後悔と贖罪
「ねぇねぇ、白鳥さんっていつもあんな感じなの?」
「ん、まあね」
そんな会話が私の耳に入ってくる。
「友達いないのかな?いつも携帯ばっかしいじってるし」
「やめな聞こえちゃうよ……近くにいるんだから」
彼女たちは私がイヤホンをしているから聞こえていないと思っているんだろうけどちゃんと聞こえてる。私が聴いているのはせいぜい静かな音楽だけ。流行りの曲とかそういうのは知らないし興味がないから。
「大丈夫でしょ、イヤホンしてるし…………てゆーかこの学校ってお昼休携帯触ってもいいんだっけ!?」
慣れてるから。
クラスメイトに何か言われようが、陰でこそこそ噂されようがそれで誰かが私を気にするのをやめてくれるなら好都合だ。それで私の心が救われるのだから、それでいい。
いつからだっけ、人との間に壁を作るようになったのは。
中学生になってすぐの事、私はクラスでいじめに気づいてしまった。昔から周りの空気を人一倍感じやすい性格だったから、そういうことにはいやでも気づいてしまう。それが別に悪いことだとは思っていなかったし、嫌だと思ったことも無かった。だけど、この時ばかりは気づかなかった方が傷つかなくて済んだんだろうなと思ってしまった。
無視されたり物を隠されたり、クラスメイトによる陰湿な嫌がらせ。逆らえば次は自分がいじめの標的になる、ヒエラルキーの低い生徒は発言の権利すら与えられない、そんな居心地の悪い空間。
気づいていたのが私だけでは無かったはずだ。少なくともいじめられていた子の友達は。
それでも、立ち上がり声を上げる生徒はいなかった。私を含むいじめられていた生徒を抜いた37人のクラスメイト、誰1人として。だけどそれは決して異常な光景ではなかったはずだ。自分から面倒ごとに首を突っ込むバカはいない。ましてや自分が標的になり変わってしまう危険を背負ってまで。
誰だって自分が一番かわいいのだから。
そんな中でいじめの標的にされている子が私に話しかけてきた事もあった。
「あ、あの……白鳥さん…………」
今にも消えてしまいそうで苦しそうな悲痛の表情を、何かに縋り付くように助けを求めるような細く小さな声を、私はちゃんと見て、聞いた。そんな彼女の表情を見た時、私は息を呑んだ。今にも泣き出してしまいそうな顔でただ私に向かって何かを伝えようとしていることだけがはっきりと分かった。
だけど私はどうすれば良いのかわからなかった。いや、本当は何をすべきか分かってはいたはずだ。「大丈夫?」、「どうしたの?」なんでもよかった。ただ一言、彼女に寄り添うことができたならそれで彼女は救われたのかもしれない。
ただ、そうするには私に勇気が足りなかった。
たった一言、それすら言えずに私は気づかないふりをして目を逸らした。「私に話しかけないで」そう言わんばかりの冷たい視線を彼女に向けて。
その時の彼女の表情が今でも私は忘れられない。
あの時、一体どれほどの絶望を彼女は感じていたのだろうか。
それがわからない時点で私も立派な加害者だ。
しばらくしていじめを受けていた子は学校に来なくなった。
学級会議が開かれ担任の教師がいじめをしていたグループの生徒達を叱っていたけどきっと意味がないと思った。だってこんなのただの茶番劇だ。
一応、叱っただけなんでしょう?
だってあの時、先生だって一緒にあの子を晒し物にして笑っていたんだから。
その後のことはよく知らない。噂ではいじめられていたあの子は学校に来れるようになったらしいけど本当なのかはわからない。私にはもう、あの子に関わる権利がない。それが真実なのか確かめる方法も。
それから私は他人と関わるのをやめた。もう誰とだって親しくなる必要なんてない。友達だっていなくて困るようなものでもない。人と関わらずに1人でいる方が楽でいい。そう自分に言い聞かせながら少しずつ周りと距離をとっていった。教室では後ろの方の窓辺に座りイヤホンをして顔を伏せたり、本を読んだり、目立たないように。
昼休みになると誰よりも早く弁当を持って教室を抜け出し立ち入り禁止の屋上へ続く扉の前で食事を済ます。その後は授業が始まるギリギリまで音楽を聴いて時間を潰す。イヤホンをしている間だけこの残酷な世界と切り離されるように感じて少し気持ちが楽になる。
そうやって私の世界はどんどんと狭まっていったんだ。
いっそのことみんな私のことなんて忘れて透明人間にでもなれたらなんて、そんな馬鹿げたことを考えながら。
そんな風に考えているうちに私はとうとうクラスの誰からも話しかけられることは無くなった。他人と関わらなければ余計な気を遣わなくていいし心がすり減ることもない。私にとっては好都合だ。
1人でいれば傷つくことも誰かを傷つけることもない。そう思い込むことで孤独な自分を正当化していた。
だけど、結局のところ私が他人との関わりを断ったところでいじめが無くなるわけじゃないし誰かが救われるわけでもない。何の解決にだってなりはしないのだろう。誰も傷つけたくないなんて大層な理由をつけて逃げているだけ。これで楽になっているのは他でもない私だけだって、私が一番わかっているくせに。
こうやって目を逸らし続ける限り私は加害者のままこの烙印を抱えて生きていく。いっそ私がいじめの標的になればいいのになんて罪悪感と後悔を胸に押し込んで。それが唯一、あの日私が突き放したあの子に対する罪滅ぼしになる事を信じて。
「ねぇ白鳥さん、今日一緒にご飯でもどう?」
私に話しかけないで、1人でいたいの。
そんな冷たい視線を向けてわたしは無言で教室を後にする。