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4 怪盗ミュウ、現る

 田中家のリビングに移動する。

 こんな大変なときに限って、ご主人は仕事で海外出張中。連絡を取ってすぐに帰ることにはなったようであるが、未だ不在。

 そんな心細い状況もあり、田中さんの表情は始終暗いままだった。堂部たちが一通り自己紹介を済ますと、田中さんの気持ちがようやく落ち着いたらしく、ぽつぽつと事件について話し始めた。


「娘と猫がいなくなったのは、一昨日おとといの夕方くらいです。昼間、娘が学校から帰宅した形跡はあるので……。

 もちろん、その晩私は、捜し回ったんです。友達のお宅や公園、幸子が行きそうなところで、思いつくところはすべてあちこちと。でも、娘たちは見つかりませんでした。娘の持つ携帯にもかけてみましたよ。でも、電源が入っておらず、繋がりませんでした。それは、今も同じです。

 これはもう警察にお願いするしかないと思った、そんなときでした。この手紙が、郵便受けに入っていることに気付いたんです」


 田中さんが、二つ折りになった一枚の便箋をテーブルの上に差し出す。

 三人掛けのソファーの真ん中に座った堂部が、その紙切れを摘み上げて開いた。

 彼の左右に座る猫田と犬山が、それを横から覗き込む。


『オタクノ ネコト ムスメヲ アズカッタ。ムスメハイズレ カナラズ カエス。ゼッタイ ケイサツニハ シャベルナ。シャベッタラ ムスメノ イノチハ ナイトオモエ ――カイトウ ミュウ』


 それはまるで、酔っ払いのミミズが千鳥足でのたうち回ったかのような、そんなカタカナ文字の集まりだった。恐らくは筆跡を知られるのを防ぐためであろうが、文字としては、酷すぎる。

 堂部は、そこに書かれた文字を一々解読しながら、たどたどしくそれを読み上げると、腕組みをしながら天井を見上げた。


「娘たちに危害を加えられたら困りますから、警察には知らせることができなくて困っておりました。それで、毎月拝読させていただいている御社の本を想い出し、ペット好きの行動に詳しいであろう皆さまに、御すがりした次第です」


 田中さんが、弱い嗚咽おえつと再びの涙を見せる。


「奥さん、事情は分かりました。

 でも、これだけでは全然、手がかりと云えるものがなくて……。

 ただ、ひとつだけ云えるのは、確かにこの犯人、相当猫好きってことですよ。娘は返すと云ってるのに、猫を返す気は、更々ない。かなり、サチヨちゃんを気に入ったのでしょうね……。

 あと、最後の『カイトウ』ていうのは、あの泥棒の『怪盗』っていう意味だと思います」


 堂部の発言に、田中さんと犬山が頷いた。しかし猫田だけは、イマイチ、納得していない様子だ。


「するとこの事件、猫のサチヨちゃん目的の誘拐で、その場に居合わせた幸子ちゃんも人質としてさらって行った――ってことになりますよね。でも本当にそうなのでしょうか? 特に理由はないですが、少し不自然な気がするんです」


 猫田が、怪盗からの手紙を覗き込みながら、呟く。それを聞いた堂部が、うーん、と一声、低く唸った。

 犬山はその会話には加わらず、とりあえずカメラを抱え直して、パチリと手紙文面の写真を撮った。


「とにかく、まずは最初のとっかかりが必要ですね……。そうだ! お嬢さんと猫ちゃんが写った写真を、何枚か見せていただけませんか?」

「わかりました……少々お待ちください」


 リビングから奥の部屋へとゆっくり姿を消した田中さんは、数分後、何枚かの写真を持って戻って来た。それを受けとった堂部が、猫田と犬山、それぞれに一枚づつ渡す。


 堂部の手元に残った写真――それは、最近、写したものらしかった。

 にこやかに笑いながら片目のウインクを飛ばした中学生の女の子が、両手で一匹の猫を、大事そうに抱きかかえている。

 よく見るとその猫、昼のあいだ、ずっと陽の光りを浴び続けたマシュマロのように、白と茶のシマシマ模様が薄く長く伸びきった、そんな重量感のある猫なのだった。


「お母さまとそっくりの、可愛らしい、ぽっちゃり猫ちゃんですね」

「……ありがとうございます。でも、私が産んだ訳ではありません」

「あ、いや、間違った! お母さんに似て、可愛いお嬢さんですよね!」

「はあ……」


 フォローが効いたのか効かなかったのか――その辺りは不明だったが、微妙な顔つきの田中さんを尻目に、猫田が堂部をジロっと半目で見据える。


(しっかし、幸子さちこ幸代サチヨか……紛らわしいな)


 猫田の厳しい視線など無頓着な堂部は、難しい顔で、お気楽なことを考えていた。猫田は、いつも仕事中に見せるそんな堂部の表情と部屋の沈んだ空気を打破すべく、明るく澄み切った声で、話を切り出した。


