好きなのは、エマだもん ~ステップ・バイ
エマは新人タレントとして活動していて、こんなに腹が立ったのは久しぶりだった。1ケ月ほど前に、下手なヘアメイクをクビにしてもらって以来の怒りだ。
今日の収録だって上手くいった。
スタッフも優しかったし、共演者もチヤホヤしてくれた。周り皆から可愛いと言われた。
なのに。
テレビ局の裏口を出た瞬間から、ずっと機嫌が悪い。
夜の空気は少し湿っていて、駐車場には送迎車が何台も並んでいる。スタッフ達が慌ただしく行き交い、出演者達もそれぞれ帰路につく時間帯だ。
本来なら気分は良かったはずだった。
「あーら、お嬢さん」
あの声を思い出しただけで腹が立つ。
霧島シャルル。
ハーフっぽい顔立ちの女装タレント。年齢は三十代後半だったはずだ。ちょっと年齢は上だけど、背も高いし、スタイルもいい。悔しいけれど、普通に格好いい。
だから最初は少し期待した。
もしかして、あたしに気があるのかなって。だったら、少しくらい付き合ってあげてもいいかなって思っていた。紬くんが横にいてくれない時は、横に置いてあげてもいいって、ついさっきまで。
だって最近よく会うし。目も合うし。何だかんだ話しかけてくるし。
それなのに。
「おいたも程々にしなさいね」
・・・は?
一瞬、意味がわからなかった。
「何ですか、それ」
笑顔で返したけれど、声は尖っていたと思う。
シャルルは真っ赤な唇をゆっくり吊り上げる。
「そのままの意味よ」
「何の事です?」
「言わせるの?」
その目が嫌だった。全部知っているみたいな目。子供を見下ろす大人の目。
その瞬間、後ろに控えていた山口が一歩前へ出た。
「あぁ。いやぁねぇ、こんなところで何もしないわよ」
シャルルがくすっと笑う。
山口は無言でシャルルを見ている。
シャルルはわざとらしく肩を竦めた。
「別に、今すぐ何かしようなんて、言ってないじゃない」
「でしたら、」
「でも、お嬢さんには誰か注意してあげる人が必要でしょ?」
カチンときた。
誰に向かって言ってるのよ。あたしはパパの娘だ。この業界で知らない人なんていない。
「パパに言って・・・」
「お嬢さんっ」
山口が慌てて遮る。
でも止まらなかった。
「言ってみなさいよ」
シャルルはにこやかな微笑みを浮かべていた。その余裕そうな顔さえ、今はムカつく。
あたしはシャルルを睨みつける。
するとシャルルはまた、くすっと笑った。本当に面白そうに。
「ねぇ、子守さん」
「・・・」
「こんなのの、お守りも大変ねぇ」
周囲のスタッフが思わず吹き出しそうになる気配がした。
あたしは誰が笑ったのか、見回す。誰もが目をそらした。皆なのっ、どういう事よっ。
馬鹿にされた。
完全に。
このあたしを。
頭の芯が熱くなる。
悔しい。
悔しくてたまらない。
絶対に許さない。こんな恥をかかせたアンタなんて、テレビに出られなくしてやるんだから! パパに言えば、そんな事くらい簡単なんだから!
