意識 ――時の流れ――
帰りの道中は二体のゾンビが居た、でも異形から回収した矢と、鉈を使って難なく倒した。慣れてきたのもあると思う、けど一番の要因はナオミがいる事だった。ナオミが一緒にいるだけで心強かったし、力が湧いた。一人じゃないのが凄く嬉しかった。少しだけかもしれないけど、頼りにされている事が自信になった。
「シャワーを浴びたい」
と言うのでナオミの家にも寄った。
久しぶりに見るナオミの家は懐かしくも新鮮だった。そして数年ぶりにナオミの家に上がる。
「家の中、好きに見て回っていいよ。何か使えそうな物があったら持って行って」ナオミはそう言うと、スクールバッグを居間に置いて、「その間にシャワー浴びてくるね」
そう言って、お風呂場へ行ってしまった。
置いてある家具や、電化製品の変化が、最後にここに来た時から数年の時間が経っているのだと僕に教える。
しかしそんな気持ちもすぐに消え、ドキドキと心臓が脈打つ。
今この瞬間ナオミはお風呂場で…………。
どうしても気持ちが悶々としてしまう。気が気じゃない僕は、着替えや食糧など使えそうな物と必要そうな物を探した。
二階に上がり、ナオミの部屋のドアに手を伸ばす。
(さすがにナオミの部屋に入るのは、不味いかな……?)
僕は少し迷ったあと、『ちょっと見るだけ……』とドアを開けて部屋に入る。ナオミの部屋もまた、数年の時が経過し、変化していた。大きくなった服に、あの時は無かった姿見ドレッサーと女子高校生向けのファッション雑誌。
そしてコルクボードには僕とナオミの子供の頃の写真が貼ってあった。そこだけは懐かしいあの頃の一瞬が今も変わらず切り取られていた。あの頃が本当にあったのだと、教えてくれた。懐かしさが再び蘇る。
ナオミの部屋を出ると、僕は不思議と顔が綻んでいた。悶々とした気持ちが吹き飛んだ。足取りが不思議と軽くなり、僕は他の部屋を見て回った。
居間でナオミの家族の写真を見つけた。大きくなったナオミを含めた家族全員が写った写真。『あっ』それを見て、完全に失念していた事を思い出す。
(ナオミの事だけで頭がいっぱいで他は完全に忘れていた。ナオミの両親はどうしたんだろう? やっぱり――――。いや、きっと無事だろう…………。でも、僕が伯父さんの死を話していないように、ナオミも言わない事にしているのだろうか? やっぱり聞かない方がいいだろうか、僕の家族がそうだったら聞かれたくないし……。話したい事があれば、その内言ってくれるはずだ。今はそれを待とう。僕もいつかは――――――。)
シャワーから戻ったナオミが開口一番に、
「ヒカルちょっとクサイ。ヒカルも浴びなよ」
「う、ごめん……。そうする」
『ヒカルが入ってる間に荷物の整理と、後ブレザーのボタンを直しておくからゆっくりでいいよ』、と言うので僕も久しぶりにシャワーで体の汚れを落とした。
自分のニオイは自分では中々わからないと実感した。あの緊張状態の中で匂いを気にする余裕が無かっただけかもしれないが。
シャワーを浴びたら、体から滑り落ちた水が真っ黒だった。排水溝に吸い込まれて行く水が、思った以上に汚れている。いかに自分が汗をかいて、血を流してまたは血を浴びて汚れていたかを実感する。
ついでにシャンプーを借りて頭も洗った。これまたどす黒い水が流れ落ち、全身がすごく汚れていたのを実感する。そして指に絡みついた大量の抜け毛に違う意味でゾッとした。排水溝が詰まらない様に、髪の毛を回収してお風呂場を出た。
シャワーから戻ると、ナオミが荷物をスクールバッグから「こっちの方が沢山はいるから」とリュックへ入れ替えていた。「もうちょっとで終わるから少し待ってね」
僕は待っている間に髪を乾かした。そして弓が分解出来ないか調べて待っていた。
家に帰れば矢はまだ何本か残っている。愛着も湧いたし、僕の命を救ってくれたこの弓を出来ればこれから行く先に持って行きたかった。
(でも何時かは矢もなくなる、接近戦にも慣れないといけないな。どこかで矢が補充出来ればベストだけど……)
「準備出来たよ」
僕は頷くと、忘れ物が無いか確認してからナオミの家を出た。
それから何事も無く無事に僕の家に帰ってこれた。
夕暮れが迫って来たのもあり、出発は明日、晴れたら行く事になった。
ガスが使える事を確認したナオミは何か料理を作りたいと言った。でも、まともな食材が無く作れなかったので少し不満そうに頬を膨らましていた。
料理が作れなかった事に関しては、僕のほうが残念に思ったかもしれない。もう十数年の付き合いだけど、ナオミの手料理は一度も食べた事が無い。
