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6 怪盗の正体

 嵐のような数十分が経過し、焼津港の入り口に到着。


「じゃあ、幸運を祈りますぜ、旦那ダンナ!」


 特に説明はしなかったが、とにかく長年の念願が叶ったことで興奮状態にある運転手が、堂部に右目ウインク付きのエールを送る。


「あ、まあ……がんばります」


 爆音を残して去って行くタクシーを込み上げる吐き気とともに見送った四人は、まずは手分けして、手当たり次第に港内を探しまわることにした。


「さちこちゃん! サチヨちゃーん!」


 単純に捜索と云っても、素人のやることだ。簡単には見つからない。

 何せ元々が、堂部という素人探偵の推理である。本当にここにいるのかどうかすら、疑わしい。

 それに、一言で焼津港といっても、猫の額ほどは、狭くはない。

 昼御飯も食べずに捜索を続け、数時間が経つ。もう、日も暮れかけている。走り疲れて、四人の息もあがっている。

 一度、元の場所に全員が集まり、作戦会議をすることになった。


「本当に、幸子ちゃんたちがここにいるんでしょうか? 編集長」


 流石の猫田にも、疲労の色が見える。

 普段は甘くキュートな猫田の声が、かなりかすれた感じで港の建物に反射し、辺りに響いた。その表情は、堂部の推理を疑い始めているようにも見える。

 犬山は、ただただ息荒く、汗を掻いていた。言葉すら出ない。

 田中さんの表情にも、焦りが滲み始めた。


「いるよ、絶対にいる。だから諦めるな。もう一回、皆で捜し直そう」

 堂部が、そう力強く云い放った時だった。

「あ、あれは……」

 何かを見つけたらしい田中さんが、太平洋の大海原に向かって、指を突き出したのだ。


 海と陸の境にある、埠頭の先端。

 さや、と流れる海風に乗ってやってくる、潮の香り。

 そんな絵葉書のような景色の中、夕日で赤く燃え上がる海に影を伸ばす少女が一人、ぽつんと埠頭の先端に佇んでいた。


「幸子!」


 そこはやはり、自分の娘。

 直感でそう判断した田中さんは、港の中心でそれを叫んだ。

 すぐさまそこへ駈け寄ろうとする、田中さん。気持ちのはやる彼女を、右手を伸ばし、堂部が制する。


「田中さん。今の彼女に刺激を与えるのは、得策とは云えません。……ここは、私に任せてもらえませんか?」


 田中さんを諭す彼の笑顔には、どことなくほっとする、そんな優しさがあった。

 その雰囲気に押された田中さんが、小さく頷いて同意する。


「怪盗ミュウが辺りに潜んでいるかもしれないわ。気をつけなきゃ」

 猫田の言葉に、犬山が辺りを鋭く見回し、身構えた。

「それなら、心配ないさ――」

 そう云った堂部の眼からは、確信らしきものが滲み出ていた。


 なるべく音を立てないよう、ゆっくりと埠頭の先に近づいた、四人。

 最後は、堂部一人が岸壁の少女のすぐ近くまで寄り、声をかけた。


「幸子ちゃん……だね?」


 ゴミ置き場に捨て置かれた人形のように、微動だにせず海を見つめていた制服姿の少女が、ゆっくりと堂部のいる方向に振り向く。


「はい……」


 彼女の赤く染まった頬には、幾筋もの涙の流れた痕跡があった。


「確かに、今回のことはすごく悲しかったろう。だけど、それで親に心配をかけていいということはないね」

 堂部が、じりりと少しづつ、少女に近づいてゆく。

「怪盗ミュウの正体は君、幸子ちゃんだね。そして、猫のサチヨちゃんは、もう、この世にはいない。そうだろ? 残念だけどね……」


 堂部の台詞セリフに驚きを隠せない猫田と犬山が、顔を見合わせる。

 田中さんはショックで動けず、声も出ない。


「はい……そのとおりです」


 再び音もなく少女の頬を流れ落ちた、涙の糸。

 よく見ると、その腕の中には、ぐったりとして動かない、白と茶色柄の猫の姿があった。


「サチヨちゃんはね、多分、腎臓の病気だったんだ。トイレに血尿があったのは、それが原因だろう。ネコが好きな魚とかに多く含まれる、カリウムやリンを取り過ぎたんだと思う。太り気味だったし、少し食生活に問題があったかもしれないね」


(そんな……私の責任?)


 幸子ちゃんの体が、僅かにぐらついた。


「ここからは、想像も入るけど……。

 あの日、学校から帰宅した君は、サチヨちゃんが食欲がなく、ぐったりしているのに気づいた。それで、台所にあった好物のかつおぶしをあげてみたけれど、全然サチヨは食べない。

 悩んだ君は、いつもの醤油ラーメンの出前をとろうと、ラーメン屋さんに電話をした。大好物のラーメンなら、きっと食べてくれると思って……」


「そう、です」

 切れ切れに応える幸子の声は、淡く、切ない。


「だが、その電話をしている最中、サチヨちゃんが、突然吐いてしまった。君の机の下の茶色いシミは、きっと、そのときにできたものだろう」

「はい……」

「あのシミは、吐いた跡だったのね……」

 猫田が、納得する。


「慌てて電話を切った君は、サチヨちゃんを動物病院に連れて行こうと思った。それで、病院の場所など調べているうちに、サチヨちゃんはぐったりとなって、そして――動かなくなってしまった」


 黙って頷く、少女。

「サチヨちゃんが……そんな」

 田中さんが、がっくりと肩を落とす。


「君は、サチヨちゃんの大好きだったかつおぶしの本場、焼津でサチヨちゃんを弔ってあげようと考えたんだね。でも、警察沙汰とかになって騒動になるのも困る。そこで君は、『怪盗ミュウ』なる架空の人物の手紙を、多分、左手で書き残し、電車とバスを乗り継いで焼津までやって来た」

「悲しい話ッス」

 犬山が、涙と汗の入り混じった液体を飛ばし、しゃくりあげた。


「ある程度一緒の時間を過ごしたら、港近くのどこかに埋めてあげよう。そして、すぐに家に帰ろう――そんな風に思ったのだろうけど、結局別れが惜しくて、できなかった。そしてとうとう、こんなに時間が経ってしまった。どう? 違うかな?

 ……でもね、ペット動物を勝手に埋めるのは、法律で禁止されているし、何より、あんな手紙を残さずに、普通にお母さんに事情を説明したほうが、よっぽど心配をかけることはなかったはずだよ」


 もう、幸子ちゃんは感情を押し込めることはできなかった。

 円らな二つの瞳からは、大粒の涙がいくつも零れ落ちていき、そしてそれは、腕の中のサチヨを弔う涙雨となって、サチヨの体を濡らした。


「そのとおりです。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい――」


 泣きじゃくる幸子ちゃんの肩を、いつの間にか傍に来ていた猫田が、そっと抱きしめた。そして、幸子ちゃんの震える腕から、サチヨをふわりと受け取った。


「大丈夫。きっと、サチヨちゃんは幸せだったと思うわ。だって幸子ちゃんに、こんなに愛されていたんですもの。

 そうね……あなたはもう、家に戻りなさい。心配されている、親御さんのためにも。そして、サチヨちゃんときちんとお別れするためにも」


 疲れ果て、その場に座り込んでしまった、幸子ちゃん。お母さんが、そこへと駈け寄り、彼女を抱きしめた。


 ――風向きが変わり、陸風となる。

 焼津港は、今まさに昼の光りに別れを告げ、夜の闇に包まれようとしていた。

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