事務所へ向かう車の中でも、怒りは収まらなかった。スマホを開いても閉じてもイライラする。SNSを見てもイライラする。
紬くんの写真を見ても少ししか癒やされない。
事務所に着くと、エマはそのまま社長室へ向かった。後ろから山口がついてくる。
ノックもそこそこに扉を開ける。
「パパ!」
机に向かっていたパパが顔を上げた。
「急にどうした?」
「何とかして!」
勢いよくソファへ座る。
「霧島シャルルが!」
パパはアタシの横に立つ山口を見る。
「何があった」
「霧島シャルルに釘を刺されまして」
「ふむ」
それだけ。
それだけだった。
もっと怒ると思ったのに。もっと何か慰めてくれると思ったのに。
パパは書類をめくりながら言う。
「最近は誰だったかな?」
その言葉に、山口は即答した。
「STELLA-Rootsの佐伯ってチビですね」
「チビじゃないっ!」
思わずエマは立ち上がる。
「カッコいいもん!」
本当にカッコいい。
笑うと可愛いし。ダンスも上手いし。
誕生日だって一緒にご飯を食べた。その後も何度も会ってる。
紬くんは絶対、あたしの事、好きだと思う。
多分。
きっと。
・・・たぶん。
パパは少しだけ眉を上げた。
「あっちの事務所には、きちんと挨拶したのだろう」
「勿論です。食事のセッティングも何度がしてもらっています」
山口が答える。
「今、何かあるか調べさせています」
その時だった。
山口のスマホが鳴る。
社長室の空気が少し変わった。
山口は画面を確認すると、そのままスマホに出る。
「失礼します」
低い声。真面目な仕事モード。
「ああ・・・」
短く返事を繰り返す。
「・・・ああ」
表情が少し変わった。
「・・・あ?」
その一言で、何かあったのだとわかる。
「ああ、わかった。続き。もう少し詳しく頼む」
スマホが切れる。
パパが顔を上げた。
「わかったか?」
山口は少し考えてから言った。
「社長。ちょっとややこしいですね」
嫌な予感がした。
「何?」
「佐伯ってチビが・・・」
「だからチビじゃない!」
あたしは反射的に言い返す。
山口は無視した、あたしを。
ひどい。
「今、熱を上げているのが、氷室結流って若手女優なんですが」
「違うもん!」
思わず声が大きくなる。
「紬くんが好きなのはエマだもん!」
そうだ。
そうに決まっている。
誕生日も一緒にいたし。
デートだって何回もしたし。
なのに。
なのに。
何だか少しだけ胸がざわつく。
パパは淡々としていた。
「バックに誰かついていたのか?」
「いえ」
山口が首を振る。
「佐伯紬に関しても、氷室結流に関しても、本当に一般人ですね」
一般人。
それを聞いて少し安心する。
勝てる。そんなの、大丈夫に決まっている。選ばれるのはあたしだ。
「氷室の方は、売れ方を見ればラッキーガールってところですが」
山口は続ける。
「うちに移籍しないか声をかけたいところですね」
パパが頷く。
「では何も問題はないだろう」
そう。
問題なんてない。
そう思った。
だけど。
「その氷室結流」
山口の声が少し低くなる。
「どうも最近、九条薔子に気に入られているようでして」
空気が変わった。
パパの指が止まる。書類をめくる形のまま、山口の方を見た
「今クールのドラマ出演も引っ張られたようです」
九条薔子。
名前くらい知っている。日本で知らない人なんて、ほとんどいないだろう。
でも。
だから何なの。
「九条薔子が何よっ!」
思わず叫ぶ。
「パパ、何とかしてくれるでしょ!」
パパはしばらく黙っていた。妙に怖い顔になった。やがて小さく息を吐く。
「・・・」
珍しく、すぐ答えてくれない。
代わりに山口が口を開いた。
「お嬢さんが今後一切芸能活動をしないと言うなら、九条薔子も何とかできるかもしれませんね」
意味がわからない。
「は?」
「何であたしが出られないのよ!」
立ち上がる。
「あたし、タレントなのよっ。可愛いって。ファンクラブも出来たし。バラエティにも準レギュラーで出てるし。雑誌の表紙にも何回も載ってるし。そいつのスキャンダル作ればいいだけでしょ!」
山口を見る。
「出来るでしょ!?」
沈黙。
パパは椅子にもたれた。そして疲れたように呟く。
「・・・甘やかし過ぎたかな」
その言葉に胸がチクリと痛む。
でも認めたくない。
だって悪いのはあたしじゃない。
全部あいつらだ。
紬くんを取ろうとする女も。
生意気なシャルルも。
みんな。
その時、山口がぼそりと言った。
「俺、霧島シャルルに子守大変ですねって言われましたから」
「子守って何よっ!」
叫んだ声が社長室に響く。
けれど、誰も笑わなかった。誰もフォローもしなかった。
広い社長室の中で、初めて少しだけ、エマは自分が子供みたいに見えている気がした。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




