望むところです
何はともあれ、私が王族の客人だと言うことはこの王宮内で広められ、数日間好奇の視線に晒されたものの何ともなく日々が過ぎ去った。最初は客人と言うことで目立ったが、何の特徴もない少年だと片付けられた。
私としてはかなり不服だ。なんだ、少年って。
そして、王子に銀髪野郎が罰を命じられて三日後、恐怖のお勉強会が始まった。
『今日から、私と一緒に楽しく勉強していきましょう』
なにその真顔。真顔で楽しくと言われても怖いだけなんですけど。
『よ、よろしくお願いします…』
手を握ったままペコリと頭を下げる。
『では、まず日常会話から覚えていきましょう』
彼の罰と言うよりも寧ろ私の罰だと思うんだ、これは。
結局、レッスンは休憩無しで午前中ずっとさせられた。
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「やべぇ…こんなに頭使ったの、大学受験以来だ…」
高校生の頃、理系の私は英語が大の苦手だったため、ほぼ毎日英語を勉強していたのだが…その苦痛の比じゃねぇ。なにあの、鬼教師。私が発音や文法を間違えるたびに電撃を食らわせるとか、体罰だよこれ。
宛がわれた部屋で、黙々とご飯を食べる。今の幸せの時間は食事だけだ。
コンコン
「はーい」
ついつい日本語で答えてしまう。
「――――、シスタ・シャク」
「ゼア!」
銀髪野郎の姿にこちらの言語を使いながら慌てて立ち上がる。奴は、少し顔を顰めた。
「もうひょっと、まってくらひゃい」
もぐもぐもぐもぐ。ごっくん。
「シスタ・シャク…」
呆れたように溜息を疲れるが、食事中に入ってくるほうが悪いんだ。
先ほどから銀髪野郎が言っている“シスタ”というものは、敬称である。そして、男性の敬称にはシルアを使う。これは既婚かそうでないかによって敬称が変わってくるのだけれども…。ちなみにシア・デュアハンのシアは物などにつける敬称らしい。まぁ、敬称と言っていいのかわからないけれど。そして、ゼアは肯定の意味です。つまり、はい、ですね。是と一緒に考えると、すぐに覚えられた。
歩み寄ってくる銀髪野郎に、慌ててお絞りのようなもので手を拭いて、手を差し出す。
『今日から、マッサージと言うのもしてよいことになっています』
『本当ですか?』
ヘラリと笑うと、繋いでいない手で頬を抓まれた。
「いだだだだ!」
それ指じゃない!爪が刺さってる!!
『淑女たるもの、そのような無様な笑顔を見せないように』
無様って…無様な気もするけどさぁ。
『す、すいません…精進します』
『では、道案内をしますので、道を覚えてください。明日からは、自分でいけるように』
『はい…』
私の部屋は一応客間を使っている。広すぎて、最初は侍女や下女が使っている部屋でいいと言ったのだが、なにかあっては困ると却下されてしまった。
「右…左、階段…直線を進んで三個目の角を右…」
あ、やべ、頭こんがらがってきた。
最初のほうを忘れてきて、うーうーと唸っていると、銀髪野郎が脚を止めた。どうやら着いたらしい。
「って…え?」
なにあの人だかり。
目を丸くしていると、銀髪野郎が手を差し出した。人だかりに目をやりながら、手を取り意思疎通を図る。
『…殿下が予想以上に喧伝してくださったみたいです』
『…そのようですね』
ちょっとみなさん、ハードルをそんなにあげないで!やめてー!
『マッサージと言うものは普通、何分ほどするものですか?』
『短くて15分ほど…長くて1時間しますが…希望は20分で』
『一人20分にして捌くにしても、あの人数を午後ですべて終わらせるのは無理でしょうね…』
『予約制はどうでしょう』
『…予約ですか。私の国ではないことですね』
貴族優先ですので。
ここは王国だし、貴族がいるのは当たり前か。
『毎朝、あの部屋の前に名簿でも置いて、自分の合う時間に名前を書いていただくとありがたいですね…そしたら、午後には間に合うでしょうし…』
『もしそれを書いてもらったとしても、あなた、読めないでしょう』
『…う』
そうだったー!一番の問題点は名前を呼べないことだったー!
『一応殿下はあなたが異世界から落ちたということは伏せていますが、魔力がなく、私を介さないと言葉が通じないことは、この王宮にいるものは知っています』
感情は何一つ篭っていないが、責められている様に感じるー!!
『名簿に関しては私が取りましょう。その後あなたに渡します。あなたはそこで、自国語で振り仮名を振ってください』
もう少し勉強が進んだら、この役を辞めますので、悪しからず。
くっそー!是が非でも言葉を覚えさせるつもりだな!別に嫌なわけじゃないけど、もう少しお手柔らかに!と声を大にして言いたい。
『聞こえてます。ですが、私はこれでも優しくしているつもりなのですよ』
にっこり
心の声をあえて漏らしているのか、“王族の方々以外への優しさで、これが最上級の優しさなんですから、文句を言わないでください。言ったらどうなるかは知りませんよ。”という言葉が流れてくる。
『…いいですよ、いいですよ。そっちがそんな態度でいるなら、私はもう素でいきますよ』
年上だから、住まわせてもらってるから、苦労を掛けさせているから、礼儀だから。だから、私は敬語でしおらしく大人しくわがままを言わずに接してきたと言うのに…!
