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気が視えた俺と、守りたがりな彼女と、戻らない何か  作者: 白川


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17/20

1-18 止まらなくていい理由

 校舎裏を離れてからしばらく歩いた。目的地は決めていない。ただ立ち止まりたくなかった。

 靴底が地面を叩く音が、やけに一定に聞こえる。呼吸も乱れていない。視界も澄んでいる。それが、妙に重要なことのように思えた。


(……ちゃんと、歩けてる)


 紗季の言葉を思い返す。


『私は、ここまで』

『一緒には、やれない』


 拒絶じゃない。責められたわけでもない。


(……正しい判断だ)


 そう結論づけるのは簡単で、確かに危ない兆候はあった。

 違和感も、噛み合わなさも、感じていた。


 それでも俺は「続けられる」と判断した。

 紗季は「一緒には続けられない」と判断した。


 どちらが間違っている、という話じゃない。


 彼女は守る側だ。

 俺は、進む側だ。


 そう整理すると、胸の奥が少しだけ静かになる。


(立場の違いだ……)


 校舎の窓に映った自分の姿を見る。

 歩幅も、姿勢も、何も崩れていない。


(……問題ない)


 言い聞かせる必要もないほど、自然にそう思えた。

 でも紗季は気づいた。だから距離を取った。

 それは優しさ……あるいは正しさだ。


(だから、あれ以上は踏み込んでこなかった)


『気をつけて』


 最後の一言が、頭の中で静かに反響する。


(心配してくれてる)


 それで十分じゃないか。一緒にやれなくなっただけだ。関係が壊れたわけじゃない。

 少なくとも――そう思うことにした。


 立ち止まり、気を巡らせる。

 流れはある。少し整えるのに時間がかかるが、詰まっていない、止まっていない。


(……続けられる)


 それが分かった瞬間、迷いは薄れた。

 紗季がいなくなったから、止まるのか?

 止まれと言われたわけでもないのに。

 止まる理由なんてなかった。


(俺が選んだ道だ)


 胸の奥で、静かに何かが固まる。

 これ以上、誰かを巻き込む必要はない。誰かに確認を取る必要もない。


 間違っているなら、いずれ分かる。

 それまでは――進めばいい。今は止まっていない。


 そう思えた。

 だから振り返らなかった。


 次に気づいた時には、足が動いていた。


 夜の空気は冷えていたが、張りつくような重さはなかった。

 校舎裏から少し離れた路地に立ち、翔太は足を止める。


 一歩、踏み出す前に、呼吸を整える。

 鼻から吸って、口からゆっくり吐く。

 吐き切ったところで、肩の力がわずかに落ちた。


(……落ち着いてる)


 胸の奥に意識を差し込む。

 内側をなぞるように、静かに……。

 気は巡っている。乱れはない。引っかかりも今は感じない。

 足裏で地面を確かめる。左右に体重を移しても、重心は安定していて遅れは出ない。


 昨日――校舎裏で感じた、あの僅かな遅れ。

 思い出そうとして、やめた。

 今は、動けている。それで十分だ。


 紗季と距離を置いてから、無意識のうちに動きが変わっていた。

 踏み込みは浅く、溜めも短い。必要以上の力を使わない。

 無理をしない。深入りしない。そう決めたはずだった。


 ――それでも、ここに来ている。


 理由を掘り下げる気はなかった。ただ……確かめたかった。

 一人でも、ちゃんと出来ているのか。

 視線を上げると、路地の奥。壁際に違和感が滲んでいる。

 影が濃くなったような、空気が澱んだような――そんな気配。


(……弱いな)


 近づくにつれ、相手が逃げ腰なのが分かる。圧をかければ散るだろう。そういう類の存在だった。

 判断に迷いはなかった。

 内側から、外へ、巡らせる。

 一瞬だけ、踏み込みの前で、溜める。

 そして――解放する。


 身体が、考えるより先に動く。

 足が出て、腰が回り、腕が走る。


 刃の軌道は最短。抜けるように、斬る。


 怪異は抵抗する間もなく、霧がほどけるように消えた。

 音もなく、跡も残らない。


(――よし!)


