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ステップ・バイ

好きなのは、エマだもん ~ステップ・バイ

作者: 時司 龍
掲載日:2026/09/22

 エマは新人タレントとして活動していて、こんなに腹が立ったのは久しぶりだった。1ケ月ほど前に、下手なヘアメイクをクビにしてもらって以来の怒りだ。

 今日の収録だって上手くいった。

 スタッフも優しかったし、共演者もチヤホヤしてくれた。周り皆から可愛いと言われた。


 なのに。

 テレビ局の裏口を出た瞬間から、ずっと機嫌が悪い。


 夜の空気は少し湿っていて、駐車場には送迎車が何台も並んでいる。スタッフ達が慌ただしく行き交い、出演者達もそれぞれ帰路につく時間帯だ。

 本来なら気分は良かったはずだった。


「あーら、お嬢さん」

 あの声を思い出しただけで腹が立つ。


 霧島(きりしま)シャルル。


 ハーフっぽい顔立ちの女装タレント。年齢は三十代後半だったはずだ。ちょっと年齢は上だけど、背も高いし、スタイルもいい。悔しいけれど、普通に格好いい。

 だから最初は少し期待した。

 もしかして、あたしに気があるのかなって。だったら、少しくらい付き合ってあげてもいいかなって思っていた。紬(つむぎ)くんが横にいてくれない時は、横に置いてあげてもいいって、ついさっきまで。


 だって最近よく会うし。目も合うし。何だかんだ話しかけてくるし。



 それなのに。

「おいたも程々にしなさいね」


 ・・・は?

 一瞬、意味がわからなかった。

「何ですか、それ」

 笑顔で返したけれど、声は尖っていたと思う。


 シャルルは真っ赤な唇をゆっくり吊り上げる。

「そのままの意味よ」

「何の事です?」

「言わせるの?」


 その目が嫌だった。全部知っているみたいな目。子供を見下ろす大人の目。

 その瞬間、後ろに控えていた山口が一歩前へ出た。


「あぁ。いやぁねぇ、こんなところで何もしないわよ」

 シャルルがくすっと笑う。

 山口は無言でシャルルを見ている。

 シャルルはわざとらしく肩を竦めた。

「別に、今すぐ何かしようなんて、言ってないじゃない」

「でしたら、」

「でも、お嬢さんには誰か注意してあげる人が必要でしょ?」


 カチンときた。

 誰に向かって言ってるのよ。あたしはパパの娘だ。この業界で知らない人なんていない。


「パパに言って・・・」

「お嬢さんっ」

 山口が慌てて遮る。

 でも止まらなかった。


「言ってみなさいよ」

 シャルルはにこやかな微笑みを浮かべていた。その余裕そうな顔さえ、今はムカつく。


 あたしはシャルルを睨みつける。

 するとシャルルはまた、くすっと笑った。本当に面白そうに。

「ねぇ、子守さん」

「・・・」

「こんなのの、お守りも大変ねぇ」


 周囲のスタッフが思わず吹き出しそうになる気配がした。

 あたしは誰が笑ったのか、見回す。誰もが目をそらした。皆なのっ、どういう事よっ。

 馬鹿にされた。

 完全に。

 このあたしを。

 頭の芯が熱くなる。

 悔しい。

 悔しくてたまらない。

 絶対に許さない。こんな恥をかかせたアンタなんて、テレビに出られなくしてやるんだから! パパに言えば、そんな事くらい簡単なんだから!




