国の犬
お姉さまの海に果敢にもダイブした私は、派手な少女の肘であっさりと撃沈した。相当邪魔だったらしく、手加減ゼロで腹に一発。そして、怯んだ私を突き飛ばすという所業。有名人を目の前にした乙女は怖い。プルプルと脇を押さえて道に蹲っていると、モーセのようにお姉さま方の群れがザッと開いた。その道を我が物顔で歩くのは、国一番の美人(らしい)のクーさんである。
「…ファ、シア」
苦しいがためにか細い声が漏れ、クーさんは少し眉を顰めた。そして、小さな溜息を吐いた。
『すいません、皆さん。私は従兄弟と遊んでいるしがない男です。貴女方が仰っている人物とは別人ですので、もう関わらないでください。お願いします』
何を言ったかわからないが、クーさんはキッチリカッチリと腰を曲げ、お姉さま方とおば様方に頭を下げた。ハンパないどよめきが起こったが、クーさんは気にすることなく私の前までやってきた。そして、無言で私を持ち上げた。勿論、魔術で。ここで、お姫様抱っことかクーさんがしてきたら、私は爆笑していただろう、間違いなく。
「…大丈夫ですか」
人ごみから離れたところで、日本語で喋りかけられ、少し安心する。
「…いえーす、おふこーす」
猫が首根っこを掴まれたような体勢で、私は宙を20センチばかり浮いたまま市場を離れていく。
「…それが、俗に言うEIGOというやつですか?」
「そーです、えーごです」
辞書の中に和製英語がたくさん混じっていて、幾度かキレ…尋ねられた。どうして、共通点のない複数の言語が辞書に入っているのかと。とりあえず、世界共通語とだけ教えておいた。
「ところで、なにがしたかったのですか?」
さっき、いきなり飛び掛ってきたでしょう?
「っは!」
思い出した、思い出したよ!
バタバタと脚を動かすと、クーさんが魔術を解いてくれた。バタバタしていたせいで、着地を失敗してそのまま地面に倒れこんだが、そこは気にしないでおこう。服についた砂を払いながら立ち上がると、クーさんがなんとも言えない顔をしていた。
ええ、馬鹿ですよ。ええ、おっちゃこちょいですよ。もう、知ってるんですよ!
「で、何を思い出したのですか」
「あのですね、孤児…なのかな?とりあえず、ご飯に困っている少年を見つけたので、ご飯を買ってあげたいと思ったのです!」
「…それで?」
「その少年を追いかけようと、クーさんを呼びました」
「で、その少年と言うのは?」
「…その……残念ながら、もういません」
盛大な溜息を吐かれるが、私だって吐きたい。想像では、お姉さま方の群れに一気に突入できていた。そして、真ん中にいるクーさんの手を取り、少年を追いかける算段だった。
「…まぁ、貴女ですからね」
どういうことだ。
「ところで、その少年と言うのは、いくつくらいでした?」
「えー…?10歳くらい?」
「…孤児であろうとなかろうと、その年齢で食に困っている者は保護しましょう」
と言い、クーさんは私の額に手を当てた。市場から離れたとは言え、道の真ん中。通りかかる人が不思議そうに私たちを見ていく。不思議って言うか不審者を見る目だよね、それ。
「あの…?」
「さっきの少年を思い出してください」
「え、あ、はい」
目を瞑って、ゴミを漁っていた少年を必死で思い出す。人の目なんか気にするな、私!
…くすんだ金色の髪に、髪とは違って透き通った金色の瞳。そして、薄汚れた元々は白かったであろう肌。破れて布キレのようになってマントに、裸足で寒さゆえに赤くなった小さな足…。
「…あそこですね」
クーさんの言葉に目を開けると、私たちの周りは青白く発光していた。
「え、ちょ…」
周りの通行人たち、目が白目になっちゃってるよ!
