1-4 用意された未来なんていらない
翌日、教室。ガヤガヤと響くクラスメイトのは俺に向けられていた。
「腕どうしたの!?」
「喧嘩ァ? うわ、急に不良になった?」
「彼女の爪痕じゃね? オラついてんな〜」
「彼女いるわけねぇじゃん、翔太だぞ?」
好き放題言いやがって。苦笑いしながら返す。「転んだんだよ。ただの擦り傷」
変わらない日常が、昨夜の惨劇を嘘みたいに薄めていく。ほんの少し、ほっとする自分がいた。
放課後。チャイムが鳴り終わるより早く、藤堂紗季は迷いなく俺の机の横へ立った。
「翔太。放課後、時間ある?」
整えたポニーテールが揺れる。少し汗ばむ教室にほのかなシャンプーの匂いが漂う。
笑っているのに瞳は鋭く、いつもののほほん顔とは別物だ。
「え、ああ……あるけど。どうしたんだよ」
紗季は一瞬辺りを見回すと声を潜める。
「道場に来て。おじいちゃんが──昨夜のことを。あなたの戦いを見てたから」
「は?」
「助けるつもりで駆けつけたけど、思ったより冷静だったよね。あいつは私が片付けておいたから……怪我は、もう大丈夫?」
心臓が跳ねた。あの必死な自分を見られていたなんて。昨夜の熱い痛みが蘇る。
「まあ……なんとか」
「よかった」
紗季は小さく安堵の息をついた。
その瞬間だけ、いつもの彼女がいた。
「翔太、あなたは目覚めたのね……気に」
「……気? 昨日のアレは関係あるのか」
こっくりと頷くと俺をまっすぐ見てくる。
「だから稽古をつけて、死なないようにしてやるって――おじいちゃんはそう言ってた」
言葉の端に「任せて」と誇らしさが滲む。死なないように……か。まるで俺がこれから死ぬ未来が確定してるみたいだ。
その言葉は頼もしい。勝手に守るって決めつけられるのは正直むず痒いし、俺だって自分の力で立ちたい気持ちがある。――それでも――胸の奥ではありがたさも確かにあった。
そして何より、昨夜の“気”の感覚をもう一度確かめたい。その欲が反発心を押し流していた。
気を知りたいなら、結局行くしかないんだ。
「分かった。行くよ」
「ありがとう。じゃあ──急ごう」
二人で校門を出る。夕暮れの商店街は賑やかなのにどこか影が濃い。昔から妙な噂の絶えない町だ。壊れている祠。黒い足跡。夜に響く獣の声。
謎だらけだった点と点がひとつの線に変わり始めていた。
「この町……やっぱなんかあるんだな」
「あるよ。ずっと前から。私たちは──それを見る側」
俺はまだ半信半疑だ。でも紗季はとっくに真っ只中にいるのだ。
***
道場の門はあの頃と変わらずそこにあった。錆びた表札に年季の入った木の匂い。俺が通っていたのは小学生の頃で、同い年の紗季とは仲がよく、よく一緒に稽古していた。けど――辞めた。
周りの大人に、はっきり言われたからだ。
《紗季ちゃんはすごいねぇ。翔太くんは……うん、まだまだだな》
笑いながら撫でられた頭は、恥ずかしさじゃなく悔しさでいっぱいで。
(俺は、誰かに「向いてる」って言われるためにやってんじゃねぇ)
あの感情は、今もどこかに残ってる。
「入って」
懐かしい記憶と悔しさと劣等感、畳の匂いに色々な感情が呼び起こされた。
奥の間には紗季の祖父でもある藤堂師範が待っていた。皺だらけの瞳は、子どもの頃と変わらず鋭い。
「久しいな翔太。よく来た」
ただそれだけで、背筋が勝手に正される。昔と同じ鋭さの目なのに、今は俺を値踏みするような重さがある。
「座れ。話をしよう」
正座した俺の前に湯呑みが俺の前に置かれる。湯気さえ威圧感を帯びてるんだが……
「昨夜の怪物――あれは異界の住人だ。目覚めたばかりの未熟者は特に狙われる」