 拍子抜けするほど、あっさりしていた。

 呼吸は乱れていない。鼓動も平常に近い。

 胸に残るのは、疲労よりも形のある感触だった。

「出来た」というよりは「再現できた」という手応えだ。


 足を止め、もう一度内側に意識を向ける。

 巡りは滑らかだ。どこにも詰まりは見当たらない。


 一瞬、引き返すという選択肢が浮かぶ。


 ――この一体で十分だ。


 だが、その考えは長く留まらなかった。


(もう一つくらいなら)


 言葉にすると軽いが、感覚は違った。欲張りたいわけじゃない。

 今の状態を、もう一度だけ確かめたい。それだけだ。

 これは「欲」じゃない。「確認」だ。

 そう自分に言い聞かせながら足を進めた。


 二体目はすぐに見つかった。

 一体目よりも、存在感がある。輪郭がはっきりしていて、こちらを窺っている。


(……一体目とは違う)


 油断するな、と自分に言い聞かせる。

 左右の路地を視線でなぞり、逃げ道を確認する。


 ここで引く判断も、出来た――出来たが……身体は「動ける」と告げている。

 巡りも、反応も、まだ余裕がある。

 それなら引く理由にはならない。


 距離を測り、一体目よりわずかに深く気を溜める。

 にじり寄り間合いを詰める。

 一歩踏み込む。

 解放の瞬間、内側で小さな軋みが走った。


(……)


 それはほんの一瞬。

 歯を食いしばるほどじゃない。意識を向ければ、抑えられる程度。


(少なくとも、今は)


 怪異が反撃に転じる。

 触手のような影が伸びる。

 反射的に身を引く。風圧だけが頬を掠めた。


 数合、間合いを削り合う。

 踏み込みを一段浅くし、角度を変える。


 決定打。

 形が崩れ、存在が薄れる。消滅。


 息を吐いたとき、額に冷たい感触があった。

 汗だと気づくまで、一拍遅れる。


(……続けられる)


 その判断は感覚ではなく理屈だった。

 巡りは維持できている。判断速度も落ちていない。致命的なズレは、出ていない。

 一体目。二体目……どちらも処理できた。

 胸の奥で、小さな肯定が灯る。紗季に止められたとき、胸に残っていた曖昧な違和感が少しだけ薄れていく。間違っていない。少なくとも今は……そう感じられた。


 撤退を考え始めたそのとき、路地の向こうで別の気配が動いた。

 路地の奥で動いた気配は、遠ざかるでもなく、近づくでもない。


(……帰ろう)


 引ける、と思った。

 そう思えた時点で、もう身体は踵を返していた。


 一歩目。

 問題はない。


 二歩目。

 地面の感触が、ほんの少し遅れて伝わる。


(……?)


 立ち止まるほどじゃない。

 気の流し方を意識すれば、補正できる。


(……大丈夫)


 そう思った瞬間、前方で空気が揺れた。

 風とは違う。音もない。ただ、気配だけが、はっきりと立ち上がる。


(……来たか)


 路地の影が、不自然に濃くなっている。

 輪郭は曖昧で、存在感も薄い。一体目よりもさらに弱そうだ


(……まだ、いたのか)


 一瞬ためらいが走る。ここで踵を返し引くことも出来た。

 だが距離は近い。放っておけば、後を追われるかもしれない。


(……これだけ)


 気を溜める必要はほとんどなかった。

 巡りを維持したまま、最低限だけ。


 踏み込む。


 動きは雑。

 正確さよりも、速さを選んだ。


 刃が走る。


 怪異は抵抗らしい抵抗もできず、怪異がかすれるように消えた。

 翔太は、その場に立ったまま、少し遅れて息を吐く。

 吐いた空気が白く曇り、夜気にほどけた。


 肩を回す。腕を一度、二度と振ってみる。関節は引っかからず、力も抜けている。

 足を踏み替え、体重を移す。

 問題はない――そう“確認する動作”だけが、先に済んだ。

 そうしてようやく三体だったな、と数え直す。


 額に冷たい感触があって、指で触れてから汗だと気づく。

 鼓動は少し速いが、乱れてはいない。

 路地の奥に視線を向け、次に動く気配がないことを確かめる。

 それで十分だった。踵を返す。


 最初の一歩は、いつも通りだった。

 二歩目で、地面の感触がわずかに遅れて伝わる。


 足を止めるほどではない。

 歩幅を半拍だけ縮めると、遅れは消えた。


 呼吸を整え、歩き直す。

 動きは成立している。


 帰路につきながら、無意識に内側へ意識が向く。

 巡りはある。詰まりもない。ただ、反応が返ってくるまでにわずかな“間”が挟まる。

 気の量を少し落とす。呼吸の深さを揃える。それで済んだ。

 住宅街に入る頃には、身体の内側にあった重さは、違和感と呼べるほどの輪郭を失っていた。消えたわけではない。ただ、気に留める必要がなくなっただけだ。


 門灯の明かりが見え、翔太は歩調を緩めた。

 家の前で立ち止まり、もう一度だけ息を整える。冷えた空気が肺に入り、静かに抜けていく。

 そのまま、扉へ向かった。

 振り返らなかった。

 今は、動けている。

 それで足りる――そう思ったまま夜は終わった。




 翌日、校舎裏のフェンスに、新しい張り紙が増えていた。

 立入禁止。工事中。赤い文字がはっきり見える。


(……使えないか)