 事務所へ向かう車の中でも、怒りは収まらなかった。スマホを開いても閉じてもイライラする。SNSを見てもイライラする。

 紬くんの写真を見ても少ししか癒やされない。



 事務所に着くと、エマはそのまま社長室へ向かった。後ろから山口がついてくる。

 ノックもそこそこに扉を開ける。

「パパ!」

 机に向かっていたパパが顔を上げた。

「急にどうした?」

「何とかして!」

 勢いよくソファへ座る。

「霧島シャルルが!」


 パパはアタシの横に立つ山口を見る。

「何があった」

「霧島シャルルに釘を刺されまして」

「ふむ」


 それだけ。

 それだけだった。

 もっと怒ると思ったのに。もっと何か慰めてくれると思ったのに。


 パパは書類をめくりながら言う。

「最近は誰だったかな?」

 その言葉に、山口は即答した。

「STELLA(ステラ)-Roots(ルーツ)の佐伯(さえき)ってチビですね」

「チビじゃないっ!」

 思わずエマは立ち上がる。


「カッコいいもん!」

 本当にカッコいい。

 笑うと可愛いし。ダンスも上手いし。

 誕生日だって一緒にご飯を食べた。その後も何度も会ってる。

 紬くんは絶対、あたしの事、好きだと思う。

 多分。

 きっと。

 ・・・たぶん。


 パパは少しだけ眉を上げた。

「あっちの事務所には、きちんと挨拶したのだろう」

「勿論です。食事のセッティングも何度がしてもらっています」

 山口が答える。

「今、何かあるか調べさせています」


 その時だった。

 山口のスマホが鳴る。

 社長室の空気が少し変わった。

 山口は画面を確認すると、そのままスマホに出る。

「失礼します」

 低い声。真面目な仕事モード。

「ああ・・・」

 短く返事を繰り返す。

「・・・ああ」

 表情が少し変わった。


「・・・あ?」


 その一言で、何かあったのだとわかる。

「ああ、わかった。続き。もう少し詳しく頼む」

 スマホが切れる。

 パパが顔を上げた。

「わかったか?」

 山口は少し考えてから言った。

「社長。ちょっとややこしいですね」


 嫌な予感がした。


「何?」

「佐伯ってチビが・・・」

「だからチビじゃない!」

 あたしは反射的に言い返す。

 山口は無視した、あたしを。

 ひどい。


「今、熱を上げているのが、氷室(ひむろ)結流(ゆきる)って若手女優なんですが」

「違うもん!」

 思わず声が大きくなる。

「紬くんが好きなのはエマだもん!」

 そうだ。

 そうに決まっている。

 誕生日も一緒にいたし。

 デートだって何回もしたし。


 なのに。

 なのに。

 何だか少しだけ胸がざわつく。


 パパは淡々としていた。

「バックに誰かついていたのか?」

「いえ」

 山口が首を振る。

「佐伯紬に関しても、氷室結流に関しても、本当に一般人ですね」


 一般人。

 それを聞いて少し安心する。

 勝てる。そんなの、大丈夫に決まっている。選ばれるのはあたしだ。


「氷室の方は、売れ方を見ればラッキーガールってところですが」

 山口は続ける。

「うちに移籍しないか声をかけたいところですね」

 パパが頷く。

「では何も問題はないだろう」


 そう。

 問題なんてない。

 そう思った。

 だけど。


「その氷室結流」

 山口の声が少し低くなる。

「どうも最近、九条(くじょう)薔子(しょうこ)に気に入られているようでして」


 空気が変わった。

 パパの指が止まる。書類をめくる形のまま、山口の方を見た

「今クールのドラマ出演も引っ張られたようです」


 九条薔子。

 名前くらい知っている。日本で知らない人なんて、ほとんどいないだろう。

 でも。

 だから何なの。

「九条薔子が何よっ!」

 思わず叫ぶ。

「パパ、何とかしてくれるでしょ!」


 パパはしばらく黙っていた。妙に怖い顔になった。やがて小さく息を吐く。

「・・・」

 珍しく、すぐ答えてくれない。


 代わりに山口が口を開いた。

「お嬢さんが今後一切芸能活動をしないと言うなら、九条薔子も何とかできるかもしれませんね」


 意味がわからない。

「は?」

「何であたしが出られないのよ!」

 立ち上がる。

「あたし、タレントなのよっ。可愛いって。ファンクラブも出来たし。バラエティにも準レギュラーで出てるし。雑誌の表紙にも何回も載ってるし。そいつのスキャンダル作ればいいだけでしょ!」

 山口を見る。

「出来るでしょ!?」


 沈黙。


 パパは椅子にもたれた。そして疲れたように呟く。

「・・・甘やかし過ぎたかな」

 その言葉に胸がチクリと痛む。

 でも認めたくない。

 だって悪いのはあたしじゃない。

 全部あいつらだ。

 紬くんを取ろうとする女も。

 生意気なシャルルも。

 みんな。


 その時、山口がぼそりと言った。

「俺、霧島シャルルに子守大変ですねって言われましたから」


「子守って何よっ!」

 叫んだ声が社長室に響く。

 けれど、誰も笑わなかった。誰もフォローもしなかった。

 広い社長室の中で、初めて少しだけ、エマは自分が子供みたいに見えている気がした。

読んでくださってありがとうございます(*_ _)

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「好きなのは、エマだもん ~ステップ・バイ」拝読致しました。  お仕事は順調。でも、ご機嫌斜め。  シャルル。あいつめぇ。おいたって、なによぉ!  パパに、言いつけて…
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