1-10 団らんの灯り、心に残る影
夜の街は昼間の喧騒を忘れたように静かだった。商店街の灯りは半分以上落ち、駅前のイルミネーションは点滅し、水面のようにゆらゆら揺れている。俺と紗季は制服姿で肩を並べ歩いていた。遠目にはただの高校生カップルに見えるだろう。
「怪我はない?」紗季が覗き込む。距離が近い。夜風に揺れるポニーテールが頬に触れそうで、思わず身を引いた。
「いや、大丈夫だって」
「本当?」
心配されるのはありがたいけど、今は少し胸が苦しい。
「本当に平気だよ」
「私がいるんだから無理するのはやめて」
優しい。けど同時に――強い拘束のようだった。「私がいるんだから」という響きは、まるで俺の選択を奪うみたいで……
(いつもと同じ言い方なのに……)
この前は俺が頑張るのを応援してくれたんじゃないのか?今日の紗季の言葉は、まるで何かの誓いのようで重かった。
「俺だって自分の力で立ちたい」
「分かってる」
短い返事には切り捨てるような冷たさがあった。紗季の横顔を見やる。街灯に照らされた頬は柔らかいのに、瞳の奥だけがひどく鋭い。
「さっきね、翔太の気の流れ……視えたの」
逃げ道を塞ぐみたいに視線が絡む。
「藤堂流は“回す”の。循環させて、受け流し、伝え、力を作り出す。でも翔太は違う。気を溜めて押そうとしてた。外へ外へ、無理矢理叩きつける……そんな流れ」
紗季が自分の指先で空中に小さく円を描くと、その軌跡に気の流れが生じ、夜風が微かにそよいだ。手を払い気を散らすと微笑みを足す。
息を呑む。
(そこまで分かるのか)
「悪いことじゃないわ。と言うより普通は出来ない。あれほど気を強く"溜める"なんて――誰に教わったの?」
「いや。独学っていうか……」
「やっぱりね」
満面の笑み。しかし少し危うい光が瞳に宿る。
「翔太の気は根本から“攻撃”に向いてるようね。刃みたいに鋭くて、激流のように強く激しい……本来なら、もっと早く目覚めててもおかしくないくらい。でもね。そのやり方は危険。いつか回路が焼き切れて身体が壊れるわ。
……怖かった。見ていられなかった。だから止めたの……!
無茶して壊れるくらいなら私に全部預けてよ……」
それは守りたいというより縛りつける響きに近い。
「試したいことがあるなら私の前でして。もう一人で無茶するなんて絶対に許さない」
“許さない”。
その一言に、柔らかさと圧が同居していた。
視線を逸らしたけどすぐに戻す。逃げても追い詰められるような気がしたから。
紗季が俺の腕を掴んだ。爪が少し食い込む。
「……善処する」
「うん」
紗季は短く頷いて微笑む。その笑みの端に不満の影が一瞬だけ差した気がした。
夜風に揺れる紗季の横顔は、穏やかで優しげに見えた。けれど俺にははっきりと見えてしまった。瞳の奥に潜む鋭い棘のような光を。
***
紗季と別れて自宅へ。玄関を開けると温かい匂いが鼻をくすぐった。味噌汁の湯気に焼き魚の香ばしさ。外の冷たい夜風とは正反対の、柔らかな空気が家の中に満ちていた。
「おかえり、翔太」リビングから母の声が飛んでくる。明るい照明に照らされた食卓には、父と妹がもう座っていた。
妹が頬をふくらませながら茶碗を差し出す。
「遅かったじゃん。部活?」
「いや、紗季と駅前に行ってた」
「えっ、紗季ちゃんと? いいなぁ〜! デートでしょ?」
妹は目を輝かせて笑う。
母もにやりと笑い、父は新聞を畳んでこちらを見る。
「お前も青春だなあ」
「ち、違うって。ただ……ちょっと買い物に付き合っただけ」
慌てて否定するが、妹は「へぇ〜、でも楽しそう!」と無邪気に笑う。
食卓に笑い声が弾ける。家族は「デート」と思い込んで――半分からかって、楽しそうに盛り上がる。けれど俺の胸の奥にはさっきの紗季の声がまだ残っていた。
『私に全部預けて』『一人で無茶するなんてもう絶対に許さない』
母が心配そうに覗き込む。
「翔太、どうしたの? ぼーっとして」
「いや、なんでもない」
笑ってみせるけど、その笑みはどこかぎこちなく、家族の明るさから浮いている気がした。リビングの灯りは眩しいが温かかった。
夕食を終え自室に戻ると、机の上には教科書が開きっぱなしだ。でも今日は勉強に向かう気になれなかった。スマホが震える。画面には「紗季」の名前。
「……もしもし」
「翔太。今、話せる?」
よかった。いつもの落ち着いた声だ。
「うん。どうした」
「……ごめん。さっきは強く言い過ぎた。あんなふうに“許さない”なんて、言うつもりじゃなくて……心配で、怖かったの。翔太が無茶して壊れるんじゃないかって。だから強く言い過ぎちゃった……」
「……別に気にして――――」
「違うの!私が怖かったの……翔太がいなくなるかもしれないって思ったら、考えるだけで息が詰まった」
胸の奥がざらつく。沈黙が落ちたまま時間だけが過ぎる。
紗季は逃げるように続けた。
「でもね、黙って見てるなんて私にはできない。だから私には隠さないで欲しい。同じことがあったら私、絶対また止める。嫌われても」
それは自分を切り捨ててでも守ろうとする言い方だった。
俺は言葉に詰まる。
「……分かったよ」
短い返事を落とすしかなかった。
少しだけ紗季の声が少し柔らかくなる。
「……さっきまで、家族でご飯食べてたんでしょ?」
「え? ああ、まあ」
「そういうの、いいよね。賑やかで、安心できる場所があるって……私には――…」
返す言葉が喉に引っかかった。どんな言い方をしても違う気がして。
何が正解なのか分からなかった。
紗季は少し息を吸って、笑おうとしたみたいに声を整える。
「だからね。翔太がちゃんと笑ってられるように、そばで見ていたいの。……勝手、でしょ?」
最後の一言は冗談めかしていた。
けれどその笑い声はどこか震えていて、上手く笑えていなかった。
部屋の明かりを落として横になる。眠れる気はしなかった。




