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気が視えた俺と、守りたがりな彼女と、戻らない何か  作者: 白川


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16/20

1-17 同じ場所には、立てない

 放課後の校舎裏は、いつ来ても静かだった。

 校舎の陰に隠れたこの場所は、人の通りが少なく、運動部の掛け声も遠い。コンクリートの壁に囲まれ、風の流れだけがわずかに残っている。

 翔太は周囲を一度だけ見回すと、以前から置きっぱなしにしている板の前に立った。


(……ここなら、集中できる)


 そう思うのは自然だった。紗季と一緒にいた時と比べても、むしろ余計な緊張がない。気を巡らせるとその流れはすぐに応えた。深く、静かに、身体の内側をなぞる。


(問題はない)


 あの時の――うまくいった感覚を思い出す。巡らせて、溜めて、解放する。その順番は、もう頭でなぞらなくても身体が先に理解している。


 一歩踏み出す。足裏が地面を捉え重心が移る。動きは成立していた……失敗ではない。

 ただ、以前とまったく同じ感触ではなかった。


(……少し、違うか?)


 着地の瞬間、反応がほんのわずかに遅れる。意識すれば修正できる程度のズレだ。

 もう一度同じ動きを繰り返す。


(再現できてる)


 そう判断するには十分だった。

 気は巡っている。流れは止まっていない。結果も出ている。

 ならば、精度の問題だ。

 翔太は呼吸を整え巡りを少しだけ太くした。無駄を削り、流れを一本にまとめる。以前より洗練された感触がある。


(……いい)


 動きは軽く踏み込みも速い。

 柔らかさを残したまま強度だけが上がっている。


(……形になった!)


 違和感が消えたわけじゃない。ただそれは「悪い兆候」ではなく「通過点」に見えた。

 誰もいない、止める声も、確認する視線も、何もない。


「止める理由がない」そう結論づけた時点で、自分が選択をしているとは思っていなかった。出来ている。続けられる。それだけで十分だった。

 稽古を終えて、息を吐く。肩に残る疲労は嫌な重さではない。むしろやり切った後の充足に近い。


(この方向で、合ってる)


 校舎裏を離れる頃には疑問は整理されていた。気を巡らせながら、溜めて、解放する。その流れは、少なくとも今の自分には、破綻していないように思えた。



 ***



 翌朝。冬の日差しがカーテン越しに横から差し込でくる。

 目を覚ました瞬間、身体に嫌な重さはないく、布団を出る動きにも引っかかりはなかった。


(……大丈夫だな)


 深く息を吸う。胸は素直に広がる。

 吐く。余計な力は残らない。


 軽く身体を動かす。違和感はない。昨日のことを思い出しかけて――やめた。今こうして動いている。それが答えだ。


 校舎裏に立つ。

 昨日と同じ場所。板の前。気を巡らせると流れはすぐに応えた。


(……よし!昨日より、むしろ整ってる)


 最初の動きは快調だった。

 基礎動作は軽く反応も良い。

 身体は素直に動く。


 そのまま一歩、踏み出す。


 ――瞬間、わずかなズレが生まれた。

 転ぶほどじゃない。崩れるほどでもない。

 ただ、踏み出した足と、巡っていた気が、一拍だけ噛み合わなかった。


(……?)


 すぐに修正する。

 重心を戻し巡りを整える。


 動きは問題ない。続けられる。

 だが、同じ感覚は返ってこない。


(……気のせい?)


 もう一度同じ動作をする。

 また同じ場所で遅れる。


 痛みはない。

 ただ、毎回、同じ一点で反応が遅れる。


(意識すれば直る)


 そう判断して、意識を向ける。

 身体を、気を、遅れに合わせ補正すると動きは成立する。


(使えないわけじゃない)


 しかし、補正を重ねるほど全体は重くなる。以前より集中が必要で、無意識にはできない。


(慣れてないだけだ)


 そう自分に言い聞かせる。新しい段階に入った証拠だ、と。


 技は出る。跳べる。立てる。動ける。


 それでも、一呼吸の間に小さな引っかかりが残る。

「同じ結果が出る」とは言い切れなかった。


(……今日は、ここまでにするか)


