5 オルディアーク公爵家の家訓
屋敷に戻ると、俺はアメリアをそっとベッドに寝かせ、毛布をかけた。
意識は戻っていたが、頬はまだ青白く目も虚ろなままだ。あの学園で、どれほど無理をしていたのか――俺は自分の迂闊さを、なおも責めながら、妹の頬にそっと手を当てた。
「……寒くないか?」
返事はなかったが、小さく首を振ったように見えた。それでも不安は消えず、俺はすぐに執事を呼んだ。
「コックに伝えてくれ。胃に優しいスープを、すぐに。アメリアが食べられそうなものを用意させろ」
「かしこまりました」
執事が静かに退出すると、俺はアメリアの手をそっと握った。小さくて……細すぎる。
どれだけ辛かっただろう。どれだけ、寂しかっただろう。
ドアがノックされ、やがてメイドがスープを乗せた銀のトレイを持ってきた。
「お嬢様に、お食事を……」
「ありがとう、俺がやる」
俺は銀のトレイを手に、アメリアのベッドのそばに近づいた。
そっと椅子を引き寄せ、枕元に腰を下ろす。
膝の上のトレイには、まだ温かいスープが揺れていた。
「アメリア、スープが来たぞ。少しでいい、食べられるか?」
まぶたが、かすかに震えた。
「えっと、はい。少しなら……」
俺はアメリアをそっと起こし、背中に枕をあててやる。
上体が起きたことで、少しは食べやすくなっただろう。
スプーンを手に取り、温かいスープをすくうと、やわらかな声で問いかける。
「……食べられそうか?」
彼女の返事を待ちながら、そっとスプーンを口元へ差し出した。
「ほら、アーンして。今日は、俺が食べさせてやる。いいか? ゆっくりでいいんだぞ」
アメリアは戸惑ったように目を見開いたが、やがておずおずと口を開けた。
スプーンを口に運ぶと、ほんの少しだけ咀嚼し、ゆっくりと飲み込んだ。
「……うん、偉いぞ。ちゃんと食べられたな」
そう声をかけると、アメリアのまぶたがかすかに揺れ、視線が合った。
ふっと、小さく微笑んだ気がした。
それは弱々しくて、痛ましいほど儚いものだったけれど――
妹が笑ってくれた。それだけで、救われるような気がした。
ちゃんと元気になったら、一緒に笑って過ごしアメリアの毎日を、少しずつ幸せで満たしてやりたい。
「もう一口いけそうか?」
そう言ってスプーンを差し出すと、アメリアは少しだけ首を縦に振った。
何度かに分けて、ゆっくりとスープを口に運ぶ。全部は無理でも、半分ほどは飲めただろうか。
妹が「もういいです……」と小さくつぶやいたのを聞いて、俺はトレイを脇に置いた。
ベッドにもたれて呼吸を整える彼女を見ながら、俺は毛布の端を直し、額にそっと手を当てた。少し熱っぽいかもしれない。
「……よく頑張ったな」
そっと頭に手を置いて撫でてやると、アメリアの肩がわずかに揺れた。驚いたように目を見開いたあと、小さく、こくんとうなずいた。
「寒かったら、すぐに言うんだぞ」
アメリアは何も言わなかったが、その肩が震えたように見えた。俺は手を掲げ、小声で生活魔法を唱える。温度調整の魔法だ。
すると、部屋の空気がほんのりとあたたかくなり、アメリアの頬にもわずかな色が戻ったように見えた。
その夜、アメリアがぐっすりと眠れるまで、俺はそばを離れなかった。
◆◇◆
翌朝、アメリアが目覚めた頃には、俺はすでにベット橫の椅子に座っていた。
「……オルディアーク公爵閣下?」
「いや、おまえの好きに呼んでくれ。お兄ちゃん、でいいんだぞ」
「えっ? そんな……恐れ多いです。公爵閣下とお呼びするのが当たり前な気が……私は庶子ですし」
「この世界の常識など忘れていいぞ。アメリアにはお兄ちゃんのほうが、呼びやすいだろう。俺を何度もそう呼んでいた」
「あっ、すみません。つい……お兄ちゃん……って呼んでしまって」
「あぁ、それでいいんだよ。これからは、そう呼ぶように」
俺はにっこりと笑い、指を鳴らす。
扉の外で控えていたメイドが、トレイに朝食を乗せてやってきた。
「まずは、またスープだな。まだ無理をするなよ。今日も俺が食べさせてやる」
アメリアは頬を赤らめ、少しだけ身を起こした。
「い、いえ、自分で食べられます……!」
「今までの埋め合わせくらい、させてくれ。……あんな学園に預けたこと、本当に悪かったと思ってる」
アメリアがぽかんと目を見開いて、こちらを見ている。
俺から謝罪の言葉が出るなんて、思ってもみなかったのだろう。
食事のあとは、アメリアが眠っている間に用意させた部屋着を渡す。
「着替えは侍女に頼んである。無理はするな。……それが済んだら、俺に髪を梳かせろ」
「えっ……!」
アメリアが驚いた声を上げた。
「な、なんで……! そんなの、聞いたことありませんっ。貴族って、兄弟でも親子でも、もっと距離を取るものだって……!」
焦るアメリアに、俺はごく真面目な顔で返す。
「オルディアーク公爵家では、今後“兄が妹の髪を梳く”のを常識とする。これは家訓だ」
「そ、そんな家訓、今初めて聞きましたっ!」
「ついさっき作った」
アメリアが絶句する中、俺は心の中で頷いた。
――世間では“兄バカ”と呼ばれるらしいが、上等だ。
俺はこの先、それを目指すと決めたのだから。
そしてその数時間後、俺は使用人たち全員を大広間に集め、厳かに、だが堂々と宣言した。
「本日をもって、オルディアーク公爵家は“《《妹溺愛》》路線”を採用する。アメリアに対しては、最大限の配慮と甘やかしを――これは命令だ」
静まり返る会場に、若干の動揺と笑いを堪える気配が混じったのは気のせいだろうか。
だが構わない。俺は本気だった。
――この命、妹の笑顔のために捧げる覚悟である!




