4 封印していた記憶ー妹を守りたい
俺が学園へ駆けつけたとき、アメリアはすでに意識を失っていた。
寮の一室。宿舎の片隅にある小さな部屋の簡素なベッドに、小さな体が沈むように横たわっている。あまりに痩せていた。手足は細く、頬はこけ、頬骨が浮いて見えた。 髪は乱れて、肌は青白く……これはただの体調不良ではない。明らかに、衰弱している症状だった。校医が診断を終えるよりも先に、アメリアが微かに唇を動かした。
「……お兄ちゃん……」
その言葉を、俺は確かに聞いた。
一瞬、時間が止まったような感覚に陥る。
「お兄ちゃん」――“レオニル様”でも、“オルディアーク公爵”でもない、聞き慣れない呼び名。
今まで他人のように思っていたこの少女が、初めて“身内”として俺を呼んだ。か細く、それでも確かに俺を求める声だった。そのたった一言が、胸の奥を強く揺さぶる。
その瞬間、封じていたはずの記憶が、激しい閃光のように脳裏を走った――忘れていたはずの“あの日”の光景がよみがえる。
病室の白。
ベッドに横たわる、痩せ細った妹。
持病のせいで、幼いころから何度も入退院を繰り返していた妹は、その日も微熱を出していた。
「今日は、そばにいてほしいの」
そう言った妹の声を、俺はちゃんと聞いていた。だが、担当医が「命に別状はない」と言った言葉を信じて、俺は職場へ向かった。担当医の診断にも、俺は違和感を覚えなかった。あのときの症状と数値なら、俺だって同じ判断をしたと思う。
重要な会議がある日だった――俺は妹の願いよりも、日常を優先してしまったのだ。
……まさか、それが、生きている妹と交わした最後の会話になるなんて。
死に際にすら立ち会えなかった。
“もう一度、時間を巻き戻せたなら”――そんな願いが、形になったのだとしたら……今度こそ、絶対に俺は妹の側を離れない。
自ら封印していた記憶が蘇ると、ふつふつとこの学園に怒りがわき上がる。
「学園長と話したい」
声は冷静だったが、周囲の空気が凍るのがわかった。氷魔法が発動しかけたのを、やっとの思いで抑えた。案内された応接室で、担任教師と学園長が並ぶ。
「どうしてアメリアの状態を放置していた? なぜ、俺にすぐ連絡を寄こさなかった?」
俺の言葉に、学園長は顔を伏せ、担任が小さな声で答える。
「確かに、アメリア様はここ数日、《ちょっとした悪戯》を受けたようで、授業にも食堂にも姿を見せておられませんでした。ですが、お怪我の様子もなく医務室にもいらっしゃらなかったため、私どもも単なるご機嫌の問題か、気まぐれかと……。アメリア様ご自身から特に訴えもありませんでしたので、まさか、ここまで深刻な事態になっているとは……」
「あれほど衰弱するまで放っておいていい理由にはならん。しかも悪戯だと?」
強く机を叩きたくなる衝動を堪えながら、俺は鋭い目を向けた。
「……庶子が学園に通うという前例がほとんどなく、どう対応すべきか判断が……」
その言葉に、俺の中の何かがはっきりと切れた。
「前例がない? 前例がないから、放っておいたのか?」
怒気が声に乗る。だがそれ以上に、自分自身への怒りが湧き上がっていた。
記憶を取り戻す前の俺には、この学園で起きそうなことなど想像すらできなかった。「天才」「将来を嘱望された逸材」――家庭教師たちにそう称されるほどだった俺は、学園に通ったことがなかったからだ。
貴族学園という場所で、子供がどう生きるのか――振る舞うのかを、知る機会を持てなかった。
それが、アメリアをこの場所に送り出してしまった理由だった。
何も疑わずに。何の備えもなく。
「……すまなかった、アメリア。庶子という立場のおまえを、こんなところに押し込んだ俺が愚かだったよ。今の俺ならそれがどんなに無謀なことかよくわかるのに……」
誰に言うでもなく、低くつぶやく。妹をこんな目にあわせてしまったのは、他でもない俺自身の落ち度だ。
もっと早く、自ら施した記憶の封印が解けていれば。
あるいは、この世界での記憶しか持たない俺であっても、ほんの少しでも想像力があったなら。
アメリアの立場に立ち、貴族学園での生活がどんなものになるのか、思いを巡らせることができていたなら――
「アメリアは、しばらく屋敷で静養させる」
退学とは言わない。それはアメリアが決めることだし、慎重になるべきだから。ただ、今はこの場から離すのが先決だと思う。
俺は、アメリアをしっかりと腕に抱えて馬車に乗り込んだ。
その腕の中で、アメリアがうっすらと目を開ける。
かすれた声で、もう一度――「お兄ちゃん」と呼ばれた。
あぁ、俺はおまえの最高のお兄ちゃんになってやるよ。
今度こそ、本当の意味でおまえの兄になるさ。
何があっても、お前を守り抜く。
二度と、泣かせはしないから……




