東へ
次の日。
今日も天気がいいので、今度は反対方向に歩いてみることにした。前日と同じ装備。昨日人を確認したせいだろうか、僕を押し潰す自暴自棄は少し薄らいでいた。今日も何事もなければいいけど……。安全を祈り歩き出す。
自宅の周囲を出てしばらく歩くと、人影が見えた。物陰に隠れて様子を窺うと、ぼーっと立ち尽くしている。しゃがみながら歩き、物陰をゆっくり静かに移動すると、顔が見えた。
人間なら無言で立ち尽くすのは不可能なくらい体が破壊されていた。左の拳がちぎれ、顔の皮が人体模型のように剥がれている。スーツ姿の男性のゾンビだ。
(どうしよう……。殺していいのか? いやもう死んでいるかもだけど……。楽にしてやるべき? 僕にそんな権利あるのだろうか? 見て見ぬ振りするのは罪なのか? でも僕に天国に送る権利が――――いや、でも――――――――)
しばらく逡巡していると、遠くからエンジン音が聞こえた。
バイクが走ってきてゾンビの前を通り過ぎる。そして寄ってくるのを待つかのようにその場で止まった。
全体的に黒い車体、タンクとテールの下のほうに黄色いラインが入っている。空冷4気筒、サイドカバーが目に入る『Z1000』、僕の免許では乗れない大型のバイクだ。
乗っているのは体つきからして、女の人だった。それよりも気になったのは僕の学校の制服を着ている事だ。それと背中に黒い布に包まれた細長い物を斜めに背負っている。黒いフルフェイスのヘルメットをかぶっているので顔はわからない。(たぶん知り合いじゃないけど……)髪が見えないけどショートヘアなのだろうか、そして制服の胸元がパンパンなくらい胸が大きい。手には黒い革のグローブをつけて、赤黒いキャンパスシューズを履いている――。
謎のフルフェイスは挑発するように二、三度エンジンを吹かす。するとバイクに気づいたゾンビが追いすがるように片手を伸ばし近寄って行った。
(どうしよどうしよ)
謎のフルフェイス女生徒が、バイクを降りる。
たぶん170センチの僕より背が高い。そしてあろうことかゾンビに近づいていく。
(まずい!)と思って助けにいこうとした瞬間――。
フルフェイスはゾンビの顔面ど真ん中に右ストレートをくらわせていた。
(えぇー!)僕は夢じゃないかと目を擦り瞬きする。
そして謎のフルフェイスはぶっ飛んだゾンビにさらに近づき、頭をつぶすように勢いよく踏みつける。頭がしぼんだサッカーボールのように潰れたゾンビは動かなくなった。
(すごい、そんなあっさり……。――――――近づいても『大丈夫』な人なんだろうか――――? ど、――――――どうしよう、話しかけてみようか……。)
周囲をキョロキョロ確認したあと、フルフェイスはバイクに戻り跨った。エンジンが唸りを上げ、タイヤから土煙が上がると、道路を削り取るようなスキール音を残して走り去ってしまった。
うっ、助けてもらえばよかったかも……。自分のコミュ症を後悔してため息をつく。
「あの人が僕の街をまもっているのだろうか?」
目の前であんなにあっさりゾンビを倒され、ビビリまくっていた自分に無性に腹が立つ。悔しさが心の底から湧きあがる。改めて自分の情けなさを確認した。太陽から降り注ぐ光が、僕を嘲笑うように照らす。日は高く、まだ明るいが…………。
「帰ろう……」
背中を丸めて肩を落として呟く。
来た道と違うルートで帰ることにした。正直ゾンビと出会うのを期待していたのかもしれない。
(結局僕は怖いだけなのだ。自分の手を汚す事が。『もし自分がゾンビになったら?』たぶん誰かに楽にしてほしいと思う。そう考える事も出来ない状態かもしれないけど。意思も無く歩き回るなんて御免だ)
「都合良く一人くらいの孤独ゾンビいないかな?」
淡い期待を抱いていたら――――いた。シャツにスラックスのちょっと太り気味のおじさんゾンビだ。
(戦ってみよう――。このおじさんを今も待っている人がいるかもしれない。『なんで殺した!』と責められるかもしれない。でも……、それでも楽にして上げよう。それが絶対に正しい事かはわからない。僕が『そう』なった時に殺して欲しいと望んでいるだけかもしれないけど、送ってあげよう。今はそれが正しいと信じる。生物として本来あるべき状態に戻す。慈悲なんだと信じよう)
物陰に隠れ、他にいないか周囲を確認する。周囲には遮蔽物はない。いない一人ゾンビだ。
静かに矢を取りだし、構える。
「最悪外したら……接近戦で頭を割ろう」
腰に差した鉈とバールを確認してから、視線をゾンビに戻す。弓を水平にし呼吸を整え、狙いをつける。
(あれ?)
極度の緊張からか、違和感が湧きあがる。視界に捉え狙ったおじさんゾンビが妙に近い気がする。右上腕を噛まれてゾンビになったようだ。胸ポケットからはみ出した。煙草が見える。頭に生えた髪の位置が不自然な気がする。そしてチャックが何故か全開だ。穴からのぞいたシャツの端も見える。
(ずっと続いてきた危機感で目が良くなったんだろうか? ここから30メートルくらいありそうだけど……)
当たる。そんな気がする。なぜかわかる。今なら100パーセント。そして矢を放つ。
放たれた矢は頭を貫通し、おじさんゾンビはお腹をクッションにしてその場に崩れ落ちる。近づいて覗きこむように確認すると、
「ぅ、まだ生きてる」
恨めしそうな落ち窪んだ目が僕を見ていた。
「こういう事もあるのか……。」
僕は鉈を取り出し、ひと思いに首を両断する。ドスッという音とともに、ゾンビは動きを止めた。
成仏してください、冥福を祈る。
あ、そういえば矢は……。どこかにぶっ飛んでいってしまったようだ。飛んで行ったであろう方向を探しても見当たらなかった。
「あぁ~あんまり数ないのに……」
でも妙な高揚感と、達成感があった。
僕でも倒せる。