『これからは、どんどん無礼なことを言わせていただきますね』
と、私はにっこりと微笑んだ。
どうだ、これが淑女の微笑だ。
『望むところです』
ふ、と口角をあげて笑った銀髪野郎に私の顔の筋肉が固まった。目の前の男は馬鹿にした笑いだったのに、私の精一杯の微笑が馬鹿馬鹿しいほど完璧な微笑だった。
これがイケメンと不細工の壁か…!
『とりあえず、あの人だかりをどうにかしましょう』
これから楽しみにしていますよ、と楽しげな声が流れてきたて、私は少し後悔した。
銀髪野郎は人だかりをまとめ、予約制だと言うことを告げ、今日中じゃ捌ききれない人数の内、明日に回ってもいいというものに予定時間を聞きまわっていた。その間私はその役を銀髪野郎に任せ、部屋の中に入ってせっせと準備をしていた。
まず服を着替えないとね。こんなひらひらしたワンピースじゃ、パンツ見える。
着替え終わってから、あらかじめ用意してもらっていた数種類の香油のにおいを確かめていく。あのバラの匂いだけじゃ男の人に使えないし。
「あ…これ、いい匂い」
くんかくんかくんか。
そうこうしている内に、ノックと共に銀髪野郎が入ってきた。
「――――――?」
「ディモゼ!」
大丈夫!
何言っていたのかはわからなかったけれど、多分もういいか?的なことを言ったんだと思う。違ったとしても知ったこっちゃねぇ。
『では、私は一旦戻ります。またなにかあれば、誰かに私を呼んでいるという旨を伝えてください』
『はい!ありがとうございます!』
では!
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と分かれたのが恐らく6時間ほど前。お昼を食べてからぶっ通しである。
私が寧ろマッサージされてぇよ。
20分間のマッサージと言う時間に関しては、銀髪野郎が置いていった氷の花時計を目印にしていた。時間の概念は違うらしいけれど、私の考えた20分があちらの時間の概念で伝わっているから問題はない。この氷の花が蕾から咲き誇って枯れるまでが20分らしい。なんともおしゃれな時計だ。イケメンはやることなすことイケメンなのか…。
「最後の人か…」
それにしてもお腹すいたなぁ。今度から3時のおやつ時間とか貰おうかな。
「えっとー、じゃあ…シルア・ケドネス、ピスダ チマッツォ.マルアタ キドゥトゥ」
ケドネスさん、こちらにどうぞ。お待たせいたしました。って感じ。ピスダはこちら・こっち・ここという意味で、チマッツォは英語で言うpleaseの意味らしい。マルアタ キドゥトゥはお待たせして申し訳ありませんという意味。これら二つは、さっき慌てて、帰ろうとする銀髪野郎に聞いた。
「―――――――、――?」
あー、すいません。全然わかりません。
皆さん私に色々と話し掛けてくれるのだが、如何せんわからない。けれど諦めずに話しかけてくれる皆さんに涙が出そうだよ。おろろろろ。
「―――キスク――――?」
キスクは名前だった気がする。ということは名前を聞いているのか?
「え、えと、トモス ヴィ シャク」
私はシャクです。
これくらいなら言えるよ!典型的な言葉は先にバンバン教えられたからね!文法とか抜きに!
「シャク?――――――」
たぶん変わってるとかそんなんだと思う。
「―――― シーヴァルア・ケドネス」
ケドネスが苗字だったから、シーヴァルアは名前かな。
「ピツオアサクテ!」
よろしくお願いします!
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コンコン
ケドネスさんにマッサージを施して、花が咲き誇っている頃、ドアをノックする音が聞こえた。
「ゼア」
うとうとしているケドネスさんに悪いので、小声で答える。ケドネスさんの背中を一生懸命マッサージしているところである。そんな私はケドネスさんの背中の上。必死で横からしている私に見かねたのか、ケドネスさんが私に乗れと言ったのだけれども。
「シスタ・シャク――――…――?」
驚きに目を丸める銀髪野郎を見て、私の目が丸くなる。
え、なに。背中に乗るのは非常識なのか?
すっ飛んできた銀髪野郎に手を取られる。
『え、なにか悪いことでも…』
『どうして、彼がこんなところにいるんですか?』
『え…名簿に載っていましたけど…』
銀髪野郎は顔を顰め、心地良さそうにしているケドネスさんを見下ろした。
『彼は…騎士団団長、シーヴァルア・ケドネスです…』
『へぇ、そうなんですか…』
『馬鹿ですか、あなたは!こんなところで団長が寝ていていい訳ないでしょう!』
電撃ではなく、今日はおでこを平手で打たれた。
パシーン!
「地味に痛い!」
『あなたはもう…!』
「いいかげん、しゅくじょらしくしたらどうですか」
「!?」
え?!ちょ、今、日本語喋った?!
頭を抑えて口をパクパクさせる私に銀髪野郎は呆れたような顔をする。
『あなたは勉強している間、考えたことを発しているんですよ…私にも意味くらい理解できます』
私があなたの国の言語を覚えるほうが早そうですよ…。
な、なにおう?!
ゴイン!!!
「「――っ!!!」」
勢いよく体勢を戻して、あまりの勢いで銀髪野郎に頭突きをしてしまって二人でおでこを押さえていると、
「ん…んぅ…」
ケドネスさんが目を覚ましてしまった。私が慌ててケドネスさんの上から退こうとするが、銀髪野郎が私の手を掴んだままだったことを忘れていたため、思いっきり引っ張った銀髪野郎はよろめき、その拍子に奴はケドネスさんの上に手をついた。
ちょ、邪魔!いいから手ぇ離せ!
『なに人の背中でイチャついてんだよ…』
背中に手を置いていた私は、ケドネスさんの言葉が一語一句間違わずに伝わってきた。