 結論は先送りにする。休めば戻るだろう……

 校舎裏を離れるとき、ふと足を止める。

 何かを忘れている気がしたが、何なのかは分からなかった。


(明日になれば、また違うさ)


 そう思うしかなかった。



 ***



 放課後の校舎裏は、昨日と同じように静かだった。空気の温度も、風の向きも、ほとんど変わらない。

 翔太は板の前に立ち、深く息を吸い、気を巡らせると、流れはすぐに応えた。


(……来てる……けど)


 違和感がないわけじゃない。

 ただ、それは昨日と同じ種類のものだった。


 足を上げ、踏み出す。重心も安定しているし、踏み込みも正確だ。

 ただ――わずかに、遅れる。

 すぐに補正するよう、体の内側に意識を向け流れを合わせる。


(問題ない)


 そのまま動きを続ける。遅れは消えないが動作は成立している。


「……翔太」


 背後から声が届いた。聞こえないふりをしてもう一度踏み込む。


「止めて」


 短い声だった。強くも荒くもない。

 翔太は、ゆっくりと動きを止める。振り返ると紗季が立っていた。

 距離は昨日より近い。だが、踏み込んではこない。

 紗季は板ではなく、翔太の足元を見ていた。


「今の……さっきから、ずっと同じところで遅れてる」


 指摘は具体的だった。そこに感情は無く、事実だけを示す言い方。


「補正できてる」


 翔太は即座に返す。


「見てたろ。崩れてない。しっかり流せてる。」


 紗季はすぐには否定しなかった。

 視線を上げ翔太の顔を見る。


「できてる、のは分かる」


 一拍、間を置く。


「でも……前と同じやり方じゃない」


 翔太は眉を寄せる。


「同じだよ」


 言葉が、少しだけ強くなる。


「巡らせて、溜めて、解放する。順番も、位置も、全部何も変えてない」

「順番の話じゃない」


 紗季の声は低かった。

 責める調子ではない。ただ、引かない。


「“乗り方”が違う」


 翔太は息を吐く。

 それだけで十分だ、というように。


「結果は出てる。この前だって、ちゃんと――」


 言いかけて、言葉を切る。

 言わなくても分かるはずだ、という前提があった。

 紗季は首を振らなかった。

 代わりに、一歩だけ距離を詰めた。


「翔太」


 名前を呼ぶ声が、少しだけ掠れる


「それ、続けるつもり?」


 翔太は一瞬、答えに迷う。


(迷う理由はない)


「……続けられる。……使える。壊れてない。」


 紗季は言葉を探すように、一度視線を落とす。


「壊れてない……壊れてない、かもしれない。でも――」


 顔を上げる。


「前に戻れてない」


 その一言で、胸の奥がわずかに軋む。


「戻る必要はない! 前より、進んでるだけだ……」


 紗季の表情が、わずかに硬くなる。


「それ、本気で言ってる?」

「本気だよ」


 即答。


「慣れれば済む。新しい段階に入っただけだ」


 沈黙が落ちる。風が校舎裏を抜けていく。

 紗季はしばらく何も言わなかった。ただ翔太を見ていた。

 やがて、ぽつりと、声を落とす。


「……私……止められない」


 翔太は、その意味を測りかねた。


「今のあなたを、止める理由を……言葉にできない」


 視線が逸れる。


「ただ、見てると……前と同じ場所に立ってるように、見えないの」


 翔太は答えなかった。

 答えられなかった、のかもしれない。


「だから」


 紗季は、一歩下がる。


「私は、ここまで」


 その距離が、はっきりとした線になる。


「一緒には、やれない」


 拒絶ではない。

 だが、同意でもなかった。


 翔太は、ゆっくり息を吐く。


「……分かった」


 自分の声が、少し遠く感じた。


「俺は、続ける」


 それだけ言った。

 紗季は何も返さなかった。ただ一度だけ小さく頷く。


「……気をつけて」


 それが最後だった。

 紗季は背を向け歩き出す。振り返らない。

 並んで歩く距離はもうなかった。足音は重ならない。

 完全に姿が見えなくなってから、翔太はもう一度板の前に立つ。


 気を巡らせる。流れはまだ身体の内にある。


(……問題ない)


 そう思おうとした。

 けれど、同じ位置に立てていないことだけは、否定できなかった。


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