「えーと、じゃあ、お嬢さんのお部屋を見せてもらえませんか? 事件を解く手がかりが、何かあるかもしれません」

「そ、そうだね。うむ、そのとおりだ」 堂部が、その意見に脊椎反射のように、軽く同意する。

「わかりました」 田中さんが頷いた。


 席を立った田中さんが、幸子ちゃんの部屋のある二階へと向かう。

 編集部の三人は、田中さんの後に続いて階段を上り、幸子ちゃんの部屋の前へとたどり着いた。

 と、ドアを開けて部屋をぐるりと見渡すなり、堂部が云った。


「娘の幸子さんが、主にサチヨちゃんをお世話していたんですね?」

「そ、そうです。見ただけで、わかりますか?」

「ほんの少しですが、猫の毛玉が部屋のカーペットの隅に付いてます。それにあれ、猫用のトイレですよね」

「ああ、なるほど」


 田中さんが、今度は大きく頷いた。

 猫田と犬山は、ちょっと感心気に堂部を見る。


 そんな二人からの眩しい視線に気づかない堂部は、誘拐事件の手掛かりを探すため、机上に置かれた本や教科書、そして、抽斗ひきだしの中の文房具やメモなどを、物色し始める。


「ところで――猫のサチヨちゃん、誘拐されるほどですから、何か目立った特徴とか、特技などはあるのですか?」

「うーん、そうですねえ……特には、思い当たりません。

 八歳の雑種のメス猫でして、まあ、どこにでもいる感じの普通の猫ですよ。生まれたばかりのとき、公園に捨てられているのをまだ幼稚園児だった幸子が見つけた次第でして……」

「ふーむ、そうなんですか」


 幸子ちゃんの机には思ったようなヒントが無かったのか、次に、部屋の窓に下がった薄青色のカーテンをいじり出した、堂部。


「ただ……皆様に既にお伝えしておりますとおり、熱々ラーメンが好きという、特徴というか、特技がありますね。

 え? きっかけですか? そうですね――あれは何年前だったかしら。

 出前で頼んだラーメンを家族で食べているとサチヨが近寄って来て欲しがったので、少し食べさせてみたんですよ。そしたらそれがなんと、サチヨの大好物だったみたいで……。それ以来、猫舌をものともせず、熱々ラーメンを貪るように食べるようになっちゃったんです。

 あんまり嬉しがるものですから、ラーメンばかり食べさせているうち、サチヨの体が大きくなった――そんな気がします」


「確かにそれは、すごい特技ですよね。でも、それが誘拐の理由になるものかしら?」


 田中さんの説明に、猫田が頻りに首をひねる。

 だが、堂部と犬山の二人には、田中さんの丁寧な説明が頭に入ってはいなかった。「ラーメン」という言葉だけが、二人の脳内を占領していたからである。

 すぐさまアイ・コンタクトをし、何かを覚悟した二人。

 尖った氷山の先端のように険しい表情をした堂部が、田中さんに、一つの質問を繰り出した。


「サチヨちゃんの大好物のラーメン、もしかして、魚介ベースの塩味ではないですか?」

「いいえ、醤油味です。魚介系スープだとは思いますが――」

「いぃ、やっほぉ!」


 田中さんが答えたその瞬間、奇声を発した犬山が、首からぶら提げたカメラを左右に激しく揺らし、躍り出した。


「ほーら、編集長。ぼくの云ったとおりでしょ? 醤油だったッス」

「ちっくしょお。塩だと思ったのにぃ!」

「これで豪華三千円、ステーキランチはいただきッス!」

「ぐぬぬぬぬぅ」


 小躍り男に、地団駄男。


「ま・じ・め・に――やりましょうか」


 猫田の肩が、世界最小の鳥「ハチドリ」の羽ばたきの如く、小刻みに震えている。


「はい……そうしましょう」

 何事もなかったように堂部と犬山がしゅんとして静かになると、それを見た猫田がふんわりキュートな笑顔を見せ、田中さんに話題を向けた。


「他に、何かないですか? 醤油ラーメンの他に好きなものとか」

「ああ、かつおぶしが大好きなんです。いつも、台所にしまってあるパック詰めのものまで引っ張り出して食べて、困ってるんです」

「ほほう……かつおぶしですか」

 と云いつつ床に目を向けた堂部が、何かに気付く。


「ん? この茶色っぽいシミは……何だ?」


 彼が指差したのは、幸子さんの勉強机の、足元の床だった。

 ベージュ色のカーペットが、直径三センチほどの円の大きさだけ茶色に変化し、かぴかぴに乾いて固くなっている。


「ウチの子、お菓子食べるのが好きでチョコとかよくこぼしてたから、それじゃないのかしら」

「そうですか? すると、これも手掛かりにはならないってことに……。あれ? でも、ちょっと待って! この猫用トイレ――」


 堂部は、四角いトレーのようなものに白砂が敷き詰められた、一般的な猫用トイレに顔を近づけた。

 そこにあったのは、白い砂の上に散らばった、無数の赤い点だった。


「もしかして、これは……」 

「血? もしかして、幸子さんたちの身に何かあったの?」

 ごくり、息を飲む猫田と犬山。

 田中さんが、そわそわと狼狽うろたえ始める。


「まあまあ、待ってください。相手は『怪盗』なんだし、そんなに早急に決めつけてもいけません。

 そこで奥さん、一つ、お聞きしていいですか?

 ――お嬢さんと猫ちゃんがいなくなった日、台所のかつおぶしのパックもいくつか無くなった、なんてことはなかったですか?」

「かつおぶしですって? ああ、そういえば、かつおぶしの小袋が、あの日もいくつかなくなっていた様な、そんな気がします」


 ぽん、と鼓を打つように手を鳴らす、田中さん。

 それを見た堂部は表情をパッと明るくし、自信有り気に深く頷いた。


「なるほど……わかりましたッ!」


 堂部はそう叫ぶと、今にも猫パンチを繰り出そうとする一匹の野良猫のように、肩幅で開いたその両手を、目の高さに構えたのだった。

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