」であり、その完全な根絶や駆逐が実質的に不可能なものであるとしても。
生態として人間を捕食する、人間の天敵のようなもの。いわば自然の摂理の一部なるものであるにしても。
――あまりに、志が低いというものではないだろうか。
自らが、一個体の生物としては脆弱極まる生まれつきをしているが故に、マサトは「食物連鎖」だの「自然の摂理」なるものをそのまま物分り良く受け入れてしまうことに、ある種の抵抗があった。
……それが仕方がないで通るならば、どんな惨酷劇だって仕方がないで終わってしまうだろう。
「……あんな生き物が、その辺にいることも、君みたいな子が、武器を持って戦わなくちゃいけないことも」
と、マサトは言った。
「ぼくがこんな体に生まれついたのだって、仕方ないってことは、ないだろ?」
だからと言って、何をどうこうできるわけでも、ないのだけど。
「……そっか、仕方なく、ないんだ」
マサトの言ったことを、噛み締めるように、口の中で何度か言葉にしてから、
「……いいかもね、それ」
と、ちさとは言った。
その直後、だった。
「――ッ!」
ちさとが、耳をそばだて、さっと向き直り、周囲を警戒しつつ、マサトを背中に庇うような挙動を取っていた。
「……ごめんなさい、マサトくん。お喋りしてないで、もっと急いで、真っ直ぐ逃げればよかった」
彼女らしからぬ、こわばった表情、硬い口調。
「どうした、ちさと」
「ウィッチが……こっちに向かってる! さっきまで別の方に向かってたのに――真っ直ぐ、近づいてくる!」
「――なッ!」
さすがに、彼女の表情にも余裕がなかった。
「マサトくん、わたしに掴まって!」
短く叫び、戦斧を背中に担ぎ、鎖鉄球を肩にかけて、自由になった両腕でマサトの体をしっかりと抱きしめる。
柔らかな双球が、マサトの身体に圧迫されて、平べったく形状を変える。
細い指、小さな掌がマサトを支え、一瞬、重力が喪失した。
「逃げるよっ!」
マサトが背中に感じる少女の掌は、――微かに震えていた。
――走る。
まるで前方に向けて落下しているのかのようにすさまじい速度で、周囲の景色が流れ去ってゆく。
一足一足が床面を蹴って、その度に再加速。瞬く間に100メートル近くを駆け抜ける。
童女に抱きかかえられながら全力疾走するという人生初の経験に困惑しながら、抱きしめる手から伝わってくるのは、微かな震え。
風切の音を聞きながら、耳朶が捉えたのは、――熱。火照り。
……それが示すのは、何かしら、高熱を放つ物が、ちさとの脚力以上の速度で追尾してくると言うコト。
疾風の如く駆けていたちさとが、急停止した。
「間に合わない――来るッ!」
「追いつかれるってことかッ?」
ちさとに抱きしめられたまま、マサトは叫んだ。
「どうするんだ、ちさとっ!」
「……戦う!」
一言叫び、抱きしめていた両手を解いてマサトを解放した。
「マサトくん、伏せてッ!」
咄嗟に、ちさとに言われたとおり、そのまま倒れ込むように横に飛んだ。
腹ばいになったマサトの頭上を、〝鎧王〟の半月状の刃が疾走する風切の音が通り過ぎてゆく。
「……こん……のぉっ!」
ちさとの叫びと、戦斧の刃が、何か強固なものに叩きつけられる衝撃音が、甲高く響き渡った。




