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救出  ――サバイバー――

朝。


 言い訳のしようもないくらい、これ以上ないくらいの快晴。前日の昼ごろには雨は上がっていたので、たぶん路面が濡れている事もないだろう。


 カップメンを食べた後、学校へいく準備をする。鉈とバール、動かない的ならば命中精度がかなりあがってきた弓、と矢筒。冷やしたスポーツドリンクを淹れた水筒。

 携帯食糧とペットボトルの飲料水、携帯浄水器。ちょっとした応急処置用の救急箱。ローソク、ライターあたりをリュックに詰める。アスピリンと風邪薬も少し持っていく。

「助からないかもしれないけど……」

 万が一噛まれても助かるように、なるべく厚手のズボンと、皮ジャンを着る。


「よし」


 玄関に行き、エンジニアブーツをはいて外に出た。鍵をかけて、空を見上げる。本当に良い天気だった。文句の付けようもない。それに心なしか空気も澄んで心地いい。希望が見えてきた気がする。怪我もしていないし、体調も何も申し分なし。


「取りあえずいってみて、危なそうだったり必要な物があったら一度戻ってこよう」

 気を引き締めて駅のロータリーに向けて歩き出す。


 近所は相変わらず静かだ。最近は鳥も猫も見かけなくなった。(動物はどこにいったのだろう?)鳥は台風の時、雨風をしのげる神社とか橋の下で身を寄せ合ってなんとかやり過ごすって聞いたけど……。

「動物にはあまり興味はないけど、全く見ないと恋しいな」

 10分ほどあるいて、ロータリーが見えてきた。車の陰から様子を確認する。


「多い……な」


 駅前にある噴水の周りに、数体の遺体と、視界に捉えられる範囲で、ゾンビらしき人影が5人見えた。内二人は何かを求めるようにさまよっている。


 回り込めそうもないので確認できないが、この分だと噴水の裏側にも何人かいそうだ。

なるべく一度に相手するのは一人にしたかったので、このルートは諦め、遠いけど線路沿いをあるいて踏切を越えていくことにした。


 もし踏切方面も大勢いたら……、最悪ちょっとずつでも数を削っていくしかないだろう。一気に来るかもしれないけど……。それとも家に戻って、『バイクで突っ切るか?』出来ればそれは最後の手段にしたい。

 取りあえず線路沿いに行ってみよう。


 線路沿いは直線だ。もし前から急に大挙してこられたら、横に逃げる事は出来ない。そうなったら走って逃げて、一度家にもどるしかない。

 暫く歩くと踏切が遠くに見えてきた。踏切まではまだ少し距離がある。

「電車走ってないし、柵のり越えて行っちゃおうかな……?」

 ふと思ったが、なんかイケナイ気がしたのでやめた。見たところゾンビはいなさそうだし……。このままいってみよう。


 五分ほど歩き何事もなく踏切に着いた。周囲にはなにもいない。当然電車も来ない。

 ちらほらと遺体は目に入る。でも立っていたり、モゾモゾと動いていない限り、神経が麻痺したのか、気にならなくなっていた。『遺体が道端にある』それを普通に感じて暫く過ごして、それが『今』の当たり前の日常になってしまったのだろうか。


 踏切をこえ、住宅街にはいる。十字路も多いしブロック塀に阻まれているので視界が確保出来ない。急に横から飛び出してくる事も考えられる。いままで以上に慎重に歩いた。曲がり角では壁にはりついて進行方向を確認する。そして何個目かの角で、


「いた」


 15メートルくらい先にゾンビが一人、しかしボーッと止まっているので余裕の距離だ。慎重に背中から矢を取り出す。

 弓を構えて、弦を引く。弓の滑車が助けてくれるが、弱めに加減して弦を引く、

「当たる」

 手元を離れた矢が、頭に突き刺さって倒れる。

「よし」

 矢を抜き取ろうと近づいたその時――――。


 すぐ近くのブロック塀の陰から、もう一人が物音に気付いて出てきた。

「――なっ!」

 こっちに気づいた。目が合った気がする。明らかにこちらに気づいて近づいてくる。近い。とても近い。こんなに近いのは伯父さんの時以来だ。伯父さんを失ったあの時の事を一瞬思い出す。動いている敵との近距離戦。肝が縮みあがり、一気に心拍数が上がる。体温が一気に上がり毛穴から熱い汗が噴き出す。