「目覚め? 俺が……?」
「翔太。お前には素質がある。鍛えれば戦える。この町と龍脈を守る者になれ」
淡々と告げられた言葉に脳が追いつかない。唐突すぎて息が止まる。
師範は次々と続ける。国の裏側にある組織、給料も出る安定した将来、そして……
「いずれ紗季と共に、この道場を継げ」
未来を丸ごと提示された気がした。――レールだ。俺が望んだことなんて一度も聞かず、決まっている未来。俺の望みなんて聞かれずに。
(決まってた――最初から)
逃げたくない。でも俺の「選ぶ権利」をこれ以上奪われたくなかった。
落ち着くために深呼吸を一回。
後悔しないためにゆっくりと言葉を選ぶ。
「すみません。今はまだ……誰かが敷いた道を歩く気はない、です。俺は、自分の意思で立ちたい。守られるだけじゃ嫌なんだ」
言わなきゃ、一生後悔する。
「俺は──俺の力で生き延びたい。自分の力は自分で確かめたい」
「翔太……」
紗季の声がわずかに震えた。祖父の前だから抑えているだけで、その瞳の奥では何かが揺れている。
師範は何も言わずただ俺を見ていた。その視線が刺さる。試されているようだ……やがて口を開いた。
「藤堂家は長く町を守ってきた。お前がその輪に入れば……助けになるのだがな」
「……」
「気が変わったら訪ねて来い。……死んだら元も子もない。それだけは忘れるな」
「はい」
それが許しなのか失望なのか判断できないが、厳しさの奥に期待がかすかに見えた気がした。言葉は厳しかったが、それでも――俺の選択を尊重してくれるのが分かって、少しだけ嬉しかった。
紗季は俯いたまま、無言で膝の上の拳を握りしめていた。
***
道場を出ると風が冷たい。月が大きく近かった。
「本当に一人でやるつもりなの?」
紗季は前を向いたままだ。その表情は俺からは見えない。だが、圧は隠しきれていない。
「やるしかないだろ。てか……やりたい」
「死ぬかもしれないのよ」
「昨日も今日も、死にかけてるけど」
「軽く言わないの!」
振り向いて怒鳴られる。それだけ俺を心配してくれてるんだ。
「ありがとうな。道場に誘ってくれて。
だけど俺は──自分で勝って、生き延びて、強くなって……今はそれだけだ」
紗季は黙って聞いてくれる。
「死ぬかもしれないのに……馬鹿でしょ」
「まあな。でも死なねぇよ。簡単にはな」
「簡単に死なないで、約束よ。」
紗季の手が、そっと俺の手を掴む。だけど彼女はすぐに離すと袖を掴んだ。
「さっき師範が言ったこと……あれ、どう思ってるの?
道場のことも……その……未来のことも……」
唐突に紗季が切り出した。声は小さいけれど逃げられない真剣さがあった。
“俺と紗季がこの道場を継ぐ”その言葉が、遠く重く響く。一瞬だけ時間が止まった気がした。
(紗季と、この道場を継げ──)
その言葉の重さは俺もちゃんと感じていた。
「今の俺には……まずは強くならなきゃいけない。死んだら未来なんて語れないだろ」
紗季は小さく肩を落とした。何かを期待していたのかもしれない。
今は、好かれているんだろうな、という自覚はあるが深くは考えていなかった。
「そうだね……未来の話は強くなってからでいい。どうせあなた、そういうタイプだし。気が済むまでやるといいわ」
それは呆れでも嘲りでもない。どこか期待を含んだ視線だった。
笑ってみせると、紗季は安心したように息を吐いた。
「帰り道、気をつけて……死んだら怒るから」
「ああ」
なんて言うか、
紗季は守りたがりなくせに――俺の挑戦を否定しない。
別れ際の笑顔は、期待と不安が入り混じっていた。




