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5 ラーメン屋店主との攻防

「えーと……。なんですか、それ?」 冷めた目の、猫田。

「謎解きの決めポーズなんだけど……ダメ?」 頬をほんのりと赤らめる、堂部。

「ちょっと、かっこ悪いです」 猫田が残念そうに溜息をつく。

「……。ええい、そんなことどうでもいいや! とにかく、ラーメン屋に急ごう! 奥さん、場所はわかりますよね?」 堂部が、過去の過ちを断ち切るかのように、話題を変える。

「わ、わかりますけど、そこに娘たちが?」 田中さんの表情に、向日葵のような明るさが咲く。

「ま、まあ、そんなところです」 冷や汗をついと垂らした堂部が、硬く引きつった笑顔を見せる。


 と、遅まきながら何かに気付いた犬山が、その顔には不釣り合いなほどのハイトーンボイスで叫んだ。


「ってことは、怪盗ミュウはラーメン屋の主人ってことッスか?」

「本当ですか、編集長?」

「え? まあ、その……なんだ。とにかく出発だ!」

「そうですね、まずは行きましょう! 私について来てください!」


 転げ落ちるように階段を降りた、堂部たち。

 まるで家の中に猛獣でも潜んでいたかのような勢いで玄関から飛び出すと、田中さんの案内のもと、駆け足で問題のラーメン屋と向かった。


 そこは、お宅から走って五分の距離だった。正確には、「田中さんが」走って五分、の距離だったが。

 息のあがる田中さんを何度も追い抜きそうになるのを必死にこらえながら、編集部の面々がたどり着いた場所――それは、よくありがちな、ごくごく普通の佇まいのラーメン屋だった。

 道路に面した、住居兼用の一軒家的建物。アルミサッシの横開きのドアの上には赤い屋根のフードがあり、そこに白い文字で大きく「来来軒らいらいけん」と書かれている。


 そして、標的ターゲットを捉えたときの猫田の足は、その名の通り素早かった。

 堂部や犬山を横に押しやり、先頭切って来来軒の中に押し入った猫田は、たまたま店内に居合わせた五十絡みの男に罵声、もしくは雄叫びのようなものを浴びせながら、今にも噛みつきそうな勢いで、彼を厨房の隅の壁際にまで一瞬にして追い込んだのだ。


「突然、何なの? おねえちゃん、誰?」

「私のことなんか、どうでもいいですっ! おじさん、ここの店主?」

「ここは俺の店だけど、それが何だ」

「ふん……。ならば、話が早いわね。今すぐ、隠している女の子と猫ちゃんを出しなさい、今すぐに!」


 今にも噛みつきそうな勢いの猫田の口撃こうげきを防御するように、中華料理用の「おたま」を胸の前で振りかざす、店主。

 黒縁眼鏡の奥の眼を大きく見開いた彼の額からは、白いコック帽をじめっと湿らせるほどの、大量の汗が噴き出ていた。


「女の子と猫? 一体、何のことだ! ここは見てのとおり、ただのラーメン屋だぞ。そんなの隠してるわけ、なかろうが!」

「んまぁ……。まだ、シラを切る気ですか? しょぼくれたパッとしない眼鏡オヤジに上手く化けたつもりでしょうけど、おじさんが怪盗ミュウなのは、とっくにお見通しなの、こっちは。騙されないわよッ!」