「移動します、しっかり捕まっててください」
咄嗟に反応できなかった私は、舌打ちをしたクーさんに腕を引かれた。クーさんの胸の中に飛び込んだはいいものの、思い切り額をぶつけてしまい、クーさんが苦しそうに呻いた。
いや、思いっきり引っ張ったのあなたですから私悪くないですよっ!
「う、うわぁ!なんだ、お前らぁ!」
高い声に反応したクーさんがハッとして私を突き飛ばした。距離を取りたいなら、突き飛ばさなくたっていいのにねぇ。私はそのまま、その力に従って後ろに倒れていった。突き飛ばしておきながら、クーさんは焦った顔をした。いや、焦るならすな。
「うわぁあああ!」
「やっべ、後ろにっ…」
ドンガラガッシャーン!
後ろにいた探していた少年に私はそのまま突っ込んでいった。運悪く少年は、物がたくさん積まれている場所の前に立っていたため、そのガラクタ諸共倒れこんだ。
「いっつー…」
少年をクッションにしたが、如何せん身長が違うため、肩から上は思い切り物で打った。これは、痣になる。痛い。
「…すいません、ちょっと押しすぎました」
これで謝ってるのだから、クーさんは凄いよね。いろんな意味で。
積んであった物の埃で薄汚れてしまった私に手を貸したくないのか、魔術で強引に起き上がらされた。もうちょっと優しさを見せて、頑張って。
「少年、大丈夫かい」
『な、何だお前ら!』
倒れこんだ少年ではなく、少年と共にいた最初に叫び声をあげた気の強そうな赤毛の少年が警戒したように私たちを睨みつけてきた。
おっと。バリバリ日本語で喋っていたぜ。クーさんもナチュラルに使ってたから、間違えた。
『んー…私、怖い、ない。怪しい、ない。人間、ただの、普通の、人。村人』
余計に怪しかったのか、少年の目付きが悪くなる。ヤバイなぁ、なんて思ってるとクーさんに腕を引かれた。
およ?私、今埃塗れよ?
「…貴女はちょっと黙ってなさい」
耳元でボソリと囁かれ、大人しく黙る。いや、耳が弱いとかそんなんじゃないんだぜ。
『あなた達二人は孤児ですか?』
真顔のクーさんに尋ねられ、赤毛の少年は少したじろいだ。が、すぐに瞳に敵意を燃やした。
『だ、だったらなんだよ!孤児だからって馬鹿にすんなよ!』
ヤバイ、少年の言葉がスラングすぎて全然理解が出来ないぞ。
『うぅ…』
小さな呻き声が私の耳に届いた。が、二人には聞こえていないようで、そのまま言い合いをしていた(言い合いというのは語弊があるが)。会話がどうせほぼ聞き取れないのだから聞かなくていいと思い、私は私が先ほど押し潰してしまった少年の許へ駆け寄った。むしろすぐ助けるべきだった。
『大丈夫?』
よし、今度はバッチリこっちの言葉で言えた!
『う…?だ、誰…』
『私の名前はシャクです!』
普通の人はこんな言い方はしないけれど、私はまだ会話に慣れていないから仕方ない。覚えたものから使っていかないと。
『…殴りにきたの?』
『…殴る?殴る、殴る、殴る…?あぁ、殴る!しない、私、しない!殴る、ない!』
殴るという意味が思い出せずに連呼してしまい、少年の瞳が少し揺れる。怖がらせてしまったか。
「サクラ!」
「はい!」
安心させるように倒れこんでいる少年の前にしゃがみ込んでいたが、クーさんの声にピシリと背筋を伸ばして立ち上がってしまった。もう脊髄反射だよね。
ぐるん、と凄い勢いで振り返ると、いつもの銀髪に戻ったクーさんが少年を魔術で拘束して、宙吊りにしていた。
「は?」
「誰か知らない奴に保護される気はないと言ったため、本来の姿を晒せば、国の犬なんかに保護されるか!なんてふざけ…心の痛むようなことを言うので、誠に心苦しいのですが、拘束させていただきました」
…そんな瞳に怒りを宿されて言われても、信憑性ないよ。