32 治療
転移魔法の光が収まると同時に、俺たちはオルディアーク公爵家の広い玄関ホールに姿を現した。
執事が目を見開いて近づいてくるよりも早く、俺は短く告げる。
「母上の寝室へ。すぐに治療を始める。アメリア、ついてこい」
「はい!」
俺たちは無言で階段を駆け上がる。母上の寝室の前には、心配そうな顔をした使用人たちが立ち尽くしていた。俺たちに気づき、皆が慌てて道を開ける。
扉を開けると、ここを発った時と変わらぬまま――母上は、寝台の上で高熱にうなされていた。
容体は一見変わらずとも、時間との勝負は続いている。
俺は保存瓶を取り出し、セリファ草とフェレナ草を取り出す。
「アメリア、フェレナ草の葉をこの魔具で潰さずに細かく刻んでくれ。薬効を最大限に引き出せる。それから、搾り汁をこの瓶に集めてくれ。冷却成分を抽出する」
「はいっ!」
俺は、薬草辞典で得た知識をもとに、薬草の処理方法に細心の注意を払う。アメリアに、魔力を通すことで刃の振動を制御できる小型の魔具を渡した。この魔具は、繊維を傷つけずに切断するための特別な道具であり、薬草の効果を最大限に引き出すために不可欠なものだ。
アメリアはすぐさま作業に取りかかった。
山で見せたときと同じ、真っすぐな眼差しだった。
俺はセリファ草を煮出すための小鍋に魔石で熱を送り、わずかに泡立ったところでアメリアが搾ってくれたフェレナ草の抽出液を加える。色はわずかに緑がかった透明に近く、鼻をつく苦味のある香りが漂う。
その薬液を小さな銀のスプーンにすくい、アメリアが母上の口元へとそっと運ぶ。微かに開いた唇の隙間に、少しずつ注ぎ込むようにして飲ませていく。高熱にうなされながらも、母上の喉がかすかに動いた。
「……ゆっくりでいいです。ほんの少しずつでも、飲んでくださいね……公爵夫人」
アメリアが母上に薬液を飲ませる一方で、俺は母上の手を握りながら額に軽く触れた。治癒魔法でさらに薬草の効果を最大限に体に巡らせる。
すると――呼吸が、ほんのわずかに落ち着いてきた。
荒かった息がゆるやかになり、苦しげだった眉間の皺が、すこしだけ和らいでいく。
「……効いてる……お兄ちゃん、効いてるよ!」
「ああ、順調だ。体の中の毒素が、薬草に反応してる」
すぐに目を覚ますことはなかったが、母上の表情は確かに、痛みから解放されつつあるように見えた。
それだけでも――希望には、十分だった。
◆◇◆
夜が明けた。
窓から差し込む光が、薄く母上の顔を照らす。
ふと、指先が小さく震えた気がした。
俺は思わず身を乗り出し、そっと手を取る。
その瞬間、まぶたがわずかに揺れた。
──目覚めの予兆。
薬草と治癒魔法は、確かに効いている。
そして二日後の朝。
「……レオニル……アメリア……?」
かすかな声とともに、母上のまぶたがゆっくりと開いた。焦点の合わない瞳が少しずつ俺たちを捉え、やがて柔らかく微笑む。
「公爵夫人……!」
アメリアが思わず泣きそうな声を上げた。俺もまた、胸の奥に張り詰めていた緊張が、音もなくほどけていくのを感じた。
「もう、大丈夫です。毒は中和されました。あとは、少し休めば元の状態に戻ります」
「……そう……なの……? レオニルが……助けてくれたのね。ありがとう……」
「俺だけじゃありません。アメリアも、すごく頑張ったんです。詳しいことは……あとでゆっくり。今は、どうか休んでください」
母上は静かにまぶたを閉じ、しばらくして、穏やかな寝息を立て始めた。
母上が生きている。
その命が、繋がった――それだけで、胸がいっぱいだった。