「しっかし、酷い云われようだな。変装でもないし、本当にただのラーメン屋だし……。それに、ミューだかミャーだか知らないけど、意味解らんぞ」

「ミャーじゃなくって、ミュウ! あれ、ここって静岡でしたよね? もしかして、五分で名古屋にまで来てしまった?」


 もう、どうにも収拾がつかない、二人の会話。

 仕方なく、猫田と店主の間に堂部が割って入る。


「もういい、猫田君。この人は、犯人――怪盗ミュウ――じゃない。オレはこの人に、事実を確認しに来ただけだよ」

「ええっ? 犯人じゃなかったんですか? じゃあ誰なの、ラーメン屋の店主が犯人だなんて云った人は!」

 猫田が、まだ息の荒い犬山を睨みつける。

「え? ぼくのせいっスか?」

 犬山が汗でびっしょりになったハンカチをひらつかせると、細かい水しぶきが霧のようになって、宙を舞った。

 それを見た猫田が、あからさまに嫌悪感を示し、鼻をひくひくさせる。


「突然すみません、ご主人。実は、お訊きしたいことがあって、参りました。一つの大切な命が救えるのかどうかが、ご主人にかかっているのです」

「一つですって? 二つじゃないのですか?」

「一つ……だよ、猫田君」


 そう云って堂部が寂し気な視線を送ると、猫田は口をきゅっと曲げて押黙った。田中さんと犬山はその言葉が意味不明なのか、顔を見合わせて、不安気な表情を更に曇らせる。

 突然そんな風に云われ、ポカン、としていた店主だったが、堂部のあまりの真剣な表情に、防具としての「おたま」の臨戦態勢を解き、小刻みに何回も頷いた。


「うんうん。よく解らんけど、俺がいつの間にか大変な役になっているみたいだ……。わかった。暴力は無しってことなら、ちゃんと答える」

「ありがとうございます。では早速ですが、一昨日おとといの夕方くらいに、シマシマの虎柄猫を連れた中学生くらいの女子がここに来ませんでしたか?」

「虎柄の猫を連れた女子中学生? いや……来てないな」

「そんなはずは――。もう一度、よく思い出してみてくださいよ!」

「うーん……どうだっけな」

 店主は自分の頭を、調理器具兼防具の「おたま」で、こんこん、何回か小突いた。


「いや、間違いねぇ。絶対に来てない」

 そのきっぱりとした回答に、堂部が愕然とする。

「じゃあ、オレの推理は間違っていたというのか? そんなはずは……」

「なんですって? 編集長、間違ってたんですか?」


 今にも膝を着きそうになるくらい、がっくりと姿勢を崩した堂部。

 それを見た他の三人も、がっくりと肩を落とす。


 ――そのときだった。


「いや、待てよ。そういえば――」 店主が、何かを思い出したらしい。

「おお? 何です?」 堂部の背筋が少しだけぴんとなり、復活。

「そういえばあの日の昼間、中学生くらいの若い女の子の声で、妙な出前電話があったっけ」


 堂部の目に宿った、一筋の淡い光――


「そ、それで、そのときの様子はどんな感じでした?」

「うーん……。確かその子は、『醤油ラーメンを一つ。大急ぎで』って云ったんだ。でもね、出前にはルールってもんがある。『出前は二つ以上の注文でお願いします』なんて俺が云ったら、その子は『あっ』と叫んで、急に電話を切っちまったんだ」

「うん、間違いない! それは幸子さんだ! 中学生だし、直接ここに来るとオレは踏んでたんだが、電話してたんだ――。

 にしても、なぜ幸子ちゃんは急に電話を切ってしまったんだろう……」


 堂部は腕組みをして、灰色のコンクリートでできた床を、渋い表情でじっと見つめた。


「幸子ちゃんが犯人に乱暴されて叫んだ、なんてことじゃ……」


 誰しもが思ったけれど口には出せないその言葉を、犬山があっさりと吐く。それを聞いた田中さんが、堰が切れたように、わあっと泣き崩れた。

 田中さんの肩をそっと抱いた猫田が、そんなことないわ、と励ましにかかる。

 とそのとき、その一部始終を見ていた堂部の眼が、まるで雲の切れ間から顔を出した月のように眩しいほどの明るさを伴って、光り輝いた。堂部の気持ちも、雲が晴れたのだ。


「うん、そうか。ということは、やっぱりあの茶色いカーペットのシミは思ったとおりで……このストーリーなら必然性もあるし……いいぞいいぞ。

 よし、これでオレの推理は最終稿だッ!」


 編集者にふさわしく、推理の完成を最終稿という言葉で表した、堂部。

 調子に乗って「あの」決めポーズを決めようとした彼だったが、猫田の両眼の鋭く重い圧力に屈して、実現できない。

 が、すぐに気を取り直た彼は、こほんと一度咳き込んだ後、犬山に清々しい調子で問いかけた。


「あー、犬山君。静岡県でカツオといえば……どこだね?」

「それは――焼津っスよね!」 堂部が、満面の笑みで頷いた。

「そうだ。そして、焼津と云えばすぐに思い浮かぶのは――『港』。オレの推理が正しければ、彼女たちはそこにいるはずだ。早速、向かうぞッ!」


 四人はラーメン屋の主人に礼を云い、表でタクシーを捕まえ、それに飛び乗った。


「焼津港まで頼む! 急いでっ!」

「あ、はい。ん? お客さん! これはもしかして……事件?」


 緊迫した雰囲気を察知した制服の中年運転手が、ニヤリと笑って、アクセルを踏み込む。

 堂部が、その質問に答えるように、黙って小さく頷いた。


「おおぅ! ハンドル握って、三十年。遂に……遂に来たんですね、この日が! この日のために、ドライブテクニックを磨いてきたんですよ、私は。うおおぉ! まっかせてくださいぃ、お客さぁぁんッ!」


 激しく鳴る、タイヤ。

 躍るように跳ね回る、鉄の車体。

 縦横無尽にハンドルを操る、運転手の白い手袋。


 交差点に差し掛かったタクシーは、ほぼ四十五度の角度で傾いた車体を躍らせ、カーブを曲がっていった。車内という狭い密室の中で、男一人と女二人の、まさに阿鼻叫喚あびきょうかんともいえる悲鳴が、盛大に鳴り響く。


 ただ一人、車内で悲鳴をあげなかった客――それは堂部だった。

 助手席に座った彼の眼と耳に、目前の現象は、何一つ届いていない。そう、彼の意識の中にあるのは――幸子と幸代の命――そのことだけだったからだ。


「残念だが多分、あの子の命は……」


 絶叫マシンと化した焼津港へと向かうタクシーの中、堂部は誰にも聞こえないような囁き声で、そっと独り言を吐いた。

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