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気が視えた俺と、守りたがりな彼女と、戻らない何か  作者: 白川


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10/20

1-11 静かな目覚めと、静かな孤独と。

 布団に潜り込んで目を閉じても、紗季の声が消えなかった。

 あの震える声が耳の奥にいつまでもこびりついている。


(……守ってくれるのは、ありがたいんだけどな)


 天井を見つめて息をつく。気分を切り替えようと再び目を閉じる。静かな部屋。

 今日はこのまま眠ろう……布団は柔らかい。温度もちょうどいい。眠るのに申し分のないはずなのに、胸のざわつきは残ったままだった。


「はぁ」


 溜息。布団の中で寝返りを打って視線を窓へ向ける。ひとつ残った外灯が淡くカーテン越しに部屋を照らしていた。


『――聞こえる?翔太』


 耳のすぐそばで囁かれたような気がして、思わず跳ね起きた。

 周囲を見渡すが誰もいない。静かな部屋だ。布団の擦れる音すら大きく感じる。


「……綾乃?」


 問い掛ける声は自然と漏れる。


『驚かせちゃった?』


 それは空気の振動として耳に届くのではなく、頭の中心に直接落ちてくる、不思議な響きだった。


「どうして急に? こんなふうに話しかけてくるなんて」

『前より、翔太の“気の流れ”がずっと強くなったから。あなたの内側に触れるのがずっと楽になったの』

「内側……?」

『今日、脚に気を込めた時を覚えてる? あの時の気の流れは、以前とはまるで違った。それは回路が強化され始めている証拠』


 落ち着いた声に少し安堵する。綾乃は軽く笑ったような気配で続ける。


『霊薬のこと、覚えている?』

「もちろん。あれのおかげで回路が開いたんだよな」

『そう。けれど代償として、無理やり拡張された回路には細かい傷がついていた。ひびだらけの、いつ崩れてもおかしくない状態』

「……いや、それ、もっと早く言うべきだっただろ」


 軽口のつもりだったが咎めるようになってしまった。


『言ったら、怖くなって気を使うことをやめてしまったでしょ?』

「……たしかに」


 綾乃はいたずらっぽい声に反論できなかった。


『でもね、今日、あなたは気を放とうとした。恐れずにね。だから――ひびは少しずつ埋まり始めたの』

「ひびが……修復された?」

『気が通ると、回路は整えられる。削れた部分も、ひびも……少しずつ修復されるの。筋肉と同じよ。使うほど強くなる』


 ああ――と気付く。


「そういえば……今日、脚に込めた時、危ない感じはしなかった」

『でしょう?』


 綾乃は嬉しそうに笑う気配を見せた。その小さな反応だけで胸が少し温かくなる。


『翔太、あなたはちゃんと前に進んでる。私が教えただけじゃこうはならない。あなたが諦めずに踏み込んだ結果なの』

「……俺が、か」

『そう。翔太が決めたこと。それは誇りに思いなさい……』


 胸の奥が少し温かくなる。


『眠れないの?』

「まあ、ちょっと……」


 気まずい。紗季の声が原因だなんてとても言えない。沈黙が痛くなる前に綾乃の声がまた響いた。


『だったら……姿勢を直しましょう。仰向け。両手は楽に。肩の力を抜いて』

「ここで?」

『ここで』

「……はいはい」


 仕方なく言われた通りに姿勢を整え、深く呼吸する。空気の重さが少し変わった気がした。呼吸は自然と深くなる。


『気の流れを意識して。頭から足先へ、すぅっと。力まず、拒まず。ただ流れるままに拒まない』

「瞑想か……?」

『近いけれど違う。これも“無為の型”よ。余計な雑念をどけて、気の通り道を広げる』


 無為……雑念を押しのけるのではなく、勝手に窓から風が入るように内側へ気を通すイメージ。意識が深みに引かれ、輪郭が徐々に薄くなる。

 鼻から空気を吸い、ゆっくり吐く。

 ゆらり……ゆらり……

 意識がとろけていく。周囲の世界の輪郭が薄れていく。

 深い水の底へ沈み込むような、水に消える綿あめのような、世界が溶けていく。


(……落ちてる?)


 まどろみの奥で、何かが俺を「招く」感触がした。手を引かれるように動いていく。


『そう、上手』


 綾乃の声がすぐそばで、底なしの湖越しに聞こえるような、不思議な反響を伴って聞こえる


『いまの翔太なら、少しだけ――こちら側へ来られる』


 ぐっと何かに引き込まれ視界が反転した。



 * * *



 どんーーと足が地を踏みしめた感触。

 直後、思わず息を呑む。濃密な霧が視界に絡みつく。霧自体が脈打つように気配を放っている。吸い込む空気はただ重く、鼻腔の奥がシンシンと冷やされた。


「これは……綾乃の世界……? 俺は、眠った……のか?」


 呟くと、霧の奥から光が差し、着物姿の綾乃が姿を現した。


「ほとんどね。でも翔太なら近いうちに“落ちたまま”上がってこられる」


 綾乃が更に近づいてくると霧が震えた。気の奔流が広がり押し寄せ、膝が勝手に負けそうになる。


 綾乃が静かに足元を指し示した。

 視線を落とすと――灰色の水面のような地面が波打っていた。波のひとつひとつから、濃密な気が立ち上っている。


(……重い)