ハァ……食べたかったなぁ。味も種類もなんでもいい。何かこの先食材とかも手に入るといいな――――。
「じゃぁお風呂入るね」
「えっ、さっきシャワー浴びたんじゃ――――」
「それとは別なの!」
その言葉に心臓が思い出したように強く脈打った。ドキッとして高鳴る心臓をごまかすために、出発の準備をする事にした。
明るい内にガレージと、物置から必要な物を持って家に入り、荷物の整理を始める。一応台所のテーブルに母さんに宛てた書置きを残しておいた。そして僕はなんとか弓の分解に成功し、組み立ても何度か練習した。
「気持ちよかった~」
ナオミがお風呂から戻ると、良い匂いが漂ってきた。顔を上気させたナオミを見て、僕は何とも言えない気恥ずかしい気持ちになってしまう。振り払ったはずのドキドキが舞い戻って来てしまった。
「私もおばさんに書置きしよ」
台所の僕の書置きを見てナオミが言った。書き忘れが無いのを確認するように空中を見つめては、カリカリとペンを走らせている。
僕は気を紛らわせようと、再び準備に集中する。なるべくコンパクトに本当に必要最低限の物と弓をなんとか詰め込み、準備が完了した。
カンパンと缶詰の質素な夕飯。
でもナオミと同じテーブルで食べるのは久しぶりで、嬉しかった。
僕は食べ物に無頓着だけど、ナオミはやっぱりイヤなのかもしれない。彩りも何もないし、栄養バランスもクソもないだろう。お腹を満たすだけのつまらない食事だ。
自分が平気だからナオミも平気だろうと思ってしまっていたのかもしれない。平然と普通にむしゃむしゃ食べていた自分を反省して、何か言いたそうな表情のナオミに尋ねる。
「どう……したの? ――これじゃ、やっぱ味気ない……よね」
テーブルに並べられた品々を見て、謝罪する気持で言った。
「え、あっそうじゃないの! ……ただ、この先どうなるかな? って」
「う、確かに……、でもきっと――」
食事に対する不満はやっぱりあるだろう。でもナオミの一番の懸念はこの先どうなるか、この街の外はどうなっているのか? これから先この騒動が収まるのか? 平穏な日常がまた戻って来るのだろうか? それは僕も同じ気持ちだ。
でも……何か希望がある、誰かと出会える。何故か分らないけど確信に似た物を僕は心の奥底で感じていた。
まだ無責任な事は言えない。一刻も早く希望を見つけなくては、ナオミに希望を見せなくては。気落ちしているナオミを見てそう思った。
静寂があたりを包み、外は真っ暗な闇が支配する時間になった。
一番広い部屋に布団を運び、二人並んで横になる。
ナオミはすぐに寝てしまったが、ムラムラとした気持ちが頭を駆け巡り、疲れているはずなのに僕はなかなか寝付く事が出来なかった。目が冴えわたり、神経が研ぎ澄まされる。興奮で血が一か所に集まり、どうしてもソレを意識してしまう。限界まで張り詰めたソコが痛みを訴えだしたが、それでもなんとか自分を抑えつける。
(だめだ、ダメだ、駄目だ! 寝たい眠たい眠りたい! はやくハヤク早く速く!)
念じるように祈る。でも意識すればするほど、眠気が遠ざかって行った。疲れは溜まっている。神経もすり減らしている。でも眠れない。
(今のこの状況、ゾンビより厄介かもしれない……)
聞こえてくるナオミの吐息、時間が流れるのがやけに長く感じる。デジタル時計は中々時間を先に進めてくれなかった。
(もうこうなったら朝まで起きてよう。でも途中で事故ったら困るし――――)
「ヒカル…………起きてる?」
その声に僕はドキッとする。心臓の鼓動が外にも聞こえるんじゃないかと思うほど脈打つ。しかしそれをなんとかねじ伏せる。起きている事を気づかれないように、微動だにせずタヌキ寝入りを続けた。
数分経ったろうか、
「ヒカル?」
今度はすぐ間近で声が聞こえた。ナオミの呼吸が僕の頬に当たった。僕の心臓はいよいよレッドゾーンに入った様に早鐘を打つ。そして――――――。
唇に当たる感触に、僕は飛び起きそうになった。薄く目を開けると、ナオミの顔がすぐ間近に見えた。目を閉じ、髪が僕の顔に当たらないように、両手で押さえていた――――――。
同時にナオミの髪からトリートメントの香りが漂って来る。誘う様に僕の鼻腔を刺激する。
僕は抑え切れない程の何かの力に抗う。なんとか戦う。抑え込む。全力でねじ伏せる。
そのためにナオミを助けたんじゃない。違う。僕は……。大事だから……。好きだから……。僕はただ………………。
これまでにない葛藤。霞ヶ丘に行く前とはまた違う葛藤。せめぎ合う感情。食い違うこころとからだ。
でもその内いつのまにか――――――。




