10 sideオルディアーク公爵夫人
庶子……旦那様が平民の女性に生ませたという少女。私にとっては憎むべき存在でもなく、だからといって慈しむべき存在でもなかった。この世界は貴族の家族同士の交流は薄い。実の親子であっても壁があるのだから、全く血のつながりがない少女のことは、どう接していいかもわからない。それでも、王立貴族学園にいれてしばらく経って、体調を壊して屋敷に戻ってきた姿には心が痛んだ。こんなつもりで学園の宿舎に入れたわけではなかった。
私は生まれながらにして高位貴族であったし、学園では良い友人に恵まれたから、まさかアメリアがこんなことになるなんて、思いもしなかったのよ。息子のレオニルはとても悔いていた。まるで人が変わったみたい。庶子のあの子をお姫様扱いしだしたわ。ばかなことを、と正直思ったけれど、アメリアの痩せ細った身体と、私に尽くそうとする態度を見たら文句を言う気もなくなった。
それにしても、アメリアはまた余計なことをしている。お茶を淹れるなど、本来は侍女に任せておけばいい。そう思いながらも、私のためにわざわざ自ら手を動かしてくれている彼女の姿を見て、その行動を止めることができない。
湯気の立ちのぼる茶器を前に、アメリアの手元はわずかに震えていた。緊張しているのが、ひと目でわかる。そんな姿に気づいてしまえば、「そんなことをしなくてもいいのよ」とは言えなくなってしまう。
代わりに、私は柔らかく問いかけた。
「なぜ、あなたはお茶を淹れようとしてくれているの?」
アメリアは、少し俯きながら小さな声で答えた。
「オルディアーク公爵夫人に……少しでも楽しい気分になっていただきたくて」
「楽しい気分?」
思わずその言葉を繰り返してしまった。
するとアメリアは、三日前からレオニルに感情を操る魔法を教わっているのだと話してくれた。そして、その魔法を――紅茶に宿らせたつもりなのだと。楽しい気分にさせる魔法。リラックスさせる魔法。怒らせる魔法や、嫌な気分にさせる魔法まで。さまざまな“感情”を操作するそれは、私の知る限りでも相当に難しい術だ。貴族の中でも、ごく限られた高度の魔術適性を持つ者にしか扱えない。レオニルが使えるのは納得できる。
「楽しい気分になって、少しでも寛いでいただけたらって……そう思って、やってみたんです」
アメリアが、そんな高度な魔法を使えるかしら? 心のどこかで、半信半疑だった。けれど、差し出された紅茶を一口含んだ瞬間、不思議と胸の奥にふわりとした温かさが灯った。肩の力が抜けて、心は柔らかな光に包まれていくようだった。
「まぁ……思ったよりも、ずいぶんとよくできていますね。まさか、本当に感情を操るような魔法を、アメリアが使えるだなんて」
思わず口元に笑みが浮かんでいた。そんな私の言葉に、ちょうどレオニルが歩み寄ってきて、朗らかに笑った。
「母上。アメリアはまだ、その魔法を完全には習得できていないんです。ですから……きっと魔法の効果じゃないと思います。母上が楽しいと感じたのは、アメリアの“気持ち”そのものが嬉しかったのと、一緒に過ぎす時間が純粋に楽しいと思ったからですよ」
なるほど。
確かに、そうかもしれない。
声には出さなかったけれど――私は静かに、そう思った。
それから、さらに数日が過ぎた頃のことだった。その日も、いつものようにレオニルとアメリアと共に、サロンで穏やかな午後を過ごしていた。また、アメリアが丁寧に紅茶を淹れてくれる。
「今度は紅茶の温度を一定に保つ魔法を教わりました。これは比較的よくできると思っています」
少し誇らしげに言いながら、私のカップにそっと注いでくれた。それは、魔法の中では比較的簡単な部類に入るものだった。
それでも、アメリアが真剣な面持ちでわずかな魔力を調整しながら、私の紅茶を守ろうとしている姿は、どこか微笑ましく――そして、なんとも愛らしく思えた。
私は、ふと語りたくなってしまった。
心の奥にしまっていた、誰にも話したことのない思い出を。
「実はね……私には、娘がいたはずなのよ」
アメリアとレオニルが、驚いたように私を見た。
「レオニルを産んでから――そうね、一年ほどして授かった子だったの。そのときは、本当に嬉しかったわ。女の子だったのよ。あぁ、この子は、大切に、丁寧に育ててあげなければ……そう思ったの。もちろん、レオニルも愛おしいわ。でもね、あの子が“女の子”だったからこそ、私は……母親として、もっと守ってあげたくなったの」
そこまで話したところで、私は一度、カップに目を落とした。
「でも……その子は、生まれてから一月も経たずに、この世を去ってしまったわ。肌は雪のように白く、瞳は透き通るような青。まるで天使のような、綺麗な赤ちゃんだったわ」
静かに息をついてから、私はアメリアの方へ視線を移した。
「今でもふと、あの子が生きていたら――そんなことを、思い返すことがあるの」
少し沈黙が落ちたあと、私は微笑んで続けた。
「ミレナの花は真っ白な花弁に、中央だけが澄んだ青でしょう? あれを見るたび、私は思い出すの。…あの子の肌と瞳に、似ているなって」
視線を窓辺の花瓶へとやると、ちょうどそこに、アメリアが飾ってくれたミレナが揺れていたのだった。




