満月の晩
昨日の更新を忘れて寝オチしました。
すいません。
執務室の窓際で彼女がいるであろう庭園を見つめている殿下の少し後ろに立ち、彼、クーラドヴォゲリアは今日のことを報告していた。
「そうか…妊娠していなかったか…」
「ええ、彼女もこれで心の傷も徐々に癒えていくでしょう」
「っふ……だが、あの王子ももうシャクを手に入れることは出来ないだろうな」
「………」
クーラドヴォゲリアは自分の仕える主であり元教え子で幼馴染の王子、ウィーンテッド殿下の横顔を見下ろした。楽しそうに歪められている口元を見た彼は、これが彼の悲しみや悔しさを表すときの表情だと知っているため、ただ無言で彼の横に立っていた。また、彼が慰められることが大嫌いなことをよく知っているからである。
「なぁ、クーラドヴォゲリア」
「…はい」
「シャクのこと、どう思う」
彼は困惑した。聞かれている内容の必要性を理解できていなかったからだ。だが、ウィーンテッドの真剣な目を捉え、彼はただ沈黙した。安易に必要性の是非を求めていい質問ではないことに気付いたからだ。
「ん?クーラドヴォゲリア、沈黙するなんて珍しいな」
「どう…とは漠然としすぎていて、少々悩んでいるのですよ」
「そうか。じゃあ、簡単にしよう。お前は、彼女のことを気に入っているか」
ウィーンテッドがまた視線を外へ向けたのを見て、彼は思わず肩の力を抜いていた。知らず知らずのうちに緊張していたことに彼は少し驚いた。
「…気に入っています。彼女は興味深いですし、彼女の国の文化や情勢なども気になります。特に…彼女の国の“機械”には大変興味があります」
「まぁ、そうだな。宮廷魔術師の立場からだと、妥当な答えだ」
クーラドヴォゲリアはその言葉に顔を顰めた。ウィーンテッドが今の発言は彼のうまいかわし方であるとわかった上での言葉だと、彼は気付いたからである。
「クーラドヴォゲリア」
「…はい」
「彼女は帰るだろうか」
「帰るでしょう」
これだけは彼にも断言できた。彼女はこちらに新たに出来た繋がりや情を捨ててでも元の世界に帰るだろう。…否、これは彼の意見も含まれていた。彼は、もし自分がこの立場に置かれたらと考えたとき、有無を言わさず帰るだろうと思ったのだ。例えもし…恋焦がれる人が現れたとしても。
「寂しいな」
「それは一時のことでしょう。いずれ…我々も彼女も、今は思い出話に変わるでしょう」
「そうか」
そう言っておきながら、彼は自分たちが将来彼女の話をしているとは思えなかった。触れてはいけない話題のように扱う様が目に浮かんだ。それがなぜなのかはわからないが、それでよいのだとも彼は思えた。
「殿下、そろそろ執務に戻りましょう」
「…もうそんな時間か?」
「今日は陛下が体調を崩されているため、少し量がいつもより多いのですよ」
「体調?まだ50だろうに」
「なにやら、風邪を召されたようで」
「…よく風邪を引く陛下だ」
ウィーンテッドは少し口角を上げたあと、外から目を離して自分の席に座った。脇にずっと控えていた殿下付きの侍女が温かい紅茶を机の上に置いた。
「暑いと思ったら、最近少し寒いからな。お前も気をつけろよ」
「ええ、そうですね。殿下も風邪を召されぬよう」
「それならシャクを心配してやるといい。月のものの時は体調を崩しやすいと聞く」
「そうですね。あとで温かいものを届けさせるように言っておきます」
彼はウィーンテッドから少し離れた机に座り、今日中に片付けておく必要がある書類を手に取った。ざっと見たところ今日は夜まで仕事をする必要がありそうだ。となると、彼女に会う時間は取れないな、と考えていた自分に気付き暫し固まった。彼女と会う必要はあったのだろうか?否、ない。作る必要もない。ではなぜ自分は…。
「クーラドヴォゲリア」
ウィーンテッドの声に我に返った彼は、無意識のうちに処理していた書類から顔を上げ、斜め前にいるウィーンテッドの顔を見つめた。
「…なんですか」
「お前は、シャクのことが好きか」
「…またその話題ですか?」
「そうだな、最後に聞いておこうと思って」
もう帰るじゃないか。
「最後、ですか」
ウィーンテッドの言い方に少し気になるものがあったが、彼は気にせず質問に対する答えを暫し考えた。
「好きか嫌いかと言えば、彼女のことは好きです」
そのことになんの躊躇いもなく答えられるし間違ってもいない。彼はさも当然のようにしてウィーンテッドに答えた。すると彼はそう答えられることを予期していたようで、口元に笑みを作った。
「駄目だなぁ、お前は」
「…と言いますと?」
「俺は嫌いか、なんて問いに含めていないだろう」
「…屁理屈では?」
「いいや、違うね」
ウィーンテッドはくすくすと笑い、もう一度質問を変えて尋ねた。
「お前は、彼女のなにが好きだ」
「なにが…」
「そう、なにが」
これにはほとほと困った。好きでも嫌いでもない人物のどこが好きかと聞かれてパッと答えられる人などいないのでないかと思ったが、そんな返答を彼は求めていないだろう。なにか具体的なことを答えなければ……。彼女についていろんなことが頭に浮かんだが、それがまったく好意に繋がらないのはなぜだろうか。眉を寄せていた彼にウィーンテッドは笑いながら、ん?と首を傾げた。
「…いろいろと考えたのですが」
「ああ」
「なぜ私は彼女が嫌いじゃないのか不思議なくらい、いいところが探し出せません」
そう言うと、ウィーンテッドは益々笑みを深めた。だが、なぜ笑みを深めることになるのかが彼にはわからなかった。まったくと言ってウィーンテッドの質問の意味や必要性がわからなかった。
「お前はいいな。自由だ」
「……そんなことはないと思いますが」
目の前の彼よりは自分は自由だが、普通の貴族に比べて自分は制約させられている身であると言うことを彼はわかっていた。が、それをウィーンテッドに言ったところで嫌味にしかならないだろう。彼はやんわりと反対することだけに留めておいた。
「好きなところが見つからないような女だ。だから、もういいだろう?」
「言っている意味がよくわからないのですが」
ウィーンテッドはあのときのように翳りを帯びた瞳をして微笑んだ。その笑顔に彼は背筋に冷たいものが走ったのがわかった。
彼は…今、人に自分の気持ちをぶつけようとしている。どうにもならない感情を…あらわにすることの出来ない負の感情をぶつけてよい自分にぶつけようとしているのだと。前は…彼女だった。彼女はぶつけられてもいい人間ではなかったが、今回は…次は………自分の番だ。
そのことがわかった彼は受け入れることとしかできないのだということも理解していた。自分にはそれを拒むことなど出来ないのだから。
「次の満月の晩。お前の魔力は満ち満ちているはずだ」
「…ええ」
「その日、彼女を元の世界に返す」
ウィーンテッドの笑みが一層深くなったのを見たとき、彼は自分も一緒のように微笑んでいるのがわかった。