「やばいやばいやばい」


 後ろに後ずさりながら、矢筒からもう一本抜いてつがえる。

 このゾンビが早く歩いたら、掴まれる距離。すぐそばにいるゾンビに、心臓が高鳴り、体の芯からドクドクと音が響いてくる。頭がガンガンする。誰かが僕の頭の中でヘヴィメタルのライブでもしているようだ。『あんなに頭を揺らして(ヘッドバンキング)よく痛くならないなぁ』とこんな時にふと思う。


 しかしその時、なぜかゾンビがスローになって見えた。


『僕が逃げ出すのを待ってくれているのか?』


 ブロック塀の陰から出てきたのは髪の長い若い男のゾンビだ。Tシャツにジーパン、右腕に時計をしている。左手の小指が欠けている。シャツから覗く首筋に刺青(タトゥー)が見える。『あぁぁあ……』と呻くように口を開けている。口唇は無くムキ出しの歯。前歯が少し溶けている。犬歯が抜けている。右眼が無い。鼻毛が一本出ている。ウォレットチェーンが腰の後ろの何かに繋がっている。恐らく財布だ。骸骨の形をしたバックル。顎がしゃくれている。ロンゲのしゃくれゾンビだ。僕は不思議と冷静に観察する。


 あ、もしかしてこれが死にそうになったら見える走馬灯みたいなやつなのか……。僕はもう死ぬのか。この直後に噛まれて晴れてゾンビの仲間入りをするのか。時間の感覚がおかしい。何時まで待ってもしゃくれゾンビは僕を殺してくれない。仲間に入れてくれない。


『僕なんか仲間(ゾンビ)にする価値もないのか?』『それとも美味しくないとか?』『グルメゾンビ?』『僕が不味いだけか?』『じゃぁなんで僕に襲いかかって来たんだ?』


 ゾンビは緩慢な動きで水の中を動いているより遅い。何時の間にか心臓の音も聞こえなくなった。なぜだろう今までにないくらい冷静になる。不思議と怖くもない。この状態ならやれる。確信する。100パーセント。


 威力を加減し構えて矢を放つ。


 頭のど真ん中、眉間のあたりにゆっくりと矢が額に刺さる。ゆっくりと脳内を破壊しながら頭の後ろに抜ける。脳漿が霧状に後頭部から噴き出す。そして矢羽が額でブレーキをかけるかのようにして止まった。


 と同時にコマ送りを解除したように通常速度でゾンビは前のめりに倒れ、息絶えた。ムキだしの歯で地面にキスをしている。


「なんだったんだろう……」

 その瞬間心臓のバクバクが再び戻ってきた。周囲の音が聞こえないくらいに脈打つ。

「ハァハァ……ハァハァ……ハァ」

 苦しい、立っていられない……。急激に笑いだす膝に、フラフラになる。


 僕はその場に座り込む。喉がカラカラに乾いた。胸が焼けるように熱い。千切るように水筒のキャップを開ける。既に少し温くなっていたが、そんな事を気にしている場合じゃなかった。一気にのどを鳴らし飲み干す。


 こんなに苦しくて、痛いほどの鼓動を感じたのは小学生の頃に見栄を張って頑張ったマラソン大会以来だな……。いや、あの時以上だ。こんなに汗を掻いたのも久しぶりかもしれない、天を仰いでなんとか息を整えようとする。


 思えば前にもこんな事が合った。事故に遭う直前、心臓が破れるほどに興奮したときに起こった、物事がスローに見える謎の現象。

 例えばスローになった世界で、『ぶつかったら怪我するだろうな』という状況。

 これから衝突する物が見える、『衝突したら怪我するだろう』そう考える。だけどそれを避けるために動ける訳じゃなく、スローになった世界では自分の動きもスローになるので、結果衝突を避けることは出来ず怪我をする。以前(いま)までは結局その結末を変えることは出来なかった。


『結果の先延ばし』


今まではそうだった。以前まではただ時間(とき)はスローになるだけで、体の方はほぼ動かなかったのだ。しかし今回はだいぶ自由に動けた。


 全てから弾かれた、こんなクソみたいな僕に残された唯一の才能だろうか?


 正直スローモーションが終わった後のこの苦しさは、心臓の寿命が確実に縮んでいると思うけど……。


 ゾンビに出会ってから、そして孤独になってから、短期間の内に心臓をだいぶ酷使しているきがする。僕の心臓はあと何回うごくのだろう。


僕はこの現象に勝手にサバイバーと名付けた。


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