 呼吸をするだけで胸が圧迫される……


「ここはね。翔太が“受け取れる”分だけ、押し寄せるの。体中に気が満ちるのを感じるでしょ?――だから、現実の体が弱っていたら押し潰される」

「潰される……?」

「そう。気と体が重なっているとね、精神世界での傷が現実にも返るわ。前までは細い回路だったから流れる気も少なく現実の肉体へ影響は少なかった。……でも今は違う」


 一歩踏み出すたび筋肉の奥が痛む。精神世界の負荷が肉体へ繋がっているのだろうか……


「何度でも来なさい。

 今はまだ基礎が出来ただけよ。でもこのまま回路が整い始めれば、翔太はもっと強くなる。沢山の気を扱えるし、もっと遠くまで気を伸ばせるようになる。怪異にも、紗季にも、負けやしない』

「紗季にも……?」


 思わず聞き返した。

 綾乃は一瞬だけ視線を伏せ、そして言葉を続ける。


「あの紗季って子、優しいわよね。……でも、強さの質が脆い」

「紗季が? あいつが?」


 思わず聞き返す。綾乃はわずかに笑ったが、その奥に沈んだ影のような何かがあった。


「翔太のことを大事に思ってる。それはいい。だけど、だからこそ壊れやすい強さなの。誰かを守るために立つ人は、折れる時は一瞬だから」


 何か含みを持たせた言い方だった。言い返そうとして――綾乃がそっと俺の額に触れ囁いた。


「愛されてるね、翔太」


 その声は優しくて、ひどく静かで、どこか孤独の匂いがあった。


「でも、心配しなくていい。あの子はあの子で強くなる。問題は翔太。気を扱うものは狙われやすい。力を伸ばす前に食われることが多いの」

「……それじゃあ、どうすれば」


 俺が問うと、綾乃は微笑んだ。


「簡単よ、強くなればいい。迷いを恐れず、前へ進むの。あなた自身のためにね」

「俺自身のために……?」

「そう。誰のためでもなく。翔太が翔太のために強くなるの。翔太が紗季をどう思ってるかなんて知らないよ。だけど守りたいと思うなら、まず自分を――心を、気を、体を、鍛えて鍛えて……自分で立ちなさい!」


 なぜだろう。綾乃の言葉は、時に紗季の言葉より、真っ直ぐ胸に響く気がした。

 綾乃は俺の手を取り、向かい合うように立たせた。


「わかった?」


 俺が頷くと、綾乃は満足そうに微笑んだ。胸の奥で熱が生まれる。

 綾乃は俺の手を取り、向かい合うように立たせる。霧がざわめき、波紋が足元に広がった。


「今日の鍛錬をするよ。展気――体中に気を張り巡らせる技術さ。迷わず。止めず。ただ全身に」


「わかった」と頷く。

 息を吸いイメージをする。内側に溜めていた気が一気に解き放たれる、そんなイメージを抱く。


 頭。

 肩。

 胸。

 腹。

 脚。


 順に流す……! ――つもりが、動きが追い付いていかない。


「ッ……!」


 足先に届くまで、まるで配水管の途中で水が詰まるような違和感が走った。汗が額を伝う。


「まだ遅い。思考が邪魔をしてるわ。もっと速く『間』を消して」


「そう言われても……!」と奥歯を噛みしめる。

 ――焦るな──と頭ではわかってる。でも、身体がすぐに限界を告げてくる。


「はぁっ……くそ……!」


 呼吸が荒くなった。足元がよろめく。焦りが逆に邪魔をして気は思うように走らない。

「しょうがないね」と綾乃は距離を詰めて俺の手を取った。触れた指が、絡む。鼓動が跳ねる。


「少しだけ意識を先に走らせるだけ」

「先……?」

「そう。“動かそう”と思った瞬間には、もう動いた後」


 綾乃は俺の胸に手を置いた。まるで支えるように。

 と同時に、全身が弾かれたように勝手に動いた。

 全身に気が駆け巡る。あまりの衝撃に飛び上がってしまった。


「……っ!」

「今のが、展気」


 綾乃は深く頷く。


「……すげぇな」

「だけどこれはまだ序章。その際にあるのが“瞬展”。瞬展は意識より先に結果が出るの」


 言ってる意味が分からない。


「……そんなの、人間にできることなのか?」


 綾乃は少し寂しげに笑った。


「できるわ。少なくとも私はね」


 どこか遠くを見る横顔は、美しいのにひどく孤独に見えた。

 ふと何かを思い出したような顔で、綾乃は俺の肩を掴み真剣な眼差しを向ける。


「翔太、今日はここまで。ここは負担が大きすぎるの。今の翔太が長くいたら……目を覚ました時、倒れているかもしれない」


 その言葉に背中が冷えた。それでも綾乃は穏やかに笑う。


「だから今日は切り上げましょう。また明日強くなろう。翔太が翔太でいられる未来のために」


 その言葉が胸に深く刺さる。綾乃の指が頬を撫で、視界が揺れた。


「……うん」


 次の瞬間、闇がゆっくりと輪郭を変えた。静かな空気が底からそっと押し上げてくるように揺れはじめる。水底から浮かび上がるときの、あのやわらかな心地よさだけが周囲を満たしていた。

 そうして身体がふわりと軽くなる。その軽さに導かれるように、布団のぬくもりと柔らかさがじわりと戻ってきた。現実の気配が、ゆっくりと近づいてくるのを感じていた。

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