 理由を深く考えるほどのことじゃない。

 校舎裏は、もう“いつもの場所”じゃなくなった。それだけだ。


 翔太は足を止め、呼吸を整える。無意識に気を巡らせるが、問題はない……動ける。だから踵を返した。


 校舎の裏手を抜けさらに奥へ。舗装が途切れ、雑草が足元に絡み始める。

 旧通用路――昔、資材の搬入に使われていた通路だ。今は封鎖され、使われることはない。静かで人の気配がない。その静けさが、今は心地よかった。


 影が、道の奥で揺れた。一体だけ……規模も小さい。

 判断は即座に――踏み込み、一閃。

 動きは自然だった。速さも、重心も、いつも通り。


(……弱い)


 息を吐き振りむく。怪異は音もなく霧散した。

 成功だ。余計な疲労もない。


「……」


 背後で、足音が止まった。

 振り返ると、少し離れた位置に紗季が立っていた。いつもより距離がある。声をかけるでもなく、ただ様子を見ている。


「ここ、使うつもりだったんだ」


 翔太が先に口を開く。視線は合わせない。


「校舎裏、入れなくなってた」

「……うん」


 紗季は短く答えた。一歩、近づきかけて――止まる。その足が、半拍遅れたように見えた。

 風が吹く。木の葉が揺れる。だが、その揺れに、わずかな遅れが混じる。

 紗季が眉をひそめた。


「今の、速すぎない?」

「そう?」


 翔太は軽く肩をすくめる。


「一体だけだし。問題ない」


 紗季は何か言いかけて、口を閉じた。視線が翔太の右腕に落ちる。指先がわずかに開いて、握られる。


「……次、行くの?」

「もう帰る」


 結論だけを置いて、翔太は歩き出した。

 説明は――必要ないと思った。

 旧通用路を抜ける途中、空気が一瞬重くなる。影が地面を這ってくる……!


 二体目か。


 翔太は足を止めなかった。踏み込み距離を詰める。

 速い――!自分でもそう思う。


 解放。


 衝撃が走り怪異は消えた。着地も安定している。何ら問題はない。


 ――だが、背後で、紗季の息が詰まる音がした。

 声が、ほんの少し遅れる。


「翔太……後ろ!」


 振り返った瞬間、視界の端で影が跳ねた。

 三体目!

 最初に見たよりも、ずっと近い。


(……まだいたのか)


 考えるより先に身体が動く。悠長に気を溜める余裕はない――速度で押し切る。


 踏み込み、腕を振り上げる。


 その瞬間、空気が鳴った。衝撃が右腕に走る――体の奥から、鈍い、嫌な音。

 刃は通って怪異は消えた。だが、腕が、思ったより下がらない。


「……っ」


 翔太は一歩、たたらを踏んだ。


「翔太!」


 紗季が駆け寄る。距離が一気に詰まる。


「平気だ」


 即答だった。声は乱れていない。

 だが、右腕に力を入れようとして――入らない。感覚が曖昧だ。痺れでもない、痛みでもない。ただ、思った通りに動かない。

 紗季は、翔太の腕に触れかけて、止めた。手が宙で迷う。


「……無理、してない?」


 その声は震えていた。


 翔太は腕を一度、振ってみせる。


「ほら。動く」


 肘から先がわずかに遅れる。でも嘘ではない。日常動作なら問題ない。

 だが紗季は、目を逸らさなかった。唇を噛み、何かを言いかけて――結局、言葉を飲み込む。

 風が吹く。今度は、影が先に揺れた。


「帰ろう」


 翔太が言う。紗季は一瞬、躊躇してから頷いた。

 旧通用路を抜ける間、会話はなかった。ただ二人の間には以前よりもはっきりした距離があった。


 門灯の明かりが見えた頃、翔太は右手を握る。指は動く。力も入る。


 ――それでも、確信があった。


(前と同じには、戻らない)


 だが、その言葉を口にすることはなかった。紗季も何も言わなかった。

 夜は静かに終わった。

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